彫金師と宝石少女
前書きとして登場人物の設定を置かせて頂きます。
シノ︰20代後半の青年、人の言葉から感情の色が見える能力を持つ。彫金師として街で装飾品を売って暮らしている。
センネ︰西の村から旅に出てきた少女、宝石の気配を感じ、持ち主の愛情によって産まれた石に宿る石精を見ることができる能力を持つ。20代前半だが、実際の年齢より幼く見える。
ティア︰センネといつも一緒にいるブルーレースアゲートの石精。他の石精より力が強く、美しい。
アイリア︰シノのサファイアから生まれた石精。
カイ︰シノと同い年で親友。馬具店の店主で、馬を持っている。
ナナ︰カイの奥さんで、とても優しい女性。シノとも仲が良く、信頼している。
今僕は人の言葉に色が見える。だから顧客の欲しいものが手に取るようにわかる。この能力はこの仕事のためにあると僕は運命を感じていた。
顧客の家に作品を置いて長い道のりを歩いて帰っている途中、空が暗くなり始めた。
「まずいなぁ、これは雨になる」
独り言もそこそこに、三分の一程までしか進んでいない帰路を走り出した。走り出してすぐに小雨が降り始めて、足を止める訳には行かなくなってしまった。買われなかったけど、それでも商品だ。なるべく雨に濡れないようにして、売れる工夫をしてやりたい。
やっと半分まで走ってきた時、雨足はかなり強くなっていた。これ以上は難しいと思い、大きな木の下に入り雨宿りをする。
(この箱はとりあえず濡れてない…帰って次の作品に取り組みたいんだけどな…)
そう思いながら、持っていたストールで商品の入った小さな箱を包む。
「〜〜〜」
そうしているうちに、大きな雨音に紛れてどこかから声が聞こえた。
(なんの声だ?やけに楽しそうだな?)
声のする方向を探すが、特に見えるものは無い。
「〜〜で、〜〜の!」
少しずつ大きくなるその声は、思ったより低い位置にあった。この木より少し小さめの木の下に入って楽しそうに雨に手を伸ばしながら雨宿りをしている。雨が好きそうな声色だ。
「ある人が言っていたの、雨は心を綺麗にしてくれるって!だから私は雨が好き。雨でも悲しくないよ!ティアもそう思わない?」
声の高い少女は、どう見てもひとりだ。
(1人にしか見えないけど何を喋ってるんだ?)
少女の声に目を凝らしていると、明らかに誰かと話している声の色が見える。そしてたまに人が居ないはずの場所に色が見える。あの子だけに見える何かがいるのかもしれない。
そんなことを考えながら少女を見ていると、今まで陽気に話していたその声は止まり、少女は歌い出した。
「!?」
透き通ったその声は、優しく鼓膜を震わせた。
(すごい、何だこの歌声…)
話す時とかなり違うその歌声は、僕の動きを止めるには充分すぎるものだった。
少女が歌い終わると同時に思わず拍手を送っていた。僕が拍手をしたことに気づいた少女は、勢いよく振り返り僕を驚いた顔で見つめる。
「あ、え、ごめんなさい!誰かいるって気づかなくて…」
顔を赤くして焦りながら頭を深く下げる少女は、思ったより幼く見えた。
「全然!むしろいい歌声をありがとう!」
素直に思ったことを告げると、少女は照れながら少しだけ頭をあげた。
「あ、ほ、ほんとですか…?すみません…」
それでも謝罪をやめないのは、この子のくせなのだろうと声の色から感じ取れた。
「大丈夫、心配しないで。怒らないよ」
「はい…!」
雰囲気を解こうと微笑みかけると、嬉しそうな笑顔を見せてくれた。少女は笑ったあと、不意に何も無い右隣を見て微笑んでいた。
「…ねえ、何かいるの?」
少女の横から嬉しそうな色が見えた。
「え、どうして…」
大きく目を見開いて驚く少女は、信じられないという顔と声をしている。
「僕、声が色として見える能力を持っているんだよ。君のとなりから嬉しそうな色が見えたから、誰かいるのかと思って」
僕が彼女の隣にいる何かに気づいたことに驚いた顔をしながらも、とても嬉しそうにしていた。
「信じてもらえるのですか…?」
嬉しそうで、けれど恐る恐る尋ねてくる。
「信じるよ、この街には能力を持った人が他にもいるから。不思議なことじゃないよ、大丈夫」
僕を見たその目に光が宿ったのがわかった。
「ここに、私の石の精がいるんです」
しっかりと右側を見つめたあと、話し出した。
「石の精?」
聞いたこともないその言葉に僕は思わず困惑する。
「石精って言って、その石を信じ続けた者の心が石と通じ合い現れる妖精で、石と絆ができることで見ることができるんです。私は発現している石の妖精を見ることができる能力を持っていて、他の人の石精も見ることができます。この子はブルーレースという石の精です。私の良き仲間で、親友です。」
声色から本当に信じていると伝わってくる。
「そうなんだね、2人からお互いを信頼していることが伝わってくる。素敵だね。」
僕に微笑みつつ軽く頷き黙ってしまった少女はハッとしてまた僕に向き直った。
「どうかした?」
僕を不思議そうに見る彼女に、何が見えているのかきになって、聞いてみることにした。
「えっと…」
押し黙るこの子を見て、まず自分からと思い自己紹介をする。
「僕はシノ、きみは?」
雨が僕らを隔てないように願う。この子が何を思うかはこれからの僕にとってだいぶ関わって来そうだから。
「私はセンネです。見えないと思いますが、ここにいる石精はティアと言います。はるか西の小さな村から色んな場所を旅してここまで来ました。」
石の精の名も教えてくれる少女は、僕の後ろを眺めているように見える。
「あの…」
少女はまたも恐る恐る声を出す。
「ん?」
僕が首を傾げると、センネは続ける。
「シノさん、今石を身につけていますか?おそらくサファイアを」
そう言われて右耳に下がっているピアスにはめ込まれた青い石を思い出した。
「よくわかったね、多分このサファイアのピアスだと思うけど…」
右耳に下がっているピアスを少女に見せた。
青く輝く宝石に向かってセンネはほほ笑みかける。
「センネ…でいいかな、このサファイアがどうかした?」
「シノさん、そのピアス大事にされているのですね。」
「うん、これは僕の師匠がくれた宝石なんだ。石言葉が誠実って聞いたから、力を貰えるようにピアスにしてつけているんだ。仕事には真剣に向き合いたいからね。」
「そうなんですね。そのサファイアにも石の精がいるんですよ。あなたの側で、嬉しそうにあなたを守っています」
僕にも石の精が?
