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5 川が満ちる 

 アイルたちは夜の間中、休むことなく川を下った。男が疲労で休んでいる間は、女がオールを持って船を進めた。そうして川を進むうちに、やがて夜は明けていった。

アイルは何度目かの漕手の交代のあと、疲労困憊で小舟の底にへたり込んだ。彼はそのままぼうっと川の豊饒な流れを眺めていた。

 オルド川の川幅は段々と広くなり、さらなる大河であるラインベルクへ合流した。そうすると、川の流れはより緩やかになった。大河の水深は深く、水は濃い緑色をしていた。

 ローラント南部を東から西へ走るラインベルクは、ウルゴーン山脈から注ぐ幾万もの支流に支えられ、巨大な水量を保っていた。川幅は、上流域のここでもすでに六百ヤードを越えていた。向こう岸も、南岸と同じく濃い森に覆われていた。

 アイルは皆に指示し、ラインベルクをしばらく進んだあと、船の進路を変え支流の一つに入った。そして藪のなかに船を隠し、一旦陸地に上がった。

 

【アイル】「食料をとりに行ってくる」


 アイルはそう言い、森の中に入った。半日ぶりの硬い地面の感触を確かめつつ、彼は山の斜面を駆けていった。彼は狩猟小屋に向かったのだ。狩猟小屋はスホルト村の狩り場の西端に位置し、猟師たちは今いる支流より西側に出ることはなかった。狩猟小屋には食料や酒の備蓄が残っているはずだった。

 アイルは、シダが生い茂る山の斜面をかき分けて進んだ。森には何万本という太いアカマツが自生しており、その幹は湿気に濡れてアイルの背の高さまで緑に苔むしていた。やがて木が開けた場所にたどり着き、そこにぽつんと立つ狩猟小屋が見えた。しかし、アイルは一目見て、小屋の異変に気づいた。

 小屋の錠が壊されて、地面に散らばっていたのだ。アイルはそのまま歩を緩めずに方向転換し、森を迂回して小屋の側面に回り込んだ。ついで足を忍ばせて小屋の壁に張り付き、中の様子に耳を立てた。

 小屋の中から、か細く女の声が聞こえてきた。


【低い女の声】「ここの食料は全て持っていきましょう」

【甲高い娘の声】「え、全部を持っていくの?少しは残しておかないと、あとから来た人が困るんじゃない?」

【低い女の声】「戦線はすでにここを通り過ぎています。残しておいても、腐ってゆくだけですよ」

【甲高い娘の声】「だけど、まだ逃げ遅れた人達がいて、必要とするかもしれないわ」

【低い女の声】「いたとしても、スホルトの人間しかこの小屋を知らないはずですよ。敵は東から攻めてきているのだから、スホルトは既に占領された可能性が高いでしょう」

【甲高い娘の声】「……ごめんなさい、スホルトってどこにあるんでしたっけ?」

【低い女の声】「父君の話を聞いてなかったのですか。ここからパルパットまでの中間にある小さな村ですよ。あなたは下界に降りたことがないから知らないでしょうけど、スホルトの村長はかつてかなり高名な魔術師だったのです。あなたの父君も弟弟子としていくつか魔術を授かったそうですよ」

【甲高い娘の声】「そんなに高名な人が守ってるんだから、村人はまだ生き残ってるかも」

【低い女の声】「それはありえません。希望的観測は捨てましょう。スホルトは全滅したと考えるべきです。さあ、この干し肉を全部詰めて」

【甲高い娘の声】「うん……あれ、これってポルチーニかしら?初めて実物をみたわ」

【低い女の声】「そうみたいですね。それも全部持っていきましょう」

【甲高い娘の声】「かなりの量があるけど……あれ、この魚は何?」

【低い女の声】「さあなんでしょうね。あなた分かる?」

【男の声】「これはタラですね」

【甲高い娘の声】「タラ?」

【男の声】「タラは海の魚ですよ」

【甲高い娘の声】「海の魚が、なんでここにあるの?」

【男の声】「干物ですし、普通に船で運ばれてくるのでは?ネーヴェにもたくさん海産物は売っていますよ」

【甲高い娘の声】「へえ……でも下流って滝があるんじゃなかったっけ?船で滝はどうやって登るの?」

【男の声】「滝の上と下に港があるのです。駅馬車のようにそこで乗り継ぐのですね。下流のリンデンシュタットという街がそうですよ。聞いたことありませんか」

【甲高い娘の声】「ごめんなさい、あたし、外の世界のこと、全然しらないわ」

 

