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第一話

 憂鬱だ。

 この季節はいつも憂鬱だ。

 暖かくなって暖房が要らなくなったとか、新年度を迎えて気持ちを引き締めるとか言うけれど、俺はただ憂鬱だ。

 何が憂鬱かって言えば、この時期恒例の身体測定がすっごく嫌だ。


「はい、いいですよ。次の方どうぞ」


 測定した数値をシートに書き込み、それを生徒に手渡した白衣の男性の事務的な声に呼ばれても、俺の足は素直に前に進めない。

 視線の先には何処の学校でも保健室に備えてある身長計。

 あそこに背を向けて立たねばならないのだが、俺の意思ははっきりと拒絶を示し続けている。


「おい、何してんだよ」

「前の奴、さっさと行けよ」


 背後の列からは当然、非難の声が上がっている。

 お前らには分かるまい。持ってる奴に、持っていない奴の苦悩なんて分かる筈がない!


「どうしました?」


 身長計の横で待っている白衣の男性も、一向に動かない俺に訝しげな視線を浴びせてきやがる。

 クソッ……! ああ、分かってるよ。この程度の事、さっさと済ませてさっさと忘れちまえばいいってことくらい! でも嫌なものは嫌なんだよ!

 歯をギリリ、と噛み締めて根が張ったように重い足を床から引き剥がして前へ進め、ぎこちない足取りで事前に手渡されている用紙を男性に渡す。


「神崎薫さんですね。そこに背中をつけて真っ直ぐ立ってください」


 男性の事務的な指示に従い身長計に立つと、すぐさま頭にスライド部材が乗っかった。


「はい、いいですよ。次の方どうぞ」


 数秒ほどで身長計からさっさと立ち退かされる。

 次は体重か、こっちは身長ほど気にならないな……と少しだけ安堵しつつ手渡された用紙に視線を落とすと、身長の欄には『156.2㎝』と書き込まれていた。


 短い春休みが明けて約一週間が過ぎた。

 去年とは逆の立場で新入生を迎え入れ、進級した実感をようやく得たような気がしたけど、それで何が変わったかと問われれば答えに困る。

 むしろ去年、いや、ここ数年大した変化が起きていない事実が非常に腹立たしい。

 クラスメイトは理系と文系に別れた事で目に見えて様変わりしたというのに、俺自身は相変わらずのんびり平常運転を続けている。


「お、去年より2センチ伸びてるじゃん」


 さっき終わった身体測定の結果が書き込まれた用紙を俺の手から奪い取った男子生徒が何故か嬉しそうな声を上げるが、こいつは去年から6センチ近くも伸びているのでささくれ立った心には嫌味にしか聞こえない。

 この人の良い友人にそういう気が無いのは分かっているんだけど、苛立ちが顔に出てしまうのはどうしても抑えられない。


 廊下を歩いていると、この季節特有の心地良い香りが鼻を擽った。

 開け放たれた窓の外には、香りの源である桜の木が薄桃色の小さな花を全身に纏って並木を作っているのが見える。

 不思議な花だ、あれを見ていると心が少しずつ穏やかになっていく。

 ふと、今の俺と同じように不機嫌になっているであろう人物の顔が頭を過ぎった。

 あいつは桜を見ると、複雑そうな顔をする。

 どうしてだろう、幼い頃は桜が咲いていると「お花見しよう!」って毎日引っ張りまわしてくれたくらいに好きだった筈なのに。

 教室に入ると、先に戻ったクラスメイトたちがあちこちで集まって雑談に興じており中々に騒々しい。

 先に指示された通り測定結果を書き込まれた用紙を教壇に重ねると、何気なくあいつの席に視線を向けた。

 五十音順という分かりやすい並び方で決められたあいつの席は窓側奥にある。春のぽかぽか陽気に照らされたその場所で、あいつは机を覆うような姿勢で突っ伏していた。

 寝ている訳では無いだろう、きっと拗ねているに違いない。


 不機嫌真っ只中のあいつに関わるとロクな事がないので、遠くから様子を見つつ廊下側奥の自分の席へ向かう。


「よー、神崎。お前何センチ伸びてた?」


 椅子に座ると何処に居たのやら、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた男子生徒が近付いてくる。

