第8話 その伯爵令嬢、お肉を食べる
スミスさんの指示の下、馭者による先導でディアス領中央のラムネ大通りへ向かったソルファ様とわたし。中央にあるラムネス広場で馬車を降りる。ラムネスの名前はディアス領の元領主であるラムネス公爵家の名前から取ってるんだそう。石畳が敷き詰められた広場は整備されていて、噴水のお水に陽光が反射していてとっても綺麗。
「お坊ちゃま。某はネンネ様と買い物があります故、また昼刻過ぎに此処で合流致しましょう」
「嗚呼、分かった」
「え? ネンネも?」
「ええ。お嬢様もせっかくディアス領の街を歩くんですから、楽しんでいって下さい」
これは……スミスさんとネンネの計画通りといった展開……な気がする。二人取り残されて、横に立っているソルファ様を見上げるわたし。陽光に照らされたソルファ様の横顔が眩しい。ソルファ様の眼差しが凛々しくてソルファ様自身が光を発しているみたいなんですけど……。
「参ろうか、ローズ嬢」
「え、ええ。宜しくお願いしますわ」
駄目よ、アリーシェ。ちゃんとローズとして平静を保っていかないと。
石畳で整備された噴水広場からラムネ大通りへ。ちょうど朝の市場が開かれている時間なんだろう。大通りは沢山の人で賑わっていた。お花屋さんに武具のお店。アクセサリーを売っている店から果物やお野菜を売っている店まで様々。こんな賑わった場所を歩くなんて、子爵家のお家を手伝った際、モーリアの街へ買い物に行った時以来だ。って、あれ、何だか沢山の視線を感じるぞ?
『あれ……英雄のソルファ様じゃない?』
『眼差しが眩しいわ。でも、隣の女性は?』
『そんな……ソルファ様女嫌いではなかったの?』
『でも、お隣の女性も美しくて可愛らしいわよ?』
ヒソヒソとすれ違う女性の方々から声が漏れ聞こえて来る。そうか。ソルファ様このご容姿で、侯爵家嫡男。しかも英雄と三拍子揃っているもの。視線を浴びて当然だ。わたしも可愛くて美しいって聞こえた気がするけど、それは気のせいよね? あくまでローズ姉を真似た姿が綺麗だって事にしておこう。
「視線はいつもの事だ、気にするな」
「はい、分かりましたわ」
通りを暫く歩くと、何だか美味しそうな香りが漂って来た。これは……何かを焼いている香りだ。一つのお店から美味しそうな香りを含ませた煙が流れて来ている。間違いない、これは……お肉だわ。
牛さんがわたしへ向かって手招きしている。モーモー言いながらジューシーに焼かれたお肉。串に刺さったお肉が金網の上で脂を垂らしながら焼かれている。嗚呼、牛さんが網の上で手を振っている。『美味しく食べてね』って。
「……嬢、ローズ嬢!」
「え、ええ!? 嗚呼。なんでもありませんわ!」
「フッ……此処で待っているといい」
口から垂れていたものをハンカチで拭き取り、平静を保とうとするわたし。
あれ? 何か一瞬だけ、ソルファ様の口元が緩んだような?
