第5話 瞳の色は蒼色 ~アクアマリン~
心が落ち着いた事で、今後のお話も少し整理する事が出来た。
「まずはローズお嬢様をどうソルファ様に気に入ってもらえるかです」
「わたしをソルファ様が気に入って下さるなんて……そんなのありえませんわってローズ姉の言葉を借りたいくらいよ」
そもそも傷だらけの令嬢なんて。ローズ姉みたいにそんなのありえないって言われるに違いない。でも、やらないといけない事だって言う事は分かっている。地獄の日々から抜け出すためには、一歩、踏み出さないといけない。
「いえ、むしろ問題ございません。ソルファ様はアリーシェ様にぞっこんですので、ローズお嬢様として、お嬢様の色を出していけば時間の問題かと……」
「え? いや、ぞっこんって……そこまで言わなくても……」
ぞ、ぞっこん……!?
わたしの顔が赤いのはきっと温かいお湯に浸かっているせいよね? 脳裏にソルファ様の真っ直ぐな顔が浮かんでは消える。あ、湯舟に映ったわたしの顔が赤くなっているのはきっと、このお風呂が温かいせいだ。ソルファ様の声が遠くから聞こえるのもきっと幻聴に違いない。え? ソルファ様の声?
『……ルファ様、今、中にはローズ様とネンネ様が入っておられます』
『そうなのか。では、此処で待たせてもらう事にしよう』
『畏まりました』
声は脱衣室の向こうの入口から?
え? ええええええええ? 待たせてもらうって、脱衣室の扉を隔てた向こうにソルファ様が居るって事!?
廊下に居たソルファ様の会話が聞こえたという事は、大きな声であれば周囲に聞こえる可能性もあるのか。露天風呂で作戦会議をするにも今後は気をつけないといけない。それよりも今はこの場をどう切り抜けるか、だ。
「ネ、ネンネ! ど、ど、ど、どうすればいい!?」
「お嬢様、このネンネがなんとか時間稼ぎしますので、お嬢様は脱衣室の死角で急いでローズの御姿になられて下さい!」
侯爵家の露天風呂は一つ。脱衣室も分かれていない。つまりは〝混浴〟という事になる。
侯爵家の人間が愛用している露天風呂ならば、ソルファ様も使って当然。誰も中に入れないよう念を押していたため、入口の侍女さん達が止めてくれてはいるけれど、ソルファ様が間違って入って来てしまっては大変な事になる。
ネンネが素早く用意されていたガウンを羽織り、脱衣室の外へ出る。扉が閉まった事を確認し、わたしは急いでかつらと衣服の入った籠を取り、脱衣室の隅へと移動する。スタイルを補正する目的の矯正下着を身に着け、ローズのかつらを被る。問題は、虹色咲花の花弁から創った目薬だ。目薬をニ、三滴、両の瞳へと落とす。お湯に浸かったばかりの瞳の場合、効果が出るまで暫く掛かる。
脱衣室の鏡に映った瞳の色は、アリーシェの淡緑色。
ローズであるならば、瞳の色は蒼色 でないといけないのだ。
『此処での会話が聞こえてしまったか。急がせてしまい、申し訳なかった』
『いえ、ソルファ様が謝る必要はございません。お嬢様は只今着替えております故、もう暫くお待ちください』
『そうか』
虹色咲花の効果が出るまでの間、ネンネが話を繋いでくれていた。
扉の向こう、壁一枚隔てた先にソルファ様が居る。そう考えるだけで左胸が早鐘を打っているのが分かる。
今のわたしはアリーシェ。でも瞳の色が蒼色になった瞬間、わたしはローズの仮面を被ってソルファ様の前へ姿を見せる事になる。この調子でローズを演じる事が出来るだろうか? 壁一枚隔てて聞こえて来るソルファ様の声は少し低音で、奥底に優しさを秘めた温かさを持っていた。
――嗚呼、この人に愛されたら、どれだけ幸せだろう。
いつか、わたしが仮面を取った時、ソルファ様はありのままのわたしを愛してくれますか?
「お待たせ……致しましたわ」
「ローズ、急がせてしまい、申し訳なかったな」
「とんでもございませんわ。いいお湯でしたわよ」
「それはよかった。侯爵家自慢の風呂だ。今後も好きな時に使うと良い」
「ええ、そうさせてもらいますわ。ネンネ、待たせたわね。行きますわよ」
なるべくソルファ様と目を合わせないようにしつつ、ニ、三、会話をし、わたしはその場から離れようとする。わたしはソルファ様へカーテシーをし、その場をやり過ごそうとした……のだけれど、丁度立ち去ろうとすれ違うタイミングで突然左手首を掴まれ、ソルファ様に引き留められてしまうわたし。回転し、ぐっと引き寄せられる身体。ソルファ様と見つめ合うわたし。
「すまない。気のせいか。ルモーリアの海のように美しい君の瞳の色が今、心無しか、蒼色ではなく、空色に見えたのだ」
「き、気のせいに決まってますわよ?」
いや、だからって抱き寄せないでよソルファ様~。空色が夕焼けに染まっちゃうから~~!
「そうだな。失礼した。では、今夜はゆっくり休むといい」
「ええ。ソルファ様もご機嫌様」
今後こそ、その場を後にするわたし。ネンネはわたしの横をぴったりとくっついている。すれ違う侍女、執事の方々へ会釈をし、安全圏である部屋まで速足で戻る。そして、部屋の扉を閉め、誰も居ない事を確認し、わたしはネンネと顔を見合わせる。
「あ、危なかったぁ~~~」
「間一髪でございました」
今回の一件でわたしは気づいた。たぶんソルファ様は目がいいんだ。何せ遠目から子爵家のお手伝いをしていたわたしの姿をしっかりと認識していたんだ。如何なる時でも気をつけてローズを演じなければ、ソルファ様を誤魔化し続ける事は難しいかもしれない。
こうして何とか侯爵家での初日を終えたわたし。
求婚相手はローズ姉ではなく、わたしアリーシェだという驚愕の事実から始まった侯爵家での半日。
変わり者の英雄と言われていたソルファ様はとっても真っ直ぐでわたしには本当勿体ない位素敵な方で……。
これからローズ姉を演じる事は大変かもしれないけれど、今こうやって床ではない場所で横になっている幸せを噛み締めよう。用意された天蓋付きのベッドも布団もふかふかで。優しい温もりに包まれたわたしは、そのまま眠りにつくのでした。