 折角気が紛れていたのに、クソが……! と睨み付けてやっても全く気にした様子も無い。


「そういうお前はどうだったんだ?」


 と穏やかな声で尋ね返したのは、さっきから一緒に居る男子生徒だ。別に俺をフォローしたわけじゃないんだろうけど、今回は素直に感謝しよう。


「あー……ギリギリ170に届かなかった」

「ぷっ、だっせぇ」

「うるせー! 中学の時は俺と大して変わらなかったクセして、なんでそんなにデカくなるんだよ」

「適度な運動と適度な食事、それと十分な睡眠だ」


 自信満々に答えた野郎はそろそろ180㎝に届こうかという長身を誇る。

 こう言うと自虐的で嫌なんだけど、さっき並んで歩いていた様子はまさに巨人と小人って絵面だっただろう。こいつと歩くと周りから向けられる視線がいやに生暖かくて不快極まりない。


「俺だって運動は十分やってるし、ちゃんと食ってるぞ?」

「俺も前にお前の叔父さんに聞いた通りに、ちゃんとやってるぞ」


 何か納得がいかなくなって、俺もつい口を挟んでしまう。


「個人差はあるだろ。うちの親父は二十歳くらいで止まったって言ってたけど、叔父さんは三十過ぎてもまだ背が伸びてるって言ってたしな」


 その言葉を聞いて、俺たち二人は揃って溜息を吐いた。


「なんだよ、お前ら」

「いや、鷲尾んトコが普通じゃねーって気付いただけ」


 俺の言葉に、もう一人は腕を組んで頷いている。

 それが面白くないのか、奴は憮然とした表情を浮かべて何事か反論しようとするが――。


「いーじゃん、そのままで。カワイイんだから」


 ――そんな事をのたまって後ろから覆い被さってきた女子生徒によって阻まれた。


「はぁ? ンだよそりゃ」

「だってワッシーみたいに背が高くてがっちりしてるカンちゃんって想像できないもん。ていうか、そんなのリアルに見せないで」

「ふざっけんな! 大体、野郎にカワイイって全然褒め言葉になってねーンだよ」


 ケラケラ笑うバカ女を振り解こうと身体を振り回しても、体格で負けているせいか全然敵わない。

 それどころか面白がって抱きついてやがるから後頭部に柔らかい感触が! 野郎二人が羨ましそうな目を向けてくるけど、絡まれている内容が内容だけに気分は複雑だ。


「まー確かに、男にカワイイってのはねーわな」

「そんな事ないって! ワッシーもそう思うよね?」

「何故俺に振る」


 あー、もううるせー。担任さっさと来ねーかなぁ。


「神崎よー、薬王寺から背丈と肉を貰っちまえ」

「あ? ンなこたぁ出来るモンならとっくに――」


 野郎の背後に突如現れた巨大な影に言葉が詰まった。

 異様な気配に気付いたらしいそいつは振り向こうとするが叶わず、首根っこを掴まれて足が床から離れる。


「誰が縦にも横にもデカイかー!」

「ぐぇ!? ぎぶっ! ぎぶっ!!」


 まがりなりにも170近い男を左腕一本で高々と吊り上げているのは、さっきまで窓際の席で突っ伏していた筈の女子生徒、薬王寺さくらだった。

 いつの間にこっちに来たのか、全く気付かなかった。


「黒部の首が極まってるっぽいから、程々で降ろしてやれよ」


 自業自得とはいえ足のばたつかせ方がマジで必死っぽいので釘は刺しとかねば。

 とか暢気に構えていたら、さくらの半開きの眼がギロリとこちらへ向いた。


「おわ!?」


 出し抜けに伸びてきた右腕を咄嗟に椅子から転げ落ちて間一髪掻い潜って避けると、そのまま身体を返して距離をとる。


「あっ、逃げた!」

「逃げるに決まってんだろっ。いきなり何しやがる!」

「もー! 大人しく捕まれー!」


 さくらはムキになって再び腕を伸ばしてきた。

 当然逃げるけど、膝を床に着いた姿勢じゃ動きにくい!