 小屋の中で、三人が立ち上がる音がした。アイルは静かに短剣を抜き、扉の真横に背中を貼り付けて待った。

 アイルは若い方の娘を人質に取りたかった。おそらく彼女が三人のなかで最も地位が高く、最も知能が低い。

 扉が開け放たれ、先に女が出てきた。女の長いマリーゴールドの髪が木漏れ日の朝日を浴びて一瞬まぶしく輝いた。

 アイルはその白い細首に腕を伸ばすと、一気に扉から引き放し、喉元にナイフを突き立てた。

 

【娘】「きゃ」

 

 女は短く甲高い悲鳴を上げた。

 

【アリア】「そこから動くな」


 アイルは小屋から距離を取りながら言った。

 中の男はすでに腰の細剣を抜き放ち、小屋から出て大股でアイルとの距離を詰めてきた。

 

【アイル】「おまえ達は何者だ」


 アイルは後ろ足で下がりながら言った。アイルは男の顔を見て驚いた。側頭部から長く尖った耳が突き出ていたのだ。こいつらはエルフだ。見れば、アイルが今つかんでいる女の頭からも橙色の髪の毛から長い耳が突き出ていた。

 

【アイル】「小屋から出るな。もう一人の女もだ!返事をしろ!」


 アイルはそう叫んだ。 

 しかし、男はアイルを無視してさらに距離を詰めてきた。アイルが首を曲げ小屋の中の様子を覗くと、家の中はすでに空になっていた。いつ脱出したのだろうか。脱出したのだとしたら、森を回り込んで襲ってくるか?

 アイルは方向を曲げ、小屋からも周りの木々からもさらに距離を取った。

 

【アイル】「お前たちはどこから来た!」

 

 男はなおも無言で距離を詰めた。

 アイルは女の細首にナイフの先を突き立てた。一滴の赤い血が細かい金の産毛に覆われた女の細い首を滴り落ち、赤い玉を作った。

 男はようやく歩を止めた。

 

【男】「俺たちはリッテンベルクから来た!ここから北の砦だ!」

【アイル】「なんだと?……そんな砦があるなんて聞いたことはないな。お前の名前は」

【男】「アベルだ」

【アイル】「ここで何をしている?」

【アベル】「……我々はブリスコーへ向かう途中だ。君はこの狩猟小屋の持ち主か?だったら、勝手に使って悪かったな」

【アイル】「なぜブリスコーへ向かう」

【アベル】「砦が魔物に襲撃されたので逃げている。ブリスコーが避難場所だと言われてる」

【アイル】「君たちはスホルトを知っているようだな。村と何か関係があるのか」

【アベル】「僕たちはスホルトの人間と情報交換をしている」

【アイル】「なんの情報交換だ?」

【アベル】「魔物の活動場所とか、その年の赤竜の飛翔範囲とかだ」

【アイル】「そんな話は聞いたことがないな」

【アベル】「南部連隊の一部とあんたの村の上役しか知らないんじゃないか」

【アイル】「なぜ隠す」

【アベル】「僕たちは隠れて住んでる」

【アイル】「なぜ」

【アベル】「存在を知られていなければ、厄介者に襲撃されることなどない」

【アイル】「今の話の証拠は?」

【アベル】「あんたのダマスカスナイフが証拠だ」

【アイル】「ほう?」

【アベル】「エルフがダマスカスの作刀技術を南部連隊に渡したんだ。この地域全体の治安維持のためにね。持ち手の装飾を見ろ」

 

 アイルは男の細剣の柄をと自分のナイフの柄とを見比べた。たしかに2つの金細工は同じ美術様式のようだった。

 アイルは娘を離した。娘は振り向き、アイルに顔を向けた。そこに一風変わった表情があった。そこにあったのは怒りなどではなく、むしろ好奇心とでも呼ぶような表情だった。

 なぜか、彼女はアイルに小さく一歩近づいた。

 娘は美しかった。ターコイズブルーの大きな瞳がアイルを見つめていた。

 無防備な女だ。

 アベルが背後から少女の胸に手をかけ、引き寄せた。そして抜身の刀身をゆらゆらとまたたかせ、アイルを再び睨みつけた。

 アイルはため息を付き、両手を掲げて言った。

 

