第1話
この作品における注意点
・流血
・戦争
・移住を強いられる描写
以上の描写が含まれています
この作品が保障する点
・キャラクターがホモフォビアを内面化する描写はありません
・成人-未成年間の恋愛描写はありません
(※恋愛関係に発展する年齢は以下の通り。
過去軸……カシュハ:23歳、タタユク:18歳/現在軸……ほむら:18歳、恒亮:26歳)
よろしくお願いいたします。
その日、砂漠の国の民はみな噂話をしていた。
ひと目見たことさえない隣国から客人が来たとか、彼と共に名も知れぬ星がひとつ空に浮かび上がったとか─あるいは、その日の朝に湖たちがいっせいに移動したとか─そういう話をしていたのである。
砂漠の王はざわめく民たちを天幕の隙間から眺めたあと、見慣れぬ客人をちらと見やって、眉を片方あげた。その口許には笑みが浮かんでいた。
この客人は今日、太陽の光のなかから突然あらわれて、この国について学びに来た、と物怖じもせず王に告げた。
そんな者は今までひとりも居なかったので、王は乗り気になって話を進めた。肌の質感も違うような相手とこうして会話することは、この王には一等おもしろく感じられた。
王は─そしてこの国に住む誰もが─他国の人間と話したことなどなかったし、その肌や瞳や髪の違いを知ることもなかった。けれどそれを知ってしまった今、この異質な客人についてもっと知りたいと望まずにはいられなかったのだ。
それに、実のところ、王は暇だった。
色々わけがあって、この王にはあまり仕事がなかった。毎日ふたつの太陽が登って沈むあいだ、王は赤い砂を見つめながら、できることなら旅に出てみたいと願っていた。そして長い時間をかけて、旅に出る準備していたのだ。ふとそれを思い出した王は客人にこう告げた─旅に付き合ってくれるなら、この国について教えてやる、と。
客人は一瞬ぽかんと目を開いていたが、すぐににっこり笑って、こう言った。
「出発はいつにいたしますか? わたくしはもう準備ができておりますよ」
王はすっかり客人を気に入って、その日のうちに自分の仕事を宰相や大臣たちに割り振り、王の印である羽織以外は全て手放してしまった。宰相や大臣たちはついにこの日が来てしまったと眉を八の字にゆがめながら、一言二言文句を言うにとどめた。
この王はたいへんな変わり者で、砂漠の国の決まりをあれこれ変えたり、と思えばすぐに戻したりしていた。はじめは混乱を引き起こすのだが、なぜか良い変化をもたらすことも多かったので、臣下や民たちはこの王を一言で表すことができなかった。ふしぎな王とか、偉大な王とか、その時々で王の前につく言葉は違っていた。
「そなた、名前はなんというのだ?」
その王が、今はただの王として、客人と肩を並べて聞いた。客人は見知らぬ土地で夜を明かしたとは思えぬほどの光を瞳に宿しながら、こう答えた。
「タタユクと申します、カシュハさま。あなたの名が陽の苛烈さを表すように、わたくしの名は、星のきらめきを表します」
客人─タタユクは柔らかな目尻をいっそうたゆませて、そう答えた。彼は博識で、穏和で、人の心を掴むのが上手かった。故郷である森林の国でもそのようにして人脈を広げていたので、学生のうちに声がかかり、次の春には宰相の補佐として働くことが決まっていたのだ。
砂漠の国での遊学は、祖国で働き始める前のひとときのこと。この時はタタユク自身もそう思っていたはずだ。
「タタユク─その名を持つくらいだから、星読みはできるのだろうな」
王は出立の準備を整えながら声をかける。タタユクはそれを聞きながら、おぼつかない手つきで旅用の服に着替えていた。
「森林の国では、腕利きの星読みとして重宝されておりました。わたくしの目があれば、大樹に覆われないかぎりどこへでも帰ることができるでしょう。……でなければ、あの山を超えるなどということはいたしません」
砂漠の国は山脈に囲まれており、森林の国との間にも大きな山が横たわっていた。その高さは人々を圧倒し、到底超えられぬと希望を奪うほどで、臨む者は滅多にいない。それに、山の前には、広大な不毛の土地が広がっている。人も目印も何もかもが存在せず、たった独りで横断するにはあまりに広い、不吉な場所だ。砂漠の国の民にも何人かその地に臨んだ者がいたが、不毛の地の中心─そこには不気味な大樹がただひとり立っている─に辿り着く前に不死鳥が現れて、信仰深い砂漠の民は導かれるまま国へ戻ってきてしまう。
「ここまで来たということは、あの場所を超えたのだな。不死鳥には邪魔されなかったのか?」
「不死鳥……といいますと?」
「人よりはるかに大きい、黒い鳥だ。この国の民はあれを不死鳥と呼んでいる」
「大きくて黒い鳥……」
タタユクは小さくつぶやいたあと、一瞬遅れて「ああ!」と声を上げた。
「おりました、そのような鳥が。夜だったので、色ははっきりとしませんが……わたくしに水を授けたあと、美しい布を貸してくれました。それを被るとなぜかよく眠れて……ああ、それと、大きな樹に案内していただきました。あの鳥は、昨夜もわたくしに水と布を与えてくださったのです」
王は少し驚いて、思わず羽織の端を手から溢した。
「……不死鳥はこの国の守護神だが、たとえ砂漠の民であっても、人を助けたりなどしないはず……そのような鳥が、なぜそなたを?」
金色の刺繍がふんだんに刻まれたその羽織は、光に当たると太陽のように輝く。陰にあるうちは、砂漠の民がもつ肌のように、覚めたきらめきを放つのだ。今はその光がタタユクの肌に反射して、彼の肌に散るそばかすやほくろを星空のように映し出していた。タタユクが一人きりの夜を越したとき、彼の体にかかっていたのも、このような布だった。
タタユクは王の様子を見て動揺を見てとり、静かに続ける。
「ならば、あれは不死鳥ではなかったのかもしれません。夜でしたから、どんな色の鳥も黒く見えたはずです」
「ああ……そうだな」
王はしばらく思案しながら羽織の縁をなぞっていたが、振り切るように顔を上げて、タタユクが着ている上着の裾に手を伸ばす。初めて着るには少し複雑だったようで、少し形が崩れていた。
「しかし、そなたが星を読めるので安心した。砂漠では星こそよく見えるが、それ以外は何も見えぬ。湖もさまようこの地で星が読めぬと、命に関わるからな」
王は上着を綺麗にすると、今度は靴のひもを結び始める。タタユクは王が自分の前に膝をついたことに驚いたが、礼を言って受け入れた。
「カシュハさまも星が読めるので?」
王のつむじを見ながらタタユクが問う。王は肩をすくめて、笑みのこもった声音で答えた。
「いいや、昔から星読みだけはどうもな……星を見ると目が吸い寄せられて、広い眼で見ることができないのだ。故に星の名も分からぬ」
王でありながら、素直にそう言ってのけるカシュハを見て、タタユクは好感を抱いた。そっと微笑み、膝を折る。紐を持つ王の手に自身のそれを添えた。
「星読みはわたくしにお任せください。必ずや、あなたをこの王座に帰しましょう」
タタユクは笑うと目じりが下がって、雰囲気が柔らかくなる。それは対する人びとの心をゆるめるのに効果的だった。カシュハも明朗な笑みを浮かべて、しっとりとした白い手を握り返した。
「ああ、任せたぞ。タタユクよ」
こうして二人は、広大な砂漠の中心─王座のある場所を離れ、旅に出たのだった。