第67話 入院4
救急車で運ばれてから、1週間がたった。相変わらずドレーンには気泡が湧いて、ブクブク言っていた。いつになったら僕の肺が塞がるのか分からなかった。医師からは、塞がらなかった場合は切開手術になると言われていたので、何としてもこの治療法で塞がってほしいと思っていた。切開手術をするかどうかの一応の目安は2週間と言われていたから、まだ猶予はあったが、しだいに不安になってくるタイミングでもあった。
そんな状況で、美沙さんが見舞いに来てくれた。病室に入ってきた美沙さんは、ベッド周りのカーテン越しに声を掛けてきた。僕は、窓側以外のカーテンをだいたい閉めていたので、カーテン越しに聞こえた美沙さんの声に対して、カーテン越しに答えた。
「高広君いる?」
「ああ、美沙さん? いるよ。カーテン開けて入ってきて」
美沙さんは、窓側から僕のベッドの横に入ってきた。
「来てくれたんだ。ありがとう。そこの椅子を使って」
僕は、壁に立てかけてあった折り畳み椅子を指して言った。
「大丈夫? わあ、なんか病人みたいになってるね」
「立派な病人だよ」
ドレーンがブクブク言った。
「そりゃ、そうだね。痛みはどう?」
「痛みはなくなったから楽になったよ」
「今、どういう状態なの?」
「自然気胸って言って、肺の外側の膜が破れて、空気が漏れる病気だって。外に漏れた空気をこの機械で吸い取って、膜が自然治癒するのを待っている状態」
「そう。このチューブが肺のところに刺さってるのね。なんか痛そう」
「今はそうでもないよ。でもドレーンを付けた1日目は痛くて、ご飯を食べられなかったよ。なんか、肺を無理やり膨らまされている感じで」
そんな会話をしている最中もドレーンはブクブク言っていた。
「この空気が、高広君の肺から漏れた空気なのね?」
「そう。これが出なくなったら、塞がったってことだから退院できるんだけど、2週間たっても塞がらなかったら、切開手術になるんだって」
「わあ、塞がってほしいね」
「そう。僕もそう思ってる。手術したら、またそこから2週間ぐらい入院が続くもんね」
「そうしたら、1か月の入院になっちゃうのか。後期の授業始まっちゃうね」
「まあ、そうなる前に出たいけどね」
「あ、そうだ。果物買ってきたけど、食べる?」
「ああ、ありがとう。食べたい。病院食で果物はあんまり出ないから、久しぶりで嬉しいよ」
「じゃあ、梨と桃とグレープフルーツがあるけど、どれがいい?」
「梨がいいな」
「いいよ。果物ナイフある? なかったら一応家から持ってきたけど」
「ないから、それ使って」
「うん」
美沙さんは、持ってきた袋の中から新聞紙と梨と果物ナイフを取り出し、引き出し式のテーブルの上で切り分けて、皮をむき、フォークに刺したものを僕に渡してくれた。
「ありがとう」
僕は、早速一口食べた。それは、冷えてはいなかったが、瑞々しくて、とても美味しかった。
「美味しい。僕、果物の中で梨が一番好きかも」
「そうだったの? 私は、グレープフルーツかな」
「グレープフルーツも美味しいね。まあ、果物は何でも好きだよ」
「私もひとついただこう」
美沙さんは自分の分も皮をむき、同じようにフォークに刺して食べた。
「本当だ。美味しいね。自分で買ってきて言うのもなんだけど」
「ちょうど、食べ頃なんだね、きっと。ありがとうね」
「どういたしまして。早く元気になってほしいからね」
「そうだね」
「私と一緒にいて病気になっちゃったなんて、なんかいやじゃない」
「そんな、別に美沙さんのせいじゃないんだから、気にすることないよ」
「それは分かってるけど、気分的にね」
「そういえば、最後はトラブル発生しちゃったけど、ドライブは楽しかったね」
僕が思い出したように言った。
「そうだね。温泉もよかったしね。夜までお肌すべすべだったよ」
「そうだったね。入院してからも、美沙さんの腕の感触、思い出してたよ」
「高広君、いやらしい」
「そんな、美沙さんが腕出してきたんだよ」
「まあ、そうだったけど」
ふたり同時に笑った。ドレーンにひときわ大きく気泡が発生した。
ふたりで梨を食べ終えると、美沙さんがゴミを片付け、果物ナイフを洗うと言って病室から出て行った。美沙さんが戻ってくるまで、僕は幸せな気持ちで待っていた。
美沙さんが病室に戻ってきて、折り畳み椅子に腰掛けた。
「美沙さんはいつ京都へ帰るの?」
「8月いっぱいはいるよ。あと1週間」
「そうか。僕に審判が下るころだね」
「それまでに、穴が塞がるといいね」
「うん、本当そうだよね」
そんな話をしている時、病室のドアをノックする音が聞こえた。隣のベッドのおじさんが、「はい」と答えてくれた。ドアが開き、閉まる音がした。僕のベッドのカーテン越しに「高広君?」と尋ねる声がした。