【アイル】「悪かった。今の話は全部信じよう。俺はスホルトの人間だが、俺たちも魔物に襲撃されて逃げてきた。今はブリスコーへ向かっている最中だ。俺たちは船を持ってるし、道もわかる。一緒に来るか?」

【娘】「行く!私の名前はアリア。もうひとりいた女の子はテオよ。よろしくね」

【アイル】「ああ。俺はアイルだ」

 

 アイルはそう言い、二人とすれ違って再び小屋に入った。すれ違いざま、アベルの持つ細剣の刀身が少し揺らいだが、アイルは無視した。彼が小屋の扉をくぐると、後ろで彼が剣を鞘に納める音がした。

 彼は小屋に入ると、床板の境目に指を引っ掛けて引っ剥がした。床の下にはまだ四つの荷袋があり、アイルはそれを全て取り出してエルフ達に持たせた。そして自分は棚から薬壺と竹の釣り竿、そして酒の瓶を取り出した。


【アベル】「酒なんか持っていくのか?」

【アイル】「まあ、使わなかったなら捨てるよ」


 三人は連れ立って森の斜面を降りていった。川岸の藪に入りしばらく進むと、葦の隙間から小舟が見えた。

 小舟の縁に長剣を抜いた女が立っていた。女は遠くからアイルを睨んでいた。

 女の長剣はアマンダの首元に寝かされていた。アマンダは泣きそうな目で、やってくるアイルを見つめていた。

 

 【アリア】「この人たちは、仲間だよ!」


 アリアが森に響く大声で叫んだ。

 その女は遠くからみてもわかるほど肩で大きなため息を付き、剣を鞘に収めた。


 ーー

 

 最後のエルフはテオと名乗った。彼女は細い金髪をサイドテールに結った、つり目の凛とした女性だった。

 アイル達は船に乗り込んだが、それは九人が乗るには手狭だった。テオとルイは船尾に座り、船べりに腰かけた。積載量としてはほとんどギリギリだろうか、船は水面にどっぷりと沈んでいた。

 アイルはバランスを崩さないよう葦際から慎重に船を押し出した。

 船は岸を離れ、引き波を川面に立てながら進みだした。

 

【テオ】「あなたの傷を見せて」

 

 テオはルイに言った。彼女はルイの右腕の包帯を外し、その傷口を検分した。

 野犬の牙に穿たれた2つの穴は黒く化膿し、少なからぬ異臭を放っていた。

 テオは荷袋からガラス管のような物を取り出した。その透明な管の底には緑色の液体が入っていた。

 彼女は栓を抜き、ルイの傷口に液体を注いだ。

 

【ルイ】「いっ!」ルイはそういってピクリと全身を震わせた。

【テオ】「しみるかしら?」テオが訊いた。

【ルイ】「ああ」

【テオ】「じゃあ我慢して。痛いっていうことは薬が効いてるってことよ」

【ルイ】「ああ……」ルイはしばらく苦悶の表情を浮かべた後、言った。「ありがとう」

【テオ】「別に。あまり動かさないで」テオは無感情にそう言った。

 

 やがて船が支流の流れの中に入ると、彼は船首を支流の上流へと向けた。

 

【テオ】「ちょっと、どこへ向かう気?」

【アイル】「もう川にはオーク達が侵入している。昼間のうちは動けないだろう。それに白昼堂々と船なんか浮かべてると、山の上から赤竜に見つかるからな。だから川を下るのは夜中にしたい」

【テオ】「そういうことなら、わかったわ」

【アベル】「そいえば昨日この支流の出口に帆船が浮かんでたんだけど、見たか?」

【アイル】「いや、俺達は見ていないな。どんな帆船だったんだ?」」

【アベル】「いわゆる竜帆船っていうやつだと思う」

【アイル】「竜帆船?」

【アベル】「船尾に竜の羽が提げてある船だ。竜の羽で船にかかる風向をコントロールするらしい。俺も昔本で読んだけだけど、知らないか?」

【アイル】「いや、おれもそんな船は知らないな」アイルは答えた。

【アベル】「となると、やっぱりあれは魔物の船かな。だとすると腑に落ちないな。どうやってあんな船を魔物は用意できたのか……」

【アイル】「俺はてっきり、オークはウルゴーンを越えてきたものだとばかり思っていたが、違うのか?」

【アベル】「僕もそう思っていたけど、それなら船なんか持ってるのはおかしいじゃないか」

【アイル】「……まあ俺はただの猟師だから、そういうことは全くわからないな」

 

