七輪目「シュレディンガーの約束」
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( )
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おばあちゃんとは
ひとつだけ秘密の約束があった。
まだ( )が高校生だった頃。
少し遠い道を通って、おじいちゃんとおばあちゃんの家へよく顔を出していた時期がある。
ある日、おばあちゃんは小さな紙を( )に渡した。
そこには、ひとりの「よく知られた人」へ繋がる連絡先が書いてあった。
昔から交流があったのだと、
おばあちゃんは少し誇らしそうに言った。
「私に何かあったら、この人に知らせてほしい」
冗談みたいな顔で言ったのに、
その声だけは妙に本気だった。
見栄っ張りなところも派手好きなところも相まって、どっちかわからなかった。
だから( )は、その紙を捨てられなかった。
機種変更をしても、連絡先だけはずっと残した。
おじいちゃんが先にいなくなって、そのあとも、残したままにしていた。
何度か、電話をかけてもよさそうな瞬間はあった。
指が触れるところまではいった。
けれど、一度も押せなかった。
つながらなかったらどうしよう。
本当ではなかったらどうしよう。
おばあちゃんの言葉が、ただの見栄や願いだったと知ってしまったらどうしよう。
知りたくないことは、押さないままなら、まだ壊れない。
そうしているうちに、おばあちゃんが亡くなった。
本当は、生きているうちに呼びたかった。
まだ意識がこちらにあるうちに、約束を果たしたかった。
けれど相手には相手の時間がある。
来てくれる保証もない。
もし断られたら、おばあちゃんが傷つく気がした。
( )も何かを失う気がした。
それでも、亡くなった知らせを受けたあと、ようやく( )はその番号にかけた。
使われていなかった。
そこで諦めてもよかったのに、諦めきれなかった。
事務所宛てにメールを送った。
来てください、ではない。
呼びつけたいわけでもない。
ただ、おばあちゃんがそう願っていたことだけ、どこかに届いてほしかった。
返事は短かった。
担当を通じて、本人に伝えた、という内容だった。
たぶん、それだけだった。
たぶん、それ以上ではなかった。
それでも、返事は返事だった
でも、その一文だけで、長いあいだ胸につかえていた棘のようなものが、少しだけ抜けた気がした。
前日、家族にそのことを話した。
ひどく怒られた。
家族葬なのに。
小さな式なのに。
もし本当に来たらどうするんだ。
場違いだろう。
説明できるのか。
迷惑だろう。
どれも正しかった。
( )も、すぐにそうだと思った。
けれど、その正しさとは別の場所で、
( )は少しだけ満たされていた。
約束を守ろうとした。
やっと動いた。
それだけで、おばあちゃんの祈りに触れられた気がした。
もし来たなら、あの世でおばあちゃんは大輪の花を咲かせるだろう。
見たこともないくらい派手な、赤い花を。
そう思った。
当日、その人は来なかった。
でも、それでよかったのだと思った。
届いたこと。
認識されたこと。
約束が、約束のまま埋もれなかったこと。
それで充分なはずだった。
けれど、あとから見た記事で、( )の背中は冷えた。
( )が事務所へ連絡を入れた、そのすぐ後に、その人の大切な家族が倒れ、おばあちゃんの葬儀の日に亡くなっていた。
日付を追うと、いやでも重なって見えた。
来なかったのではない。
来られなかったのだ。
当たり前だ。
家族が先だ。
こちらは最初から、来てくれと頼んだわけですらない。
頭ではわかっていたのに、胸の奥だけが別のことを考えた。
( )が動いたからだろうか。
( )が何かを連れていってしまったのだろうか。
おばあちゃんは、約束を果たしに来たのではなく、別のものを連れてきてしまったのだろうか。
馬鹿げている。
そんなことあるわけがない。
それでも、そういう形の考えは、夜の水みたいに、するすると足元に回ってくる。
落ち着こうとして、外で煙を吸った。
でもそのあと見たその人の言葉が抜けたはずの棘になった。
大切な誰かを連れていかれた、そんなふうにも読める一言だった気がした。
気がした、だけだ。
本当は違ったかもしれない。
でも、そう読めてしまった。
最後の別れをした。
副葬品のなかに、その人とおばあちゃんが並んで写る写真が何枚も入っていた。
本当だったのだ。
嘘じゃなかった。
約束は、おばあちゃんの見栄ではなかった。
それが救いになったのか、逆に怖くなったのか、もうわからなかった。
( )はおばあちゃんに触れて、顔を見て、泣いた。
好きだった真っ赤な薔薇から棘を抜き、棺に入れた。
ちゃんと、弔った。
待合室では、余計なことをするなと何度も言われた。
その通りだったと思う。
本当に余計なことをしたのかもしれない。
家族に恥をかかせるところだったのかもしれない。
あんな小さな家族葬を見られたら、どう思われただろうと考えてしまった。
そして数十分後、おばあちゃんは骨と灰になって戻ってきた。
人は、こんなに小さくなる。
知っていたはずなのに、また知らされた。
箸で拾うたびに苦しくて、
苦しいのに、別の考えも混じって、
頭のなかは最後まできれいにひとつにはならなかった。
煙が落ち着かせる。
灰が落ち着かせる。
そんなことまで思ってしまう自分が、少し怖かった。
骨壺に入ったおばあちゃんは、
びっくりするほど小さかった。
そのとき、ようやく( )は我に返った。
ああ、弔わなくちゃ、と思った。
向こう側では、おばあちゃんのための真紅の薔薇が大きく咲いている。
そのかわり、
( )の胸の奥には、
棘だらけの黒くて小さな薔薇がひとつ咲いた。
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最終更新:2026/03/11




