珈琲の香りに包まれた永遠の別れ。
「よし、どうかしら…。」
ジョンの洋服は少し大きいけれどそこまで変でもない。髪を上手くまとめてハンチング帽に入れ込む。
うん、可愛らしい少年にしか見えない。
「喋り方も気を付けないと…。というかあまり喋らない方がいいわね。」
さて、この町にはコーヒーハウスは無くて…ここから近いコーヒーハウスは…。あ!この間炭鉱鉱山に行った時に見つけた気がするわ!
歩きのためあまり遠くに行けない私は隣町のコーヒーハウスに行くことにした。
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「やぁ、いらっしゃい。おや?初めて見る顔だね。」
恐る恐るコーヒーハウスに入ると蝶ネクタイをつけたマスターが笑顔で出迎えてくれた。
良かった…私が女性だと気づかなかったみたい。
私はハンチング帽を深く被るとカウンター席の端に座った。
「…このコーヒーを1つ。」
私は低い声で注文をすると遠慮がちに店内を見回す。良かった、アルバーンが居たらどうしようかと思ったわ。
席の近くにある新聞を取ると見る。うーん、どの新聞もジャック・ザ・リッパーばっかりね。アルバーンの言った通り犯人はまだ見つかってないんだわ。
「お待たせ致しました。」
目の前に置かれたコーヒーは香ばしい、とても良い香りがした。
「君、コーヒーは初めてかい?」
マスターの問に頷くと、なら砂糖とミルクを入れた方がいい。とミルクポットとシュガーポットを私の目の前に置いてくれた。
少し入れて飲んでみる。ん、美味しい!紅茶とはまた違った苦味のあるコクに私は感動した。
コーヒーハウス…男性しか入れないなんてずるいわ。
私は大事に大事に飲むことにした。
「いやぁ、ジャック・ザ・リッパーはまだ見つからないのかい?」
「ロンドンに住む知り合いが、怖くて夜町に出られないと嘆いてたよ。」
「どうだ?今月中に見つかるか賭けをしてみないか?」
真ん中のテーブル席に座っていた男達が事件を賭けている。うーん、見た目平民だわ…。彼らからは貴族の情報は得られなさそう。私は左端の2人席に座り静かに話している貴族に耳を傾けた。
「ヘルバーツ公爵様、またあの町に行ったそうだ。」
「あんな最北端の町に何の用だ?」
「分からない…が、あのヘルバーツ公爵様だ。きっと何か良い事業を見つけたんだろう。」
「確かにまだ未発掘の何かがあるのかもしれないな。」
さすがヘルバーツ公爵様だと男達は褒めたたえていた。クライン様よりかなり年上に見える紳士達も絶賛するなんて…クライン様って本当に優秀なんだわ。私はコーヒーを飲みながら感心していた。
「……何も収穫なかったわ。」
美味しいコーヒーに満足はしたけど、情報収集には満足しなかった。
世間はジャック・ザ・リッパーと事業と政治に感心があるようで、うちのような小さい子爵家は話題に上がらなかった。
「そうよね…うちの家門はクライン様と結婚してから注目浴びだしたからね…。」
明日また行ってみようかしら…。私はため息をつきながら帰路についた。
*******
翌日。諦めきれない私はまた勝手に遊びに来たコリーを予定があると言って追い返すと男装をしてコーヒーハウスへ向かった。
「いらっしゃい。あ、また来てくれたんだね。」
マスターはまた暖かく出迎えてくれた。私は軽く会釈すると昨日と同じ席に座った。
「昨日と同じコーヒーで良いのかい?」
私は頷く。きっと無口で暗い少年だと思われてるんだろうな。
「ついに俺の知り合い、自警団を作ったんだよ!」
昨日事件の賭けをしていた男性達がまたコーヒーを飲んでいた。
「警察より先に捕まえちまいな!」
凶悪犯を捕まえてくれるなら誰だろうと大歓迎よ!私は心の中で応援していた。
「マスター、今日もこの間と同じコーヒーを。」
「私も同じコーヒーをいただこう。」
昨日とは違う紳士2人組がカウンター席に座った。
あれ?あの人どこかで見たことあるような…。私は片方の髭を生やした紳士に見に覚えがあり、背を軽く向けるようにして警戒した。
「ところでカリス侯爵、ナニー嬢の縁談はどうなったかな?」
思い出した!髭を生やした紳士はカリス侯爵だ!
