第26話
───────
「不死鳥は星と共に昇る」をお読みいただきありがとうございます。
前回の更新以降、さまざまな反応をいただきました。中には誹謗中傷に近いものもあり、また私の意に反する内容のものも見受けられましたので、この場をお借りして今作品に対する私の姿勢を明示いたします。
カシュハは孤独な王で、タタユクも同じように孤独な客人です。孤独な彼らが恋をするには友人としての信頼が必要でした。
彼らが友人になるのは自然なことで、また、恋をするのも自然なことだと考えています。
そのため、彼らの恋心を否定したり、友情をないものとして打ち消すことは、それがたとえどんな形であれ、作者として歓迎できるものではありません。
今後コメントを残される際は、この点をご承知の上でご投稿ください。
今後も拙作「不死鳥は星と共に昇る」をよろしくお願いいたします。
ほむら
───────
液晶を前に、恒亮は数十分ほど考え込んでいた。コーヒーが入っていた紙コップはとうに空っぽで、彼の時間が止まっている間も周囲は忙しなく動いている。まるで一人だけ世界に取り残されたようだった。
時計の長針が天を差す直前、彼はようやく心を決めて、デスクの右端─編集長席に向かった。
「汐留編集長、少しだけよろしいですか」
声をかけられた女性は、黒縁の老眼鏡をずらして目線を上げる。
「小椋さんがこんなタイミングで声をかけるなんて珍しいね」
はっとした恒亮が時計を見る前に、チャイムが鳴った。昼休憩の時間だ。
「失礼しました。また午後に改めてお伺いします……」
「いいよいいよ、その感じだと早く話したいんでしょ。食べながらでもいいなら聞くわよ。今日はお弁当?」
「いえ、今日は持ってきてません」
「じゃあ外で食べましょう。おすすめの店があるのよ。小椋さん、肉と魚と野菜なら何が好き?」
「え、あ、野菜でしょうか。動物性のものはあまり食べなくて」
「そう。ならおいしいヴィーガンプレートのお店があるから、そこにしましょう。仕事も……まあ急ぎじゃないからいいとするか。さあ、行こう」
「は、はい」
狭い編集室を抜けて、住宅街の奥まった道にある洒落た店に入る。そこでプレートを受け取って、汐留は颯爽と公園に向かった。住宅街にあるので小さいが、人影がないので話しやすかった。
「それで、話ってのは?」
ひよこ豆と山菜のサラダを頬張りながら汐留が訊ねる。眼鏡を掛けていないときの彼女は見かけも言動も柔らかくなるので、小椋はほっと息をついた。
「あの、うちは絵本は結構出してますけど、児童文学は出したことないですよね」
「そうね。そもそもこの会社を作ったのは、私が姪っ子に絵本を作ってあげたかったからだし。まあその後ブレにブレて、一般教養やらフィクションやら色々作ってるけど……児童文学は一冊もないわ」
そう言った後、まさか、と眇めた目を向けられる。恒亮は頷いた。
「その一冊目にふさわしい話を、見つけたかもしれません」
「……ほう」
彼女の目が一瞬眼鏡越しのそれと重なった。
「分かってるのよね? うちは文庫本は作ってない。嵩張る上に価格も高いハードカバーは、児童文学として出すのにかなり体力が要る」
「……分かってます。それでも作りたい……作らなきゃいけないと思うくらい、特別なものになると確信してます」
汐留は眉を上げた。普段控えめな小椋がここまで言うのは、彼自身も驚くほど珍しいことだ。
「あなたがそんなことを言うなんてね。うちに来たときからずっと迷ってばかりいたのに……そんなに特別なものなの?」
慎重な彼がこの話を持ってきた時点で、ある程度心積もりを決めているはずだ。それほど本気になる理由が何なのか、汐留は知りたくなった。
「ええ……二人の男の子が旅をして、最後には恋をする話なんですが……小さいときにこれが読みたかった、と思ったんです。こんな本が一冊でもあればよかったのに、と。理由としては弱いかもしれません。しかし一冊目としてのインパクトは保証します。うちはクィア関連の本も少し出していますし、土壌や信頼がある。その期待に応えて余りある作品です」
こんなことを話すのは彼女が初めてだったので、緊張のあまりすこし早口になってしまった。顔を僅かに赤くする小椋の隣で、汐留のほうは静かに頷くだけだ。それを見た小椋は胸を撫で下ろしつつ、こういう人だと信じたから話したのだ、と思った。
「……なるほどね。それに関しては、資料を読むより実物を読んだほうが早そうだわ。あとでURLを送ってくれる? 明日までには目を通しておく」
紙製のパッケージを畳みながら汐留がそう言ったのを聞いて、小椋はぱっと表情を明るくした。
「はい! ありがとうございます」
「細かい計画はその後に決めるけど、一応企画書も用意しておいて。悲しいことにクィアな児童文学は国内にほとんどない。せっかくうちから出すなら広告も惜しまないわ。中途半端なものにしないでね」
「もちろんです!」
「……期待してるわ。じゃあ私はこれで。あなたはゆっくり食べてね」
「は、はい。ありがとうございました!」
汐留はさっと荷物をまとめて、公園を出て行った。彼女と話すといつも時間が二倍速になったように感じる。
「ふう……よかった。あとは別の会社が先に声を掛けてないかだな。とにかく急いで準備しよう」
