第1話 その伯爵令嬢、〝替え玉〟につき
「そんなのありえませんわ」
わたし、アリーシェ・ゴルドーの日常は、姉のこの言葉を聞く事から始まると言っても過言ではない。
今日はどうやら侍女の選んだドレスの色が気に入らなかったらしい。先に食卓へとついているわたしはひとつ、溜息を吐いた。朝の食卓には、わたしが最初に座って居なければならない。専属侍女の反対を押し切り、ドレスでもない麻のローブを身に着け、座る。そして、父と継母、姉がこの食卓会場へ入って来る事を待つのだ。
理由はただひとつ。誰かに打たれるきっかけを少しでも減らすため。今日は兄が王宮騎士団の遠征へ出向いているだけまだマシだ。わたしを虐げる対象が一人減っただけでも、午前中に鞭で撃たれる可能性が減るのだから。
「だから! 今日はこのワインレッドのドレスがいいと何度言ったら分かりますの!?」
先ほどから衣装部屋でドレスを仕立てられている人物こそ、此処ゴルドー伯爵家の長女ローズ・ゴルドー、父であるグランデ・ゴルドーの再婚相手、継母キャサリーナ・ゴルドーが兄と一緒に連れて来た血の繋がっていない姉だ。さて、ようやく準備が整ったらしい。旦那様と奥様の様子を窺っていた侍女達が食事を並べ始めた。
「おはようございます、お父様・お母様」
「ふむ、おはようアリーシェ。今日もいい天気だね」
「ごきげんようアリーシェ。ふふ、今日はそんな畏まらなくてもいいのよ。早く席へ座りなさい」
「あ、はい。お母様」
おかしい。普段なら声が小さいなどと理由をつけて一蹴されるところなんだけど、継母の機嫌がいい。このまま何事もない……訳がない。そうこうしている内に甲高い声の女性がわたしの銀髪とは対照的な自慢の金髪をかきあげつつ食卓へとやって来る。そして、ヒールを一歩一歩派手に鳴らしつつ、わたしの背後を通過したところで立ち止まり、水の入ったグラスをわたしの頭上で逆さまにする。
「あら、手が滑りましたわ。アリーシェ、ごめんあそばせ」
「いえ、ローズお姉様。ちょうど喉が渇いていたところですので」
「あらそう」
「ローズ、姉妹の戯れはそのくらいにして、朝ご飯を食べよう」
「仕方ありませんわね、お父様」
(よかったわね、アリーシェ)と、小声で耳打ちをし、姉はわたしの隣へと座る。父の合図で食事が始まると、早速継母が自ら上機嫌な理由を明かすかのように話題を振って来た。この前行われた社交界での話らしい。わたしはそもそも社交界当日、家の伯爵家がお世話している子爵家の家畜小屋のお掃除をしていたし、正直誰と誰が求婚とか、どこの侯爵がイケメンだとか、全く興味がない話だった。そもそも、実の母の記憶などほとんどなく、5歳の頃からこの奴隷のような生活を送っているため、愛された記憶がないのだ。
わたしは無言で姉と継母の会話を話半分で聞き流していた。だけど、突然、隣に座っていた姉が両手でテーブルを叩いて立ち上がったため、わたしの両肩がビクっと震えた。
「そんなのありえませんわ!」
まだ出たローズ姉、お家芸の『そんなのありえませんわ』。このペースだと一日50回近くはいくんじゃないだろうか? どうせなら一日88回の記録を更新してみたらどうだろう? などと脳内で考えていたわたしだけど、流石に大きな声での会話になって来たため、内容が耳に入って来た。どうやら姉宛に求婚の手紙が届いていたらしく、父がそれを伝えたタイミングだったらしい。
「あの有名なグランディア侯爵家の嫡男、ソルファ・グランディア侯爵からの求婚だぞ? グランディア家と言えば、ルモーリア王国西のディアス領を統治し、王国からの信頼も厚い有力貴族。しかも、嫡男であるソルファ卿は、我が息子バルサーミが所属する王宮騎士団の英雄とされる御方、これは我がゴルドー家にとってもローズにとっても良縁に違いない」
「何が良縁よ! しかも英雄英雄って騎士団長のミルア様ならまだしも、ソルファ卿って〝変わり者の英雄〟じゃない!」
「なんですって! ローズ! 〝変わり者の英雄〟って……あの隣国パターギアとの戦争で女子供関係なく殲滅させたって血も涙もない西の悪魔と呼ばれた英雄が、ソルファ卿だと言うの?」
「そうよ? お母様! お兄ちゃん呼んで今すぐミルア様連れて来てよ! ソルファ卿だなんて冗談、ぜーーったいに有り得ませんわ!?」
「でもなローズ、我が伯爵家にとってはこれ以上の良縁は……」