 アベルは口元に手を当てて何か考え事をはじめた。しばらく船上に沈黙が流れた後、テオが口を開いた

 

【テオ】「あなたのこと、知ってるわ……辺境伯の娘さんじゃない?」

【アベル】「辺境伯の娘?つまり……」

【テオ】「貴族よ。あなたのことは遠くから見たことがあるわ……その赤い髪もよく覚えてる」

【アイル】「それを知っててよく剣を向けられたもんだな」

【テオ】「私の貴族じゃないもの。……でも確かに不敬だったわね。謝罪するわ。でも私には、赤の他人の王より守らなければならないものがあるのよ」

【アマンダ】「謝罪は受け入れます。こういう状況で不和を起こすつもりはありません。私たちの命は一蓮托生ですから」


 彼らは支流を少し遡り、川に張り出した木の中に小舟を隠して、陸地に上がった。少し岸の斜面を登ると、そこからはラインベルクの本流が直接視認できた。

 斜面は緑の草むらからあちこちで白い石灰岩が突き出しているカルスト地形だった。アイルたちはそのうちの一つの岩陰に隠れ、車座になって腰を下ろした。

 

【アリア】「ねえ……ここってもう安全なの?」

【テオ】「スノウマンのことなら安心よ。やつらは生身じゃ川を渡れないし、船を使う知能もないから」

【アイル】「雪男に追われているのか?」

【テオ】「ええ。でも多分もう撒いたわ……」

【アイル】「まあ、この暑さだし、ここまでは降りてこないんじゃないか。ところであらためて言うが、俺たちはスホルトから逃げてきた。今はブリスコーに向かって川を下っている途中だ。ここらの地理にはそれなりに詳しいつもりだ。そっちは?」

【テオ】「私達は山脈の奥にある砦から来たわ。二日前に魔物の軍隊に砦が襲撃されたの。私たちは本体と分かれて川を下ってる。目的地は同じくブリスコーよ」

【アイル】「山奥って、この川の上流か?リッテンベルクとか言ってたが」アイルが訊いた。

【アリア】「リッテンベルクってなに?」


 アリアが口をはさんだ。テオとアベルは、ふたり揃ってアリアを見つめ、そしてふたり揃って大きくため息を吐いた。

 

【テオ】「リッテンベルクっていう名前はね、煙幕よ。ほんとは砦に名前なんてついてないわ」

【アイル】「なるほどね。課税逃れか」

【テオ】「あ・の・ね、あたしたちはエルフよ。そんな低俗な理由で隠れて住んでるんじゃない」

【アイル】「へえ。じゃあなんでさ?」

【テオ】「私たちはここからもっと東の土地から、訳あって移住してきたのよ。あたしたちの血族は3千年の歴史がある。たとえロキの血を継ぐ王族が相手でも、へりくだるわけにはいかないわ」

【アイル】「でもこれからブリスコーに逃げるんだろ?」

【テオ】「それはそれよ」

【アイル】「随分都合のいいことで」

【ルイ】「なあ。君たちはそんな山奥に住んでいて、赤竜に襲われたりしないのか?」

【テオ】「王が千年前に描いた魔法陣が、私達を守ってくれているのよ。私は詳しいことは知らないけど」

【ルイ】「へえ。俺らんところにも魔除けの魔方陣はあるけど、龍が降りてくる度にバリスタ打ち込んだり銃を射ったりで村中てんやわんやだけどなあ」

【アイル】「そうだな。まあ、なにはともあれ、とりあえず飯にしよう」

【アイル】 アイルは荷袋を漁り干し肉を取り出すと皆に配った。肉はかなり湿気っていたが、贅沢は言えなかった。アイルは革袋をルイに放り投げて言った。「それに水汲んできて」