編集長に触発された小椋は、その日のうちに企画書の叩き台を完成させた。
家に帰ってからも作業を進め、かの小説を何度も読み返したが、メッセージページを開くことはなかった。
「(ここ数日、衝撃が強過ぎてコメントができなかった……。もし企画が通れば仕事の関係になって、友人としては話せなくなるだろう。……けれど彼なら、きっと喜んでくれるはず。ほむらさん、すぐに声を掛けに行きますからね)」
液晶を撫でるが、そこに熱はない。一抹の寂しさと共に、必ず自分がこの作品に陽の光をあてるのだという使命感が芽生えた。
数日後、企画会議の通達を受け取ると同時に企画書を提出し、トントン拍子でそれは通った。小さい会社はこういうときに動きが早い。恒亮はかつて勤めた大手出版社との違いに関心しつつ、あたため続けていたメッセージをついに送った。
───────
コウ
コウとして何度かお話しさせていただいておりましたが、改めてのご連絡、失礼致します。光莉舎の小椋恒亮と申します。
この度はほむら様の著作【不死鳥は星と共に昇る】をぜひ当社で出版したく、ご連絡いたしました。
突然のお声がけとなってしまい、申し訳ありません。
お返事はほむら様のタイミングで結構でございます。
お引き受けいただけた際には、改めて打ち合わせの場を設けます。ほむら様のご都合の良い日時をお知らせください。
下記に当社のホームページ、私の連絡先を記載しておきますので、ご不安や不明点などございましたらそちらへご連絡ください。
何卒よろしくお願いいたします。
光莉舎 編集部
小椋 恒亮
───────
***
ガタガタッと椅子の脚が引きずられる音がして、周囲のクラスメイトが何人か振り向いた。その視線の先で、ほむらは驚愕の表情を浮かべている。
「な……何? 急に」
驚いた明李がすこし首を後ろに引きながら聞くと、ほむらは両手に抱えたスマホを無言で差し出して、明李に見せた。茶色い頭が覗き込む。
「……えっ⁉」
滅多に聞かない明李の大声に、さきほどよりもさらに視線が集まった。しかしそれも束の間、教室はすぐに騒がしさを取り戻す。その狂騒の中、ほむらと明李は必要もないのに声を潜めた。
ふたりのあいだに横たわる液晶には、ここ最近目にしなかった名前が映っていた。コウ─小椋恒亮、彼がほむらの小説を本にしたいと言っているのだ。
「どういうこと? これってあんたの友達じゃなかったの」
「……友達だと思ってたよ。最近は全然反応がないから、もう終わったんだと諦めてたのに……まさかこんなことになるなんて」
その顔からは色が抜け落ちていた。喜びも悲しみもない。ただわずかな失望があった─そんなほむらを見て、明李は少しだけ彼を哀れに思った。ようやくできたこの世界の友人が、その大きな手のひらからこぼれ落ちるさまは、見るに堪えない。
「……この話、受けるの?」
俯いて影の中に隠れた目は、スマホの画面に向けられている。
「……そもそも、この話を書き始めたのはタタユクを探すためだった。本になれば今より幅広い人に読んでもらえるんだから、断る理由がないよ」
力なく微笑む姿は痛々しい。新しいものが手に入らなくて、昔からある道具に固着するようないびつさがあった。
「もし条件がひどかったら、その場で断るよ。だから大丈夫」
明李はさまざまな言葉を飲み込んで頷く。無視しろとも、会うなとも言えなかった。ほむらはきっと、かつての友の姿を、その声を聞きたがっている。それがどんな人であっても。
「でももう早く終わらせたいな。それでさ、明李。もし予定がなかったら……」
「─もちろん一緒に行くよ。当たり前でしょ」
「へへ……ありがとう」
ここ最近のほむらの周囲はめまぐるしく変わり、その多くがほむらを深く傷付けていた。傷が閉じないうちから新たな傷ができるさまを、彼自身は怒りながらも仕方ないものとして受けている。それは王の人生とよく似ていて、かつて受けた抑圧の痕をなぞるようだった。
週末、ほむらは喫茶店にいた。
以前に細美と藤原が連れてきてくれた店だ。ほどよく人の目があり、店主も常連が連れてきた子どもをしっかりと認識している。ほむらが一番安心できる場所だと思ってここを指定した。
明李は早すぎ! と文句を言いながら、駅からここまで着いてきてくれた。離れた席に座っているが、振り向くと目が合う。彼女は緊張で固まるほむらとは正反対に、肘をついてメロンソーダを飲んでいた。それを見てほむらはほっと胸を撫で下ろす。大丈夫だ。何が起きても、変わらないものがおれにはすでにあるんだから。
その時が来るまで、ほむらは机上のものを無意味に動かしたり、コップの汗が落ちるのを眺めたりしていた。
時刻は十一時四十分。緊張しすぎて三十分も前に着いてしまったので、コウはまだ現れない。さきほど送ったメッセージの返信を見るに、かなり急いでここに向かっていることは確かだ。
その時が楽しみなのか怖いのかほむら自身もよく分からなかった。会いたいし、会いたくない。もう友達には戻れないのなら、最後に会って終わりにしたい。ぐるぐるそんなことを考えていたら、細長い店の先で「待ち合わせしているんです」と答える声がした。ぎこちなく首を伸ばして声の主を覗き見る。その瞬間、ほむらの息は止まった。
”彼”だ──彼は、タタユクだ。




