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後日談-前世編01

タタユクさまはおそろしい人だ。


森林の民としては異様なほど背が高く、しきたりから外れた長い髪を持ち、そしてそのつめたい顔に笑みが浮かんでいるさまを、誰も見たことがない。


「ヤマル。王の最も大きな仕事は何ですか」


「国の管理です、タタユクさま」


樹のにおいが立ち込める王の館で、タタユクとヤマルは古い書物を広げて勉強をしていた。現王による、次なる王のための教育だ。


「では管理とは何を指しますか」


「はい。樹々の植生を一定の数値に保つこと、異なる体を持つ民たちのうち、最も弱きものを基準としたしくみを約束すること、それから……」


タタユクは目を伏せて書物の文字をなぞっている。彼の声は低く、胸をざわめかせる深さがある。さながら嵐の前に吹く静かな風のようだった。


「では今日はこれくらいにしましょう。明日までにもう一度目を通しておくように」


「はい」


そうして王は部屋から出ようとした。しかし、ヤマルの後ろへ目を向けて、これ以上なくするどい声を突き刺す。


「何をしている」


ヤマルは振り向いた。そこには監視役がいて、王の睨みを受けてわずかに震えている。


「あなたも出なさい。わたしが居なければ、この小さな子どもを監視する道理もないはずだ」


監視役はぎこちない足取りで部屋を出た。それを見届けて、王もその後に続く。


「あとは自由に。何を読むでも見るでも好きにしなさい」


「はい」


王はヤマルと瞬きのあいだ目を合わせて部屋を出た。


ヤマルはほっと息をついて、窓から王と監視役の背中を追う。王の威圧的な背中の奥に、監視役の縮こまったそれが見えた。


王とヤマルに監視がつけられているのには訳がある。そしてそれはヤマルの戴布式の日まで続く──それを受け入れるか否か、選択肢はヤマルに無かった。


その悲劇の始まりは、タタユクの帰還の日まで遡る。




あの日、ヤマルは王──今の前王だ──に手を引かれて、王の館を駆け降りた。


そしてその先に居たのは、森林の国の民とは思えぬ大きな男の人だった。


ヤマルは彼を知らない。けれど王は彼に駆け寄って、その帰還を歓迎する。


王はヤマルの背を押して、この恐ろしいひとの前にこの子どもを立たせた。ヤマルは震えながら名乗った。


「ヤマル? あなたも……」


王に歓迎を受けても、懐かしいはずの風景を見ても動かなかった表情が、このとき初めて動いた。しかしそれはすぐに閉じられて、彼はヤマルの前に膝をつく。


「ヤマル。あなたはわたしが不在の間、次期王としてきびしい教育を受けたと聞きました。しかしわたしはこうして帰ってきてしまった。次に頭布を受け取るのはわたしで、あなたはその次となる。わたしの歩みによってあなたの暮らしを大きく変えてしまったことを、ここに謝罪させてほしい」


しばしの沈黙のあと、ヤマルは「はい」とだけ答えた。なんとなく、彼を怖いと思ったから。




そしてその予感は的中した。




「……いま、何と言った?」


「王政は終わらせるべきです。それはあまりに無益で、わたくしたちの犠牲のうえに成立させる価値もない」


このとき現王であったモルガレは痛むように額を押さえて、変わり果てた後輩の瞳から目を逸らした。


「タタユク、お前はかの国で何を学んできたというのだ。それが砂漠の国の教えか?」


「いいえ。森林と砂漠の国を見て、わたくしが出した答えです」


モルガレはすぐに王の館を閉ざして、三日三晩彼と話し合うと決めた。はじめはこの危険な考えを外に漏らさぬようにという思惑だったが、彼の主張にある種の軸を見出してからは、アマルも招き、王の間で絶えず話をした。そこには次期王が持ってきた本が広げられていた。


「王の病と星についてはここに書いてある通りです。わたくしたちがこの身の星を返さねば、この不幸は永遠に続く。未来にその種を残してゆくことなどできましょうか? わたくしはどれほど苦しくとも、ここで悲劇を終わらせたいのです」


