第7話
遺跡の陰のなかで目を覚ましたとき、王は一瞬、自分がいる場所が分からなかった。
王の寝床はここ十年あまり変わらなかったので、いつもと違う目覚めというのは、それほど久しいものだった。
しばらくの間、王は半分夢の世界に身を置いてうとうとしていたが、太陽の色が変わる頃にはすっかり目が覚めてしまった。
隣で寝息をたてている青年の顔を見ないようにしつつ─知らぬ間に寝顔を見られることを、彼は望まないだろう─そっと羽織を掛け直してやった。
ふたたび遺跡の文を読み、頭を悩ませながら旅の荷物をまとめていると、ようやくタタユクが目を覚ます。
「よく眠れたようだな」
そう声をかけると、淡い色の目と視線が交わった。王のそれよりも柔らかい肌が太陽に照らされて、冴えた光を放っている。自分とはあまりにかけ離れたそれらが、王の二色の目には少し奇妙に映っていた。
そんなことを考えもしないタタユクは、一瞬の後、はっとしてその目を大きく開く。
「は……か、カシュハさま⁉ わたしということが、寝坊してしまうなんて!」
その慌てように王は笑った。
「あはは。そう慌てずともよい。昨日はよほど疲れていたから、これくらい眠ったほうがいいだろう。それに、今日は昨日来た道を戻るから、しっかり力を取り戻してもらわねばならぬのだ」
タタユクは王の笑みを見て安心した。さっと起き上がり、すぐに出発準備に取り掛かる。といっても、彼の荷物はほとんどないので、すぐに出発することとなった。
日が山脈を超える頃には、ひとつめの遺跡を出発した。遺跡の文章やこの国の地形について話しながら歩き続けて、日が暮れる頃には王都の近くまで戻ることができた。
「やはりここは星がよく見えますね」
タタユクは希少なものをじっくり見つめるように星空を眺める。王は星空を見ることができないので、彼の横顔を見ていた。
「そうだろう。何にも遮られることなく、一面に見ることができるからな」
日が落ちてからは、タタユクの星読みに従って歩いた。タタユクは初めての土地であっても己の星読みに自信があったし、王はその様子をみて彼を信用することにしたのだ。
暗闇の中に大きな天幕の影が見えてきたころ、タタユクが「あっ」と声を上げた。
王が何事かと空を見上げると、一羽の大きな鳥が飛んでいた。黒い身体が星を隠し、まるでそこだけ穴が空いたように見える。
「……もしかして、あの影が不死鳥さまですか?」
タタユクが間の抜けた顔で振り返る。彼にとってはまやかしを見たような感覚だったのだ。王はそれに頷きを返した。
「ああ。あれも王都に向かっているようだな」
二人はほとんど走り出して、王都に向かった。
ようやく辿り着いた天幕の前には、大きな影が一つあった。
『なんだ二人とも、そんなに息を切らせて。走ってきたのか』
─不死鳥だ。
「ええ。あなたが急かしたんでしょう」
『急かすなどと、人聞きの悪い。あのままだと迷うのではないかと思って、案内してやったのだ』
「ふん、どうだか」
王は不死鳥に悪態をつきながらも天幕を開けて、薄暗いその中に客人と大きな鳥を招き入れた。
『お前たち、旅に出たそうじゃないか。どこに行っていたか知らんが、こうしてすぐに帰って来るとはな。早くもこの王都が恋しくなったのか? ……なんだ、変な顔をして。それが理由で帰ってきたのではないのか』
薄暗い天幕の中、食事の用意をしている二人に、天幕の隙間から不死鳥が声をかける。王と客人は困った顔をしてお互いを見た。
「それは……」
王が口をまごつかせていると、客人がそっと声を差し込んだ。
「この服ではわたしくが夜を越せないと分かったので、荷物を見直すために戻ってきたのです。明日の朝一番に水を汲んだら、もう一度、旅に出るつもりです。そうですよね、カシュハさま?」
「あ……ああ。」
王は少しだけどきどきしていた。客人が昨夜のことを苦に思って、旅をやめると言い出すのではないかと、ほんの少し恐れていたのだ。
『ふむ……そうだったのか。ならば今夜はゆっくり休むといい』
王はタタユクがまだ旅に出るつもりだと知るとほっとして、豆と肉を煮込んだ料理を口に入れた。
タタユクにも目線で食べるよう勧めるが、彼は食器に手も触れない。王は首を傾げた。
「……あの、不死鳥さま。一つお願いがあるのですが」
タタユクはぎゅっと手を握りしめて、意を結したように顔を上げた。不死鳥も、王と同じように、首を傾げてみせる。