「このサファイアに妖精が…」
「シノさん、あなたは石精を信じてあげることができますか?」
「君の横に嬉しそうな声が見えるから、僕は信じてあげられるよ」
「その気持ちがあれば、きっと見えます。信じていただけるなら少しだけ私がお力添えさせていただきます。」
「僕の石精…見てみたい」
ちょうどその時、雨は止み晴れ間が見え始めた。
「手を、貸していただけますか?」
「いいよ」
僕はセンネに素直に手を差し出した。
センネは冷たい手で僕の右手をとると、両手で僕の右手をつかみ目をつぶった。
「その姿を、シノさんに。」
小さくそういうと、手元が光り始める。
「おぉ…」
光が大きくなり、静かにしぼんで行く。
「石の精を宿している人を久しぶりに見ました。あまり見ないもので…シノさんはホントに大切にしているのですね」
「すごく大事だからね」
僕の手を離してそう告げたセンネは木の下から出ると荷物を肩にかけ直す。
「では私はこれで、宿に戻ります」
「街の宿かな?僕は明日も街に行くから、出会ったらよろしくね」
「はい!」
そういうとセンネは僕が来た道を逆方向に歩き始めた。決して早くは無いけど、それでもしっかりした足取りで。
僕も工房に戻るために歩き始める。
明日、この石の精が見えたらどうしようか。そんなことを考えながらこれをアイデアに変えようと、僕の足は早くなって行った。
僕が工房に着く頃、再び雨が降り始め、デザイン画をあげている間はかなり厳しく降っていた。
翌朝は、晴れていて地面だけが濡れていた。
今日は街に売りに出る日で、少しだけ早めに目を覚ました。作った作品たちをいつもの箱に詰めて、身支度を整える。今日になったら妖精が見えるはずとあの少女…センネに言われていたから目を覚ました時に期待をしていたけど、見渡す限りはどこにもいなかったので、仕方なく普通に身支度えを整える。あの光は僕に見えた幻想なのだろうかと思いながら、少々支度を終えるには早すぎたのでコーヒーを入れて余った時間をのんびり過ごすことに。
ぼうっと、今日出品するものの資料を眺めながら、何が売れるだろうと考えていた時、視界の端に青が映った。青いオーロラのような淡い光で、これはいつも僕が声を見る時に見えているものかと気づき、思わずバッと顔を上げると、深い青の長い髪を右側で三つ編みにまとめ、肩に下ろしている背の高めの少女が居た。昨日であったセンネよりは少しばかり年上だろうか?肌の色素は随分薄く、髪の色がよく映えている。
「…キミは?」
「私のことが見えるのですか?」
明るく透き通った声は、しっかりと僕の耳に届いていた。
「見えるよ」
「…私はアイリア、あなたの宝石の精です」
優しく微笑みかけてくれたアイリアは、僕のことを知っているようだった。
「アイリアは、ずっと僕のそばにいたの?」
聞きたかった事を素直に聞いてみる。
「はい、あなたがそのピアスに愛を持って接してくださった時からずっと、お側で見守っていますよ」
その声は本当に愛に満ち溢れていた。
「僕が愛を…」
「作品としての愛は、私自身への愛です。あなたは本当に私のことを大切にしてくださっているので」
そう言って微笑む顔とその声に嘘はないとすぐにわかった。
「そっか、僕を守っててくれたんだね」
僕の言葉にアイリアは嬉しそうに目を丸くして笑顔になった。
「はい…!!」
その言葉には、ここで肯定してしまうと自分を認めることになるという小さな気遣いが含まれていた。僕は気を遣うなという意味を込めて、頷きほほ笑みかける。僕の意図が伝わったようで、彼女は胸を撫で下ろしていた。
「さて、そろそろ街に行かなきゃ」
アイリアと談笑をしていると、街へでなければいけない時間になっていた。
「お供してもいいですか?」
そういうアイリアに、僕はもちろんと告げる。
「君の姿は僕以外には見えないと思うから、少しだけ寂しい思いをさせるかもしれないけど」
アイリアは寂しそうに僕を見つめた。
「シノさんが見えるようになるまでと同じです、気にしないでください。ただ一つ言えることは、今はもう、寂しくないです」
暗くなった後に明るくなった声は今までの僕を見るだけで何も出来なかった悔しさと、これからへの期待が含まれていた。
僕はその言葉を信じて街へ歩みを進めていた。道中は一人では無い、隣にはアイリアがいる。
街はいつもより賑わっていた。
街に着き、まずは注文をしてくれていたお方の家へ向かう。大きな屋敷は中年のご夫婦の家だ。旦那様は街の役所のお偉い様で、この屋敷は街で何番目かに大きなもの。このご夫婦がお客さんなのは僕もありがたい。
屋敷に着く前に立ち止まり身なりを整える。門の前ではお屋敷のメイドさんが掃除をしていた。
「おはようございます。彫金師の者ですが、奥様のご依頼品をお持ちしました」
メイドさんに声をかけると、掃除の手を止めて僕の顔を見上げていた。何度も訪れたお屋敷だけれどこのメイドさんははじめましてかもしれない。
「おはようございます、奥様にお伝えして参りますのでこちらでお待ちいただけますか?」
丁寧に説明してくれるメイドさんの方が、街外れに住んでいる僕より立場は上のはずなんだけどなと思いながら僕は頷く。
「わかりました」
数分で屋敷の中からメイドさんが出てきて、僕を中へと招き入れる。客間に入ると、奥様がソファに座って待っていた。
「あら彫金師さん、いらっしゃい。今回もありがとう。」
優しく微笑む奥様は、豪奢なドレスを身に纏いメイドさんが出したお茶を飲んでいた。僕は向かいのソファへ座るよう促されたので、箱を取り出しながら今回のネックレスの説明をする。
「ご依頼ありがとうございます。ダイヤに合う宝石との事でしたので水晶を使用させていただきました。石自体は一般にも流通しているものですので、そこまで高価ではありませんが周りの装飾をシルバーで作らせていただきました」
水晶は簡単に手に入るため、そこまで大きな価値は無い。だけど、その水晶はダイヤを支える影の宝石になると僕は思った。
「あら、素敵なデザインね!気に入ったわ!」
作品を近くで見た奥様は豪華なネックレスを手に取るとさっそくメイドさんにつけてもらっていた。手鏡をみながら、キラキラと胸元で輝く石とシルバーを嬉しそうに何度も触っていた。
「お気に召されたようで何よりです。」
僕が一言声をかけると、僕の存在を忘れていたかのようにハッとして僕に向き直った。
「あなたの作品は私の思った通りのものに仕上がるから気に入ってるのよ」
少し顔を赤くした奥様は僕をしっかり見つめてそう言ってくれた。
「そう言っていただけて光栄です。またご依頼があればぜひ僕にお願いいたします」
そう言った僕にもちろんとすぐ返してくれる奥様は本当に優しいのだなと思った。
「では僕はこれで失礼いたします」
ソファから立ち上がり、笑顔で見送ってくれる奥様に頭を下げながら部屋を後にした。
誰もいない廊下でアイリアに話しかけた。
「どうだった?」
僕がアイリアを見える状態でこの屋敷に来たのも、仕事姿を見せたのも初めてだったので、アイリアからどう見えているのか単純に気になってしまった。アイリアは僕を見ると、ゆっくり話し始めた。