「でもも桃もありませんわ! お母様からもこのアゴ髭に言ってやって! お父様はきっと、わたくしが悪魔に襲われ〝傷モノ〟になっても平気と仰っているのね……」
「なっ! あなた! ローズをなんだと思っているの!? ワタクシも反対しますわ」
「なっ、キャサリーナ!」
はぁーーっと心の中で深い深い溜息をつくわたし。正直、この姉がどこに嫁ごうが、心底どうでもよかった。むしろこの家から早く姉に出ていってもらった方が、わたしを虐める対象が一人減るのだ。他人に興味がないわたしは、その侯爵の事は全く知らなかったけれど、英雄だろうが変わり者だろうが、この地獄から救い出してくれる人物が存在するのなら誰でもよかった。
また脳内で考え事をしていたのだろう。この三人の会話の内容が薄っすらしか記憶出来て居なかった。そのため、このあと突然話題を振られた(少なくともわたしにとっては)わたしは、この日驚いたのである。
「アリーシェ! よかったではないか! これでローズの代わりに嫁ぐ事が決まったな」
「え?」
「わたくしの代わりにローズとして嫁ぐんですのよ? わたくしの名前を穢すようなことがあったら許しません事よ? まぁあなたの場合、既に傷モノでしょうから、婚約者に何をされようが平気ですわよね? オーホッホッホ!」
今日一番の高笑いが食卓に響き渡る。どうしてこうなった? 何の仕打ちだろう? ローズという高価な宝石を傷つけたくなかったから淡緑色の偽宝石を送る事に決めたのだろうか?
きっと父も継母も、西のディアス領にある豊富な資源と貴族社会の権威が欲しいだけ。いつもそうだ。この人達は目の前にある富や名声、お金の鳴る木にしか興味がないのだ。それに、きっと父は、ルモーリア王国一、血の気が多いとされるグランディア家を敵に回す事を恐れたんだろう。
「そうと決まれば、この偽物を本物へ近い宝石へと創り上げなけらばなりませんね。感謝しなさい、今迄一週間に一度だったお風呂も、これから残り一週間、毎日入って構いません事よ? あなたは一週間後、ローズの替え玉としてグランディア侯爵家へ嫁ぐこと。いいわね?」
これでいい。むしろこれは絶好の機会だ。この地獄の日常から抜け出せるのならばなんでもいい。そのソルファって侯爵家の長男が変わり者だろうが悪魔だろうが関係ないわ。既に地獄で生活しているわたしだもの。悪魔にだって魂を売ってやる。
「はい、わかりました」
もともと選択権はそこになかった。
こうしてわたし、アリーシェ・ゴルドーの〝替え玉〟令嬢ライフが幕を開ける事なったのです。
このあと、わたしの予想だにしなかった未来が待ち受けているとも知らずに……。
◆
誰かに虐げられない日常が、こんなに静かな日常だと知る日が来るとは思わなかった。一週間、誰にも虐げられる事もなく、替え玉となる準備をして来たわたし。出発の日は穏やかだった。誰にも見送られる事もなく、別れを惜しむ者もなく、わたしは静かにゴルドー家のあるルモーリア王国中央、ルモーリア城下町となるモーリア領を出発した。
馬車に揺られること数日。ようやく西のディアス領が見えて来る。
「ローズお嬢様、見えて来ましたよ。あれがグランディア侯爵家です」
「ええ、わかっているわ」
ネンネから促され、街道の先を見ると、大きな屋敷が見えて来る様子が分かった。向かいに座る侍女・ネンネはわたしが幼い頃からずっとわたしの世話をしてくれている唯一の味方だ。今回のグランディア侯爵家へ嫁ぐ話が出た際も、変装がバレてしまっては大変だからと、ローズへの変装とお化粧を担当する監視役として手を挙げてくれた。ネンネからすると監視役という言い方も、旦那様への表向きの発言で、最初から理由をつけてわたしの傍を離れるつもりはなかったらしい。
持つべきものは信頼出来るメイドさん、である。
お屋敷の敷地内はとっても広く、噴水や池、奥にお花の庭園なんかも見えた。正面玄関前で馬車が停車すると、白髪のモノクルと礼服が似合う老執事さんが一礼して出迎えてくれた。
「ローズ・ゴルドー様。ようこそおいでくださいました。お坊ちゃまがお待ちです。さぁさ、こちらへ」
ローズ・ゴルドーとして完璧に振る舞う必要はない。金髪のかつらと紅宝石色のドレスを身に着け、ローズがいつも履いているピンヒールを履いている。瞳の色は虹色咲花の花弁から創った目薬で淡緑色から蒼色へと変えてある。それにしても、姉がその場に居ない時、真似るのは容姿だけで淑女らしく振る舞えを継母に言われた時は、滑稽に思えた。それは普段、ローズが淑女らしい振る舞いをしていないと言っているようなもの。継母もきっと、あの高笑いは侯爵家で通用しないのではと気づいていたのかもしれない。
