3 帰還、そして脱出
四人は森の中を歩いた。皆、それぞれ暗い顔をし、誰ひとり言葉を交わさなかった。
彼らは森を歩き続けた。
そして、アイルたちは、出掛けに猪を狩った場所まで帰ってきた。川の中に沈められた猪は、手つかずのまま川に沈んでいた。
ゲイルは猪を引き上げ、肉に触った。特に腐り始めてはいなかったので、ゲイルはそれを村に持ち帰った。
こうして、彼らは橋から三時間ほど歩き、ようやくスホルト村へ帰ってきた。
ーー
村の広場には村の男たちとともに、二十人ほどの兵が火を囲み休息を取っていた。彼らの鎧はへこみ、血がこびりつき、皆ぐったりとうなだれ疲労困憊していた。
彼らのうち、ひげを蓄えた老齢の兵士が、アマンダに気づき声をかけた。
【老齢の兵】「アマンダ様、よくぞご無事で」
兵は、膝を折って敬礼した。
アマンダはこくりと頷いた。彼女はアイル達から離れると、ジークラットと小声でなにか話し合っていた。
アイルたちは村の男衆の出迎えを受けた。ゲイルが猪の肉を渡すと、早速調理のため小屋に運び込まれた。
【ゲイル】「女たちはどうした?」
ゲイルが訊いた。
【村の男】「女たちなら、ブリスコーから兵士と冒険者がやってきて、船でもう避難させたよ」
【ゲイル】「そうか……」
ゲイルは言った。こうして歓迎を受けるアイルたちのもとへ、一人の少女が歩いてきた。
彼女はヤゴーの娘でネネといった。彼女は母親似で女らしく美しい人間だった。腰まで伸びた美しい茶色い髪を、三編みに編んでいた。
【ネネ】「お父さんは?」彼女は聞いた。
アイルは答えにつまり、目をそらした。
【ゲイル】「ヤゴーは死んだ」ゲイルは短く言った。
【ネネ】「え?」
ネネはそう言い、呆然として立ち尽くした。そして、時間をかけてゲイルの言葉を飲み込むと、目を潤ませ、そして泣き出した。
【ゲイル】「盾と剣をよこしてくれ」ゲイルが休息していた兵に言った。
ゲイルは長剣を受け取ると、感触を確かめるように空に向かって何度か振り回した。そして盾を背負いながらアイルに言った。
【ゲイル】「俺は防衛に参加する。お前は村長に事の次第を伝えろ」
アイルはうなずくと、一番高くそびえる櫓まで行き、梯子を伝って上へ昇った。
村長は櫓の上で、あぐらをかいて東の地平を睨みつけていた。
【アイル】「ただいま戻りました」
【村長】「ご苦労だ……すでに連隊からことのあらましは聞いた。ヤゴーはどうした?」
【アイル】「ヤゴーは死にました」
村長はそれを聞き、鎮痛な表情でうなずいた。
【村長】「うむ、そうか……ゲイルはどうした?」
【アイル】「ゲイルは砦の守りに参加しています。ルーはどうしましたか?」
【村長】「ルーはアロンゾへ向かったきりだ」
【アイル】「女たちは、いつ避難したのですか?」
【村長】「昼前だ。ネーヴェから兵士と冒険者達が来て、女を護衛して西へ向かったのだ。ところで……」
村長はアイルの顔を見ていった。
【村長】「あれは、アマンダ様だな。一体どういった経緯で、アマンダ様がここにいるのだ?」
【アイル】「辺境伯に託されました。ブリスコーまで秘匿して連れていけと……しかし、兵の中に見知った人間がいたようですね。ところで、なぜ辺境伯が王女を匿っていたのですか?」
【村長】「辺境伯は王の弟だ」
村長は答えた。アイルはまた質問した。
【アイル】「なぜネネは、まだここに残っているのですか?」
【村長】「あの娘は父親が帰って来るの待つと言って聞かなかった。ライラも同じだ」
【アイル】「そうでしたか。我々はいつここを発つのですか」
【村長】「明日の朝だ。残存兵が、まだ東に残っているようだ……それを待つ。お前、粥食ったか。腹一杯にして今日はもう休め」
アイルは櫓を降りた。彼は焚き火のそばへ行き、大鍋一杯に作られた粥を丼いっぱいによそうと、ぼんやりと村の入口を眺めながら飯をかき込んだ。
アイルの隣へ、アマンダとペトラがやってきて座った。彼女達も同様にお椀に粥をよそうと、アイルの隣で食べはじめた。
【アマンダ】「おいしいね」
アマンダが言った。
【アイル】「そうか?あんまり具が入ってないけどな」
【アマンダ】「そんなことないよ。塩気がしておいしい」
【アイル】「お前喉乾いてないか?お茶持ってくるよ」
