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後日談-前世編02

タタユクは森林の奥深く、世界の穴のようにぽっかりと開けた草原に、ひとり佇んでいた。


彼は数年前に王の頭布を受け継いだが、歴代の王のように、王の館にいることはほとんどなかった。いつも国中を旅しているか、こうして時たま羽を休めるようにここへ訪れるかの繰り返しだ。




それは雨季の気配を感じる、蒸し暑い日のことだった。


草原の上に体を預けて、視界の端の草、中央にせまる樹々の葉、そして憎たらしいほど白い雲をなんとはなしに眺めていた。


ふと茶色い小鳥が木の枝に止まり、きょろきょろと辺りを見渡して、落ち着けそうだと思ったのか、脚を羽の中に収めた。眠るつもりなのだろう。


「ここはそれほど良いところですか」


声を掛けたのは、王の前で眠ろうとする小鳥に少し苛立ったからかもしれないし、同じ場所でまどろむ相手に親しみを覚えたからかもしれない。タタユクはもう、自分の気持ちがかけらも分からなくなっていて、声音にはひとつの色も入っていなかった。


『ええ。ここは豊かで美しい。これほどの場所を私は知りません』


小鳥が答えた。優雅な声だ。


「この国の者ではありませんね」


『氷の国からやってきました。本当は冬に旅をするのですが、待ちきれずにここまで来てしまったのです』


「氷の国……」


『興味がおありですか』


「いいえ」


王は、知らぬ場所の話が聞けるとなっても、その瞳に興味を浮かばせることはなかった。ただ頑なに白を眺めている。飽きることなく。


『ふふ。氷のようなお方だ』


この小鳥がおしゃべりなことに気付いて、王は話を終わらせたくなった。


「じゃまをしてすみませんでした。どうぞそこで眠るなり、羽を休めるなり、お好きになさってください」


『ええ、そうします。あなたも眠るならば、子守唄を歌って差し上げましょうか』


「いいえ、結構です。わたくしは眠るわけではありませんから」


『では何を?』


どうやらこの小鳥は話がしたいらしい。王は仕方なく目線をやって、低く呟いた。


「……祈っているのです」


小鳥がわずかに羽ばたいて、ひとつ下の枝に止まった。


『信心深いのですね』


王は笑う。そこには初めて感情が滲んだ。あざけりの濃く深い色が。


「信じるものなどありませんよ」


『あら。では何に祈ってらっしゃるの』


王は考える間もなく答えた。


「運命を変える力に」


しばしの沈黙が流れる。小鳥は意味のない鳴き声を数回発したあと、震える声で言った。


『おそろしい方』


王の顔に微笑みが浮かぶ。それは瞼を閉じて、もう白を睨んではいなかった。


「お好きに言いなさい。あなたは客人なのだから」


『……』


ばさばさと羽ばたく音がして、薄く目を開けると、そこにはもう小鳥は居なかった。


しかし、その下に子どもがいた。


王は思わず体を起こして、しばらくその子どもの目を見つめた。それは恐れることなく木陰にいて、逃げる気配もない。心を失った獣のようだ。


「あなたは?」


「キガレト」


その声はひどく幼かった。歳は五つほどに見えたが、その出立ちはとてもそうは見えない。


「……キガレト。ここで何をしているのですか」


王と子どもは、身じろぎもせず問答を繰り返した。


「旅してた」


「この国を?」


「ううん。世界を」


その答えに王はすこしだけ怖くなったが、その子どもを置いて帰ることはできない。仕方なく手を差し伸べて、言った。


「わたしと来ますか。王の館であれば、雨風の心配なく眠れますよ」


子どもはゆっくりと王に近付いてきた。不思議なほど体がちいさく、左の指が少ない。


「あなたは?」


おずおずと差し出された右手を握り返して、王は乱雑に置いていた頭布をちらと見る。子どもに勘付かれぬようちいさく息を吐いて、その大きな瞳を見つめ返した。


「わたしはタタユク。この国の王です」






「キガレト。こちらを見なさい」


「いや」


「キガレト」


「……」


しばらくの間、この子どもは王の館の中で破壊の限りを尽くした。暴れ回り、癇癪を起こし、木の隅々まで傷を付けた。


王は確かに頭を痛めていたが、こんな嵐は彼の人生において随分久しぶりのことだ。懐かしく、面白がる気持ちがないでもなかった。しかし放っておけばこの館は間もなくうち崩れるだろう。仕方なく矢のような子どもを捕まえて、その前に膝をつく。