「……これが事実なら、その考えには同意する。しかし王政の廃止と、星を返すのとは、別の問題だ。王政を続けながらでも星は返せるだろう」


この時になると、モルガレも星を返すことには同意していた。しかしこの国が生まれてからずっと続いてきた王政をやめるというのには、まだ抵抗が残っていた。


「あの神獣がそれを認めるとお思いですか?」


「……」


タタユクの言葉にモルガレは黙り込んでしまう。


このとき、王の館の前には、大きな亀が岩のように佇んでいた。神獣だ。濁った瞳を王の間の閉じられた窓にじっとむけている。時が経たぬかのようにずっと。


「──あの方は永遠を望んでいます。永遠にこの国が栄え、人が生き、王が生まれ、そして苦しみながら死ぬのを」


「タタユク。そんな言い方はよせ」


モルガレの顔に苦しみが刻まれた。長い歴史と新しい残酷な事実に挟まれて、彼女はその身が引き裂かれそうな感覚を覚えた。


「そもそもあれはただの亀で、神の獣などではありません」


「タタユク!」


顔を上げて叱責の声を飛ばすと、タタユクは動じることもなく、ひたとその瞳を見つめた。


「モルガレさま。道はふたつにひとつです。神獣と離反して不安の種を摘むか、神獣とともに、永遠の苦しみを見過ごすか」


モルガレは長く苦しみながら考えていた。日が傾き、夜の鳥が鳴きはじめたとき、ようやく口を開いた。──「わかった」と。


「……私もそう長くない。未来に遺せるものを考えれば……これ以外にない」


話し合いはそこで終わった。タタユクが王の館から出て、その口で宣言したのだ。


「わたしは次期王として、王政をたたむための準備を始める」


大きな亀は泡を吹いて倒れたが、それを信奉する者たちがあわてて支え、やむなく下敷きになった。


「そして神獣さま。あなたには神獣という役目を降りていただきたく存じます」


その日から、森林の国は、絶え間ない嵐に見舞われることとなった。




神獣はもちろん次期王の主張に反対した。しかし現王と次期王が二人揃って同意したとなれば、いくら神獣と言えども分が悪い。そこである条件が付け加えられることとなった。


──王政の廃止は、三代に及んで王が頷いた場合のみ、成立するものとする。


こうしてヤマルは、最もはげしく風が吹き荒れるその場所に躍り出ることとなったのだ。




騒乱の中でモルガレが病を得て、森林の国ではじめて星を返す儀式を行うこととなった日、森林の国は異様な空気に包まれていた。


これまで森の奥で人目に付かぬよう死んでいった王とは違って、此度の王は、儀式でもって──はっきりと見える形で──死を迎える。民たちの中にはそれを受け入れがたく感じるものもいたが、結局、モルガレの希望で儀式は行われた。経験者であるタタユクがついていたため、儀式はつつがなく終わり──間もなくタタユクが王となった。




