石合戦
「なあ、お前んち、東京に出てしまうんだべ?」
渡辺悠一が寂しそうに声をかける。
「そうさ。炭鉱が閉山だ」
加藤健三も寂しそうだ。
ここは今の福島県いわき市。当時はまだ平市と言われていた時代の頃だ。
「じゃ、今年でこの石合戦も終わりだっぺ?」
この辺の子供は小正月に石合戦が行われる。石合戦では鳥小屋と呼ばれる海の家で使われる小屋もこの時に活躍する。「石がぶつかってもケガしない」なんて言うがあれは嘘だ。本当は怪我をする。だから大人がわざわざ小石を拾ってくるのだ。それでも目に石が入ったらたまんない。どうもこの風習も炭鉱と共に消えそうだ。なおこの石に当たった者は今年の運勢が吉になる。何が吉なものか。
――東京もんの犠牲になった挙句に要らなくなったらポイ捨てかよ
いくら東北地方にしては珍しく雪がほとんど降らない地方とはいえ、この時期は寒い。いや寒いのは気温のせいだけではなかった。別名「公害炭」とも呼ばれた常磐の石炭は質も悪く結局お湯を出すために掘ってるのか石炭を出すために掘ってるのかもはや分からない状況であった。ストライキも頻発していた。そんな石炭から出る炎が二人を温める。パチパチと音がする。
「大丈夫だよ。今度出来る『いわき市』は新産業都市指定になるんだべ?大きな企業が進出してきてるから大丈夫さ」
そう、誰もが知る食品ラップ用のメーカーやいわき発祥の厨房機器メーカーなどがこの地で頑張ることとなる。それでも炭鉱で失った職の受け皿として機能するかどうか。
「黒ダイヤなんて笑っちゃう」
渡辺は嗤っていた。
「……でもこの黒ダイヤが発する熱でお偉いさんはハワイを作るなんて抜かしてる。かあちゃん、今ここにハワイを作ろうとしてる」
東京や茨城県に行かなかった炭住の母たちは夫の稼ぎが減少た分……必死に働いていた。新しいプロジェクトに参加しているのだ。中にはダンサーになろうとして父から鉄拳制裁を食らった炭住の母も居た。裸踊りで生活するなんてはしたないと。ここを復活するために必死な大人も居るのだ。
「何がハワイだ~!」
石を遠くに投げる渡辺。海に投げたつもりだが届かない。
「「お前らもう鳥小屋作ったっぺ?」」
みんな集まって来た。
「じゃあ、やろうか。みんなバラバラになるけどな」
こうして石合戦が始まった。
女の子は石合戦には参加せず鳥追いの歌を歌う。参拝にくる人々に神酒を配るのも女の子の仕事だ。各家に訪問し踊りながらお小遣いをもらう。このお小遣いは参加者全員に平等に分ける。生活苦の炭鉱労働者からお金を頂戴とというのは心苦しかった。
親が拾ってきた石以外のものを投げてはいけない。目に石を当ててはいけない。この二点を守るのは至難であった。どうもこの行事は消えそうだ。
石合戦が終わって子供たちが去っていく。お小遣いももらった。
「加藤!!」
渡辺は泣いていた。
「元気でな―!!」
その声に「お前もだぞー!」の声が帰って来た。
渡辺には鳥小屋を元の海の家に戻す作業が待っていた。
――痛い
渡辺は炉の灰を付けた。何が「傷が治る」だ。結局……赤チンを付けることになるのに。
この数年後……石合戦の伝統は途絶えてしまった。
子どもたちは大人になっていく。
この変わった伝承を封印して。
その後いわきの地は奇跡的に復興していく。
石合戦を封印して。いろんな意味でこの地は石と戦ってきた。ある時は文明開化のために。ある時は戦争遂行のために。敗戦後の復興のために。みんな石合戦に敗北していった。
いいや違う。石じゃない方法で戦うんだ、これからは。
元伝承
『正月13・14日の小正月に子どもたちだけで鳥小屋をつくる。その行事の最中、子どもたちが石合戦をするが、不思議なほどけが人が出ない。万一けがしても鳥小屋の炉の灰をつければなおる。また、その石にあたるのを「吉相だ」という。』
和田文夫「第二編 第四章 三 平市薄磯漁村民俗誌:(八)信仰と船の禁忌」『福島県史 第23巻 民俗1』23巻 1964年 pp550-586.
『正月14・15・16日ごろ、浜通りの磐城地方では鳥小屋という行事がある。小屋に祭壇を設け、子どもたちがはいって遊んだり、参拝にくる人々におみき・食べ物をやって、金銭をねだったりする。磐城市江名町では女の子どもが鳥追いの歌をうたい、御幣をもって踊りながら各戸を回って歩く風習もあり、田畑にいたずらをする悪鳥を追い払う豊年予祝の意味がある。』
山口弥一郎「第一編 第一章 四:(二)農耕予祝・感謝の行事」『福島県史 第23巻 民俗1』23巻 1964年 pp81-90.
いわき市が成立したのは1966年(昭和41年)ですのでまだ1964年(昭和39年)の時点では平市です。平駅は1994年(平成6年)にいわき駅となったので今や「平」は地名しか残っておりません。
平薄磯地区は2011年の東日本大震災で甚大な被害を被っており2023年の今でも完全に復興しておりません。ですので、いっそのことこの風習を復活させたらどうなのでしょうか。もちろん危険が無い「石」を使い、鳥小屋も風船などで一瞬で作れて畳めるようにする。
「小正月」は、年末、元旦、松の内と続いてきた正月を締めくくる一連の行事である。現在はほとんど行われていない。私は「小正月」行事の復活を希望する。本来はこの15日日没までが門松を飾る日であるがそのような風習すら廃れている。
以上の情報から創作童話を作成し古き昭和を表現するに至った。