五輪目「幼少期の終わり」
D F M R N A F p
( )
pass:※ ※ ※ ※ ※
( )は、もともとそこにいた。
あとから来たわけではない。
流行る前から、価値がつく前から、そこにいた。
けれど、それはもう、知っているだけではだめだった。
改革があってから、土地の値段も、住む意味も、誇りの向きも、なにもかも全部ひっくり返った。
その地域のいまにふさわしい考えを持つ者。
その地域の『いま』に合う顔をしている者。
そういう者たちが、あとから次々と住みついた。
けれど、昔からそこにいた者は別格だった。
その周辺では、古くからの居住者は神ランクとして扱われた。
あとから来た高ランクより、さらに上だった。
( )も本来なら、そのはずだった。
制度が変わる前に、引っ越してしまっただけで。
だから、証明が要った。
もともとそこにいたことを、いまの制度の中で通すための、確かなものが。
それは仮証明だった。
招待と、過去の制度の証明書を照合した者にだけ、一時的に発行されるものだった。
新しい制度の中で遡れるのは、その仮証明だけだった。
けれど金持ちではなかったから、正規の手順では触れられなかった。
ただし、例外がひとつだけあった。
招待されること。
そして、過去の制度の証明書があること。
その二つが揃えば、例外的に仮証明が発行された。
例外的に、中にいられた。
( )は家族と一緒に、幼馴染たちが参加するパーティに入った。
そこは高層の商業住宅で、マンションで、施設で、店で、住処だった。
幼いころ、( )が夢みたいだと思っていたものが、そのまま形になったみたいな建物だった。
うれしかった。
だから少しだけ、浮かれた。
家族は何度も、帰るよ、と声をかけていたらしい。
けれど( )は、まったく知らないのに好きな話題のことだけやけに詳しい人と、ずっと話し込んでいた。
気づいたときには、家族はいなかった。
近所の子たちもいなかった。
ひとりで帰るしかなかった。
そのとき、古くから知っている側の誰かが、( )に言った。
絶対に、この施設の中では仮証明を手放さないように。
施設の中で通用するのは、その仮証明のことだった。
我々は見ればわかる。
あなたが古株だということも、例外で入っていることも。
でも、わからない人間にはわからない。
わからない人間から見れば、それを持っていない者は、通れない側に落ちる。
内側にいないものとして扱われる。
( )は、わかったような顔をした。
それから、エスカレーターで下りた。
エレベーターもあった。
けれど、この建物の中を階ごとに見ていきたかった。
理想郷みたいな場所だったから。
一階ずつ降りて、少しずつ覗いて、寄り道したかった。
そのたびに、仮証明の位置を確かめた。
途中で一度、それが隠れた。
落としたわけではなかった。
服の重なりに入って、見えなくなっただけだった。
その瞬間、空気が変わった。
さっきまで道をあけていた人が、急に見ないふりをした。
店員の笑顔が、確認の顔になった。
通れるはずの場所で、足が一瞬止められた。
何かがなくなった、と思った。
言葉にするより先に、そういう感じがあった。
( )はあわてて仮証明を見える位置に戻した。
するとまた、通れた。
人が人に戻るまでが、あまりに早かった。
違和感と、少しの恐怖が残った。
それでも下りた。
最低層の一階まで、ちゃんと下りた。
出口の門番はやさしかった。
仮証明を見せると、丁寧に外まで案内してくれた。
完全に外に出たところで、( )は気づいた。
家族の車はもうない。
先に帰っていた。
歩いて帰るしかなかった。
その地域には、あとから住みついた人たちがたくさんいた。
高ランクではある。
けれど、神ランクには及ばない者たちだった。
そのうちのひとりが、急に声をかけてきた。
……( )さんですよね?
振り向くと、目を輝かせた顔があった。
すごい、ほんとにいるんだ。
前から見てて、ファンなんですよ。
昔のやつ、見せてもらえませんか。
ずかずか来る。
距離が近い。
でも、そのときの( )は悪い気がしなかった。
新鮮だったからだと思う。
外に出た安心も、少しあった。
だから見せた。
昔のものを、過去の制度の証明書を、手元から少し広げて見せた。
すると周りに人が集まってきた。
のぞきこんでくる。
質問してくる。
褒める。
すごいですね、と言う。
そのあいだに、仮証明が落ちた。
道路に。
しまった、と思った。
しゃがもうとした、その前に、誰かがすっと拾った。
拾ってくれたのではなかった。
持っていった。
その一瞬で、( )は仮証明を失った。
それだけで、証明できなくなった。
さっきまでの顔が変わった。
目の温度が変わった。
興味の顔が、確認の顔になった。
確認の顔が、線を引く顔になった。
( )は何か言おうとした。
でもうまく言えなかった。
違う。
もともと住んでた。
本当は、そっちなんだ。
ここに入れたのも、そのせいで。
いま持ってないだけで。
言えば言うほど、なくなっていく感じがした。
これでは帰れない、と思った。
建物にも戻れない。
誰も証明できない。
家にも帰れない。
自分がどこに属しているのか、急に、どこにも置けなくなった。
そのとき、お婆さんが声をかけてくれた。
大丈夫?
顔は知らなかった。
向こうも( )の顔なんて知らないはずだった。
けれど、その地域に昔から住んでいた人の声だった。
神ランクの高い人の声だった。
少しだけ、安心した。
助かるかもしれないと思った。
けれど、別の高ランクの者が間に入った。
その人は神ランクではなかった。
でも、十分に高い側の顔をしていた。
お婆さんの言葉をさえぎった。
押しのけた。
正しさみたいな顔で、順番を奪った。
お婆さんは人波に押し戻された。
また証明できなくなった。
その瞬間、( )の中で、何かがはっきり壊れた。
音がした気がした。
胸の奥か、喉の奥か、わからない場所で、薄い板が割れるような音がした。
( )は泣きながら、近所の幼馴染たちの名前を叫んだ。
ひとりずつ。
知っている順に。
昔のままで。
消えないように。
叫んだ名前のひとつが、返ってきた。
帰省していた。
信じられないくらい普通の顔で、人混みをかき分けて、こっちに来た。
どうしたんだよ。
その声だけで、世界が少し戻った。
違う、この人は昔からここにいた。
俺が知ってる。
こっち側だよ。
友達はかばうように( )の前に立った。
見えないものから隠すみたいに立った。
大丈夫だから、という顔をした。
その言葉で、空気がまた少しだけ変わった。
助かった、と思った。
開放された、と思った。
胸のどこかに詰まっていたものが、そこでようやく落ちた。
その安心感といっしょに、夢が覚めた。
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最終更新:2026/03/99