「ダメだ。ヘルバーツ公爵様に手紙を送ったがお断りの返事が来たよ。」
そうだ。確かナニー嬢はクライン様に一目惚れして婚約者の座を狙ってたっけ。
「せっかくシャルロン家が婚約者候補から外れたのに!」
「ああ…アンネ嬢が病に伏せたからな。」
「いくらヘルバーツ公爵様直々の縁談申し出とはいえ相手が病に伏せたら話は無くなるだろう。未来の公爵夫人が病弱だと大変だからな。」
「そうだな。立派な跡取りを産まなくてはいけないからな!」
「…しかしシャルロン家は災難続きだな。アンネ嬢は病に伏せて夫人はお亡くなりになるとは…。婚約者候補で争ったとはいえ流石に気の毒だ。」
カリス侯爵の言葉に私は飲んでいたコーヒーでむせる。
「おや、少年。大丈夫か?コーヒーは熱いから気をつけるんだ。」
「大丈夫です!それより…シャルロン家の夫人がお亡くなりになったって…!」
「ああ…、詳しくは分からないがずっと体調が悪かったようだ。娘の病が移ったのか…看病疲れかな?」
違う。違う。違う。
私は病に伏せてはいない。なら何故?何故お母様は…。お母様は病弱ではなく、それに過去、この時期に亡くなることは無かったわ!
「君、大丈夫かい?顔が真っ青だが。」
「大丈夫です…。」
「そうか。体調が悪いなら早く帰った方がいい。雨も降りそうだしな。」
傘を貸そうか?というマスターの気遣いを大丈夫です、と断り慌てて店を出て走り出した。
何故お母様が!?まるで頭を殴られたように目眩がする。
「あっ……!」
石に躓き派手に転んでしまった。
ポツ。ポツ。ポツ。
雨が降り出した。
「お母様…どうして…。」
早く立ち上がらないとジョンのズボンが汚れてしまう。でも私は降りしきる雨の中、座り込んでうわ言のように繰り返すことしか出来なかった。
「君…大丈夫か!?」
涙で霞んだ先には―美しい黄金の瞳が私をじっと見つめていた。
「ヘルバーツ公爵様………。」
絞り出した声は酷く掠れていた。少年どころか老人のようだ。
「立てるか?家はどこだ?馬車で送ってあげよう。」
「いえ…大丈夫です…。」
私は立ち上がるとフラフラと歩き出す。
「そんな状態でどこに行くんだ!」
ヘルバーツ公爵様が何か言っているがよく分からない。…ヘルバーツ公爵様……。ヘルバーツ公爵様なら、お母様に何があったかお分かりになるかも…。
「君!!」
ヘルバーツ公爵様に肩を強く捕まれ振り向かされる。
「……ヘルバーツ公爵様はお分かりになりますか?」
「な…何を。」
「シャルロン家の夫人がお亡くなりになったのです。病弱でも無かったのに…何故、突然…どうして…。」
「シャルロン家の夫人?」
ヘルバーツ公爵様の言葉にハッとなる。
「あ!なんでもありません!失礼致しました!」
私は慌てて走り出した。後ろでヘルバーツ公爵様が叫んでいたが無視をして走った。
よりにもよってヘルバーツ公爵様に聞くなんて!こんな少年がいきなりシャルロン家夫人の事を聞くなんて不審に思っただろう。
「……私の馬鹿。」
私は止まり呼吸を整えると雨の中とぼとぼと歩き出したのだった―。




