第33話 その伯爵令嬢、公爵の母君と対面する
暫くわたしは祈りを捧げていたのだけれど、ある人物の庭園入口付近からの呼び掛けに、わたしは顔をあげる事となる。
「あら、スミス! 久しいわね。リファ第一王女の生誕祭以来かしら?」
「ご機嫌麗しゅうございます、パール婦人」
慌てて声のした方へ振り向くと、そこには珍しい淡翠色の衣装へ身を包み、公爵と同じ海色の髪を背中の高さまでクルクルに巻いた女性が立っていた。スミスさんの一礼へ続き、わたしとネンネも頭を下げる。吸い込まれるような真ん丸の海色の双眸が綺麗。わたしの姿に気づいたパール婦人が双眸の中に真珠を煌めかせたかのように表情を輝かせ、こちらへとやって来る。
「スミスが此処に居るという事は……あなた……もしかして?」
「はい、ゴルドー伯爵家長女、ローズ・ゴルドーと申します」
「あらー、そう! ようこそサウスオリーブへ! 海くらいしか観光名所もない場所だけど、ゆっくりしていらしてね」
「とんでもないです。お茶会なんて素敵な会へご招待いただき、大変余りある光栄です。海もとっても綺麗ですし、先日オリーブの町で食べたお料理もとっても美味しかったです」
カーテシーをして挨拶するわたし。明るくて、とっても包容力がありそうで、優しそうなご婦人だ。
「それは嬉しいわね。どの料理を召し上がったの?」
「わたしはルモーリア海の漁師風パスタを……」
「あら? そう……」
え? それまでの明るく纏っていたご婦人の空気が変わった? どうして? わたし、まずい事言った?
「ゴルドー伯爵家長女、ローズ・ゴルドーさんは、社交界でもお肉料理や豪華なお食事が好みって噂を聞いた事があったのだけれど……」
ご婦人のその言葉で気づいた。今、相対しているお相手は、ルモリーア貴婦人会の副会長。つまり王国の貴族とほぼ繋がっていると言っても過言ではない。ネンネによると、ローズお姉様はほぼ会話しているところを見た事はないけれど、継母とも面識はあるようで。つまり、ゴルドー伯爵家を知っている相手。怪しまれてはいけない。此処からは、ローズをちゃんと演じなければ……試練は既に始まっているのだと。
「パールご婦人。せっかくサウスオリーブ領へご招待いただいたんですのよ? ルモリーア自慢の海で採れた海産物を食べずして、何を食べると言うのです? ムール貝がわたくしを呼んでいたんですの。素敵なパールご婦人へお逢いする前に、ぼくを食べていってよ? って。尚、仔牛のローストはわたくしの代わりにソルファ様がお召になられましたわ」
「まぁ、そうだったの! ローズさん。噂を信じてしまうだなんて、私もまだまだね。サウスオリーブの味、ご堪能いただけたみたいでよかったわ」
元の明るい表情のご婦人へ戻ってくれてほっと胸を撫でおろすわたし。横へちらっと視線を送ると、どうやらネンネも同じ気持ちだったみたい。
その後、なんとパール婦人が自ら公爵家の中を少し案内してくれた。本宅の隣には領館があり、わたし達は暫く此処へ滞在する事になる。こうしたお茶会や、社交界を主催する場合にも沢山の来賓を泊める事が出来るよう、沢山のお部屋が用意されているみたい。本宅と領館の裏手にはプールや教会も見えた。グランディア侯爵家もとっても広い敷地だけど、公爵家も道に迷わないよう気をつけないと大変な事になりそう。
「そろそろ、息子の長話も終わる頃でしょう。積もる話もあるでしょうから、皆でお食事にしましょう」
「ご案内までしていただき、ありがとうございます」
本宅へ移動したわたし達はそのままソルファ様と合流する事になったんだけど……。
「あら~! ソルちゃん! 大きくなってぇ~♡」
「パール婦人。お元気そうで何よりです」
え? ソルちゃん!? いま、ソルちゃんって言った?
「あら~、相変わらずつれないわねぇ。小さい時は私の胸へ飛び込んでいたじゃない」
「それは幼い頃の話です。オレを幾つだと思ってるんです?」
え? 幼い頃のソルちゃん、パール婦人のお胸へ飛び込んでいた?
子供時代のソルファ様を想像すると、滅茶苦茶可愛いんですけど。
「そうね。もうソルちゃんは、あんな素敵な婚約者を連れて来るお年頃だものね。それに引き換えうちのアクアちゃんは、早く一人の相手を決めたらいいのに」
「母さん。此処にはローズちゃんも居るんだ。積もる話は食事会場でしたらどうだい?」
「あら、それもそうね。ではみんなで大広間へ移動しましょう」
パール婦人とサウスオリーブ公爵が大広間へわたし達を案内する中、ソルファ様の隣へ移動したわたしは、小声で尋ねてみた。
「あの……ソルファ様。ソルちゃんって」
「気にするな。幼い頃からパール婦人はオレの事をああ呼ぶんだ。ソルには太陽という意味もあるからな。パール婦人が偉く気に入ってしまったみたいでな」
「太陽……。それなら確かにソルファ様にお似合いですね」
「おい。ローズ嬢はソルちゃんって呼ぶんじゃないぞ?」
「ソルちゃんは呼びませんよ。じゃあソル様」
「ソル様は遠慮しておく」
「そっか。残念です」
なんだか照れ臭そうな表情のソルファ様の横顔が珍しくて、暫く眺めていたいと思うわたしなのです。
そして、わたしの前へ試練がやって来るのです。
そう……お食事会場。
またもやフルコース料理と呼ばれる料理が大広間の食卓テーブルへと並んでいきます。
前菜なんかはもう、生ハムの上に何故か黄緑色のフルーツが乗っているんですよ?
「ネンネ、これって?」
「生ハムメロンですね」
ネンネが小声で解説してくれた。皆は説明するまでもない料理でも、わたしにとっては新発見の連続だから困る。流石にパール婦人の前で世界旅行へ旅する訳にもいかず、頑張ってローズお姉様を演じ切る事に集中するわたし。仔牛のローストを食べた時なんかはもう、脳内で仔牛さんがワルツを踊っていたのでギリギリ耐えた。
「あら、お料理堪能いただけているみたいでよかったわ。ローズさん」
「どのお料理も美味しいですわ」
本心からの笑顔にパール婦人も、婦人の隣に座っていたサウスオリーブ公爵もこちらを見て微笑んでくれていた。
「ローズちゃんは本当美味しそうに食べるねぇ~」
「褒めていただき恐縮ですわ」
サウスオリーブ公爵は視線を重ねるとウインクか星が飛んで来るので、なるべく料理に集中して返答するよう気をつけるわたし。こうして、サウスオリーブ公爵家でいただく初めての食事も終わりに差し掛かり、デザートが出て来たタイミングだった。パール婦人がとある話題を振って来たのは。
「そうそう。一週間後に開かれるお茶会では、あなたのお母様、キャサリーナ・ゴルドー夫人も招いていますのよ」
「え?」
カラン――
わたしは手に持っていたフォークを床に落とした。




