第7話 その伯爵令嬢は着飾らない
部屋の隅に控えていたグランディア家の侍女さん達にも一度席を外してもらい、ネンネと作戦会議。
何せ今、わたしは着ているドレスの下にもローズ姉の体型に見せるよう、下着や巻いた布などで補正しているのだ。着替えているところを見られてしまってはそれこそ大問題。あと……そもそも、長く肩まで伸びたこの艶やかな金髪がかつらだしね。
「今回は社交界ではなく、町歩きですので、そんな豪華な衣装でなくてもよろしいかと」
「そうですわよね」
口調は万一聞こえてもいいよう、なるべくローズ姉を真似る……つもりだったんだけど。
「あと、せっかくですので、お試しで色々着てみましょう」
「(え、でも、それはいいよぅ……恥ずかしいし……)」
「(一瞬で口調を戻さないで下さい)」
ここ、外へ聞こえないよう、小声で一喝されてます。目移りするほど眩く華やかな世界を目の前にして、わたしの心が揺れる。
せっかくソルファ様のご尊父様がご準備してくれた衣装だとスミスさんが言っていたし、わたしに期待されても……。という気持ちが反面。
いいのよ、今はローズ姉なんだから、ローズ姉らしくドレスを着こなしてみようという意気込みが反面。
天使と悪魔が脳内で格闘した上で、よし、此処は頑張ってローズ姉を演じてみよう! 力強く右拳を握るわたし。
「ネンネ。わたくしと言えば、情熱の赤! ですわよ」
「お、お嬢様。ではとびきりのものをご準備致します」
ローズ姉の好きな赤系統のドレスだけでも一体何種類あるんだろうという数。侯爵様のお家でこれなら、お城の王女様だったらどうなっちゃうんだろう? 思ってしまう。社交界や貴族社会なんて只のまやかしで、わたしには縁がない世界だと思っていたけれど。ネンネが持って来たドレスは、薔薇の花束を彷彿とさせる情熱色のプリンセスドレス。お城の社交界で年頃のお姫様が身に着けたならさぞ映える事でしょう。って、ええ? これ?
「ね、ネンネ。きょ、今日は社交界じゃないわよ?」
「試着するのは自由ですよ? ささ、お嬢様!」
「え。ちょっちょっと!」
ネンネは金髪のかつらはそのままに、素早くわたしから今身に着けているワインレッドのドレスを脱がし、代わりに薔薇の花弁を模した装飾がいっぱいのプリンセスドレスを着せていく。腕の傷を隠すためのアームカバーもドレスと同じ深紅色でレースが入っている。脚には硝子細工の装飾を模した透明で美しいピンヒール。口元へ薄桃色のルージュを引き、全身鏡の前へ連れて来たわたしの姿は……。
「え? これが……わたし?」
「ええ。一国の王女様みたいですね」
ローズ姉へ変装しているとはいえ、これがわたしだなんて信じられなかった。本の世界でしか見た事のない、ドレス姿の女性。自分がお姫様だとは言わないけれど、眼前の鏡に映っている人物はアリーシェとは似ても似つかない全くの別人。自然とわたしの両の眼から一筋の雫が頬へ流れ落ちる。
「お、お嬢様!?」
「何でもないの。こんな日が来るとは思っていなかったら……嬉しくて」
「そうですね。本当に」
気づけば、ネンネも一緒に目頭を押さえていた。今までの地獄のような苦痛を考えると、夢のような出来事。いや、もしかしたら、夢なのかもしれないと、ほっぺをつねってみた。痛い。
「夢じゃないわよね」
「ええ、現実です」
そんなやり取りをしていると、部屋の扉がノックされ、外から侍女さんの声が聞こえて来る。
『ご衣裳はいかがでしょうか? お手伝い致しましょうか?』
「お気遣い感謝致しますわ。ネンネが手伝ってくれてます故、心配には及びませんわよ?」
『承知致しました。何かございましたら何なりとお申し付けくださいませ』
「ありがとうございます。もう少し、お待ち下さいませ」
そう、プリンセスドレスに感動している場合じゃないんだった。今は〝町歩き〟の衣装選びの最中なのだ。
一度声を掛けられた事で少し平静さを取り戻したわたしは、今回、一番大事な事を思い出す。その上で、ズラリと並ぶ衣装の中から一つの衣装を選び、ネンネへ持って行く。
「お嬢様……この衣装は?」
ネンネはわたしが選んだ衣装を見つめ、やや困惑した表情で尋ねる。
「だって、今日の街歩きのお相手は、ソルファ様でしょ?」
そう、今回の正解は、ローズ姉が好きな衣装を選ぶのでも、わたしが着てみたい衣装を選ぶでもないのだ。ようやくわたしの意図を汲んでくれたネンネは、わたしの選んだ衣装で、町歩きの仕度をしてくれた。
◆
お屋敷の二階奥に用意された仕度部屋で〝とある衣装〟に身を包んだローズ姉に扮するわたしは、一階中央エントランスへ続く大階段を一歩一歩降りていく。
既に待機していたソルファ様が驚きの表情でわたしを見上げている。わたしはスカートの裾を掴み、ソルファ様の前でカーテシーをする。
「では、参りましょうか?」
「ローズ、いつものドレス……ではないんだな?」
「ええ? それでは町歩きを堪能出来ませんでしょう? 淑女たるもの、目立たず、お淑やかに、ですわよ」
あれ? 周囲の反応が薄いな。それもその筈。わたしが選んだ衣装は、社交界で着て行くようなドレスでもどこかの貴族のご令嬢が身に着けるような外行きのローブでもなかった。ルモリーア王国西のディアス領は、農業や畜産も盛ん。そんな農家の娘達の間で流行っている、かつての民族衣装を模した、胸元を紐で閉じる形の伝統的な可愛らしい衣装。胸元周辺の布地は黒、臙脂色のスカート部分以外は白い絹糸で織られていた。この衣装、子爵家のお手伝いで市場を訪れた際、町のお嬢様が着ていたのを見た事があったのだ。
そう、先程わたしはソルファ様が、『アリーシェのドレスや宝飾品で着飾らないところがいい』と以前語っていた事を思い出した。普段、華やかさを意識したローズとは違った、着飾らない可愛らしさを意識したローズを演じてみました……って脳内で解説しながら恥ずかしくなって来ました、はい。
「に、似合っている」
「お顔が何だかお赤いように見えます。熱でもありますの?」
背伸びしてソルファ様のおでこに手を当てるわたし。う~ん、よかった。熱はないみたい。
「心配ない、では、行こうかローズ嬢」
「はい、ソルファ様」
ソルファ様の手を取るわたし。手を取るだけで自身の胸が高鳴るのを感じる。同時に入口で控えていた執事さん達がお屋敷の扉を開ける。背後に控えていたネンネに一瞬視線を送ると強く優しく頷いてくれた。どうやら、この衣装で正解だったようだ。
こうしてグランディア家の馬車へ乗り、ソルファ様とわたしは〝町歩き〟のため、ディアス領の中央へと向かうのでした。