第60話 その伯爵令嬢、南の地を後にする
ソルファ様より報告があった日の夜、わたしがネンネに実母の事を尋ねる事はなかった。きっとその時が来たら、ネンネからわたしに話してくれるんじゃないかと思ったから。夜一緒にお風呂へ入った際は、身体についた古傷の痕を癒し、互いの無事を労い、何もなかった事に感謝した。
翌日以降、サウスオリーブ領では、闇の組織ワイルドウルフ率いる盗賊団の残党が領内に残っていないか、騎士団と自警団合同による調査が行われた。勿論、ソルファ様やジウさんも調査に参加。結果、わたし達の滞在期間も数日伸びる事に。盗賊団潜伏帰還中、火災や被害に遭った場所の復興準備を含め、アクア・マリーナ・サウスオリーブ公爵が色々と準備をしているみたいだった。
「ローズちゃん、そろそろアクアって呼んでいいからね」
「いえいえ、公爵様にとんでもないです!」
「えーソルファなんか、アクアって呼び捨てだよ?」
「じゃ、じゃあアクアさん」
「なんだい、ローズちゃん」
アクアさんは、ずっとサウスオリーブ公爵呼びだった事が気になっていたみたい。身分がずっと上だって思えないくらいに距離感が近いから、いつも緊張してしまう。
「自然に手を握らないで下さい」
「今回、社交界慣れしているソルファの彼女が初心だって分かってとっても楽しかったよ」
「もう、揶揄わないで下さい」
ソルファ様は盗賊団の調査中だったため、この日アクアさんに連れられて来たのはマリーナ教会。教会には港町マリーナ最大の救護施設があって、怪我や病に伏した人が訪れ、治療する場所、または滞在する場所となっていた。此処へアクアさんがわたしを同行させたのは他でもない。此処で療養していたとある人物が目を覚まし、ようやく面会出来る状態まで回復したからという理由だった。
救護施設奥にある宿泊棟の一室。中に入ると、ベットから上半身だけを起こした女性がサウスオリーブ公爵へ一礼。アクアさんの後ろに控えていたわたしを見るなり真ん丸な瞳を余計に丸くして、太陽に向く蒲公英の花のような、満開の笑顔を見せてくれた。
「ローズちゃん! よかった元気そうで!」
「それはこっちの台詞です! ロジータお姉さま! もう、すっごく心配したんですよぉ!」
双眸に雫を浮かべたまま彼女の胸へと飛び込んだわたし。
ディアス大農園・農場主アルマーニュ伯爵の夫人、ロジータ・アルマーニュ伯爵夫人。お茶会へ出席する筈だった彼女は、サウスオリーブ領へ向かう途中馬車ごと襲われ、盗賊団のアジトへと監禁されていたのだ。馬車内に居た執事と侍女さん、馭者の人は残念ながら行方不明。馬車はそのままロジータお姉さまへ変装したリンダが乗っ取り、侍女と執事へ同じく変装したニック、ケイと共に、あのお茶会へと潜入を果たしていた。
ソルファ様率いる騎士団によって無事助け出された彼女。外傷はあまりなかったが、助け出された時は心身共に衰弱状態だったようで、教会の救護施設へと運ばれていたみたい。
「話聞いたけど、ローズちゃんも酷い目にあったんでしょう? 本当無事でよかったよ~」
「わたしの周りはスミスさんや密偵のジウさんが付いてくれていたので」
「ワイルドウルフ全員を捕える事は出来なかったけど、ソルファの活躍もあって、盗賊団が西と南を荒らす事は暫くないと思うから、ロジータさんも、ローズちゃんも安心して欲しい」
「公爵、何から何までありがとうございました。帰る前にソルファ様にも挨拶しなくっちゃね」
「あ、じゃあロジータお姉さん、ディアスまで一緒に帰りませんか?」
「え? いいのかい?」
驚いた様子のロジータお姉さん。そして、この時わたしの意見へ同調したのはアクアさんだった。
「どのみち僕のところの馬車で帰って貰う予定だったんだ。ちょうどいい。ロジータさん、そろそろ盗賊団の調査も終わる頃だ。明日、ローズちゃんとディアスまで一緒に帰るといい。道中はソルファやジウ、スミスも付いているから安心だろうし」
「じゃあお言葉に甘えて、ローズちゃんとご一緒するさね」
「やった! 帰り道も楽しくなります」
こうして、ディアスへの帰路はロジータさんもご一緒する事に決定。
一度ディアス大農園へ立ち寄ってからグランディア侯爵家へ向かうルートが決まった。
そして、翌朝――
長かったサウスオリーブ領での公務を終え、ソルファ様と共にわたしは南の地を後にする。
公務家入口にて、パール婦人とアクアさんがお見送りに来て下さっていた。
「ローズさん。どんな事があっても、私はこれからもあなたの味方です。忘れないでね」
「ありがとうございます、パール婦人」
カーテシーをして微笑むわたしを見たパール婦人の、ルモリーアの海のように透き通る海色の双眸が煌めいた。