「あの奥様は私が発現してから何度かお会いしてるのですが、あの方がつけている石たちには妖精は宿っていません」
あんなに優しい奥様でも、ものに愛がある訳ではないのか?と疑問が浮かんで黙っていると、アイリアは続けた。
「あの方は、自分が美しくなり旦那様に愛され続けることを願っているのです。ものを大切にする方ではありますが、ひとつではなく複数です。旦那様も奥様を大切に思っているが故のことでしょう」
冷静なアイリアに、なるほどなと思いながら僕は歩みを進めた。
屋敷の門から出ると、まだ外にいたメイドさんに会釈をし、次の目的地に向かう。友人がやっている馬具の店のスペースを少し借りて何時も商品を並べさせて貰っている。僕が街に行く時にしか借りないが、長年仲良くしている友人は何時でもいいぞと言ってくれていた。そんな馬具の店までやってくると珍しく店主である友人はいない。
「あれ、あいつどこいった?」
店に入っても静かなままで、少々不安になった。
「お姿がありませんね」
それはアイリアも同じらしく、顔を見合わせる。
「珍しいな、いつも奥には下がらないんだけど」
僕がそう言った時、微かに物音がした。
「シノさん、中から音が…それと石の気配がします」
「聞こえたね。石?誰かいるのか?」
僕らの会話はきっと奥には聞こえていないだろうと思い、友人を呼ぶことにした。
「おーい!いないのかー?」
そう言うと、こちらに向かって足音が聞こえる。
「お、シノじゃないか」
少しバタバタした感じで友人、カイが出てきた。
「お前が裏にいるの珍しいな」
「いや、ちょっと色々あってさ」
色々とはなんだろうと思いながら話しているとアイリアに服の裾を引っ張られた。
「あの方から、昨日の少女の気配がします」
僕以外には聞こえていないはずなのに小声で話すアイリアを可愛く思いながら、僕の方も小声で返す。
「え?えっと…センネの気配?」
「そうです」
端的に答えたアイリアは、僕の目をしっかりみていた。それを見た僕は、カイに事情を聞いてみることにした。
「裏に誰かいるのか?」
そう聞いた時、少し驚いた顔を見せたカイは話し始めた。
「いや実はさ、今朝店開けて準備してたら店の前ですごい大きな音がしたから出てったんだよ。そしたら宝石箱抱えた女の子が倒れててさ、慌てて裏に寝かせて今嫁さんが医者を呼びに行ってるよ」
おそらく、店の前で倒れていたのはセンネだろうと予想がついた。
「その子ってもしかして、背の低い白っぽい髪の子?」
僕が問いかけると、カイは驚いていた。
「そうそうそんな子!なんでわかったんだ?」
カイには石の精は見えていない。僕がアイリア言われたというのはわからないだろうと思い続けた。
「昨日、その子と工房までの道で出会ったんだ。その時も大きな宝石箱抱えてたからその子だろうと思って」
「いつもお前はほんとに凄いな」
「いつもってなんだよ。そんなことより、その子は大丈夫か?」
「大丈夫、嫁さんがそろそろ戻ってくると思うから」
店を開ける前にセンネの様子を伺おうと、中に入れてもらうことにした。
センネの寝ているベッドの横に椅子が置かれていて、僕はそこに腰をかけてセンネの顔を覗き込んだ。アイリアは僕の横に立ち、同じくセンネの顔を覗き込んでいる。
青白い顔は、昨日出会った時の無邪気な元気さは全くなく、辛そうに浅い息をしている。
会って二回目の女の子に触れるのは良くないかもしれないとわかっていたけど、なんとなく辛さを減らしてあげたくて頭を撫でてしまった。
ちょうどそこに、カイの奥さんのナナさんが医者を連れて戻ってきていた。
「シノくん!来てたんだ!この子のこと知ってるの?」
アイリアと顔を見合せてナナさんに知っていることを伝える。
「昨日工房に帰る途中で一緒に雨宿りして、少しだけ喋っただけだけど…名前はセンネ、西の方から来た旅人だよ」
ナナさんはホッとした顔で僕を見ていた。
「名前だけでもわかってよかった!今から診てもらうから、ちょっとまっててね」
服を捲らなければならないので僕はアイリアと一緒に一旦部屋から出て医者が出てくるのを待っていた。
しばらくすると出てきた医者は特に大きな異常は無い、睡眠と栄養が不足しているから貧血だろうと僕に告げて帰って行った。
僕はまたセンネの横に腰を下ろし、顔を覗き込んだ。
「…………ぅ」
小さな声とともにゆっくりとセンネが目を開けた。
「センネ、大丈夫か?」
黙ったまま僕を見つめる目は、力なくゆっくり瞬きをする。
「……シノさん…?」
掠れた声はなんだか切なくて、僕の胸を締め付けていた。
「そう、僕」
多くは話さず、自分がいる事だけを答える。
「なぜここに……それにアイリアまで…」
センネはアイリアに視線を向けた。
「センネさん、大丈夫ですか…」
アイリアはなにかに気づいているようで、センネと、その向こう側にいるであろうティアを見つめていた。
「ここ、僕の友人の店なんだ。いつも隣を借りて店を開いてるんだよ」
僕はあまり気にせず話を続けていた。
「ごめんなさい、忙しいのに…私はもう大丈夫ですから…いつもの事ですし、ご迷惑をかける訳にはいかないので…シノさん、お店に戻って…」
力の無い声は、悲しい色を纏いこれ以上迷惑をかけないようにと必死だった。
「そんな青い顔して何言ってんだか」
気丈に振舞っていた昨日と打って変わって覇気がない。弱々しく儚い空気は、センネの身体が弱いことを表していた。
「でもお忙しいのは事実で…」
泣きそうな声色に僕は続ける。
「いいからいいから、並べてなければお客も来ないからね」
「……………………」
押し黙ったセンネを見て、僕は名前を呼ぶ。
「センネ」
センネの目には涙が浮かんでいた。
「ごめんなさい、ほんとにごめんなさい」
大粒の涙を流す彼女は、まるで初めて優しさを知ったかのような声色で泣き続けた。
「身体、弱いんだろ?謝ることじゃないよ」
僕は微笑みかける。
「でも…」
「いいんだよ」
「…はい」
渋々と言った感じで落ち着くまで休んでいたセンネは、数十分後、あまり回復したようには見えない顔で店を出ると言い出した。
「…止めても聞かないよね」
「宿に戻ります、ティアだけじゃなくて他の石たちも外に出してあげないと」
「わかった、気をつけるんだよ」
「はい、本当にすみませんでした…ありがとうございます」
弱々しい声色と、その足取りは少しづつ宿に向かって進み出した。ゆっくりと歩く背中を見送りながら、僕は店を開く準備を始めた。
「…シノさん、あの少女は…」
センネの立ち去る姿を見てから、ずっと不安な顔と声色をしていたアイリアがやっと口を開いた。
「アイリア?どうしたの?」
「…いえ、様子を伺った方がいいと思います。ティアの気配もなんだか元気がなくて…」
なにか重要なことをはぐらかしているのは声色を見てわかっていたけど、詮索するのはアイリアが隠したなにかを守るためにやめておこうと思った。
翌日、また朝早くカイの店の横に出店準備をしていると、遠くから白い影がこちらに歩いてくるのが見えた。紛れもなくセンネだった。