アイルはそういい立ち上がった。彼は村長の家に勝手に入り、やかんと湯呑ふたつを持ってくると、やかんに水を入れ焚火の火にかけた。
そのうちにお茶が煮立った。彼は湯呑にお茶を注いで、アマンダとペトラに渡した。
【アイル】「お前、それでメシ足りるか?」アイルはアマンダに聞いた。彼女は椀に半分ほどよそった粥しか食べてなかった。「腹いっぱいまでメシ食っとけば、動ける時間が全然違うからな」
アマンダはうなずき、まだ食べ終わってない粥に、さらに限界まで粥を盛った。
アイルは彼女達より先に粥を食べ終わると、その場の地面に寝そべって空を見ていた。改正の空にはいつものように満点の星が浮かんでいた。
彼はそのうちに眠気と疲労で頭がぼんやりしてきたので、自分の小屋に入り、藁敷に身を横たえると、すぐに眠りに落ちていった。
しかし、眠りに落ちてすぐに、アイルは屋外の騒がしさに目が覚めた。家から出て星を見ると、彼が眠りに落ちてからまだ一時間も経っていないようだった。
村の跳ね上げ門は閉ざされていた。村の男達は、塀の上に登り物々しい様子で外を覗いていた。ゲイルはアイルを見つけると、塀の渡り廊下の上から手招きした。アイルも塀に登り、皆と並んで塀の上から顔を出し外を覗いた。
外の暗闇の中に、無数の松明の炎が浮かんでいた。
村はすでに、魔物たちに包囲されていたのだ。
ーー
アイルは急いで櫓に登ると、村長の横に立ち、言った。
【アイル】「すでにお耳に入れているとは思いますが、敵はパルパットの城壁を破った大砲を持っています」
【村長】「ふむ、あの混凝土の分厚い壁をか……。ここももう長くはもたんかもしれんな」村長は答えた。
突如、闇の中から数十もの火矢が放たれた。火矢は赤く光る尾を引き、高い放物線を描くと、藁葺の屋根へと突き刺さった。
屋根は火がつき、燃え始めた。
村長はしわがれた声で呪文を唱えると、その皺だらけの両手の中に水球を生み出した。彼はそれを打ち放って、屋根についた炎を片端から消し飛ばした。
【村長】「やつら姑息な手口を使いおってからに……わずかづつでもわしの魔力を削っていく気じゃろう。ここはそう長くはもたん。裏口もいずれ見つかってしまうかもしれん。そうなる前に若いのをつれてここを脱出するんじゃ」
【アイル】「長はどうなさるおつもりですか」
【村長】「わしは最後まで残る。当然じゃろうて」
【アイル】「長が死んだ場合、誰が村のものを導くのですか」
【村長】「わしが死んだらゴードンが長を継ぐ。そういう決まりじゃろう」村長は言った「さあもう時間がない。はよ準備せい」
アイルは地面に降り、村長の伝言を皆に伝えた。
彼は自分の家に戻ると、短剣をあらためて腰に刺した。そして荷袋に干し肉や乾パンを放り込んだ。
彼が井戸で空の水筒を補充し終えると、ルイが彼の元にやってきた。彼は、肩から長剣を斜めに下げているほかは軽装だった。彼は鍛冶師であるため、通り一辺は剣が振れた。
【ルイ】「そのナイフ、どうだったよ」
ルイがアイルの輿の短剣を指さしながら訊いた。
【アイル】「まだ使ってない」
【ルイ】「そっか。そりゃ残念」
ルイはそういうと、ルイは長剣を背中から抜き素振りを始めた。
やがて、ネネとライラがやってきた。
ネネはもう泣き止んでいた。彼女は厚手のブーツに足元を履き替え、腰に剣を下げていた。
【アイル】「お前、もう大丈夫か?」
【ネネ】「うん……もう平気。心配しないで」
ネネはそう答えた。ネネの隣に立つライラは、彼女の妹だった。ライラは肩に長弓を掛けていた。その金髪は、狩りに行くときのように2つにまとめられていた。彼女は普段は活発な女の子だったが、いまは気が沈んでいるのか、あまり言葉を発しなかった。
【アイル】「お前も平気か?」アイルは声をかけた。
【ライラ】「……大丈夫」
アイルは、あまり言葉をかける気になれなかった。実際のところ、アイル自信もヤゴーの死に気落ちしていた。
次に、ペトラがやってきた。彼女は侍女服の上に、どこかの家から引っ張ってきた子供用のローブを着せられていた。腰には短い短剣を指し、背中には大きな背嚢を背負っていた。
【アイル】「お前、そんな大きな荷物背負えるのか?」
【ペトラ】「平気です。これでも王女様の護衛侍女です。心配ご無用」
彼女はぺこりと頭を下げ、それ以上は何も言わなかった。