「こんなことまでして、何が望みですか? あなたはこの国を滅ぼしたいのですか?」


「……」


人形のように黙りこくる子どもを前に、王は頭を掻いていたが、やがて小さな手に自身のそれを添えてやった。数の違う指が触れ合って、子どもはぴくりと肩を揺らす。


「何をしてもあなたを追い出したりしませんよ。わたしがどうしてやれば、あなたは安心できるのでしょう」


「……」


王は正直なところ、できることならこの子どもを善良な部下に預けたかった。しかしそうできない理由があった。


「キガレト」


手にほんの少し力を入れると、小さな指がもぞもぞと動く感触がする。


「わたくしはこの身が果てるときまで、あなたのそばに居ます」


それは紛れもない真実の言葉だった。この子どもに金糸の頭布が巡ってくるまで自分が生きていられるかは分からなかったが、王はたとえ頭布が無くともその名に縛られる。それは、これから先もずっと、この未来の王と共にあることを意味していた。


キガレトはむずがって手を振り払った。王が顔を伏せてそのようにしてやると、離れたはずの手が首に回ってくる。


「……約束して」


タタユクは小さな背中に手を添えて誓った。


「いいでしょう。約束いたします」








「──タタユク。ここ最近、星を読んでおらぬな」


キガレトが落ち着きを取り戻し、王の教育を受け始めたころ、王の館にひとりの客が現れた。タタユクの星読みの師、ツィトリカだ。この者は星望塔の主として、王の館からほど遠い場所で日々星の観測と研究をしている。


タタユクは玉座からこの師を見たが、真実、それは師の目をまなざしてはいなかった。


「王になってからはその機会もなくなりました。星を見ぬとて、何か問題がありますか?」


タタユクは久々の師の来訪にも表情を浮かばせなかった。師のほうは、懐かしくてかわいそうで、はげしく顔を歪めていたのに。


「星は我らの糸だと、はるか昔に教えたはずだ。あれらから目を逸らすな」


「目を逸らしてなどいませんよ。わたくしの前にはいつも星がある。この身にも。それなのにわざわざ、首を痛めてまで夜空を見上げる必要はありません」


師は泣きたくなった。この青年にはもう何ものも届かぬかもしれない、と思った。


この王は昔、体も生まれ樹もちいさく、必死に師の後ろをついて歩くような子どもだった。何かを得たくて、何かになりたくて、がむしゃらに学ぶような危うい子だったのだ。それが今や、何にも響かぬ岩のようになってしまった。


「タタユク。そなたがあの旅で傷付いたことは理解している。しかしそろそろ目を覚ましなさい。その身にある星ではなく、まぶたにひそむ誰かではなく、頭上の星と民を見るべきだ。かつてのそなたがそうだったように」


王はふ、と笑った。しかしそこに感情はなかった。


「わたくしがかつての歪みなき子どもに戻れるとでもお思いですか」


窓から外を見ると、樹々がざわめいていた。長く続いていた雨が止み、ようやく風が通るようになったのだ。


「この傷は永遠に癒えません。それでもわたくしは、この傷を負いながら、王としての役目を全うしてきました。星を見なくなったのは、それがわたしたちの希望などではなく、ただの光だと知ったから。あなたがたはわたくしが民を見なくなったと言いますが、わたくしが見ているのは王たちです。王もまた森林の民に他ならない。あなたがたはわたくしたちを物言わぬ人形のように扱いますがね」