「センネ!大丈夫?」
「お身体はもういいのですか?」
「シノさん、アイリア、おはようございます。身体はもう大丈夫です。でも、旅に出られる程回復していないので、もう少しこの街に滞在する予定です」
「そっか、僕もカイもここにいるから困ったことがあったら言いに来るんだよ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げたセンネは顔をあげると、僕に何かを差し出してきた。
「これは?」
「昨日、助けていただいたお礼です。この街の市場で買ったお菓子なので、食べ慣れたものかもしれませんが何かお礼がしたくて…」
「そんなに気を使わなくて良かったのに。ありがとうセンネ」
「カイさんとナナさんにもお渡ししようと思って」
そう言ったセンネは店の奥に進んでいくと、カイとナナさんにもお菓子を手渡していた。
「これで終わりじゃないから、本当に困ったら戻ってくるんだよ。僕らは味方だからね」
店から出てきたセンネに僕はそっと伝えた。センネは微笑みながら小さく頷き
「ではまた」
と一言だけ残して宿に戻って行った。
センネがこの街に来てから数日が経った。
たまに街で買い物をしているセンネを見る度に僕は声をかけ続けていた。
「センネ!おはよう!」
僕の声に振り返るセンネは驚きながらも少し嬉しそうな声色をしていた。
「おはようございます、シノさん」
隣にいる見えない誰かと顔を見合せているのがなんとなくわかった。声色はティアじゃない。
「ティアの色じゃないね、今日は違う子がいるの?」
僕の言葉に、センネは満面の笑みで答える。
「今日はここにあるピアスと、このブレスレットの2人がいます。」
黄色の石のピアスと、緑の石のブレスレットを見せてくれた。どちらも勿忘草の意匠が施されている。
「トパーズのリアーネと、エメラルドのフェリシアです。」
2人の声は、センネを慕っている色をしていた。2人ともちゃんと愛されていることがわかる。
「この子達は少し力が弱いので、私が身につけて力を与えている間だけ姿を現すことができるのです。」
センネの石に対する力は本当にすごいものなのだと改めて思った。
「勿忘草の意匠だね、好きなの?」
センネは微笑んだ。
「はい、母が好きだった花です」
「そっか。ところで今日はティアはいないの?」
「…シノさん…」
僕の隣にいるアイリアが不安そうな声色で僕の名前を呼ぶ。
「今日は宿に残ってもらっています。心配性すぎるので」
いつも透き通った綺麗な色をしていたセンネの声に、嘘の色が混ざったのが見えた。僕の隣にいるアイリアは完全に俯いている。センネはアイリアを見ながら微笑んでいた。センネの横にいる2人の声に少しだけ不安が混ざった色をしているのを僕は見逃さなかった。それでもセンネが隠そうとしていることを僕は深く掘り下げないと心に決めた。きっといつか話してくれるはずだと信じることにした。
それからまた数日、最近は僕が開ける店に、センネが毎日顔を出してくれる。どうしてかと問うと
「シノさんが毎日心配するから顔を見せないとと思って」
と微笑みながら教えてくれた。
身体が弱いであろうセンネが、自分の故郷から離れた街で療養しているのが心配でついつい気にかけたくなってしまっていた。
「当たり前だよ、心配するに決まってる。故郷から離れた土地で療養してるんだ、気の知れた人がいないと頼ることもできないし、何より不安だろ?」
「気の知れた人ならもう3人もいますよ」
僕とカイとナナさんを指しているとわかって、少し嬉しかった。
「そうだとしても、無理はしないこと。また倒れたら旅に戻れないだろ?」
「そうですね、ありがとうございます」
なにか言いたげな感じだったけど、僕は気にせずセンネを見送った。
さらに数日経った。
昼頃になるとその時期には珍しく激しい雨が降っていた。
「さすがに今日は雨が強すぎて暇だなぁ」
僕とカイは店先でぼーっとしながら他愛もない会話を続けていた。雨が酷いのもあり、サファイアのピアスは持ってきていなかった。
「…今日はさすがにセンネを見ないな」
僕は何気なくセンネのことを口にしていた。
「ははっ、お前センネのこと心配しすぎだろ」
カイは僕をからかうように笑い、背中を叩いてくる。
「真っ白な顔で毎日外に出てるんだ、いつ倒れたっておかしくない。心配するのも当然だろ」
「そうだな」
カイは僕の顔を見ながら微笑ましそうに笑っていた。
数時間が経った頃、少し早めに店仕舞いをして僕は工房に戻ることにした。この雨だからどうせお客さんはもう来ないだろう。
「よし、帰るか。カイ、ありがとな!」
「おう、また明日」
いつも通り解散して、街から工房までの道を傘をさしながら歩いていた。靴が濡れることはそれほど気にしていない。靴より商品を守る方が大事だ。
「しっかし、いつにも増してすごい雨だな…」
荷物を大事に抱えながら僕は工房を目指す。
工房まであと半分というところ、大きな街道に繋がる横道のすぐ側に遠くから何かが見えた。
「なんだあれ?」
少し早足で駆け寄ると、そこにはセンネが倒れていた。
「え!?センネ!?どうしてここに!?」
僕はセンネを抱き起こすと、顔色を確認する。相変わらず青白い顔は生気がなく呼吸も浅く感じる。
「センネ!センネ大丈夫!?」
土砂降りの中、傘を手放し両手に抱えられた軽い身体をただ心配することしかできず焦るばかりだった。
「シノさん…!」
聞き覚えの無い声に顔をあげる。そこに見えたのはおそらくティアだった。少しセンネに似ている、青白い長い髪を持つ神秘的な少女だ。
「ティア?だよね…?なぜセンネはここに?」
ティアは僕を驚いた顔で見つめると、早口で状況を語り始めた。
「回復してきているからと、私の静止を聞かず朝から隣街まで買い物に出ていて…まさかこんな大雨になるとは知らずに…私の力ではどうすることもできなくて、シノさんお願いです!彼女を助けて…!!」
泣きそうなティアを見て僕は冷静になり、傘を閉じてカバンにかけた。両手でセンネを抱き上げ工房へと足早に歩く。
「倒れてからどれくらい経った?」
ティアは震えながら僕に告げる。
「そんなに時間は経っていません。ごめんなさい…私、何もできなくて…」
「大丈夫、僕が助けるから」
会話しながらも足は止めない。呼吸は浅いが、まだ息はある。相変わらず細くて軽い儚い少女の灯火が消えるのを、僕もティアも許していない。
「ごめんなさい、ごめんなさい…!」
泣き焦るティアを安心させながらも、僕は工房へと急いだ。
雨足が弱まり始めた頃、僕はやっと工房にたどり着いた。工房の空き部屋、僕の仮眠室にしている場所にセンネを連れていく。そっとベッドの上に置くと、僕はティアとアイリアにセンネを託し、来た道を戻って行った。30分近い街までの道のり。駆け足で街まで戻り、医者とカイとナナさんに声をかけ、カイの馬でまた工房まで戻った。
カイと僕は作業場で2人座って、ナナさんと医者を待っていた。
「カイ、ごめん巻き込んで…」