『願いか。よい、聞かせてみよ』
天幕の中央には小さな炎がひとつあった。鍋を温めながら、そこにいる二人を照らしている。不死鳥はその光を避けるため天幕の中には決して入らなかったが、その光がタタユクの肌と髪を赤く染めているのを眩しげに見つめていた。
「わたくしが山を越えてきたあの日、あなたさまは美しい布を貸してくださって、そのあと、休憩する場として大樹まで案内してくださいましたね」
『ああ、したな。そなたが途中で死んでしまっては、そこの王が悲しむ』
からかわれた王はムッとしたが、何も言わなかった。それよりも彼の客人が不死鳥に何を願うのか気になったのだ。
「あのときにお貸しくださった美しい布を、もう一度お借りできないでしょうか? わたくしの体は生まれついて弱く、じゅうぶんな布を持っていくと旅の重荷になります。……旅のあいだだけでよいのです。必ずお返しいたします」
不死鳥はじっと押し黙って、客人の顔を見つめた。その瞳は底なしのように深く、何の色も窺えない。
『できぬ』
ゆっくりと不死鳥が答えたとき、タタユクは確かにがっかりしたが、それを表には出さなかった。
「……あれほど美しいものですから、わたたくしのような者に貸すのは難しいでしょう。わかりました。不躾なことをお願いして、もうしわけありませんでした」
『謝らずともよい。あれをおぬしに貸せぬのは、あれが大事だからではない。我が……恐れているからだ』
不死鳥の声が沈んだ。
「……?」
タタユクはちらと王を見て、王も自分と同じ表情をしていることを確認すると、疑問を口にした。
「一体、何をですか?」
闇の中で、爛れたような顔の皮膚が、ぴくりと動く。
『そなたを。そして、そこの王も』
「…………」
沈黙が落ちるが、すぐに取り払われてしまう。王にも客人にも、それを追うことを許さないかのように。
『……いらぬことを言ったな。忘れてくれ。─そういえば、そなたらの旅の目的地はどこなのだ?』
不死鳥は声音を変えて、聞いた。これに王が答える。
「不毛の地にある、古い遺跡を巡るのが目的だ。書庫に地図があったから、それを順に巡っていく」
『……不毛の地か』
不死鳥はひととき瞼を閉じたあと、小さく翼をたなびかせて、嘴を開いた。
『明日からは、この我がおぬしらに水を与えてやろう。ついでに遺跡までの道も案内してやる。お前たちを無事に遺跡に送り届けると約束しよう』
二人はまた顔を見合わせて、またしてもちぐはぐな反応を見せた。
「それは助かるが……」
王は訝しげな表情を。そして─
「ありがとうございます!」
客人はまっすぐな感謝を。
不死鳥は闇の中からふたりの顔を眺めたあと、天幕の割れ目に歩み出し、嘴をカチカチと鳴らした。それは不死鳥だけの別れの挨拶だった。
『ではこの鳥は空に帰ることにしよう。カシュハ、タタユク。よい夢を』
不死鳥は体を持ち上げて、慣らすように翼を揺すった。天幕の中でわずかに風が立つ。一瞬のあいだにその大きな羽根をはばたかせ、美しい夜空へ帰っていった。
翌朝、大きくなった荷物を持って王都を出ると、どこからか不死鳥がやってきて、二人の頭上を高らかに飛び回った。どうやらあの鳥は、案内はすれど二人と共に行く気はないようだ。
「不死鳥さまは、不思議な方ですね」
「ああ。……あの鳥のことは、私にもよく分からぬ。言い伝えではあれがこの国の守護神らしいが、不死鳥自身もそう思っているかは怪しいところだ。あれは守護神でありながら、私たちに滅多に関わらない。民がどこかへ行こうとすると必ずその道を阻むが、それが手助けなのか単なる妨害なのかは、誰も分からない。実際に出た者がいないから」
「……でも今は、こうして手助けしてくださっていますよ」
「そうだな。だから妙なのだ」
「……」
タタユクは返す言葉がわからなかった。王の疑心はあまり理解できなかったが、それを無いものとして扱いたくもなかった。
「そういえば、そなたの国にも守護神は居るのか?」
王は、このことは自分一人で考えてみようと思って、話を変えた。客人にあまり重い荷物を持たせたくなかった。このような旅に付き合わせてはいるが、彼はいずれ帰る者なのだから。
「わたくしの国では、大きな亀がおります。森の中で最も深い沼に、ずっと昔からいるそうで─」
二人は互いの国について絶え間なく話しながら、ふたつめの遺跡に向かった。
頭上には黒い影が一つ。まぶしそうに目を細めて、彼らを見守っていた。