「俺が何か言ったのかよ!?」

「うるさーい! コンパクトでキュートな薫ちゃんに、あたしの悩みなんてワケない!」


 いや、お前の悩みはよーっく知ってるんだけど!

 そう言ったところで理不尽に逆上してやがるこいつが止まると思えない。むしろ火に油を注ぐだけのような気さえする。

 しかも人が気にしている事をしれっと口走りやがって……!


「あー、くそっ。どうでもいいけど、いい加減黒部を離してやれよ! なんかグッタリしてんぞ!」


 未だ左手に掴み上げられたままのそいつはさくらの豪腕に振り回され、さっきから机や椅子を蹴散らしている。地雷を踏んで今の状況を呼び込んだ元凶だけど、さすがにもう気の毒だ。


「え?」


 ようやく我に返ったらしいさくらは左手で掴み上げた奴にようやく意識を移す。が、そのタイミングが最悪だった。

 前に出そうと上げた右足が、前に出ていた左足の裏を蹴った。

 別の方に意識を向けていたさくらは縺れた足を立て直すことが出来ず、しゃがんだ俺を捕まえようと前傾した姿勢のままこちらへ倒れ込んでくる。

 いつもは何処か眠たそうな目が、大きく見開いてどんどん接近してくる。

 そんな一瞬の出来事がやけにゆっくりと見えた。

 でもそれは本当に一瞬の出来事で、その間に何も行動できなかった。

 やがて頭同士がぶつかって激痛と共に激しい衝撃に脳を揺さぶられ、視界が暗転して暗闇に火花が散った。


「おい、お前ら。大丈夫か?」

「さっちゃーん、カンちゃーん、聞こえる?」


 ぐわんぐわん、と頭蓋の内で頭痛やら衝撃が反響して脳が揺さ振られているような酷い感覚に苛まれる中、鷲尾たちの気遣わしげな声が耳に届く。

 寝起きに似た感じにぼんやりしてはいるが、意識はあるようだ。


「聞こえる……けど、頭痛い」

「ん。カンちゃんが下敷きになってるから、とりあえず起こすね」


 ワッシー、お願い。と女生徒の声が掛かると、大きな手が俺の両肩を引き起こした。

 目眩が酷い、下手に動くと吐くかもしれない。

 今だかつて覚えたことのない不快感に成す術なく座り込むと、ブレる視界に仰向けに寝そべった少年の姿があった。

 まるで車に轢かれたカエルのようなポーズでのびたそいつはかなり小柄で、少しでも身長を高く見せようと整髪料で固めた髪をツンツン逆立てた様は目に馴染みながらも凄まじい違和感を覚える。


「カンちゃーん、生きてる~?」


 ふざけた呼び掛けだ、と思わなくはないがそれに「うー、死んでたら答えられないー」と返ってきた辺り、あいつも相当にふざけている。


「あー……、薫ちゃん、起こしてー」


 一度起き上がろうと身体を揺さ振ったようだがあっさり諦めたらしく、そいつは両手を天に向けて突き出した。

 すぐ間近に座っていたのもあり、その手を何気なく掴んで引っ張り起こす。見掛け通りに軽い身体は、腕の力だけで易々と起こすことが出来た。


「ありがとー。薫ちゃんってば、いつの間にか力持ちになったんだねー」


 なんて耳に馴染んだ口調が違和感に満ち溢れた声で喋り、そいつはこちらを見るや固まった。

 うん、俺もこいつの気持ちがすんげー分かる気がする。


「なんで俺がそこに居るんだ?」

「なんであたしがそこに居るの?」


 次の瞬間にはお互いに指差し合い、そんな言葉を宣い合っていたのだから。

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