【テオ】「待って。火を起こすつもり?」

【アイル】「ああ。少しの間だけな」

【テオ】「ちょっと待って」


 テオはそう言い、ルイから皮袋を受け取った。そして袋の口を開けて地面に置き、その穂口の上で両手の指を組んだ。

 テオは口中で静かに呪文を唱えはじめた。みなテオの方を向き、注視していた。

 

【テオ】「öum el jackt el dhash…… 」


 アイルの耳には聞き取れない異国の言葉が響いた。

 やがて彼女の両手の中に小さな氷の塊が現れた。それは段々と大きくなり、一本の長いつららが形成された。彼女はつららをボキボキと折って皮袋の中に入れた。

 

【テオ】「魔力が雲散すればすぐ溶けるわ。生水と違って安全よ」

【ルイ】「へえ、すごいもんだな」

 

 しばらく待った後、彼らは皆で革袋をまわして水を飲んだ。アイルは徹夜の船漕ぎの疲れがたまり眠気を感じたので、草むらに横たわり眠った。


 ーー


 アイルは体を揺すられてぼんやりと眠りから覚めた。

 エルザの顔が彼の目の前にあった。彼女の橙色の髪が青空を背に透けて美しく光り輝いていた。彼女はなにか切迫した表情で叫んでいた。


【アリア】「……きて……起きて!」アイルは体を起こし目をこすった。まだ頭に霞がかかり、言葉が頭に入ってこなかった。「起きて!!!ナグルが……」

【アイル】「……ナグル?……なんだそれは?」

【アリア】 アリアは空を指さして言った。「ワイバーンがこっちに来てる!!!」


 アイルは飛び起きた。そしてアリアの指差す方向を見た。空気の澄んだ高度地帯特有の、コントラストの激しい空の青と雲の白の間に、小さな黒い凝固点が一つ油滴のように浮かんでいた。やがて遠くに見える胡椒粒のようなそれが、翼を広げ滑空姿勢をとるのが見えた。

 その龍の両の翼は等しく左右対称に開いていた。そして尾が体の影に隠れて見えない。それが意味するところは、アイル達に向かってまっすぐ滑空しているということだ。

 みな、既に荷物を抱え慌ただしく動いていた。アイルは皆に続いて坂を駆け下り、斜面の下にある林の中に逃げ込んだ。

 彼は振り返って梢の隙間からワイバーンを見た。青黒い空のグラデーションの中をまっすぐ突き進んで、翼を大きく広げたワイバーンが滑空してきた。

 

【アイル】「もっと奥へ入れ!そこじゃ焼き殺される!!」


 アイルは叫んだ。九人は薮をかき分け高い木立の中に入ると、身を低くして隠れた。 

 皆息を詰め、炎が襲いかかってくる瞬間に備えた。

 しかし、ワイバーンは風切り音を上げてアイル達の頭上を通り過ぎた。やがてワイバーンが遠くに翼を大きく羽ばたかせる音が響いた。

 

【アイル】「お前たちはここで待て」


 アイルはそう言うと、林を突っ切り、川面に面した木の隙間から外を覗いた。 

 竜は川の上流に向かって左に進路を変えた。その先には、大きな帆船が浮かんでいた。

 竜帆船だ。その船尾に取り付けられた竜の羽は風を受けるため左右に大きく開かれていた。

 竜は水面ギリギリまで下降し船に向かって一直線に滑空すると、炎のブレスを船体に向けて浴びせかけた。

 船は一瞬のうちに燃え上がった。船上で黒い影が右往左往し、川面にいくつもの人影が飛び込むのが見えた。

 龍は一旦船を通り過ぎ、空高く舞い上がると、反転し、今度は上空から炎の息を撒き散らした。

 その船の、あらゆるすべてが燃え上がっていた。次の瞬間、船は黄色い閃光を上げ爆発した。一瞬の閃光ののち、水面を駆ける衝撃波がアイルの耳を打った。

 爆発で船の甲板が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 背後で木の枝がガサガサと揺れる音がした。アイルが顔を軽く横に向けると、アベルが藪をかき分けアイルの隣までやってきていた。

 