「いや、あの子と縁ができたのは俺もナナも同じだ。助けたいのは当然のことだよ」
カイは純粋にセンネの回復を願っている様子で、僕は少しほっとしてしまった。
シンと静まり返った作業場で、僕らはただセンネがいる部屋のドアが開くのを待っていた。
ドアの前でティアとアイリアが話している。2人の声は聞こえないが、不安な色をしているのが僕にはわかった。
ドアを開ける音と共に出てきた医者は、原因不明だが食事と睡眠が取れていないのは明らかだと言った。
医者とカイとナナさんにお礼を告げて、馬で帰る3人を見送り、僕はまたセンネの眠るベッドの隣に置かれた椅子に腰掛ける。
目を閉じて浅い呼吸をするその姿は、枯れてしまいそうな儚い花だった。白く美しい髪にも、長く綺麗なまつ毛にも、冷たく細いその手にも、まるで生気を感じない。
「…センネ…」
小さく呟き様子を伺う僕を、横に立った石精2人が切ない顔をして見ている。何かを言い出そうとして言えていないのを感じ、僕は座ったまま2人を見上げた。
「……」
黙って2人を見る僕に、ついにティアが口を開いた。
「…シノさんは今、私が見えているのですよね」
ほんの数時間前、突然見えるようになったティアの姿を僕はまだ見慣れていない。でもこれがティアで、センネが一番大切にしている石だとわかっていた。
「見えるよ、声もちゃんと聞こえる」
「私たち石精が見えるようになる条件を覚えていますか?」
ティアは切ない顔で僕を見ていた。
「確か発現するのは心が通じ合うことで、見えるようになるのは絆ができること…あれ」
ここまで口にして僕は気づいた。ティアの本体であるブルーレースアゲートを一度も目にしたことがない。でも今僕はティアを見ることができている。
「気付かれましたか?」
センネが持っている石たちを思い浮かべるが、それらしき石は思い当たらない。
「…ティア、君は一体どこに…」
「シノさん、あなたにお伝えしなければいけないことがあります。あの子が隠そうとしていた過去の全てを受け止めていただけますか?」
今にも泣きそうなティアを、アイリアが悲しい顔で見つめている。ただならぬことなのは僕にもわかっていた。
「わかった、受け止めるよ」
重く、深く頷く。
「…センネの身体を見て貰えますか?」
ティアは僕に恐る恐る告げた。
「わかった…ごめんねセンネ。少し見せてね。」
僕は、眠り続けるセンネに小声で断りを入れて、少しだけ服の裾を持ち上げた。
「……これは……」
少しめくっただけでわかる。センネの肌は青白く美しく輝く宝石になっていた。
「センネ自身が、私そのものなのです。センネとの信頼と絆が私を見ることができた理由です。」
これだけ広範囲に石化していたら、医者やナナさんが気付かないはずがないと僕は疑問に思う。
「石化部分は石精と石精を見ることのできる人間しか見られないのです。おそらく、私たちと石化部分が同じような存在なのだと思います。」
僕の疑問を感じ取ったティアはちゃんと説明してくれた。
「…アイリアは最初から気づいていたんだね」
今までずっとなにか言いたそうにしていたアイリアの不安げな声色を思い出した。
「…ごめんなさい。センネの身体からティアの気配がしているのをずっとわかっていて、でもセンネがそれを隠そうとしているのを知っていて…」
アイリアは泣き出した。今までずっと抱え込んでいたのだろう。
「大丈夫、僕とセンネを想ってくれてありがとう」
ティアも俯いていた。
僕は覚悟を決める。
「…ティア、センネは今後どうなるの?どうしてセンネはこうなってしまったの?」
涙を堪えたティアは、僕を見ながら語り始める。
「私たちが旅を始める前のお話です。センネは、ここから遠く離れた西の村外れに住んでいました。幼い頃に母を無くし、身寄りもない彼女はずっと一人で生きていました。石の気配を感じ、石精を見る能力を持った彼女は、石を集めて売りながら何とか生きていたのです。ある時、西の村のすぐ近くの大きな街に石を売りに出ていると、一人のおばあさんからとある話を聞きました。」
「あなたの選ぶ石は本当に綺麗ね。いつもありがとう。」
「いえ、私の力でできるのはこれくらいですから」
「…あなたがあの時代にいたら救えたのかしら?」
「あの時代?」
「裏の森に、誰も住んでいない古びた洋館があるのは知っているかしら」
「大きなお屋敷のことですね、私も見たことがあります。」
「あの洋館は今でこそボロボロだけど、昔はもっと美しくて本当にたくさんの人が訪れていたの。美しい石が飾られていてね、魅了された多くの人があの石を見に行ったわ」
「どんな石だったのですか?」
「瑪瑙って聞いたわ。私が小さい頃だから、詳しくは覚えていないのだけど…青白く美しい綺麗な石だったわ…」
「きっと、ブルーレースアゲートですね」
「お話だけでどんな石かわかるのね」
「なんとなくです、瑪瑙が好きなので」
おばあさんは微笑むと話を続けた。
「私が小さい頃は凄く人気があったのだけど…持ち主だった奥様が亡くなられたのよ。旦那様は強欲な方でね…石を使ってお金儲けを始めたの。色んな人を魅了する石だから、それはもうたくさんのお金を稼いでいたと聞いたわ。でも、旦那様はそのうち飽きてしまって、石が競りに出されることになったの」
おばあさんは遠くを見ながら切ない顔をしている。
「…」
センネは何も言えなかった。
「両親に連れられて競りに出される前に私も少しだけ見に行ったのよ。その時だわ、青白い髪をした白い肌の綺麗な人を見たの。」
「…石精が宿っていたのですね」
きっと、亡くなられた奥様が本当に大事に扱っていたのだろう。
「それが石精かどうかは私には分からないのだけど…本当に美しくて奥様に似た優しい笑顔の人だったわ…」
「石精は持ち主に似ていることもありますからね」
「石はすぐ競りにかけられて、売られていってしまったわ。でもね、しばらく経ったあとまた館に戻ってきていたのよ」
「競り落とされた訳では無いのですか?」
「その時はね、他の人の元へ渡ったらしいのよ。ただ、持ち主が亡くなったり不幸になったりして…結局色んな人にタライ回しにされたあと旦那様に返されたの」
「石精自体にそんな力は無いはずなのですけど…」
「あなたみたいに石の精を見れる人がいなかったから、あの時は呪いだって言われていたわ。」
大切にされていた石が主を失った時、本来なら力は弱くなっていくはず。呪いに変わるまでの変化が起こるなんて思えない。
「呪い…」
「結局最後は石がどうなったのか誰にも分からないのだけど、旦那様は洋館を捨てて出ていってしまったの。あの後からかしら、あの洋館に良くない噂が流れ始めたのよ」
「噂?」
「誰もいないはずの屋敷から女の人のすすり泣く声がするとか、屋敷に入ると呪われるとか」
「…」
「あの時、あなたがいたら悲しく美しいあの石を救えたのかもしれないわ」
「そうですね…」
おばあさんの話を一通り聞き終えたあと、センネはたった一人で洋館へ向かった。薄暗い森が開けた場所に、噂通り不気味な洋館があった。大きな扉の前で足がすくんだものの、センネはそれ以上に石の気配の方が気になっていた。