王は立ち上がって、ゆっくりと師の眼前へと歩いて行った。師よりはるかに高い位置にある瞳が、白濁した師のそれを射抜く。


「……わたくしたちはもう、言葉も通じぬほど、遠くに来てしまったようです」


けれど師は、そのするどくつめたい眼差しの中に、たしかにかつてのやわらかな光を見てとった。


「思っていても、そのようなことは口に出すでない」


王に進言する民ではなく、この大きな愛し子の師として、そっと王の左手を取る。節ばっていてみずみずしく、旅のためか荒れが目立つそれは、たしかによく見知った者の手だった。物言わぬ王でも、心を壊した獣でもない。そのわずかな事実はこの手に流れる血を損なわず、名を奪うこともない。


「タタユク。そなたがどれほど失望したとしても、我は諦めぬ。そなたとふたたび心を通わせることを」


王は応えなかった。応え方が分からなかった。彼はもう何も求めたくなかった。


「タタユクよ。今夜は何か仕事があるのか?」


師は王を見上げて、少しだけ軽い口調に変えて、聞いた。王は戸惑いながら答える。


「……いいえ」


「では共に星を見よう」


もう星など見れないと、王は断ろうとした。けれどふと思い出す景色があった。大樹のふもとで最後に星読みをした日……王はこの夜空が世で最も美しいものであれと願った。それを思い出しては、どうしてもこれを断ることができなかった。


「……はい」






「久しいな。この塔に来るのは何年ぶりだ?」


「……十ほどでしょうか。このぼろさは相変わらずですね」


「減らず口を。昔はもっと綺麗だったわ」


「管理の手が回っていないのでは? 兄弟子たちは皆ここを出たのですか?」


「ああ。皆おぬしが旅に出たのを知って飛び出していきおった。一人は氷の国、二人は風の国へ行っている」


「……そうですか」


王が旅に出たことは、この国に大きな風をもたらしていたようだ。


「たまに鳥を寄越して便りを教える者もいる。あとで手紙を読もう」


「はい」


塔の内部はほとんどがらせん状の階段で構成されていた。師と王は息も切らさず高いそれをのぼり切り、ようやく屋上の観測場に出る。


「今日はよく晴れているな。こんな快晴は久方ぶりだ」


「ここ最近はずっと雨でしたから」


「自然というやつは気まぐれだな」


師は影から椅子を引きずってきた。王がそれを手伝って、元から出ていた椅子のとなりに並べる。


「星の話は聞いている。あやつらはかの国の水を枯らしたとか」


「ええ。一度話をしましたが、乱暴でとても手に負えませんでした」


「なんと。あんなに慎ましやかな光なのに」


「力の強さは光の大きさに則さないようです」


「恐ろしいなあ……」


師はゆっくりと椅子に座って、夜空を見上げた。王もそれにならい、椅子に座ったが、まだ目は開けられなかった。


「最近、次なる王……いや、もう王ではないのか。星のかけらを持つ子どもが現れたと聞いた」


隣合って座り、目線も交わさずに話をする。昔はずっとこのように語り合っていた。この二人にとって、目線や声はあまり必要でなかった。星と隣り合う熱さえあればそれで十分だった。


「ええ。森の中で見つけたんです。一人きりで旅をしていたようでした」


「そなたと同じだな」


「そうですね」


「……己の傷も癒えぬうちから、子どもたちの世話をするのは大変だろう」


王はかすかに目を開けて、ちらと師の横顔を覗き見た。深く皺の刻まれたそれは、夜空の星々を見上げている。


「それが役目ですから」


「……残酷なことだ」


師の声が深く沈んだ。この隣に座るかわいい弟子の苦しみを思うと、途端に国の混乱など瑣末なことに思えた。


「……生まれる時代が違えばどうだっただろう、と思うときがあります」


王は伏せた目で、揺れる樹々の影を見つめる。小さな葉は星明かりに照らされてほのかに光っていた。


「けれど何も分からぬまま献身を求められるのも、ただ先人の苦労を享受するのも、わたくしの性に合わなかったでしょう。今ここで、星が燃え盛る尾の先で、己の人生をくべて燃やすことができるのは、わたくしの魂のもっともよい使い方だと思います」