ソルファ様が露店の店主へ声を掛け銀貨を四枚渡し、牛のお肉を焼いて串へ刺したものを一本購入し、わたしに手渡ししてくれる。
「ディアス牛の串焼きだ」
「あ、ありがとうございます、ですわ」
牛さん、今日という日にあなたと出逢えた事に感謝致しますわ。わたしはソルファ様からいただいた牛さんの串焼きをそっと口へ含む。そもそもお肉なんて、グランディア家を訪れるまでほぼ食べた経験がなかった。だからこそ、わたしにとって、この牛さんに出逢えた事が奇跡だった。
お肉を噛み締めた瞬間、肉汁が溢れ、わたしは肉汁の海へ溺れた。嗚呼、このままわたしはジューシーなお肉の波に呑まれて、そのまま光輝く世界へと導かれるのねぇ~~。
「はぁ……♡ 美味しい……ですわ」
「そ、そうか。それはよかった」
今、ソルファ様の生唾を飲み込む音が聞こえたような。あ、そっか。わたしだけがこの味を噛み締めている場合ではないわ。ソルファ様もこの牛さんの美味しさを堪能したいのね。
「ソルファ様も食べますか?」
「いや、オレは……」
「遠慮する必要はありませんわよ。はい、あ~ん」
「お、おい……待っ……んぐ」
そのままソルファ様の口元へディアス牛の串焼きを持って行く。牛さんのお味も素敵だけど、お肉を食べているソルファ様も素敵だ。って、あれ? 何だかわたし達の周りを取り囲むように人だかりが……。
『あ~ん♡だなんて! 羨ましいですわ』
『食べているソルファ様も素敵♡』
『さっきお肉を食べていたあの子の表情も煽情的でしたわ♡』
え? え? 一体、何が起きているの? わたしが周囲からの視線に困惑していると、ソルファ様がわたしの手を取り、速足で駆け出した。
「行くぞ」
「え、えっとソルファ様!?」
わたしの手を引くソルファ様の手。アームカバー越しでも温かさが伝わって来る。人だかりから少し離れたところで、ようやくソルファ様がわたしの手を放す。すると、思ってもみない事が起きる。ソルファ様がわたしへ向けて頭を下げたのだ。
「ローズ嬢、すまないな」
「え? どうしてソルファ様が謝るんですか?」
「本当はもっとゆっくり君と街を歩きたかったんだが、この街で英雄と持て囃されるオレは目立ってしまう。オレにとって、闘いで得た英雄の肩書きなど不要の産物だ。ましてや、君を哀しませるような肩書きなど……」
「待って下さい!」
そこまで言い掛けたソルファ様の言葉をわたしが止める。ソルファ様がわたしの瞳を真っ直ぐ見つめてくれる。嗚呼、この人は何処までも真っ直ぐな人なんだ。
「わた……くしは、あなたとこうして一緒に居られるだけで幸福なのです。一緒に街を歩いて、一緒に美味しいものを食べる。これの何処が哀しい出来事なんですの? 他人の眼差しなんて気にする必要はありませんわ。わたくしにとっては、大勢の他人より、目の前のソルファ様が大切ですもの」
「大勢の他人より、目の前の……。感謝する、ローズ。オレは見誤っていたようだ」
わたしの手を取ったソルファ様が片膝をつき、わたしの手の甲へキスをする……って待って。人だかりが減ったとは言え、こんな公衆の面前で……わたしの両頬が火照っているのは、きっと陽光に照らされているからに違いませんわ~~。
「ローズ、君が今、そうしてくれたように、君とちゃんと向き合おう」
「か、か、か、感謝致しますわ」
ゆっくりと立ち上がるソルファ様。流石のわたしも周囲の視線が気になったので周りを見渡してみたけれど、幸い、気づかれてなかったみたい。このままソルファ様とゆっくりとしたひと時を過ごそう。そう思っていた矢先、背後からわたし達へ声を掛ける者が居た。
「おやぁ、誰かと思えばルモリーアの英雄、ソルファ先輩ではないですか?」
耳にこびりつくような口調。聞き覚えのある声にわたしの背筋に悪寒が走る。振り返りたくない。先にソルファ様が振り返る。わたしはソルファ様の背後へ隠れるようにして移動するも、その獲物を捕らえるかのような視線に捕まってしまう。
「……バルサーミか」
「おやおやぁ~先輩! 噂の婚約者ですかぁ~? 数週間振りだねぇ~ローズ」
「お……お兄様」
短い金髪、耳にピアスを着けた細めの男は悪辣な表情を見せつつわたしへニヤリと嗤った。
アリーシェからのあ~ん♡に尊死した方は挙手お願いします!
そして、次話、ついに義兄バルサーミ登場!? お楽しみにです。