最後に、アマンダがやって来た。彼女は腰まで覆う長いローブに、ズボンと革のブーツに着替えていた。肩にはマスケット銃を提げ、腰からは拳銃嚢に入ったあのオークの短銃を下げていた。おそらく、村長に渡されたのだろう。音が出るため、もし銃を使うとしても、それは最後の手段となるだろう。
【アイル】「お前、銃を使えるのか?」
【アマンダ】「ええ、そのつもりです」
【アイル】「それは、どのくらい使えるんだ。魔物を撃ったことは?」
【アマンダ】「いいえ、的しか撃ったことは有りません。殺生をするなと言われていますから」
【アイル】「……なるほど。もうひとつ聞いておきたいことがあるんだが、お前泳げるか?」
【アマンダ】「いいえ。泳げません」
【アイル】「そうか。これから船で川を下る。もし船から落ちた場合、声が響くかとか心配せずに、すぐに大声で助けを呼べ。わかった?」
アマンダはそう答え、うなずいた。
彼らの元へ、先程の老齢の兵士がやってきた。
【老齢の兵】「アマンダ様、ここを発つ前に、ぜひとも兵士たちに祝福をお与えください」
【アマンダ】「わかりました」
アマンダは、フードを脱いだ。
その頭部の上に、天使の輪っかがゆくりと現れた。
その白い光に兵たちは息を呑んだ。兵士たちの目線を追い、村の者たちもアマンダを見て、そして同様に息を呑んだ。ネネ、ライラ、ルイも同様に、その光輪に魅せられた。
「天の恵みよ、人々の心に降り注ぐように
神の光よ、すべての人を照らすように
手の愛よ、
神の祝福が皆にあらんことを」
彼女はそういい、両手を天に伸ばした。神聖の祝福が村を包み、人々を白い光が包み込んだ。
兵士たちは、鬨の声を上げた。
ーー
六人は包囲を脱出するため、村長の家へ向かった。そこには、地下の隠し通路に続く階段があったのだ。
アイルは地下に入る前に、振り返ってゲイルの姿を探した。ゲイルは塀の渡りの上から外を見張っていた。
彼は心のなかでゲイルのために祈った。
村長の家に入ると、五人はアイルが来るのを待っていた。アイルは座敷をどかし、地下道の入り口を開いた。
洞窟の中は、コウモリの瞳より暗かった。
彼らは地下の洞窟へ降りていった。
彼らは真っ暗な道を壁に手を伝いながら進んだ。アイル先頭を行った。壁に伸ばした彼の指は、やがて出口を塞ぐ冷たい岩の表面に触れた。
アイルは岩に手をかけ、慎重に出口を開けた。彼は、わずかな隙間から外を覗いた。外は、月明かりに照らされた小さな谷だった。彼は外の空気に耳を澄ましたが、ちょろちょろと流れる水の音のほかは何も聞こえなかった。
彼らは外に出た。そして沼地へ向かって歩き出した。
谷の小川は、この季節は枯れていた。谷の左右には生い茂った広葉樹が広がり、そのぶ厚い梢は月の光を遮った。
アマンダが小石に蹴躓き転んだ。
【アマンダ】「ごめんなさい、暗くてよく見えなくて……」彼女は言った。
【アイル】「落ち着いけ。俺が先に歩くから、足元をよく見て。俺が踏んだところを歩けばいい」
アイルはそう言い、彼女に先行し、暗い谷の道を歩いた。
六人は、谷の小川を跨ぐ小さな桟橋の下にたどり着いた。彼らが桟橋を潜ろうとするちょうどその時、森の奥から何か物音がした。アイル達は森の両脇の木の張り出しの中に隠れた。そして枝の隙間から橋上を観察した。
一人のオークが後ろ向きに橋を渡っていった。彼は手招きしながら何かを先導していた。
続いてゴトゴトとなにかが転がる音がした。橋がきしみ、砂埃がパラパラと橋から落ちた。アイルは橋の上に目を凝らした。
緑色の錆びに覆われた大筒が、荷台に載せられて橋を渡って行った。
それは、パルパットを破った新型の大砲だった。やがて荷は橋を渡り終え、森はまたすぐに静かになった。
アイルは今から村へ戻り、危機を知らせようか逡巡した。しかし考え直し、与えられた任務をそのまま遂行することに決めた。
六人はさらに小川を下っていった。
やがて小川の細い流れが沼に注ぎ込む場所へ来た。夜の沼には、月に照らされた白い霧が立ち込めていた。
沼地では蛙たちが大合唱会を開いていた。その声は大きく、隣を歩くアマンダの足音すら聞こえないほどだった。
村長いわく、船は岸に上げて葦の中に隠してあるらしかった。アイルたちは、沼の奥地に建ててある釣り小屋へ向かった。彼らは葦を注意深く観察し、草むらのへこみを見つけると、船を探し当てた。
