第16話 その伯爵令嬢、新たな推しの牛を見つける
ディアス大農園、北のディアス牧場。丘の上には新緑の草に白くふわふわした塊が点々としているのが見える。小高い丘に響いているのは放牧した羊さんの鳴き声だ。いっつも床で藁を布団にして眠っていたわたしは、侯爵家に来て初めて羊毛の温かさと素晴らしさを知った。冬に着る毛皮のコートなんかも鳥さんの羽根か羊さんの毛に包まれているんだと知った。
羊さんもすっごく気になるけれど、今日の目的は牛さんだ。
お父様、グランディア侯爵とアルマーニュ伯爵は経営の大事なお話があるみたいで、この場に居るのはソルファ様とわたしとネンネ、案内役のロジータお姉さんだ。牧舎へ近づいていくと、牛さんの合唱が聞こえて来た。んー、これは、たぶんお腹が空いている子と、お乳を搾って欲しい子が居るみたい。
「娘のリンダも牛や羊が好きでね。よく牧場の手伝いをしてくれてるんだよ」
「八歳でお手伝い、素晴らしいですわね」
牧舎のお掃除をしている女性がこちらに気づき、一礼してくれた。
「あ、ロジータ様! 丁度良かったです! 今朝から何人か風邪で寝込んでしまいまして。乳搾りはリンダお嬢様と担当の子がやってるんですが、チーズ作りの人手が足りてませんで……」
「それは困ったさね……」
「チーズ作りでしたら、お手伝いしましょうか?」
「それは助かるさね! ネンネさんよろしくお願いします」
ネンネがチーズ作り役で手を挙げてくれた。『お嬢様は乳搾りへ専念してください』とウインクした後、ネンネはチーズ作りの工房へ。ロジータお姉さんも、わたしを牧舎へ案内した後、チーズ作りの工房へ向かう事となった。
「ローズ嬢、疑うつもりは一切ないのだが、乳搾りの心得はあるのか?」
ソルファ様が尋ねるのも無理はない。ローズ嬢と言えば社交界と言われる程、牧場とは無縁なイメージが姉にはついている筈なのだ。でも、ソルファ様はわたし、アリーシェが子爵家を手伝っていた事は知っている訳で。此処は妹からやり方を教わっていた事にしようと思う。
「ふふふ。いつも妹のアリーシェからお話は聞いていましたので、抜かりはありませんわよ」
「そうか。ローズ嬢とアリーシェ嬢は仲が良かったんだな」
「……ま、まぁそんなところですわね」
仲が良かった……ならどれだけよかっただろう。わたしがいつも姉から打たれていたなんて、ソルファ様からすると想像もつかない事なんだろう。そんな会話をしつつ牧舎へ到着すると、牛さんが並ぶ牧舎の奥で乳搾りしている子へ、ロジータお姉さんが声を掛けた。
「お~い、リンダ~。こちらのローズちゃんが乳搾りを体験したいらしいんだ」
乳を搾っていた手を止め、黙ってこちらへやって来る女の子。蒲公英色の髪を三つ編みにしたお母さんに対し、リンダちゃんはよりオレンジが映える金盞花色をポニーテールに纏めている。小麦色に焼けた肌は太陽の光をいっぱい浴びて育った証かな? とっても可愛らしくぱたぱたと歩いて来た彼女はわたしの前で静かにぺこりとお辞儀した。
「こら、リンダ。ちゃんと声出して挨拶しな」
「よ、よろしく」
「ローズよ。よろしくね、リンダちゃん」
彼女の目線にしゃがんで笑顔で挨拶するわたし。え? そっぽ向いてしまった。何かわたし、悪い事した?
