第25話
タタユクのあざは、カシュハほど早くは大きくならなかった。ゆっくりとその手を広げてはいるが、未だ胸のあたりにとどまっている。頭痛もなく、手足のしびれもない。彼の王の病は、今のところはその小さなあざに限られていた。
そして、一人で砂を歩く彼の頭上には、つねに不死鳥の影があった。
不死鳥もこの旅には反対のようで、タタユクに何度も戻るよう─王都にか、森林の国にかは、言わなかった─説得しようとしたが、タタユクは決して頷かず、いつもつめたく突き放した。
「あなたに水をいただけるのはありがたく思いますが、わたくしはわたくしの仕事を邪魔されたくありません」
この穏和な客人がこれほど強い言葉を選ぶのには、訳があった。
少し遡って、この客人が王都にいたころの話だ。
この小柄な─数週間ですっかり背が伸びて、いまではもう小柄とは言いがたい─青年は、その身ひとつで不死鳥のもとへ駆け寄り、太陽の光を遮る天幕の下にかの鳥を引き込んだ。
「あなたなら何か知っていらっしゃるのではないですか、不死鳥さま。あの方とこの国を救うために、どうかこのわたくしに教えていただけませんか」
けれど、不死鳥は困って嘴を鳴らすばかりで、一向に答えようとしなかった。
『我は何も知らぬ。この国にとって有益なことなど、何も』
「いいえ、有益かどうかはこの際問いません。あなたの知る、水脈と王の病に関することならば、なんでもよいのです。どうかこのわたくしに─」
引き下がろうとする客人を、この鳥はぴしゃりと突き放した。
『そなたに教えるつもりはない、タタユクよ』
あまりにも冷ややかな声だったので、客人は少し驚いたが、けして表情には出さなかった。
「なぜですか」
『……そなたはこの国の民ではない』
「わたくしが客人であることと、この国について話せないのは、何の関係があるのです?」
『民はあらそう。敵対する。それが性質の異なるものであれば尚更』
「わたくしは砂漠の国の民とあらそうつもりなどありません!」
『いいや。そうではない。……そなたは森林の民。太陽とともにこの地と我を見捨てた者の同胞』
客人は絶句した。そしてはじめて、この鳥に対して怒りを感じた。
「自分を見捨てた者の子孫だというだけで、わたくしが信用できないと? このたいへんな事態のさなかで、そんなことのために、わたくし達を蔑ろにするのですか?」
不死鳥は何も答えなかった。返す言葉すらなかったのである。
「わたくしが信用できぬというのなら、まだわかります。けれど今─あの方はまさに今この瞬間も、苦しんでいらっしゃるのですよ。そんな姿を見ても揺らがぬほど、あなたの心の傷は大きいのですか? 雛鳥を守らぬ親鳥など、その愛を語る資格も持たぬ、ただの鳥にすぎません」
客人のあまりの怒りに、不死鳥はその萎えた足で数歩あとずさった。
「彼はあなたを親のように慕っている。そのように想われながら、彼の行く末を悲しむことすらしないというのですか!」
客人の目には炎とともに、涙が浮かんでいた。悲しみのためではない。怒りのためだ。
そこでようやく、不死鳥が口を開いた。
『……悲しみならあるとも。彼のような人間は、死に損ないの鳥など愛すべきでなかった』
タタユクは、飛び上がって不死鳥の翼に掴み掛かりたいのを、ぐっと我慢した。体から力を抜くのと同時に、この鳥のことを頼ることはできそうもないと諦めた。
「もう、結構です。わたくしだけは、あの方を救うために最後まであらがいます。あなたは、あの愛し子を失うさまを、せいぜいそこで見ていればいい。そしていつか、我が身かわいさに何もしなかった自分を、恨むことになるでしょうね」
客人は、己の中にこれほど醜いものがあると、このとき初めて知った。けれどそれを捨てる気にはならなかった。彼はすでに、夜空にきらめく星になりたいとは、思わなくなっていたからだ。
いつつめの遺跡には、星についての伝承が書かれていた。