ゆっくりと顔をあげてゆき、その瞳に星空が映った。数年ぶりに見る星空は、ただ光の集まりに過ぎなかった。師はほんの少し身じろぎして、椅子の縁に重い頭を乗せる。


「……そなたは昔から何かになりたがって、つねに焦ってばかりいてあわれだった。そう思えば、今の姿のほうが、そなたにはあっているのかも知れぬ」


「わたくしもそう思います」


「けれど」


しゃがれた声に水気が浮かんだ。


「けれど何も知らず、何も背負わずに生きてほしいと思うのは、わしの浅ましい自己愛なのだろうか」


王はそっと目を閉じた。この美しさは星などには到底及ばぬと思ったから。


「タタユク。そなたの幸福を祈っている。わしの考える幸福は穏やかな生活だが、そなたにとっては違うだろう……。けれど、どうか、そなたの思う幸福をもう一度その手に抱いてほしい。それだけがわしの望みだ」


王は長い間、沈黙した。


幼い頃から夢見た光がただの砂粒だと知った。愛する人を手の届かぬところで失った。豊かな瞳は枯れ、たおやかな眼差しは地に伏せられた。そしてそんな彼を誰も救おうとはしなかった。気が触れたと噂し、傷の痛みでおかしくなったと笑い、存在の全てが過ちだと指を差した。なすすべなく王の後に続く民たちも、心から彼を信じているものは少ないだろう。


こんな世界で得る幸福など取るに足らない。火種に投げ込んで燃やし尽くすしか益のない、痩せこけた小枝に過ぎないだろう。


けれどそれを望まぬことは、強さを表すものではないのかもしれないと、王はわずかに疑念を抱いた。


「すべてを諦めるより、わずかな希望を持つほうが、よほど苦しい旅です」


「ああ。けれど、諦めてほしくはないのだ。わしが諦めぬうちは」


「なんと勝手な」


「仕方がなかろう。そなたが大切なのだから」


夜空が揺れてきらめいて見えた。水の膜が王の視界を邪魔する。


喉に息がつっかえて、言葉にするのが気持ちよりはるかに遅れてしまう。


「……苦しいのです。あなたの愛に応えることもできない、このなまくらの心が」


彼はもう何も受け取れない。奪われ続けたから。


けれど、今になって、何かを差し出すものが現れたとして……それを受け取るのには、多大なる勇気が必要だった。


「受け取らずともよいのだ。ただあると知っていれば」


王はこめかみに流れてゆく涙を拭いながら、ただ星を見た。読むためでもなく、愛でるためでもなく、ただそこにある星々を眺めた。


「そのときまで、置いておけばいい。そなたの左手に」


星はただの光だった。しかしそれは彼の人生に永遠に灯る光で、矮小で尊大で、泣きたくなるほど美しかった。






「ほんとにいくの」


キガレトの背はタタユクの腰ほどになったが、言葉だけは幼いままだった。これにはまだ時間がかかりそうだ。先の心配が頭をもたげるが、それはタタユクにとってはもはや意味のない不安だった。


「行きますよ。そのときが来てしまったので」


タタユクが淡々と応えると、キガレトと手を繋いでいたアマルが迷いながら口を挟む。


「タタユクさまは他の王と比べて、病を得てからずっと元気だったではないですか。まだ……まだここに居られるのでは」


誰よりも不安症なこの王は、すがれる先が無いと知るとさらに不安定になるだろう。けれど心配だからといって先延ばしにすることはできない。


「あなたたちにもじきに分かります。そのときが来たことを、わたしたちは正確に認識できる。なぜならこの星のかけらは、もうわたしのものではないから」


「…………」


「何が心配なのですか? そんな顔をされると旅に出たくとも出られませんよ」


繋いだちいさな手にそっと触れると、ふたりして指をつかんできた。


「あなたが居なくなったら、どうしたらいいんですか。私は最後の王にふさわしくない。仕事もまだひとりじゃできないし、こんな場所にひとりで居たくない」


アマルは目を伏せて、喉をひくつかせながら必死で言い募った。この王の弱気はどれほど共に居たとしても慰められないだろうと思っていたが、いざ最期の時までこのような姿を見てしまうと、心が揺らぐ。けれどこれはもう手放すと決めたものなのだ。タタユクは笑って、小さな肩に手を添えた。


