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悪夢小説  作者: きゆうひろう
一束目
6/7

六輪目「貸してるだけ」

D F M R N A F p


( )


pass:※ ※ ※ ※ ※

実家には、知らないものが住んでいた。


知らない、と言い切ると少し違う。

見たことのある顔立ちをしている。

人間の顔の並び方をしていて、

ちゃんと服も着て、靴も脱ぐ。

挨拶もする。

声もやわらかい。


けれど、何かが少しずつ遅くて速い。


笑うタイミング。

うなずく深さ。

目を閉じる長さ。

こっちの言葉を理解したあとの沈黙。

全部が、ほんの少しだけ、人の暮らしからずれていた。


遠いところのやり方を

そのまま人間の形に流し込んできたみたいだった。


やさしそうにも見える。

冷たそうにも見える。

たぶんどっちでもない。


たぶん、こっちがそう見たいように見てしまうだけだ。


父は、そういうものなんだと言った。


「しばらくいるだけだ」

「こっちにも少し戻ってくる」

「家ってそういうふうに回すものらしい」


何が戻ってくるのかは、よく聞こえなかった。

聞き返そうとすると、もう別の話になっている。

決まりだから、ということだけがいつも先にある。


( )の部屋は使わないようにしてあるとも言った。


だから問題ないはずだった。


でも、帰るたびに何かがなくなっていた。


最初は、机の上に置いてあった古いシャーペン。

次は、引き出しの奥の部活のメモ。

読み返しもしないプリント。

片方だけ残った靴ひも。

中学のころ使っていた定規。


たいしたものではない。

生活に困るものでもない。

だから最初は気のせいだと思った。


けれど、なくなり方が変だった。


探したあと、ではない。

盗られたあと、でもない。


最初からそこには何もなかった

と錯覚してしまうくらい何もなかった。


夕飯のとき、( )は父に聞いた。


「机の上のやつ、どこやった?」


父は味噌汁をひと口すすってから、何でもないことみたいに言った。


「貸してるだけだよ」


「は?」


「向こうにも要るだろ。そういうふうにしてるだけだ」


そのあとで、少しだけ困ったような顔をして付け足した。


「お前だって、もともと家のことに協力してなかっただろ」


言葉の意味が、うまくつながらなかった。


協力していない。

だから薄い。

薄いから、減っても仕方がない。


何が薄いのかは言われなかった。

権利なのか、立場なのか、部屋なのか、名前なのか。

はっきりしないまま、その理屈だけが食卓の上で完成していた。


廊下の向こうを、誰かが通る。


足音はない。

けれど、ないわりに床が沈む。

一人分の音で、別の重さまで運んでいるみたいだった。


ふと見ると、襖のすき間に影がある。

立っているだけなのに、待っている感じではなく

食べてる感じがした。


この家の温度や、音や、誰が何を大事にしているかを、静かに。


( )は自分の部屋に入る。


使われていないはずの部屋。

父がそう言った部屋。


ベッドもある。

机もある。

本棚もある。


なのに、もう自分の部屋ではなかった。


空気の層が一枚増えている。

知らない洗剤の匂いがする。

カーテンの癖が変わっている。

コンセントには細いケーブルが刺さっていて、先には何もつながっていない。


何もつながっていないのに、何かが続いている気配だけがある。


「使ってないよ」


父の声がした。

すぐ後ろにいるみたいに近いのに、振り向くと廊下の奥に立っている。


「貸してるだけだ」


その言葉は、父の声なのに、父が最初に言い出した感じがしなかった。

どこか別の場所で決められた文章を、そのまま読んでいるみたいだった。


( )は棚を開ける。


古い文集がない。

運動会の写真がない。

家族で行った場所のパンフレットがない。

誕生日にもらった小さな手紙がない。

卒業証書の筒だけがあって、中身はなかった。


息が止まりそうになる。


なくなっているのは物のはずなのに、先に薄くなるのは思い出の方だった。


家族で笑った夜の、光の色が抜けていく。

食卓の湯気だけが残って、誰が何を話していたか思い出せない。


帰り道に見た空の色が、名前だけ残して消える。


( )は居間に戻る。


「これ、物の話じゃないんだよ」


自分でも声が少し幼くなっているのがわかった。


「なくなってるの、物だけじゃない。家族との思い出まで消えてく感じがする。なんか変だよ。この家、おかしいよ」


父はしばらく黙っていた。


怒るでもなく、否定するでもなく、ただ少し遠い顔をした。


わからない話を聞いた人の顔ではない。

わかっているのに、そこには触れないと決めた人の顔だった。


「気にしすぎだ」


声はやさしかった。

やさしいのに、温度がなかった。


「そういう流れなんだ」

「変に考えるとしんどくなる」

「悪く取るな」


流れ。

悪く取るな。


言葉が全部、丸い。

丸いまま転がってきて、どこにも引っかからない。

だから余計に怖かった。


また廊下で気配がした。


