その8
「いいですか? まずは発音に気をつけて、『なのではないですか?』です。『なんじゃないですか?』の『ん』を挟んで省略しないようにしましょう」
 
シチュワート様が去った後、早速ルナの特訓が始まった。
 
「ええっと、『なんじゃないですか?』?」
 
わたしの答えに、ルナがかぶりを振る。
 
「違います。『なのではないですか?』です」
「『なのではないですか?』」
「そうです」
 
ルナの指導に私がもう一度台詞をなぞると、ルナが首肯した。
 
「では次ですが……」
 
そのままルナが次の課題に入ろうとした時だ。扉の外からノック音がした。
 
「どなたかしら?」
 
私が呟くと、ルナが頭を左右に振る。それからゆっくりと立ち上がった。
 
「どちら様でしょう?」
 
ルナの問いかけに、扉の外から声がした。
 
「わたしよ、エレノアです」
「エレノア様?」
 
名乗ったエレノア様に、私は目を見開く。さっき会ったばかりなのに何事だろう。特に用はないはずだが。
 
「いかがいたしますか?」
 
訊いてくるルナに、私は決断する。
 
「お通ししてちょうだい」
「かしこまりました」
 
ルナが頷き、扉を開ける。
 
「こんにちは、エレノア様」
「こんにちは、クラウジア嬢」
 
私がお辞儀すると、エレノア様も挨拶してきた。柔和な笑みを浮かべるエレノア様を前に、私はほっと胸を撫で下ろす。初めて会った時にも思ったが話しやすそうな人だ。
 
「どうぞエミリーとお呼びください」
 
私が口許を綻ばせると、エレノア様が目を瞠ってきた。
 
「まあ! 王妃になられる方に対してそれはできませんわ。クラウジア嬢はとても気さくでいらっしゃるのね」
 
エレノア様の言葉に、私は内心で唇を噛み締める。前言撤回。なかなか難しそうな人だ。
 
「失礼いたしました。申し訳ございません。何分まだ不慣れなもので」
 
非礼を詫びると、エレノア様が微笑んだ。
 
「大丈夫ですわ。市井から王妃になろうというだけでも大変勇気のあることですもの。わたくしではとてもそんな難しいことに挑戦する勇気は持てませんわ」
 
完全に嫌味で煽ってくるエレノア様、もといエレノアに、私は胸の内で溜め息を吐いていた。
 
「無茶無謀だけが取り柄なんです。困難なことにこそ立ち向かっていった結果、シチュワート様とのご縁ができたのだと思っておりますので」
 
慎重に、だが少しだけ嫌味を含めて答えると、エレノアが眉根を寄せた。
 
「あら、そうなの。なんだかロマンチックなお話ね」
 
視線を逸らしてくるエレノアに、私は大袈裟に頷いてみせる。
 
「はい。私自身もそう思います」
「まあ、素敵ですこと」
 
エレノアの冷めた返答に気づかぬ様子で、私は満面の笑みで礼を言う。
 
「ありがとうございます。……それで、今日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか。私のような者にもわかることですと良いのですと良いのですが」
 
私が頬に手を当てると、エレノアが勢いを取り戻した。
 
「そうでしたわ! 実は今度お茶会を開くことにしましたの。それでぜひクラウジア嬢にも、ご参加いただきたいと思いまして」
 
エレノアの申し出に、私は唇へ手を置いた。
 
「そうだったのですか。そのためにわざわざエレノア様自ら足をお運びくださったのですね。ありがとうございます」
 
もう一度礼を告げると、エレノアが目を細めた。
 
「お友達になりたい方には直接会いにいくことにしていますの」
「まあ! ありがとうございます! どうぞよろしくお願いいたしますね」
 
私は素直に喜んでみせる。これで本当に友達になってくれるなら、その方がずっと楽なのだが。だが、エレノアの反応は期待していたものとは違った。
 
「え、ええ。それではわたくしはこれで。招待状は後で送らせていただきますわ」
 
そそくさと踵を返してくる。私は頷き、口角を上げる。
 
「はい。楽しみにしていますね」
 
本心から出た言葉なのに、エレノアが足をとめる。
 
「か、勘違いなさらないでね。わたくし、本当にシチュワートの相手としてクラウジア嬢が来てくださったこと、嬉しく思っておりますのよ?」
 
後ろ姿のまま告げられたエレノアの言葉に、私は両手の拳を肩まで上げてみせる。
 
「ありがとうございます。頑張りますね」
 
なるべく明るい口調で告げると、エレノアがちらりと私を見遣った。
 
「え、ええ。ではね。失礼いたしますわ」
「はい」
 
今度こそ去っていったエレノアの足音が聞こえなくなると、扉の前にいたルナが溜め息を吐く。
 
「エレノア様……語るに落ちておりますね……」
 
渋面を作るルナに、私は肩を竦めてみせた。
 
「まあ、シチュワート様は素敵な方だから。ましてや幼なじみなわけだし。好きになるのは当然ことよね」
「はあ……」
 
納得いかない様子のルナに、私は口許を綻ばせる。
 
「さあ、特訓に戻りましょ? お茶会まではもっと時間がないんだから」
 
水を向ける私の言葉に、やっとルナの表情が和らいだ。
 
「かしこまりました、エミリー様」
 
微笑むルナに安堵しつつ、私は夕食も大変そうだと内心で深く吐息した。
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