「誰もいないはずなのに石の気配がする…」
勇気を振り絞って洋館の扉を開けると、そこには広いホールが見えた。
開け放たれた入口のドアから指す夕日のみが、館の中を照らしている。
「…ケホ」
光に照らされて埃が舞っているのが見える。センネは小さく咳をする。
「…」
暗いホールの中を見回すと、ホールの片隅に展示ケースが置かれていた。恐る恐る近づくと、センネは足を止める。
そこには、気力なく倒れている青白い髪の美しい女性がいた。
「…」
センネはそれが石精だとわかった。そして、その力が強いこともわかった。
お互いに何も声を出さなかった。センネも美しい女性も、何も言わない。目には光がなく、ただ倒れこんでいるだけの女性。その目には目の前にいるはずのセンネは映っていないようだった。センネが女性の前でしゃがみこむ。
「…あなたは、石精?」
屋敷に入ってから結構な時間が経っていた。お互いに一言も発していなかったが、その沈黙を破ったのはセンネの方だった。女性は質問に答えようとしない。センネは黙って待っていたが、答えが返ってくることはなかった。
「あなたの名前は…?」
倒れているその人が答えられそうな質問を探る。けれど、それはあっさりと見つかった。
「……忘れてしまったの」
一言、それだけが返ってきた。
また、長い沈黙が続く。
「街の人にあなたのことを聞いてここに来ました」
センネは沈黙を作るのをやめた。
「…あなたは私が見えるのね」
「私は石の気配を感じることができる力があるんです。絆を作らなくても石精を見ることもできる。私と一緒に来ませんか?」
女性はゆっくり半分だけ身体を起こした。
「…私は呪われている、あなたまで不幸になってしまう」
「あなたが呪われていたのは、奥様を失って欲深い人たちの手に渡った悲しみが絶望に変わってしまったから。自らの力で自分を守ろうとしていただけでしょう?私はあなたを価値で見たりしない。」
「…」
「奥様は相当大事に扱っていた。この展示ケースは埃を被っているけど、傷は無い。奥様があなたに愛情を注いでいたから、あなたは人を惹きつける力を得られた。その力はきっと奥様のもの。」
「…」
「旦那様はきっと奥様が亡くなってもあなたに力が残っていることに気づいた。力を利用しようとしてあなたの悲しみとぶつかってしまった。利用しないでっていうあなたの気持ちが、欲深い人達に伝わっていただけ」
「…私はこの力を制御できない…持ち主の奥様はもういない、私にかかった力を私では放てない…誰かを石にしてしまう…」
「私の力なら、あなたを浄化できる。あなたを守れるの。売ったりしない、私はあなたの新しい持ち主になる。それは、今あなたが見えている私にしかできないことだと思うの。私はあなたの癒し方を知ってる、だから私を頼って欲しいの。」
そう言ってセンネは手を差し出した。
地面にへたり込んだままの彼女は、ゆっくりとセンネに手を伸ばしたが、手を取る直前でその力を抜き、下ろしてしまった。
女性は顔をあげる。センネと目が合うと、数秒見つめあった後、音もなく涙を流し始めた。
「私を…助けてくれるの…?」
「もちろん!」
センネは笑う。純粋で綺麗なその目は、彼女の目に光を取り戻させた。
「…ありがとう…」
泣きながら悲しい顔で笑っていた。
「…名前、私がつけてもいい?」
「私に名前をくれるの?」
「これから共に生きていくには忘れたままではいけないから」
「そうね…」
悲しい顔をしていた。おばあさんの話からして、主を失ったのは70年以上前だろうと予想ができた。
「…ティア。理由はないんだけど、私がそう呼びたくなったの。あなたの涙は綺麗だから。」
「…素敵ね、ありがとう」
ティアはそう言ってまた涙を流した。
センネはティアの手を取り、自宅へと歩き出した。
家にたどり着くとセンネはティアを陽の当たる窓際の椅子に座らせて、の本体であるブルーレースを丁寧に磨き、セージの葉を炊いて他の石と共に飾り棚に並べた。
磨いて、日を当てて、声をかけて、ティアに愛情を注いだ。他の人が所持する石精は見たことがあったけれど、自分が持ち主となる石精は初めてだった。
ボロボロの服で、光のない目で、ただ外を眺めているだけのティアが、センネの献身的な手入れと想いで徐々に美しさを取り戻し、呪いは浄化されていった。センネは嬉しそうにティアを愛して、寄り添った。二度とこの人には辛い思いをさせないと心に誓って。
ティアを拾って3年が経った。
村ではセンネが何もいない空間に向かって話している姿が何度も目撃されていた。センネはそんな事は気にしておらず、ただひたすらにティアに寄り添い続けていた。
ある日の夕方、ここのところずっと雨が降り続いていたが、久しぶりに雨が上がり、家の外の植木鉢の手入れをしていると近くの家の子どもがセンネを尋ねて来た。
「センネお姉ちゃん!これあげるよ!」
その手には母親が作ったと思われるお菓子が握らされていた。
「いいの?ありがとう!」
センネは素直に受け取った。
「お姉ちゃん嬉しそうだね」
少年は屈託のない笑顔でそう言った。センネはなんの疑いもなく話し続ける。
「最近いいことが多いの!綺麗な装飾品を貰ったし、お花も綺麗に咲いているでしょ?」
センネは少しだけ、窓辺の椅子に座ってこちらを眺めているティアに目を向けて微笑んだ。
「あ、ねぇねぇ!石!僕にも見せてよ!」
部屋の中に目を向けたセンネの目線を追って、窓から中を少しだけ覗いた少年は輝かしい目でセンネを見ていた。
「特別だよ」
センネ自信、石に興味のある人間のことは嫌いじゃない。子どもの好奇心のためにも、ということで素直に少年を家に上げた。
「うわぁー!前に来た時より増えてる!」
少年は狭い部屋を駆け回り、純粋な目で辺りを見回している。
「色んな人から譲り受けたり、拾ってきたりして少しづつ増えているの。きっとこれからもまだ増えると思う」
そういうセンネを尻目に、少年はブルーレースの目の前で足を止めた。
「わぁ…大きくて綺麗…!!」
センネは微笑んだ。
「隣街で預かってきたもので、凄く大事にしてるの」
多くは語らなかった。
「へー!でっかいね!綺麗だね!僕もいつか欲しいなー!」
「大人になったら、私が似合う石を選んであげるよ」
センネが笑いかけると、少年は約束ね!と言いながら、家から飛び出して言った。
「純粋無垢な綺麗な心ね」
少年の背中を見送り部屋に戻ると、ティアが微笑ましそうに少年が駆けて行った道を眺めていた。
数日後、雨が強く降る夜。
部屋の明かりを消してセンネは眠りについていた。ティアも石の何戻り休んでいた。
ガンッガンッ
大きな音がしてセンネは目覚める。
「なに!?一体誰!?」
目覚めたセンネは玄関のドアからその音がすると気付き、ドアに向かって叫ぶ。
叫んだ時にはもう遅く、ドアは鍵ごと壊されていた。
「…村長!?どうして!?」
センネはベッドから立ち上がり、その場に立ち尽くす。壊れたドアの向こうにいたのは村長と複数人の村人だった。