【アイル】「あいつら馬鹿だな。こんな真っ昼間に、堂々と竜の翼なんて見せびらかしながら川を渡ってたら、襲撃されるにきまってる」

【アベル】「……あの船ってどこから来たものだと思う?」

【アイル】「俺にわかるわけない。多分上流のどこかじゃないか?」

【アベル】「となると、人間とオークが手を組んでるとか?」

【アイル】「さあな。ただ例えば東夷なら、ロードランと戦争を起こすためにオークと組むことはありうるんじゃないか」

 

 二人はしばらくそのまま燃え上がる船を眺めていた。やがて黒焦げになったマストは自重を支えきれなくなり、船体の上に崩れ落ちた。船はその衝撃で大きく船体を横に倒れ、船内に水の侵入を許した船は、ゆっくりと川の中に沈んでいった。

 彼らはそのあともしばらく川を眺めていた。しばらくすると、船の構成部品だった焦げた木材が川に浮かんで流れたきた。

 アイル達はしばらく船の残骸が流れていくのを見ていた。そして、彼らは上流から流れてくるなにかに目を留めた。

 アイルの狩人感覚は、それがただの物体ではないと訴えていた。

 アイルは立ち上がり、川に身を乗り出して、それが何なのか確かめようとした。

 それは、人だった。長く黒い髪を水面に浮かべた人間の後頭部が、水面に浮かんで流れてきたのだった。頭部は水面につかり、その両手は後ろ手に縄で縛りつけられていた。

 アイルはためらわず川に飛び込むと、彼女の下流で待ち構えた。そしてその体を掴んだ。

 アイルは間近に彼女の首筋を見て、驚いた。それは褐色の肌を持っていたのだ。

 アイルは彼女を抱えて岸まで泳いだ。いつの間にか岸辺に集まっていた仲間たちに、彼女を陸に引き上げさせた。

 アベルは急いで彼女を仰向けにすると、その胸に体重をかけ全力で何度も何度も押し込んだ。

 やがて彼女は水を吐き息を吹き返した。女は地面に向かってひとしきりせき込んだ後、うっすらと開いた目でアイルたちを見た。

 その切れ長の目の中にはオパールグリーンの瞳があった。

 アイルは改めて彼女の姿を観察した。

 尖った耳と、褐色の肌。そして腕には白い入れ墨で何かの文様が彫ってあった。

 女はダークエルフだ。彼女は再び目を閉じ、そして気を失った。

 何か言いたそうな仲間たちを押えて、彼はまず言った。


【アイル】「一旦みんな林の奥に入れ!まだワイバーンは近くを飛んでる……」

 

 仲間が林の下がった後も、アイルはその場に残り、上流から人間が流れてこないか待った。しかし、時間がたつと、流れてくる船体の破片も量が少なくなっていき、やがて川は何もなかったかのように静まり返っていった。

 アイルは皆の元に帰った。彼らは竜が確かに去るまで、しばらく林の中に隠れていた。

 そのうちに天気が変わり、小雨が降り出した。竜は雨を避け、山の方へと飛び去って行った。アイル達は、ゆっくりと森から這いでてきた。


 ーー


 アイルたちは崖沿いの斜面を登り、雨よけがあり、かつ川から死角になる場所を探した。彼らはしばらく崖に沿って歩くと、やがて小さな洞窟を見つけた。洞窟は深さ40フィートほどの小さなくぼみで、中は乾燥して清潔だった。

 アイルは荷袋から布を取り出し、固く冷たい石の上にそれを広げ、その上にダークエルフをそっと寝かせた。

 彼女は深くゆっくりとした呼吸をしていた。細く繊細な銀髪は片口までかかり、白く長いまつげが褐色の堀の深い顔を彩っていた。彼女の両の手首は、縄を解こうと動かしたからだろうか、激しい擦過傷でただれていた。ネネは荷袋から布を取り出し、彼女の全身をぬぐい始めた。

 アイルは急激に疲労を感じ眠くなった。昼間の眠りは中断されたし、おまけに川をひと泳ぎしたのだ。彼は荷袋から自身の布を取り出すと、すぐにその上に横になった。

 ルイが荷袋から干し肉を取り出し皆に配っていた。アイルは寝ながらそれを受け取り食べた。鹿肉は塩気の利いた野趣じみた味がした。

 アイルは口を動かしながら言った。

 