王の館の部屋を移してすぐ、タタユクとアマルは神獣に呼ばれ、膝をつかされた。この神獣はこれまでの姿から大きく豹変し、こうして王たちを威圧することが増えた。


しかしタタユクだけはどこ吹く風で、平気な顔でそれを受けている。彼だけがこの世の全てを恐れていなかった。


「なんのご用ですか、神獣さま」


『ふん、生意気にティーフィーを掛けおって。おまえが王となることを、我はまだ認めていないぞ』


「あなたのお認めがなくとも王になれると示すことができました。わたくしにとっては喜ばしいことです」


『きさま……!』


「それで、ご用はなんですか」


『……王の教育についてだ』


神獣は低い声を出して威嚇した。それはタタユクに向けられたものだったが、隣にいたアマルにも、恐怖心を植え付けた。


「しきたりに従うのであれば、わたくしがこのアマルに教えを与えることになりますが──」


『それが問題なのだ。例の計画にアマルが頷けば、王政はなくなり、この国は我の加護を失う』


「“あなたが国を追い出される”のまちがいでは?」


亀のこめかみに血管が浮かび上がる。血の上った目で新たな王を睨みつけながら、神獣は告げる。


『……おまえとアマルを二人きりにしては、どんなことを吹き込むかわからん。だから監視をつけることにした』


タタユクはちらとアマルを振り返った。緊張と恐怖に固まった子どもの表情を見て、王は顔を顰める。


「アマルは他者と共にいるのが得意ではありません。大人に囲まれるなど、おそろしくて学ぶどころではないでしょう」


『ではおまえが教えなければよい』


「……あなたはこの国を守りたいのか、それとも、滅びるさまを見ていたいのか──」


ちいさく呟いて、タタユクはふたたびアマルを見た。


「すまない、アマル。受け入れてくれ」


アマルは力なく頷くしかなかった。王を取り巻くすべてが、王の手には到底及ばぬものなのだ。


『王の教育は決められた時間だけ行うこととする。タタユク、くれぐれもアマルをそそのかすなよ』


「いいでしょう。それではわたくしたちはこれで失礼いたします」


アマルの手を取ってタタユクが部屋を出る。落ち葉で作られたこの屋敷は、神獣が長い間をかけて作った宝石のようだ。しかしそれが反射するたび、アマルはいやになって俯いた。


「王だからと、このような扱いを受けていいわけがない。わたしたちは人間だ。森林の国の民だ。それを抜きにして何が王だというのか──わたしたちは物言わぬ人形などではない」


タタユクの怒りが風に乗って樹々を揺らした。アマルはその後ろを歩きながら、彼の長い髪が揺れるのを見つめていた。




こうして王の教育が始まった。しかしその時間はそれほど長くなく、月が巡るたびに一度か二度あるのみだった。タタユクがほとんど王の館におらず、旅をして国中の民を見て回っていたためだ。それに、アマルはタタユクが不在の間、王の教育を受けていた。急ぎで覚えねばならないことはほとんどない。


そんな生活が幾数年続いたあと、タタユクはアマルを訪ねて、そろそろ終わりにしませんか、と言った。


「……終わり、ですか」


「王政の終わりを言ったのではありません。この生活を終わらせるという意味です。あなたの次にこの頭布を受け継ぐ者も現れたので、そろそろわたしはこの座を退かねばなりません」


「儀式をするおつもりですか? タタユクさまは生きているのに」


「これを受け取るために前の王が死ななければならないという決まりはありませんよ。本来なら、いつでもよいのです」


「………」


アマルは黙り込んだ。そこには不安があまりにもたくさんあって、それがこの次なる王の口を塞いでしまったのだ。


「……まだ答えは出ていませんか?」


「いいえ、タタユクさま。そういった心配をしているのではないのです。私が恐れているのは別のことです」


アマルは息を詰まらせながら言葉を繋げてゆく。


「王は、王という者の人生は、一体どんなものなのですか。私はこれ以上悪いものを知らない。もしここから酷くなるのなら、こんな役割は、いらない」


タタユクはぎゅうと胸が痛んで、そして、肩の力が抜けたのを感じた。


この子どもがこうして泣ける場所が残されていてよかった。自分が全て焼き払ってしまっていなくて、よかった。


「……王の人生は苦しいものですが、わたしが居ます。わたしがいる間は、あなたの苦労をすべて、この手で受け止めましょう。たとえあなたが王政を望んだとしても」


アマルはまっすぐな髪の隙間から王を見た。その瞳はいつも煌々と輝いていておそろしい。けれどそれが、自分の後ろから世界を見渡していると思えば、これほど安心できるものはないと思った。




そうしてアマルは、美しく重い、金色の頭布を受け継いだ。


『アマル。答えを出しなさい。そなたは王政を望むか、打ち捨てるか』


国中の民がアマルの声に耳を澄ませていた。新たな王は緊張のあまりしばらく口を開くこともできなかったが、風に乗って小鳥の囀りが聞こえてきたことで、ようやく力が抜ける。


アマルは顔をあげて樹々のさざめく様子を見渡した。民たちの不安気な顔、朝露の浮かぶ葉、見守るようにして飛ぶ小鳥。


それがアマルを祝福しているか否かは、王の決断にひとすじの余剰ももたらさなかった。


「ここに宣言します。私の出した答えは────」

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