「ここ数年君が誰もいない所に向かって話しかけているのが複数回目撃されている。石精とやらがいるのかもしれんが、住民からは不気味な行動に見えていてね、子どもに探りを入れさせたのさ」
あの時の子どもは村長に言われてセンネの家を訪れていたのだ。
センネは昔から能力を利用して商売をしている。彫金師や収集家と取引をしてまとまったお金を手に入れることもあり、孤独なセンネが苦労せず生活を送っていることを良く思わない村人も一定数いた。それでもセンネは強く生きていた。
「それがなんだと言うのですか?私の能力はみなさん知っているはずです。石の精が見えることも、石の気配を感じ取れることも、何もかも伝えている!あなたがたが見えない者を私が見えているだけです!」
村長とセンネの影が村人が持つランプに照らされて怪しく揺れる。開け放たれたドアからは雨音が響き、部屋に押し入ってきている村人は濡れていた。
「そんな事はどうでもいい。隣街から石を手に入れたそうじゃないか。子どもの話を聞くに、その石は呪われた石と言われているものだろう?私もそれくらいは知っている」
センネは飾り棚に並べてあるブルーレースの前に立ち塞がり、その姿を隠す。ティアの存在は誰にも見えていない。それでもセンネは反射的に石を守る姿勢を取った。
「ここのところ雨が酷く、体調不良を訴える住民が多いのは君も知っているだろう?ちょうど君が見えぬ何者かと話し始めた噂が立った後からだ。」
センネは瞬時に、降り続く雨や村人たちの体調不良はこの石のせいだと村長に疑われていることを理解した。
「この石にそんな力はありません!この3年で私の力で浄化しました。もう力なんて残っていません!」
村長は怪しく笑った。
「元は本当に呪われた石だ。君が庇ったところで、君の力自体も半信半疑、君自体が石を利用して呪いをかけたとも言える。完全なんてないんだよ」
村長の言葉に、後ろにいた村人がセンネを取り囲む。
それでもセンネは飾り棚の前から動かなかった。
「…センネ!私はいいから逃げて!!」
ティアは叫んだ。
「嫌だ!私はあなたを孤独にしないって、守り抜くって誓ったの!二度と呪いなんて言わせないって決めたの!絶対にあなたを置いてなんか行かない!」
センネは声を張った。部屋にいる人間にティアの声は聞こえていないはずなのに、それでもセンネは気にせず会話をした。
「気色悪いものだな」
村長は小さく、やれと言う。
センネは2人の男に羽交い締めにされ、床に押し付けられる。もう1人の男が飾り棚の宝石を持っていた袋に全て入れ、持ち出そうとしていた。
「何するの!!離して!!」
センネは身体を起こそうとするが、屈強な男二人には叶わずただひたすらに叫びをあげることしか出来ない。村長はセンネを見下すと、ブルーレースを床に置くように指示を出した。
「この石にはここで無くなってもらう。これ以上村を荒れさせる訳には行かないからな」
もう1人の男がブルーレースの原石に向かってハンマーを振り下ろそうとしていた。
「やめて!!離して!!ティア!ティア!!」
何も出来ないセンネは泣き叫ぶ。ティアは見えなくなってしまっていた。
「やめて!!!!!!!」
センネの叫びも虚しく、激しい破壊音と共に青白い原石は砕け散る。
「どうして!この子は何もしていないのに!どうして!!」
「これで呪いは解けるだろう、念の為細かくして川にでも流してしまえ」
村長の指示を聞いた男は、何度も何度もブルーレースに向かいハンマーを振り下ろした。
センネは叫び泣いていた。目の前に転がる瑪瑙の破片に何も出来ない自分が、守るという約束を破ってしまったことが、どうしようもなく悲しかった。
床に倒れていたセンネは気を失い、村人たちはいつの間にかセンネの家から姿を消していた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
センネが目を覚ました。痛む身体をなんとか起こし、ティアの姿を探す。目の前には、砕かれて持ち去られてしまった拾いきれていないブルーレースの小さな欠片が散らばっていた。
「…ティア…どこにいるの…返事をしてティア…」
掠れた声で暗闇に声をかける。どこにもティアの姿が見つからなかった。
カタッ
小さく石が転がる音がした。センネは音の方を振り返る。そこにあったのは、ベッドの下に転がる手のひらにも満たないほどの小さな欠片だった。
「…ティア…」
その欠片からは微かにティアの気配がしていた。でもその気配は消えかけていて、センネに出会う前の悲しみの気配と同じように感じられた。
『奥様の力とティアの悲しみがぶつかった時、ティアの力は呪いに変わる』
センネはティアの元の力を思い出していた。
…何も考えていなかった、考えられなかった。
ティアを守れなかった。孤独にしないと誓ったのに。
センネはブルーレースの欠片を手に取り、それを飲み込んだ。
悲しんだ状態のティア、センネ自信の力、ティアにかけられた奥様の力。
センネは自分の身に起こること全てを理解していた。
「…っ!」
痛みは全身を駆け巡る。
心臓から硬い音がする。
氷が溶ける時のような小さな音が聞こえる。
数分の苦しみが去り目を開けると、そこには昔のようにボロボロになったティアが、倒れたセンネの横にペタンと座り大粒の涙を流していた。
「…どうして…センネ、私のことは良かったのに、あなたが生きてくれたらそれで良かったのに、どうしてこんなことを…!!」
センネの身体は心臓の辺りが石化し、青白い美しい石へと変わっていた。センネ自信が石になることで、ティアが完全に消えてしまうことを阻止していた。
「ティア、守るって言ったのに、約束守れなくてごめんね…私は不器用だからこんなことしかできないけど、あなたに消えて欲しくないの…私の大切なあなたが孤独になるのは嫌なの」
センネは泣いていた。ティアを守るにはこれしか手段が無いことを知っていて、自分が死に近づくことを知っていて、それでもティアを大切にしたくて。その気持ちはもうどうしようもなくて。
「センネ、どうしてなの…私はあなたがいたらそれで良かったのに!小さくなって消えてしまったとしても、あなたさえ最後までそばにいてくれたらそれだけで幸せだったのに」
ティアはセンネを抱きしめた。
自らを犠牲に消えゆく命を繋いでくれたこと、それがどうしようもなく悲しくて辛いのに、嬉しく思ってしまっていること、その全てが混ざり合い2人は泣き続ける。
「おかえりティア…」
「センネ、ごめんね…背負わせてごめんなさい…」
雨は上がり、壊されたドアからは悲しくも明るい朝日が差し込んでいた。
2人は村を出ることにした。
飾り棚の石たちは全て奪われ、センネ自身になったティアしか残っていない。
「いつかまたここに戻って来れたら…いいな…」
戻ることはきっと無い。
この村に2人の居場所はないのだから。
何も無くなった家の中を振り返り、2人は長い旅に出た。
ティアは語り終え、アイリアと僕を見る。
「センネは自らの命を利用して、私の存在を繋ぎ止めました。私の存在は保たれていても、センネの力で私の力が強くなるばかりで、センネの石化は止めることができません」