【アイル】「夜の暗いうちに川を下りたい。みんな、今日は昼のうちに寝て体力温存してくれ」

 

 アイルは肉を飲み込むと、体を横にずらし場所を開けた。彼の真横に、当然のことのようにルイが横に滑り込んできた。そして二人は肌をぴっちりとくっつけて布の下に並んだ。

 

【アベル】 アベルは怪訝な顔をして言った。「ええ……君たち何やってるの……」

【アイル】「体を冷やさないように一緒に寝るんだよ。体が冷えるのが一番体力奪われるからな。お前も隣に入れ」


 アイルはそう言い、布をはだけて体を見せた。

 

【アベル】「いや、男同士で寝るのはちょっといやだな。遠慮しとくわ」

【テオ】「アベル、言われた通りになさい」テオが命じた。

 

 ネネはダークエルフの隣に横に寝た。ララはその反対側からダークエルフ挟み込んだ。

 アマンダはペトラと同じ毛布にくるまった。そして、アリアはテオとおなじ毛布に寝た。女はこういうことに抵抗は少ないのだろう。

 アイルはあらためてアリア達を見た。

 このエルフ三人は一体どういう関係なのだろうとアイルは思った。いつの間にかテオは敬語を使わなくなっていた。おそらく、最初はアリアの身分を隠したかったのだろう。想像だが、アリアはエルフの中の貴族で、この二人はお付きの護衛か何かだろう。

 アベルは嫌々アイルの隣に入り込んだ。アイルはアベルの体の上に毛布をかけた。

 

【アベル】「……この布、なんだか温かいな」

【アイル】「石綿っていうんだよ。繊維みたいにほぐれる石があって、それをフェルトにしてあるんだ」

【アベル】「へぇ」

【アイル】「この布って火をかぶっても燃えないんだぜ。だから火浣布とも呼ばれてるんだ。エルフなのに知らないのか?」

【アベル】「知らないな。俺たちは千年間山奥に引きこもって、ほとんど誰とも交流はなかったから……」

【テオ】「アベル。あんまり私たちのこと喋らないでね」

【アイル】「俺は別に詮索してるわけじゃないよ。ただの世間話じゃない」

【テオ】「……」 

【アイル】「なあ、お前たちってこの川の上流から来たんだろ。あのワイバーンをどうやって避けてるんだ?確か魔方陣があるとか言ってたな」

 

 アベルはテオの方を振り向き、喋っていいかという顔をした。テオはため息をつき、自分で口を開いた。


【テオ】「なんでそんなことを知りたいのよ?」 

【アイル】「後学のため知りたい」

【テオ】「……そう。ワイバーンに襲われない理由は、ダヴィデの防御円よ」

【アイル】「それって、ダヴィデの防御陣とおなじものだよな?六芒星を円で囲ってある……」

【テオ】「ええ、それなら多分おなじものよ」

【アイル】「俺たちの村にも防御陣はあるけど、しょっちゅうドラゴンに襲撃されるけどなあ」

【テオ】「それはたぶん、標高が関係している思う」

【アイル】「標高?」

【テオ】「防御円は、物理攻撃に対しては脆弱だけど、本来ならその鉛直上には魔力を一切通さない絶対的な魔力防御があるのよ」

【アイル】「一切?」

【テオ】「そう、一切。だけど実際には、防御円の上には空気が広がっている。そして矢の速度が空気の力で減衰するように、防御円の力も空気に触れて減衰していくのよ。標高が高い場所では、空気が薄いから、この減衰が緩やかになる」

【アイル】「なるほど」

【テオ】「そして一定高度を越えると、今度は竜の飛翔限界を超える。これによって、高度地帯では防御円は竜に対して無敵に近い防御力があるのよ」

【アイル】「へえ」

【テオ】「本来、ダヴィデの防御円は天候不順ですぐに結界が破れるっていう弱点があるけど、ウルゴーンに住んでいるのは火竜でしょう?雨や雪が降ると、あいつらは巣穴に引きこもっちゃうから……」

