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第30話

書籍化の話は正式に進めることとなったが、問題が一つあった。ほむらが高校三年生ということを知った恒亮が計画に待ったをかけたのだ。


「……ほむらさんは受験生ですよね?」


「まだあんまり自覚ないですけど、そうみたいですね」


「ならばそちらを優先してください。ひと段落したら本格的な準備に入りましょう」


すでに恒亮と”再会”したほむらには刊行を急ぐ訳も無い。素直に頷いた。


目の前の白い首には、はっきりと汗が滲んでいる。大変な時期に声を掛けてしまったことを自省しているのが分かった。


……この様子だと、受験が終わるまで話を完全に凍結されてしまいそうだ。


「それじゃあ、こうして会う機会は来年まで無いってことですか?」


ほとんど無意識に口から言葉が漏れて、ほむらは焦った。


「いや、ちょっと待って、今のはちょっと変な響きだったかも。そういうつもりじゃなくて……いやそういうつもりもあるけど……」


もごもごと口の中で呟くほむらに恒亮は微笑む。その笑みは明らかに年下の子どもを見守るような形をしていた。


「まだ本編は完結していないですから、この先の執筆に困ることがあれば、いつでもご相談に乗りますよ。もちろん、学業を優先した上で、ですが」


まるで大人と子どものようだ──事実としてそれはその通りなのだが、ほむらはいまいちこの空気に馴染めないでいた。


「……あの、今日ここに来たのは、本についての話を聞きに来たのもありますけど……ほんとはあなたに会いたかったんです。ずっとメッセージでやりとりして、勝手に仲良くなったと思ってたから。そんな人に会える最後のチャンスかもと思って……」


目線はどんどん下がっていった。自信がなかったし、一から始めるといってもどんなふうに踏み込めばいいか分からなかった。けれどこの気持ちだけは本当だ──まっすぐに彼の瞳を見つめて、前世でも言ったことのない言葉を絞り出す。


「──おれ、恒亮さんと友達になりたいです」


彼の目が見開かれた。今世は髪が短いのでその表情がよく見える。呆気に取られたそれは、蝶が少しずつ羽を広げるように、照れくさそうな笑みへと変わっていった。


「そんなことを言ってもらえるなんて思ってもみませんでした」


まだ微笑ましそうな空気を感じて、ほむらは食い下がった。


「ほ、本気です」


それを分かっているのかいないのか、恒亮は目尻をさらに下げて笑う。


「うん。分かってますよ。わたしも、ほむらさんみたいな友達ができたら、すごく嬉しいです」


「……ほんとに? ガキだと思ってない?」


「あはは。わたしたちの歳が離れてるのと、友達になるのは、別のことですよ。あなたが十八歳でも問題ありません。わたしが二十六歳なのはちょっと問題ですが……」


「おれは、恒亮さんが大人な感じの落ち着いた人だからいいなって思ったんだよ。だからあなたが二十六歳でよかった」


前世と年齢が逆転しているのも面白いし、とは言わなかった。二十六歳の姿を前世では見られなかったから嬉しい……ということも、もちろん口には出さない。


「……わたしはそれほど立派な大人じゃないですよ。ほむらさんに何かを与えられる訳でもない。むしろ頭が固くて、きみより古い人間だから、うんざりするようなことをしてしまうかも」


ほむらがあまりにひたむきなので、恒亮もそれにあてられたように声音を少し固くした。


「何かが欲しいなんて思ってない。あなたと話せたらそれでいいから」


嘘だ。かつてこの手にあったあなたの星が欲しい。肌に散る星屑もその熱も、何もかもが──。


確かにそう思うのに、心の半分では、何もなくていいという気持ちもあった。


前世では砂漠の王だったのだ。いまさら水が少なかろうと問題などあるものか。たった一滴、その存在があればそれだけで生きてゆくには十分な糧になる。


「……そこまで言われてしまうと仕方ないですね。ただ頻繁に会うのは難しいですから、またメッセージでお話ししましょう」


半ば強引だったが、彼が頷いてくれたのでほむらは有頂天になった。


一方で恒亮はさらに深く眉を下げる。


「最近は色々重なってメッセージもコメントも送れず……そんなことはないと思いつつ、気に病まれていたらどうしようと思っていました」


一回りも年下の学生にこんな顔を見せる恒亮が愛おしかった。思わず悪戯心が湧き上がる。


「気には病んでました。かなり」


「あぁ、やはりそうですよね……タイミングも悪かったですし。大変な時期に被ってしまったのも申し訳なくて」


「……」


ここ最近、色々なことがあった。色々ありすぎてほむらは自我を半分くらいに縮めてなんとかやり過ごしていたのだが、ここでなぜか急に安堵がやってきた。


「……あの、本編は読んでて、だから書籍化の話を持ちかけてくれたんですよね」


「もちろんです。どれだけ忙しくても更新されたらすぐに読んでいました」


「じゃあ、カシュハとタタユクが恋人になったことを、あなたは変だと思ってない?」


それがあまりに素朴な響きだったので、恒亮は胸を突かれたような気持ちになった。考えるより前に強い声が口から出る。


「そんなことは一瞬たりとも思いませんでした」


それを聞いたほむらは、少しだけ泣きそうになりながら、よかった、と呟いた。


彼の中でそれがふつうであること、そしてそれを異物として扱うことを彼が許さないこと──そのどちらもに安堵した。


「……実を言うと、本にしたいと思ったのは、あなたのコメントを読んだからなんです」


彼の言う”コメント”が何を指しているか、ほむらにはすぐに分かった。細美や藤原に相談してなんとか書き上げた文章のことだ。


「あれで?」


「ええ。この人なら大丈夫だと思ったんです。感覚的なものなので説明が難しいですが……」


恒亮が笑いながら首を掻く。ほむらは嬉しさとともに気恥ずかしくなって、残り少ないアイスココアをぐっとあおった。


「あれを書くの、すごく大変でした。大人のひとに相談して何回も書き直したんです」


すこし早口でそう言うと、恒亮が安堵したように微笑んだ。


「ああ、そうだったのか……いま、すごく安心しました。あなたが一人であれを書いたのではないと知って」


グラスを置いて、上目遣いで恒亮の顔を見る。眉をあげて続きを待った。


「恐ろしかったでしょう。あれを書こうと決めるのも、実際に書くのも、あの場所に載せるのも。それをやれる人だから、共に歩きたいと思ったんです」


ああ、と心の中で声が漏れた。


この言葉を聞くためにほむらは恐怖を乗り越えたのだ──彼と共に並び立つために。


「……」


グラスに添えた手にぐっと力が入る。喜びとは少し違う感情だった。


「今後あのようなことがあれば、担当編集としてわたしが守りますから。もう一人で戦わなくていいんですよ」


彼が前世からの知り合いということはこの時ばかりは関係なかった。ただほむらの恐怖に寄り添い、盾になると誓う大人がいることが、彼の心に光をもたらした。それはほむらの肩をそっと撫でて、前を向くよう促す。


「よろしく、おねがいします」


「こちらこそよろしくお願いいたします。頑張りましょうね、ほむらさん」




そうして二人は共に歩き始めた。


砂漠ではなく、星も前ほどはよく見えない、現代の喧騒の中を。

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