第6話 その英雄、お誘い下手につき
翌朝 ――
小鳥のさえずりで目を覚ます。外から差し込む朝の陽光も心地いい。
昨日たった一日で色んな事が起こり過ぎて、まだ夢見心地だ。
それにしても、昨晩は興奮して眠れないのではないかと思ったわたしだったけれど、床以外で眠る事が久方振りだったため、あまりの快適さに一瞬で夢の中だった。お日様の香りがいっぱいのふかふかのベッドで眠ったのはいつ振りだろうか? 背中が痛くない朝なんて何年振りだろう?
尚、わたしのお部屋とネンネの部屋は、スミスさんへお願いして隣同士にしてもらっている。ローズは繊細な心を持っているため、可及の用事がある時以外は部屋へ入って来ないよう、ネンネがあのあと念を押してくれていた。とは言え、お風呂の件もあったため、寝る時も瞳の色は変えて、かつらだけは装着したまま眠るようにした。
「おはよう、ネンネ」
「おはようございます、ローズお嬢様」
瞳の色が蒼色の時は、アリーシェの名は呼ばず、ローズとして声を掛けてくれるネンネは流石、抜かりない。
朝の身支度を整え、二階奥の自室から一階の広間へと移動する。朝食会場にはソルファ様が既に座っており、広間の入口でスミスさんが恭しく一礼し、わたし達を出迎えてくれた。
「ローズ様、ネンネ様。朝食の支度が出来ております。あちらへお掛け下さい」
「ありがとうございます、スミスさん」
既に着座済のソルファ様の前に立ち、カーテシーをするわたし。
「おはようございます、ソルファ様」
「おはよう、ローズ」
意外とそっけない。まぁ、そうか。まだ昨日の今日だものね、うん。
頭を切り替えて、眼前に用意して下さったご馳走へ集中しよう。
焼きたてパンの麦の香りが鼻腔をそそる。緑のお野菜も瑞々しく輝いて見える。お野菜の上に乗ったオムレツも見るからにふわふわだ。オムレツの横にはウインナー。スープは南瓜のスープかな? 食卓に牛乳があるって事は、侯爵家も牛さんを飼ってるんだろうか? モモ、ミルキー元気にしてるかな? 朝はパンの切れ端ひと欠片しか貰えない毎日から比べると天国と地獄の差だ。
「では、いただこう」
「いただきますわ」
牛さんの恵みである牛乳からいただこう……って、あれ、何だかソルファ様がじっとこっちを見ている気がする。何故だろう?
牛乳をひと口飲んで、わたしはソルファ様へ尋ねる。
「ソルファ様、どうかされましたの?」
「いや、すまない。昨日、君を愛する努力をすると伝えたばかりなのに、何故か牛乳を飲むローズの姿に妹君であるアリーシェが搾乳している様子を思い浮かべてしまった」
いや……もう搾乳シーンは禁止して下さい。わたしが恥ずかしさで昇天してしまいますから!
「ご冗談を。わたくしはローズ・ゴルドーですわよ?」
「やはり姉妹だと面影を感じてしまうのかもしれんが、ローズには失礼な事だと自戒していたところだ」
じ、自戒……何もそこまで。
「ふふ。ソルファ様って真面目なんですのね」
そんな会話をしている中、何やらスミスさんがやって来て、そっとソルファ様へ耳打ちしていた。
ん? 一体、何の話だろう? 暫く腕を組んで考え始めたソルファ様。そのあと咳払いをし、顔を上げ、また腕を組むを繰り返した後、真っ直ぐにわたしの顔を見つめ、ようやく言葉を紡ぐ。
「ローズ。実は今日、公務が休みなんだ。……そのだな。ディアス領を少し案内しようと思うのだが、どうだろう?」
「え? え?」
一体何の話でしょう? 状況がよく呑み込めていなかったわたしだったのだが、わたしの横でそれまでのやり取りを静観していたネンネと、ソルファ様の背後に控えたスミスさんが頷いている。え? 何故かスミスさんとネンネが通じ合っている。あ、ネンネがソルファ様に聞こえない程度の小声でわたしへまた囁いているよ?
『もしかすると……ソルファ様は、ローズお嬢様とデートをしたいと申しているのかもしれません』
「デ、デ、デート!?」
思わずその場に立ち上がってしまったため、それまで座っていた椅子が跳ねてしまった。スミスさんが素早くわたしの背後へ移動し、椅子を直してくれた。あ、ありがとうございます、スミスさん。頬に熱を帯びたまま、わたしはそっと椅子へ座り直す。
「ローズ、あくまで案内するだけだ。そんなデートなどと畏まる必要はない」
「そ、そうですわね。あくまで案内するだけですものね」
なんか、すっごく恥ずかしくなって下を向いてしまうわたし。ソルファ様も下を向いている。視線を併せる事が出来ずに、残っていたフルーツのお皿から切り分けられたオレンジを一口、口へ含む。甘酸っぱさが口の中へ広がって、爽快感がわたしを現実へと引き戻してくれる。
「そうと決まれば、支度をしなければなりませんね」
「実は支度の際、ご案内したいお部屋があるのです。お食事が終わり次第、ご案内致します」
スミスさんが言うには、何やら侯爵家の衣装部屋があるんだそう。
食事を終えたわたしはスミスさんに案内されるがまま、ネンネとその衣装部屋へと向かう。
そして、眼前に顕現したその煌びやかな空間に、言葉を失ったのだ。
◆
「此処に並ぶドレスと衣服は坊ちゃんの将来の花嫁となる御方へと旦那様が知人のデザイナーへ頼み、ご準備していた衣装です。どんな方がお相手でも問題無いよう、サイズ、スタイルも様々な物を取り揃えてございます。どれでもお好きな物をお選びください」
「こ、こんなに沢山あるんですね。ありがとうございます」
驚いた。広いお部屋を埋め尽くす色彩豊かな華、華、華。社交界や公の場で召すような可憐で優雅なドレスから、軽装のワンピースまで。正直なところ、ローズ姉が持っているドレスの数を優に超えていた。流石侯爵家とも言えるが、自分の娘ならまだしも将来の花嫁になる人物へ用意したとは、それだけ御父上であるグランディア侯爵にソルファ様が愛されている証拠だ。
「あの? これだけのご衣装、ソルファ様に御令姉・御令妹は?」
「お一人でございます。かつて、ソルファ様には御令妹が一人居りましたが、幼い頃、流行り病で母と共に亡くされておりまして」
「そ、そうだったんですね!? 何も知らず、聞いてしまって申し訳ございません」
「いえ、いずれ分かる事ですから。ですので、旦那様もソルファ様には跡継ぎとしてだけでなく、たった一人の御令息として幸せになって欲しいと願っておられるのです」
「教えて下さいまして、ありがとうございます」
「では、何かありましたらあちらに控えております侍女をお呼び下さい。ともあれ、ローズ様にはネンネ様が居られるのでご安心ですな」
スミスさんが恭しく一礼し、衣装部屋から退室したところで、背後に控えていたネンネがやって来る。
「さて、お嬢様。いかがいたしましょうか?」
「うーん……どうしよう」
毎朝ローズ姉が日替わりでドレスを変えている様子を見て来たものの、いざ、自分が衣装を選ぶとなると正直迷ってしまう。そもそもドレスなんて、自分の性に合ってない。わたしに似合うドレスなんてあるのだろうか? どんな衣装を選ぶべきか……煌びやかな空間を前に思考を巡らせるわたし。
だって……だって……。
こんな華やかな衣装を選ぶなんて……初めてなんですもの~~!