広い玄関ホールへ入ると、中央の階段からグランディア侯爵家の嫡男、ソルファ卿の姿が見えた。艶やかな黒髪に蒼い切れ長の瞳。内生地が朱色で外側が漆黒のマント。確かに御伽話に出て来る魔族の皇子様のようだ。
血も涙もない西の悪魔と噂されるソルファ卿。今まで女性が近寄る事もなく、女性に興味もないのだろうと言われていた彼が、どうして姉に興味を示したのかはよく分からない。ただ冷徹な表情とは裏腹に、その歩き方や立ち振る舞いは貴族のそれだった。端正な顔立ちは整っており、わたしのような日々虐げられていた令嬢とも呼べない存在が本来近づいてはいけない人物。これはきっと、神様がくれた夢物語なんだろう。
このあと、きっと地獄へ突き落されるんだわ。
そう思っていると一瞬目があった瞬間、ソルファ卿の足取りが急に速くなって、わたしにぶつかるくらいの距離まで近づいて来て……。
「おい」
「え?」
普段履きなれないピンヒールに思わず態勢を崩してしまう。そのまま後ろに抱きかかえられる形で彼に体重を預けてしまうわたし。
え? 待って、何なのこの状況。顔が近い。そもそも男性に抱きかかえられた事も、見つめられた事すらないわたし。冷徹な女性に興味ない人じゃなかったの? 視線が逸らせない。思わず顔が熱くなってしまう。
そのまま無言のまま、抱きかかえられる事、数秒……。さっきの執事さんの咳払いで我に返ったのか、そのまま抱き起され、立たされたわたし。あれ、もしかして、ソルファ卿、怒ってます?
「スミス、どういう事だ!?」
「坊ちゃん、どうなされたのですか?」
ソルファ卿は何やらスミスさん? 執事さんと話した後、なんとわたしを指差し、わたしに向かってこう言い放ったのです。
「こやつはローズ・ゴルドーではないではないか!?」
………………
…………ん?
えええええええええええええ!? 嘘でしょう!? 一瞬で〝替え玉〟バレた!?
〝替え玉〟令嬢、終了のお知らせ。ご愛顧いただきありがとうございます。チーン。
「お言葉ですがソルファ様。そんな事はございません。こちらの御方はゴルドー伯爵家長女、ローズ・ゴルドー様でございます」
「ですです。ですわ。ローズ・ゴルドーにございますわ、ソルファ様。お会い出来て光栄ですわ。オホホホホホ」
わたしの前に立ち、恭しく一礼をした後、ネンネがフォローしてくれたものだから、わたしもそれに続いた……つもりだったんだけど……はい。乾いた笑い声がホールに響いています。生まれてこの方、高笑いなんてした事がないし、そういえばそもそも、高笑いは真似しなくていいんでした。
「お坊ちゃま、確かにこの御方、以前社交界で見たローズ・ゴルドー様の御姿に相違ございません」
スミスさーーーん! ナイスフォローですよ~~。まだ終わりではない可能性が見えて来ました。スミスさんの言葉にそれまで疑いの眼差しをずっとこちらへ向けていたソルファ卿がわたしの前で初めて目を見開いた。
「なんだと!? 馬鹿な! オレが見たローズ卿は、短くも美しい銀髪で、町娘が着ていたようなワンピースを着た女性だ! あの透き通るような淡翠色のような瞳は絶対に忘れん!」
腕を組んで何だか自信ありげに話すソルファ様。んんーー、銀髪に淡翠色どこかで聞いた事のあるような……。何やらわたしの耳元で、ネンネが小声でわたしにだけ聞こえる声量で囁いているよ?
『もしかすると……ソルファ様は、アリーシェ様をローズ様として認識していたのかもしれません』
「え?」
えええええええええ! 嘘でしょう? じゃあ、ソルファ様。本当の求婚相手は、ローズお姉様じゃなくて、わたし!?
脳内で今日一番の叫声をあげたわたしなのでした。
数ある異世界恋愛作品より見つけていただき、作品をお読みいただきありがとうございます。
この秋、秋田書店様よりコミカライズがヤンチャンWeb・電子版どこでもヤングチャンピオンにて連載開始作品のこちら原作小説となります。
盛大な勘違いから始まる〝替え玉〟ライフが虐げられていた伯爵令嬢アリーシェの運命を変える!?
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