「わたくしに着いていた宰相が、今度はあなたを助けるはずです。あの者たちは考えが古いから、前王が死なぬ限りは主を変えない。明日からあの者たちが加われば、心配はないでしょう」


「でもあなたがいない」


「そうです。けれどわたしの教えはあなたに遺っている」


「……」


アマルは据えるように地を見たまま、鼻をすすって、頷いた。


「キガレトは寂しくないでしょう? あなたにはアマルがいるし、それに、最近は星望塔に入り浸っているではありませんか。ツィトリカがなんでも教えてくれますよ」


「でもつとりかもすぐ死ぬよ。年寄りだから」


「あの方はあの見た目のまま何百年生きているので、きっと当分は死にません。あなたがティーフィーを受け継ぐまではあの方も死ねないでしょうし」


「じゃあたたゆくも生きて。わたしと同じくらい」


幼子の言葉に、王は久々に微笑んだ。


「いいえ。わたくしはもう十分生きました。これ以上はわたくしの望むところではありません」


もちろん、付け加えることを忘れない。


「ですがわたくしの心は、燃え尽きるそのときまであなたたちの元にあるでしょう。心配で、できることなら共にありたかったという無念が形をとって、あなたたちが死ぬまで無くならぬかもしれません」


「大事にもっておくよ。何の形をしてわたしたちの元に来る?」


「さあ、なんでしょう。星か、鳥か、どちらかでしょうか。わたくしはずっとあれらになりたかった」


「星と、鳥。よく見るようにする」


「ふふ。はい、よく見ていてください」


王は久々に、たぶんきっと二十年ぶりくらいに、心が穏やかに感じた。笑えるし、泣けるし、手放しでこの子供たちをまなざすことができた。


「あなたが笑うところを初めてみました」


「わたしの笑顔はやわらかくてかわいいと評判でしたよ」


「……ほんとに?」


「おや、信じられないのですか?」


「……」


「……」


「……少し傷付きましたが、まあいいでしょう」


王は旅の荷を肩にかけて、分厚い靴を履いた。砂漠の砂に埋もれず、灼熱のもとでも溶けない、強くて頑丈な靴だ。


影が高くなったことで、ふたりの子どもたちがその中にすっぽり入ってしまった。それらが泣きそうな顔でこちらを見てくるので、タタユクはほんの少し感傷的になったが、自身を奮い立たせて二色の瞳を見つめる。


「そんなに悲まれては、気持ちよく旅立てませんよ」


「……」


子どもたちは、喉にせまりくる熱でうまく声が出なかった。その様子を見て、タタユクはやわらかな土のうえに膝をつく。


「アマル、キガレト。これは終わらせるための儀式──今まで不当に受けた傷を癒やすための儀式です。確かにここだけを覗けば、自己破壊的なおぞましい行為に見えるでしょう。しかしこれによって、わたくしたちは癒しを得る。どれほど遅い歩みでも確かに進んでいると思える。歪みなき方へ歩いているように思えるのです。それが、それこそが、わたしがあなたたちに遺したかったもの。歩みを止めぬ健やかな世をあなたたちに与えたかった。それがわたしの、このぼろぼろの身で与えられる、最後の実でした」


子どもたちがその意味を知るのはもう少し後だろう。けれどどれほど時間が空いたとしても、そこに置いておくことが大切なのだ。これから先、その祈りは常に彼らの左手にある。


「さようなら、アマル、キガレト。あなたたちの幸福を祈っています」


そうして彼は旅立った。


始まりと終わりの大樹のもとで、因果を終焉へと近付けるために。

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