知らない人たちは、めったにこちらを見ない。

でも見ていないだけで、ずっと把握しているようだった。

そのうちのひとりと、目が合った気がした。


異様に整った顔だった。

年齢も性別も、たぶん選べるような顔。


人に安心されるために作られた表情をしているのに、その表情の意味だけが空っぽだった。


そのひとは、ほんの少し口角を上げた。

親切にも見える。

観察にも見える。

許可を待っているようにも、もう中に入っているようにも見えた。


( )はもう一度、自分の部屋へ戻る。


本棚のいちばん下。

重いものを入れていた段。

そこに卒業アルバムをしまっていたはずだった。


しゃがんで、手を入れる。


ない。


代わりに、ぬるい空気が入っていた。


空気なのに、誰かの手のひらの跡みたいな温度だった。


そのとき、廊下で父の声がした。


「そのへんのは、もう大丈夫だろ」


誰に向かって言ったのかはわからない。

返事も聞こえなかった。

ただ、襖の向こうにいる気配だけが少し増えた。


( )はアルバムのあった場所を見つめたまま、動けなくなる。


卒業写真の中の家族の並びを思い出そうとする。


そう思ったはずなのに


顔が出てこない。

顔のかわりに、食卓の端に座る人、という輪郭だけが残る。

声が出てこない。

声のかわりに、台所で何かしている気配、だけが残る。


家族だったはずなのに、家族という名前の前の、もっと薄いものになっていく。


居間。

廊下。

寝室。

洗面台。


場所だけがはっきりしていて、そこにいた人たちは、役目の方へにじんでいく。


座る人。

片づける人。

帰ってくる人。

先に寝る人。


この家にいたのは父だったか。

母だったか。

それとも、そう呼ぶことでまとまって見えていただけの、配置のようなものだったか。


( )は立ち上がろうとする。


けれど、立ち上がり方が少しわからない。


自分の名前を、頭の中で呼んでみる。

呼んだはずなのに、うまく響かない。

( )という空白だけが先にあって、そこに入るものが決まらない。


アルバムがなくなったから思い出せないのか、思い出せないものから順に貸し出されているのか、そもそも貸したのか、置いたのか、あったのか、

そのへんの区切りが全部ぬるくてもうわからなかった。


何かが減ったのかもしれない。


なくなった、でもない。

残っている、でもない。

前はあった、でもない。

最初からそうだった、でもない。


ただ、家の中の並び方だけが少しずつ変わって、変わったことに気づくための目印の方が、順番に頼れなくなっていく。


襖が、ほんの少しだけふくらむ。


向こう側に、誰かいる。


言おうとして、( )は止まる。

言葉が急に薄い。

誰に言えばいいのかわからない。

この家には家族がいた気がするのに、その『いた』だけが残って、顔も名前も沈んでいく。


いなくなる、と思った。


物じゃない。

思い出じゃない。

次は、自分だと思った。


その瞬間、廊下の向こうで足音が止まる。


見る。


知らない人たちのあいだに、ひとり立っている。


背格好が似ている。

肩の落ち方が似ている。

立ち尽くすときの首の角度が似ている。

見慣れたはずの、自分の輪郭だった。


でも、少しだけ整いすぎていた。

自分より、自分らしく見えるように寄せてきた感じがした。


そいつは、( )を見ていた。


帰ってきた人を見る目ではなかった。

もうここにいる側の目だった。


口の端だけが、ほんの少し上がる。


笑った、というほどではない。

でも、ニヤリ、という言葉だけがぴったりの動きだった。


その顔を見た瞬間、( )は思う。


ああ、貸していたのは部屋じゃない。


そう思ったはずなのに、すぐそれもほどける。

貸していた、という形も違う気がする。

貸すには持ち主が要る。

持ち主には境目が要る。

境目はもう、さっきからずっと曖昧だった。


物でもない。

思い出でもない。

自分の場所そのもの、という言い方も少し違う。


もっと手前だ。

もっと名前のないところだ。


ここにいるはずのものの置き方。

そういうものだけが、静かに入れ替わっていた気がした。


声を出そうとする。

けれど、誰の声を出せばいいのかわからない。


廊下には、もう( )のようなやつが立っている。

実家はその奥で、何も変わっていないふりをしている。


座る人も、片づける人も、先に寝る人も、もう誰でもよかった。

家は家の形を保ったまま、中身だけを静かにずらしている。


そのずれの中で、( )だけが遅れる。

遅れたまま、自分のいた場所を見失う。


そして最後には、

見失ったのが場所だったのか、名前だったのか、自分だったのか、

それすら分からなくなる。


ただ、実家の廊下に、( )によく似たやつだけが

立っていて、こちらを見て、ほんの少し。


うれしそうにしていた。

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最終更新:2026/03/10

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