【アイル】「なるほどな、それで火竜に対しては無敵なのか。とすると、俺たちは逆に、山脈の奥に住んじゃった方が安全なのか?」

【テオ】「けど人間にとって、雪山で暮らすなんて酷じゃない?エルフでも凍死するぐらい寒いけど」

【アイル】「あ~確かに。寒すぎるのはつらいかもね」

【テオ】「食べるものもないし」

【アイル】「なるほどね。エルフは苔も食うって聞くね」

【テオ】「イシクラゲとかね。人間はこれ食べてるって言うとドン引きするらしいけど」

【アイル】「確かにドン引きだわ」

【テオ】「……けどあなた、こんなこと聞いて、どうする気?」

【アイル】「ああ、村を取り戻したときのために、参考にしたいとおもってね」

【テオ】「そう……」

【アイル】「俺も戦うつもりだ」

【テオ】「戦うって、騎士団にでも入るつもり?」

【アイル】「騎士団か、徴募兵か。義勇兵か、冒険者か。あるいは傭兵か。なんでもさ。とにかく闘い方を覚えて、オークをぶっ殺す」

【テオ】「そう、立派ね……」テオは短くそういうと、再び布を頭からかぶった。

【アイル】「みんな聞いてくれ。これからのことを話す」アイルは言った。「このあと、船でブリスコーへ向かうが、その前に、アロンゾという村に寄りたい。さっき言った、石綿の鉱山がある場所だ。もうそこの住人は避難はしているとは思うけど、念のためオークについて警告して、もし人が残っているなら避難も手伝うつもりだ」

【テオ】「人助けなんかしてる余裕、あるかしら」テオが毛布の下から反論した。

【アイル】「友達がいるんだよ。どうしても寄りたい」

【テオ】「さっきも話したけど、昨日の夜にこの支流の出口に帆船が停泊してたわ。だからラインベルクはもうとっくにオークの支配下にあるはずよ」

【アイル】「そうかもね。だが下流が全部そうなってるかは分からない。もしルアンが敵に支配されてどうしようもない場合は、そのときはルアンは諦めてブリスコーに進む。それでいいか?」

【テオ】「分かったわ」

【アイル】「アリア、あんたはそれでいいか?」アイルが訊いた。

【アリア】「え?うん、いいわよ」アリアは答えた。

【アベル】「なんでアリアに聞いて俺に聞かないんだ?」アベルが抗議した。

【アイル】「ああごめん。だってお前三人の中じゃ一番下っ端だろ」アイルが言った。

【アベル】「なんでそう思うんだ?」

【アイル】「別に、態度見てればなんとなくわかるよ。多分アリアはお前たちの貴族かなんかなんだろ」

 

 アベルは毛布の中でびくりと体をこわばらせた。テオは毛布をはねのけ、アイルを睨みつけた。

 

【テオ】「何を根拠にそう思うの?」

【アイル】「やっぱりそうなんだな」

【テオ】「鎌かけなの?ふざけないで。小屋の会話を盗み聞きしたのね」

【ネネ】「あたしも、二人の会話を聞いてて、なんとなくアリアちゃんは偉い人なのかな、とは思ったけど……」ネネが隣から口を挟んだ。

【テオ】 テオは横目でネネを睨んだ。「あたし、何か口を滑らしたかしら?」

【ネネ】「まあ、会話の端にちょっとだけ。ほかには、アリアちゃんの仕草とか、話してる感じとかでなんとなくそう思ったの。あとは顔かな?すごい美人だから……」

【テオ】「顔?」テオは眉間にしわを寄せた。

【ネネ】「そう、顔。なんとなく高貴なお顔をしてるな、と……」

 

 アイルは、アリアの地位を示唆する会話があったか、記憶を探したが見つからなかった。恐らくアイルが眠っている短い間の会話で何かあったのだろう。

 テオは、「はあっ」と大きなため息を吐くと、今度こそ頭から毛布をかぶり、起きてこなかった

 

【アリア】「あたしってそんなに美人なの?」

【ネネ】「ええ、とってもかわいいわよ」

【アリア】「やっぱりぃ?私もしょっちゅう鏡みながらあたしって美人じゃないかって思ってたのよ~」

 

 二人は笑いあった。アイルは二人に向かって口を開いた。

 

【アイル】「悪い。散々俺が話振っといてあれだけど、もう寝たいから……」

 

 女二人は、くすくす笑いながら静かになった。

 アイルは強い睡魔に襲われた。彼は毛布に顎まで潜り、強く目をつぶって眠りに落ちて言った。

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