六人は船に乗り、アイルが舳先に立ちオールをつかんだ。彼は船を出した。
船はゆっくりと葦を離れ進水した。静寂の湖面に小さな一艘の舟が波紋を引いた。
ーー
アイルたちは、沼地を滑るように船を進めた。アイルは勝手知ったる沼の地形を、僅かな月の光を頼りにすいすいと進めた。
やがて船は沼とオルド川の合流地点へ差し掛かった。アイルの耳に、川のせせらぎが聞こえてきた。
こうして、彼らはようやく、オルド川の中に船を漕ぎ出した。
彼らが川を進むと、カエルの鳴き声は遥か後方に遠ざかっていった。
彼らは静かな川の流れの中を、無言のままオールを漕ぎ進んだ。
その静寂を、突如狼の叫びが引き裂いた。
遠吠えは、はるか上流から響いてきた……もしその遠吠えを近くで聞けば、砲火と聞き間違うほどの大音響だろう。
狩人であるアイルは、狼の遠吠えの意味を聞き分けることができる。その彼が確信した。
あれは獲物を見つけ、狩りの合図をする遠吠えだ。
オルド川を進むと、やがて川幅は広くなった。頭上の枝が開け、アイルたちは月の光に照らされた。おそらくアイルたちの姿は、岸からは丸見えだろう。
彼らはそのまましばらく川を進んだ。先へゆくに従い、川幅はさらに広くなった。
すると、静寂を裂いて再び狼の遠吠えが響いた。それに呼応して、いくつもの遠吠えが闇の向こうから響いてきた。狼は、一匹ではない。最低でも四匹はいるだろう。しかも、その音は、先刻よりかなり近づいていた。
アイルは急いで説明した。
【アイル】「今の声は俺たちを追っている。もうすぐ岸に現れるだろう」
【ルイ】 「なんだって。だがこの先は滝になってるだろ?一旦船から降りないと」
【アイル】「……駄目だ。船を降りる時間はない」
【ルイ】「じゃあ、どうする」
【アイル】「船ごと滝に突っ込むぞ。アマンダ、聞け」
アマンダはアイルを見てうなずいた。
【アイル】「今から滝に突っ込む。重い装備ははずして船に下ろしておけ。ネネ、何かあったらお前がこの子を助けろ」
アイルはオールを握り、目を細めて滝の稜線を見つめた。川の先は大岩を噛んだ三段滝になっていた。闇の中にごうごうと響く滝の音が、だんだんと大きくなってきた。
船は滝の稜線を超えた。
一瞬重力がなくなった後、船は多い和に叩きつけられた。
【ルイ】「ぐわっ!」
ルイが叫んだ。彼は輿をしたたかに打ち付け、痛みに。
ついでもう一度船は空中に投げ出された。
今度の落下は長かった。長い無重力状態の恐怖に、ルイの肝は縮み上がった。
船はもう一度大岩に叩きつけられた。
【アマンダ】「きゃあああああ!」
アマンダは叫んだ。しかし、その口はネネの手に塞がれた。
【ネネ】「声を出しちゃだめよ!」
ネネは言った。
船は進み、滝の最後の段差へと向かった。
しかし、次の瞬間、白い狼が船に飛び込んできた。それは、小舟に衝撃音をたてて着地した。小舟は大きく揺れた。
それは体長10フィートはある、銀の毛並みをした化け物のような狼だった。
これは、自然の狼ではない……おそらく魔物との混血種だろう。オークが無理矢理交配したのか?
いや、そんなことを思考している暇はない。アイルは叫んだ。
【アイル】「ルイ、なんとかしろ!」
彼がそう言葉を発した次の瞬間、突然の閃光と爆発音が小舟に響き渡った。
アイルは、自分の背後で何が起こっているのかわけもわからず、ただひたすらオールさばきに集中した。船は最後の段差を越えた。そして滝壺に着水した。
最後のジャンプは、輿に痛みが響くことはなかった。
船が安定すると、アイルは船を振り返った。小船の底で、狼は腹に空いた穴から血を吹き出し死んでいた。
アマンダは短銃を握り、目を見開いて肩で息をしていた。
狼は彼女が撃ったのだ。オークの短銃を使い、見事に魔物を討ち取った。
彼はついでルイを見た。彼は狼に腕をかまれ、牙に穿たれた二つの穴から血を垂らしていた。
【アイル】「お手柄だな」
アイルは言った。アマンダは少し笑った。
アイル達は急いで船を漕ぎ、その場を離れた。滝壺の轟音はやがて背後の闇に溶けていった。
彼らはしさらに距離を取った後、遠くから滝上の様子を探った。
滝上は、静まり返っていた。
アイルは下流に向けて再び船を漕ぎだした。