タタユクは砂漠の国の文字がほとんど読めないため、線ひとつ間違わぬようにしながら、一文字ずつ紙に書き写した。遺跡に刻まれた星々の絵までもを正確に写していると、突然、嵐のごとき強風が彼の身を叩きつける。
「なんのご用ですか」
光の中で見る不死鳥に、客人はもはや恐れを抱いていなかった。
『……話を、しにきた。その身に宿す星について』
不死鳥はぎこちなく翼を畳み、客人の隣に立った。
その瞳は石碑に描かれた、一人の民の絵に向けられている。
『……あるとき、民のひとりが星を飲んだ。しかし人の身では星の熱に勝てず、身体は形を変えた。その代償として、あやつは力を手に入れた』
不死鳥の声は、すっかり水の抜けた落ち葉のようだった。
「……力ですか」
石碑を見ながら、タタユクが口の中で言葉を転がす。
『ほんとうの力は分からぬ。あやつもそれを手に入れるつもりはなかったのかもしれぬ。だが、あやつはその力で水脈を打ちくだき、かつてここに咲き乱れていた花々を枯らしはじめた』
不死鳥は恐れるように翼を揺らしたあと、こう続けた。
『あやつがなぜ、そのようなことをしたのか、我は今でも分からぬ。あれもすぐに死んでしまって、何も聞けなかったのだ。ただ、あやつは死ぬ間際、自分の身にある星を欠片にしてこの国に散らせた。それは不思議と、近くで生まれた人の子の魂にぴったりと寄り添い、すぐに溶けてしまって、拾い集めることができなかった』
不死鳥の声に痛みが滲んだ。この鳥はかつて美しく輝いていた翼で、民たちを救おうとしたときがあったのだ。
「以前、王になるのは星のかけらを宿す者だとおっしゃいましたね」
タタユクがすっと不死鳥の瞳をまなざすと、かの鳥はおびえることなく、それに相対した。この者の怒りに向き合うことが、互いの救いになるはずだと、この鳥はようやく気付き始めていた。
『ああ。あやつの前には、王など居なかった』
「話を聞く限り、その者も王などではないように思われますが」
客人の言うことはもっともだ。不死鳥も翼をちいさく広げて同調する。
『国を滅ぼしかけたのだ。王などと言うのは、たしかにおかしな話だろうさ』
「ではなぜ、その者のかけらを継ぐ者が、王となるのですか?」
翼が閉じられた。とうの昔から翼の骨がゆがんでいるため、綺麗には収まらない。
『それは……』
不死鳥は言い淀んだ。けれどそれでは客人が満足しないと分かったので、重々しく口を開いた。
『そなたらの力は強すぎるのだ。地を変え、星と鳴き、この世界の在り方さえも崩してしまう。それゆえ、枷を付ける必要があった。世界を滅ぼさぬように』
ざあっと風が吹いた。砂が、首をしめられたように泣く。
「民たちを枷にしたのですね」
客人はそれほど驚かなかった。彼は、彼の怒りと悲しみを、なんとか受け入れようとしていた。
「王の病にかかるのは、この中にある星のかけらが原因なのですか?」
その顔は、痛みにゆがむことさえなかった。ほとんど先の希望がないと分かってきたせいだったが、それでも彼は諦めたくなかった。自分のためと、かの王のために。
『我はそう考えている。……だが、王により病に罹る歳はさまざまだ。王がその身を星にゆだねる瞬間、星が降ることがあるが、必ずそうなるわけでもない。〝星のかけらを持つものが王の病に罹る”……ということ以外は、何ひとつ分からぬ』
一瞬の風のあと、客人はぴくりともせず、不死鳥にこう聞いた。
「わたくしが王となる前に病にかかったのは、なぜですか」
その声はかすかに震えていた。
たった一人で山を越えて旅をしてきた彼は、強くてまばゆい、か弱き人の子だった。
『……分からぬ。だが、そのような者はいままで居なかった』
それを聞いて、ふ、とタタユクは笑みをこぼした……つもりだったが、それは真実、笑みというにはあまりに歪んでいた。
「またわたくしが一人目なのですね」
空を見上げると、あきれるほどに美しく、少しの汚れもない青空が見えた。