「春が終わればあっという間に社交界の季節。その頃には中央へ皆集まる事になる。美しく可愛い乙女に再び逢える日を楽しみにしているよ、ローズちゃん」
「あ、ありがとうございます、アクアさん」
「……っ!?」
またアクアさん! 片膝を立ててわたしの手の甲へ口づけを……って何か視界の外からとてつもなく圧を感じる……と思ったら、アクアさんの背後で両腕を組みつつ片膝を立てたアクアさんを凝視しつつ見下ろすソルファ様の姿が……。
「そろそろ出発の時間だ、アクア」
「ちょ。ソルファ! 分かってるって。君の婚約者を取って食べる事はしないからっ!」
「当たり前だ! 仮にローズ嬢と何かあったなら……アクアだろうと容赦はせん」
「怖い怖い。分かったからソルファ。じゃあ道中気をつけて」
「嗚呼、また逢おう」
最後はちゃんと握手をして挨拶をしたアクアさんとソルファ様だった。
「それからローズ嬢!」
「え? え? わたしですか!?」
「いつからサウスオリーブ公爵をアクアさんと呼ぶように」
「え? え? わたしですか!? いえ、それはその……サウスオリーブ公……」
ちらっとソルファ様の横に立っているアクアさんがブルブル首を振っていた。今その発言はまずいという事ですね、アクアさん。
「えっと、パール婦人が……」
「パール婦人?」
ソルファ様の首が九十度曲がってパール婦人を見た瞬間、満面の笑みを浮かべるパール婦人。今までのやり取りを見ていたパール婦人は当然機転を利かせた返しを熟知している訳で。
「まぁ、ソルちゃん。いいじゃないの? 今回せっかくローズさんとも仲良くなれたんですもの。そんな他人行儀のままだと私も寂しいわ」
「そうですか。まぁ、パール婦人が言うのなら、分かりました」
ソルファ様の後ろでアクアさんが両手を合わせてこちらへお辞儀していたので、軽くウインクしておいた。
「馬車の準備が出来ました」
「お嬢様、積み荷が終わりました。お待たせ致しました」
と、馬車の準備が終わってスミスさんとネンネが迎えに来たところで、いよいよパール婦人とアクアさんとも暫しのお別れだ。馬車はマリーナ教会でロジータさんを出迎えた後、北に進路を取ってオリーブの町経由でディアス大農園へと向かう。
馬車が出発し、石畳を馬の蹄が弾き、規則正しい音が鳴る。わたしは馬車から上半身を少し出して、サウスオリーブ公爵家へ向かって手を振った。
「パール婦人、アクアさーん、ありがとうございました~!」
「また逢おうね~ローズちゃん!」
「ローズさん。社交界、楽しみにしていますわ~」
この爽やかなルモリーアの潮風ともお別れだ。蒼穹を見上げると浮かんでいた雲の形があの時食べたイカリングさんに見えた。
『指輪じゃないよ、イカリングだよ。またね♡』
『またね、イカリングさん』
「何か言ったか、ローズ嬢?」
「いえ、なんでもありませんわ」
海を感じながらのお食事、ゴンドラでのデート、継母を交えてのお茶会、そして、盗賊団の事件、ワイルドウルフ幹部リンダとの接触。南の領地で起きた出来事を振り返るわたし。ソルファ様の眼差しはいつも眩しくて真剣だ。
「よかったローズ嬢」
「何かですの?」
「盗賊団の事件の後だ。不安に思っても仕方がない中、君はこうして微笑んでいる。君のその笑顔に、安堵しているオレが居る」
「不安な事はありますけれど、ソルファ様やジウさん、ネンネにスミスさんも居ますもの。それにソルファ様がこうして隣に居て下さるだけで、わたしは安心ですわ」
「嗚呼」
隣に座るソルファ様がわたしの手へ自身の手を重ねてくれた。まだまだ分かっていない事もいっぱいで不安な事もあるけれど、それだけで安心出来るわたしが居る。うん、これから何があっても、この人と一緒なら、きっと大丈夫。
そう、心に言い聞かせる、わたしなのでした。
――next Stage <Ⅲ.夏の社交界編~Scene Moria>へ続く
いかがでしたでしょうか? これで南の領主編<Ⅱ.南の領主編~Scene Southolive>が終了となります。海の幸を使った飯テロから始まり、サウスオリーブ公爵&パール婦人の登場、ゴンドラデートに継母を交えての運命のお茶会、そして、ワイルドウルフ幹部リンダとの接触。盛り沢山でお届けました。
いよいよ次の舞台は夏の社交界編という事で王都のある中央へと移動します。ワイルドウルフ幹部の目的とは? 運命の子、ゴルドー伯爵家の秘密。
此処からどう物語が動いていくのか? そして、ソルファ様とアリーシェの恋路の行方も見守っていただけると幸いです。
キリがいいところになりますので、面白いと思っていただけていましたら、是非巻末の星評価★★★★★や、感想などもいただけると今後の励みになりますので、是非応援のほど、よろしくお願い致します。