「じゃあセンネは…」
「完全な石になって、人間としての命は終わってしまう。」
「……」
「石になってしまった時、あなたがセンネを愛していてくれれば、いつか目の前に姿を現すでしょう。それはいつになるか分かりません。それでもあなたは、センネから力を受け取った人間です。いつか必ず…」
センネが石になって消えれば、持ち主はいなくなる。ティアも共に消えてしまうことを指していた。
「大丈夫、僕は二人を守るよ。」
センネが命をかけて守ろうとしたものを、次は僕が最後まで守り抜くと決めた。
しばらくしてセンネが目覚め、全てを聞いたことを伝えた。僕はセンネにここで暮らすように持ちかけ、その日からセンネは僕の工房で過ごすことになった。石になっていく身体ではもう度には出られず、西の村にも帰れないだろう。この場所が彼女の人間としての最後の場所になる。
それでも僕らはつかの間の幸せを忘れないように、お互いに思い出を焼き付け続けた。
そしてまた大雨の日、ついにその時がやってきた。
センネはもう、首元まで石化していた。
「…センネ」
「多分、今日ですね」
「そっ、か…」
「そんな顔しないでください。ティアとアイリアと一緒にそばにいますから。」
「うん、わかってるんだけどね」
僕はそれ以上言葉が出なかった。
「おそらく、私が消えたらシノさんに渡した石精を見る力も一時的に消えてしまうかもしれません。それでもあなたはもう石たちとの絆ができている。いつか必ず、また見えるようになりますから。」
「ありがとうセンネ」
僕は涙を堪え、冷たいセンネの手を握った。
「ただ何も出来ず旅に出て、この街にたどり着いただけなのに、もう3ヶ月も経ってしまいましたね。本当に最初からずっとありがとうございます」
「ううん、僕は君の歌声に惹かれただけだから。」
「それは良かった」
センネは静かに目を瞑った。
スっと息を吸い込むと、弱々しい声で歌い始めた。
僕は涙を零しながらその手を離さず聞き続けた。
「〜〜〜」
センネは最後まで歌い上げた。
泣いていた。声は震えていた。
「ありがとうシノさん」
「こちらこそ、ありがとうセンネ。」
冷たい手が光り、溶けだす。まるで蛍が飛び去るように、冷たい外気に溶けていく。雪が舞い上がるようにも見えて、僕は終わりに気づいてしまった。
「生きてて欲しいよ、センネ」
止められない。僕にも、センネにも、ティアにも。呪いは誰にも解けない。
「もう、十分幸せでしたから。あなたが、私の最後にいてくれて…本当に良かった…」
センネは大粒の涙を流している。
「僕は君のことをまだ知れていないよ、だから十分じゃない」
「ふふっ、贅沢ですね…シノさん」
泣きながら笑っていた。
「センネ…」
僕は散っていく光の身体を思わず抱きしめていた。
「またどこかで…」
その言葉を最後に、センネは消えていった。
ベッドの上には、2つのブルーレースアゲートが落ちていた。ティアの姿も、アイリアの姿も見えない。僕はただその2粒を握りしめ、静かに泣いていた。
「…」
ただひたすらに泣いていた。
気がついたら辺りは暗くなっていた。僕は小さな石を握りしめたまま一歩も動いていなかった。
外から聞こえる雨音は強いままで、どれくらい時間が経ったかなんてわからなかった。
「…もう見えないんだな」
やっと口を開いた僕は、ここ3ヶ月間ずっと賑やかだった工房の静けさに途方もない寂しさを感じていた。
もう何も考えられていなかった。気がついたら作業台の電気をつけて、デザイン画を描いていた。その手にある2つの石を、僕が守ると誓って。
2本のブレスレットに1粒ずつ石を乗せた。加工することをどうか許して欲しい。
加工が終わる頃には朝になっていた。
今日はもう店は出さないで、センネを見送る準備をしよう。
カイとナナさんに、今まであったことの全てを話そう。2人ならきっと信じてくれる。
僕は、ブレスレットを身につけ工房を後にしてカイの店へ向かった。
ナナさんとカイにセンネがどういう存在か、呪いがどういうものなのか、そしてこのブレスレットにセンネがいることを話した。
「ごめん、嘘みたいな話だけど…」
「信じるさ、お前の言うことだし」
「そうね、あの子はちゃんと生きていたもの」
2人は信じてくれていた。
後日、3人で工房の敷地内に当る裏の森に主のいない墓を立てた。
ナナさんが墓の周りに勿忘草を植えてくれた。
「お母さんと一緒に、寂しくないように過ごして欲しいものね」
そう言って切ない顔で笑っていた。
不思議な体験をしていた日々は終わり、僕らは日常へ戻される。残されたのは少ないセンネの荷物と、僕の腕にある小さな石のブレスレットだけ。
それでも僕は、いつかセンネとめぐり会えると信じて生きていた。
工房にいるはずの3人の石精の声は見えないままだけど、僕は諦めていない。
そして月日は流れた。
1年以上は経ったかもしれない。
僕はその日、珍しく早く目が覚めていた。周囲はまだ暗く、朝日は登りきっていない。明かりをつけた作業台の前に座り、コーヒーを片手に次のデザインを仕上げる。
マグカップを置いてペンを持ち、イメージを描き出していく。
気がつくと作業台の前の窓から光が指していた。
自然と窓の方に目を向けていた。
「……!」
僕は目を疑った。
青白い声の色、紛れもなく1年前に見たその色。隣には鮮明な青と白い声の色が見える。僕は窓を見つめ続ける。
「ティア、また同じこと言ってる」
はっきりとそう聞こえた。
そして、白くて美しい髪をなびかせながら楽しそうに笑っているあの子の姿が見えた。
その横には見覚えのある青と水色もいる。
「……」
僕は黙ったままペンを落としていた。
その音に3人は振り返る。
「……シノさん……?」
「…センネ」
目が合って名前を呼ばれる。僕も名前を呼び返していた。
「見えるのですか?私のことが、私の存在が…」
「見えるよ、声も聞こえるよ」
大きく目を見開いたセンネの頬には涙が伝っていた。
「…ただいま、シノさん…」
その声は震えていた。でも嬉しそうに微笑んでいた。
「おかえり、センネ」
僕は立ち上がり、センネの手を取った。センネは泣きながら僕に抱きついてきた。その声は美しく、透き通っていた。
「なんて綺麗な青で泣けるんだよ…」
気づいたら僕も涙を流していた。
アイリアもティアも、僕とセンネを微笑ましく眺め、涙を流していた。
ひとしきり泣いたあと、3人で話をした。
この1年、3人ともずっとそばで見ていてくれた。
長い人生のたった一年。
けれども、僕の人生の中で一番大切になった。
工房はその日から再び賑やかになった。
日々は続いていく。
最後のその時までずっと、僕らは共に生きていく。
さようならはずっと先の話。
その時まではどうか、共に幸せでいられますように。
眠る白の髪をそっと撫でて、僕は祈りを込めた。
こんなに長く短編を書いたのは初めてで、修正がまだまだ必要だなと正直複雑な気分です。
拙い文章で、表現が足りない所も多々あると思いますが、読んでいただけたらうれしいです。