「あ、ローズちゃん心配しないで。リンダは恥ずかしがってるさね。リンダ、うちはチーズ作りへ移動するから、乳搾りを案内しといて。じゃあローズちゃん、ごゆっくり」
「ありがとうございます、ロジータお姉さん」
「さて、ローズ嬢。どうする?」
「そう……ですわね」
牛さんが並んでいる。凄い、立派に育っているのはきっと、大自然に囲まれて美味しい飼料をいっぱい食べているからだ。
「えっと。リンダ、この牧舎担当。こっち、この子まで終わった」
リンダちゃんが真ん中あたりの子を指差す。牧舎はまだまだ沢山あるけど、リンダちゃんが任されたのはこの牧舎みたい。そっか手前の子から順番に乳搾りしてたんだわ。でも、八歳でちゃんとやり方分かってるの偉いな。わたしは目線の高さまでしゃがんで、そっとリンダちゃんの頭を撫でてあげる。
「そっか。八歳で偉いのね」
「べつに……牛が好きなだけ」
「うんうん。分かる。わたしも好きよ」
「え?」
その言葉に顔をあげるリンダちゃん。ここに来て、初めてわたしと目が合った。わたしは牧舎に並ぶ牛さんを見比べつつ話し始める。
「まずはこの円らな瞳ですわね。もう可愛くて抱き締めたくなりますわね。この背中のライン。白と黒の模様がそれぞれ違うのは個性ですわよね。あ、この子。この子の模様の並びとこの引き締まった身体はすっごくいいですわね。それから……」
「えっと……」
「あ、ごめんなさい。つい興奮してしまいましたわ」
そうだった。乳搾りを前につい歩きながら熱く語ってしまった。振り返るとソルファ様が腕を組んだまま黙ってこっちを見ている。
「そうか。ローズ嬢もアリーシェ同様、牛が好きなんだな。食べ物への感謝。動物を愛するその心。俺も見習わなければなるまい」
「とんでもないですわ。さ、乳搾りをやりますわよ。そうですわね……」
気を取り直したところで、牛さんへ再び集中するわたし。まずはこの子からってリンダちゃんは案内してくれたけど……。
『モォオオオオ~~~~』
そうよね、あなたからよね。わたしは真っ直ぐに牧舎内を進み、円らな瞳を潤ませ、こっちへアピールしている子の前へ移動する。そして、背中、乳の近くを撫でたあと、慣れた手つきで乳搾りをする。
「ごめんね、早く絞って欲しかったのね。お待たせ」
『モォオオオオオオ~~~』
「ふふ。喜んでくれてありがとう」
この時、リンダちゃんとソルファ様も黙ってわたしが乳を搾る様子を見ていた。そして、最初の子の乳を搾り終え、振り返ると……。
「あ……あの!」
「え? リンダちゃん?」
何故かリンダちゃんが両手を握って来た。
「あの! 牛さん、何を言ってるのか、分かるんですか!?」
「あ、嗚呼。なんとなくだけどね。えっと、あっちの子はお腹すいてって言ってるし、あとあそこの奥の子もお乳がいっぱいだから早く絞って~~って言っているわね」
「す、すごいです! 一体どうやったら牛さんの言葉が分かるんですか!」
「リンダちゃんも手伝っていたら、分かる日が来るわ」
「あの……ローズお姉さま……と呼んでもいいですか?」
「ふふ。いいわよ」
「ローズお姉さま」
「リンダちゃん」
そんなわたしとリンダちゃんのやり取りを微笑ましく見ているソルファ様。その時だった。ひと一倍大きな鳴き声で、その子がわたしを呼んだのは。
『モ、モォオオオオオ~~』
その瞳を見た瞬間、わたしは確信した。子爵家のモモと同じ、特徴的な白と黒の斑模様。円らな瞳と顎のライン。そして、何よりいっぱいご飯を食べて運動したであろう、引き締まった肢体。他の牛と違う、少し高めの甲高い鳴き声。
「リンダちゃん……この子、名前は?」
「え? 名前!? えっと……確かエリザベス……だったかな?」
「そっか。エリザベス……よろしくね、エリザベス……ふふふ」
「えっと……ローズお姉さま?」
そう、わたしは見つけてしまったんだ。ディアス牧場でわたしを待っていた、新たな推し牛を。
このお話、サブタイトルがある日突然降って来て産まれたお話です。
コミカライズの際に #推し牛 のパワーワードを広めたい作者です。気に入っていただけましたら☆評価や感想などで是非、ご賛同していただけると嬉しいです。




