第9話 その伯爵令嬢の兄、卑劣につき
バルサーミ・ゴルドー――わたしの継母となるキャサリーナ・ゴルドーの連れ子で、ゴルドー伯爵家長男。父であるグランデ・ゴルドーと血は繋がっていないが、後継ぎとして育てられ、今はソルファ様と同じく王宮騎士団の騎士団員として活動している。
わたしがローズ姉の替え玉としてグランディア家へ送り込まれたタイミングも、兄バルサーミは王宮騎士団の仕事でルモリーア王国各地を遠征していた。どうしてこんなタイミングで兄と遭遇しなければならないのか。獲物を狙う蛇のように絡みつく視線。条件反射でソルファ様へ隠れるようにして移動してしまったわたし。不思議そうに一瞬わたしを見たソルファ様は、すぐに兄バルサーミへ向けて返答する。
「ディアスへ遠征のタイミングだったか」
「ええ、探しましたよ、ソルファ先輩」
「何故、オレを探す必要がある?」
「いやね、せっかくディアスへ来たんだし、先輩へ挨拶しときたかったんすよ。それに……先輩の婚約者、俺の妹っすよ! な、ローズ?」
「なんだと!?」
ニヤリと嗤う兄。わたしはこの人を兄と思っていない。この男は、わたしへ絡みつくような視線でいつも近づき、悪態をついてはわたしへ暴力を振るって来た。そもそも、今この人は、ローズ姉の姿をしているわたしをどっちと思っているのか? グランディア家へわたしがローズ姉の代わりに送り込まれた事実を兄は知っているのか? もし、知らないのならば、ローズ姉としてやり過ごす事も出来るかもしれない。わたしはソルファ様の背後で隠れるのを止め、自ら兄の前へ姿を見せ、ローズ姉を真似てカーテシーをする。
「ご機嫌よう、バルサーミお兄様。こんな所でお兄様の騎士団姿を拝見出来るなんて光栄ですわ」
「おぅ、ローズ! この姿も似合っているだろう?」
腰に携えた剣の束を軽く叩き、背後に三名の部下を控えさせたままわたしに近づいて来るバルサーミ。兄がだんだん距離を詰めて来るに連れ、心臓が跳ね上がる。大丈夫、きっと兄はアリーシェだと気づいていない筈だ。物珍しそうに下から上へ嬲るようにわたしの姿を見た後、面白いものを見つけたかのように口角をあげる兄。
「へぇ~。お前にしては珍しい格好してんじゃねーか? いつもみたく胸元開いて侯爵殿へのアピールはどうした?」
「何を仰いますの? 嫁ぐならば、淑女は淑女らしく、ですわよ」
「ハッ。ローズからそんな言葉を聞けるとはな。今日はこの後、雨でも降るのかぁ?」
胸元へ注がれる視線が気持ち悪い。わたしはこの人の視線がいつも嫌いだった。ローズ姉は兄からの視線をいつも邪険にしていたのを思い出す。足許の震えを押さえるので精一杯で、ローズ姉のようにうまく出来ない。その時、わたしの胸元を隠すように誰かの手が伸びる。わたしを庇うように前へ出たのは……ソルファ様だ。
「お前達が兄妹である事は初耳だった。すまない、そもそもお前の家柄や境遇など、オレは興味なかったからな」
「ちっ、何紳士ぶってるんすか。女子供へ血も涙もない英雄さんじゃなかったんですかい?」
「誰かが嘯いた噂など、只のまやかしに過ぎない」
暫く互いに視線を交わし、ソルファ様とバルサーミの間に無言の時が流れる。でも、先に両手を上に挙げたのは兄だった。
「へいへい、せっかくこの後ローズと戯れようと思ったのに、残念。おい、お前等、任務へ戻るぞ」
「「「は、バルサーミ様。ソルファ様、失礼致します」」」
「嗚呼」
それまで背後で控えていた騎士団員の人達が近づき、ソルファ様へ一礼する。そのままわたしとソルファ様の前を通り過ぎた兄……だったが、何かを思い出したのか、再びこちらを振り向いた。
「あ、そうだ。ローズ、お前に伝言だ。父上が侯爵家へ近々挨拶に来るんだとよ。昨日父上から手紙を貰ったんだよ。お前がグランディア家へ来ている事も、俺はちゃんと知っているからな。じゃあな!」
兄のその言葉にわたしの全身が震えた。兄はちゃんと知っている。つまり、ローズではなくアリーシェと知っていて兄はわたしへ声を掛けたんだ。獲物を狙う蛇のように絡みつく視線は、ローズ姉へではなく、アリーシェへ向けてだった。
両腕を押さえつけられ、打たれた傷を蛇の舌で舐められる。痛みと吐き気を催す程の悪寒。幼い頃より兄から植え付けられた悍ましい感覚は今でも忘れない。
「……ーズ、ローズ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」
「なんでもありませんわ」
「ふぅ~。あいつは実の妹にもあんな態度なのか……。昔からいけ好かない奴だとは思っていたが。ローズも、妹のアリーシェ嬢も、あれでは今迄辛い想いをして来たんだろう」
アリーシェの名前が出て、一瞬わたしの肩が跳ね、ドキリとする。騎士団で過ごしている時も、常に兄はあんな様子らしく、先輩にあたるソルファ様へも鼻につくような態度を取る事もあるらしい。鞭で打たれた古傷が痛み右腕を押さえる。ソルファ様を不安にさせてはいけない。全身の震えを必死に押さえ、平静を保とうとするわたし。
「ローズ、心配するな。オレがついている」
「お気遣い、感謝致しますわ」
まだ時間があるからと言ってソルファ様はわたしの手を引き、路地裏の小さな店へと足を運ぶ。そこは可愛らしい小物の雑貨や、アクセサリーが並ぶお店だった。
「スミスからお薦めの店を紹介して貰っていた。女性の好みは俺も無知だからな。ローズ、宝石の類は沢山持っているだろうが……どれか一つ、今日の記念にプレゼントさせてくれ」
「え? そんな……もう充分ですわよ」
「いや、それではオレの気持ちが収まらない、さぁ」
高価な宝石から可愛らしい小物まで、色とりどりの宝石が輝いている。中には金貨何十枚、何百枚も必要な指輪やネックレスまで。男の人からプレゼントなんて、貰った事がない。こんなのどれを選べばいいの? わたしはなるべく高価じゃない、小物が並んでいる飾り棚へと移動する。目についたのは猫を象った可愛らしいネックレス。猫ちゃんが小さな可愛らしい宝石を抱いている。嗚呼、わたしの瞳の色と同じ……淡緑色だ。……って、駄目よ、これ。宝石は小さいけれど、金貨十枚もするじゃない!?
「成程、エメラルド。これはローズの妹、アリーシェ嬢の瞳の色だな。君の瞳と同じ色のアクアマリンじゃなくていいのか?」
「あ、いえ。妹がちょっと恋しくなっただけですわよ。それにエメラルドは幸福を意味する宝石で、わたくしも好きですのよ」
「そうか、ではこれにしよう」
「え、ちょっと!」
ソルファ様が手を挙げると、奥に控えていた優しそうな女性の定員さんが笑顔で近づいて来た。
「これを頼む」
「お買い上げ、ありがとうございます」
金貨十枚を払ったソルファ様が、ネックレスを手に取り、わたしの首元へ手を回す。わたしの首元で猫ちゃんが抱いているエメラルドが煌めく。……可愛いし、綺麗。店員さんが両手を口元にあてて声をあげる。
「まぁ、お似合いですわ、お嬢様」
「あ、ありがとうございます」
店員さんへ一礼し、ソルファ様へ向き直り、差し出された彼の手へわたしの手を重ねる。
「では、行こうか」
「ソルファ様、ありがとうございます」
いつもはあまり表情を変えないソルファ様が少しだけ、微笑んでくれたような気がした。
いつの間にか兄に対する全身の震えはすっかり消え、代わりにわたしの顔は熱く火照っていた。
むしろ、お顔が熱くて熱くて……このままわたし、嬉しさと恥ずかしさで天にも昇ってしまいそうです。