婚約破棄してくれたしこれでやっと旅立てます(魔界へ) ~王族の癖に精霊使いの才能のない私ですが、魔物とのシンパシーはバッチリみたいですね。おや、私のお友達がお怒りのようですよ?~
「とても残念だがシルビア、君との婚約を破棄させてもらうことになったよ」
突然の告白に動揺して、身体がピタッと静止する。
私の婚約者で、王国の五大貴族と呼ばれるローベルト公爵家の嫡男、アスベル様が会いたいとおっしゃって私が王城のベランダを指定した。
ここは王城でもひと際眺めが良い。
外を見渡せば王都の街並みが一望できてしまう。
吹き抜ける風も心地よくて、私にとってもお気に入りの場所だったりする。
そんな場所で告げられた別れ話だった。
「……」
「どうして? という顔をしているね? まぁもっとも、今更わざわざ説明する必要もなそうだけど」
私が何を思ったのかお見通しだ。
そう言わんばかりのドヤ顔とにやけた口元が視界に映る。
彼は小さくため息をこぼし、やれやれと首を振ってから語り出す。
「我々公爵家にとって王族の方と婚姻を結ぶことは何より優先される。この国の第一王女である君との婚約は、私や我が公爵家にとって念願だった。だがそれも……今では間違いだったと思っているよ」
「……それは、私に『精霊使い』としての才能がなかったから……でしょうか?」
「その通りだよシルビア」
精霊使い。
世界を形作る大自然から生まれた大いなる意思。
意思を持つ魔力の集合体、それが精霊。
精霊との意思疎通を図り、彼らの力を借り受けることが出来る者を精霊使いと呼ぶ。
彼らの力は絶大だ。
なぜなら彼らは大自然そのものだから。
自然を味方に付けるということは、すなわち世界を味方に付けるということもである。
私たち人間にとって最大の味方であり力となるだろう。
王族には代々、精霊使いとしての才能が宿っている。
生まれて間もなく行われる特別な儀式によって精霊を体内に宿し、契約を果たす。
それから長い時間をかけ交流を深め、王国を守護する存在となる。
精霊の存在は王国にとっての希望であり象徴でもある。
なくてはならない存在なのだ。
だけど……私にはその才能がなかったらしい。
生まれてすぐの儀式では精霊を宿すことが出来なかった。
これだけならよくあることだ。
精霊は気まぐれで、波長の合う相手でなければ一つになることは叶わない。
すでにある例でも、十歳時点まで契約できなかった王族は存在する。
それほど焦ることでもなかったから、誰も気に留めなかった。
しかし一年後、三年後、五年後と経過しても一向に事態は進展しない。
挙句には十五歳、人間社会における成人年齢を越えても尚、精霊との契約は果たせなかった。
誰もが驚き、慌てていた。
けれども私には仕方のないことだろうとしか思えなかった。
なぜなら私には、精霊たちの声がまったく聞こえないから。
意思疎通が叶わないのに、どうやって契約すれば良い?
最後の儀式から三年。
十八歳になった今も、私には精霊たちの声は聞こえない。
「正直、君には落胆させられたよ。精霊との契約がなされないのも一時的だとばかり思っていたからね。いや私だけじゃない。皆、まさか不適合者だったとは思わないだろう」
それはそうでしょう。
王族には精霊使いの才能がある。
これは建国以来ずっと受け継がれてきた事実なのだから。
その才能がないということだけで、私が王族の血を引いていないと疑う者も多い。
いくら調べても、私が王族だという現実は覆らないのに。
「ですがアスベル様、よろしいのですか?」
「何がかな?」
「私との婚約を破棄するということは、王族との繋がりを失うということです。私には精霊使いの才能はありませんが、それでも第一王女です。貴方の独断でそのようなことを決められては――」
「独断ではないよ? 私の考えはすでに皆様から了解を得ているんだ」
アスベル様は得意げに語り出す。
「君が心配することじゃないよ。わからないかな? こうして話に出した時点で色々と確定した後だということに」
「それはどういう――」
「つまりこういうことですわ。お姉さま」
アスベル様の背後から高い女の子の声が返ってきた。
彼の背中からすっと姿を見せたのは、私と二つ離れた妹で、この国の第二王女――
「イリヤ?」
「はいお姉さま」
「どうして貴女がここに?」
「私が呼んだのさ。君に紹介したくてね?」
アスベル様はイリヤの隣まで歩いていく。
そのまま彼女の肩に手を回し、他人とは思えない距離感を見せつける。
イリヤもうっとりとした表情を見せた。
この時点で私はもう、彼が何を伝えたいのか理解できた。
きっと私じゃなくても、この状況を見せられればわかってしまうはずだ。
「……そういう、ことですか」
「理解したかな? そう、彼女が私の新しい婚約者になったんだ」
「ごめんなさいお姉さま。本当はもっと早くにお伝えする予定だったのですが、少々皆様に説明するのに時間がかかってしまいました」
イリヤはニコリと可憐な笑顔を見せる。
可愛らしい表情で酷いことを言う。
それはつまり、こうして話す以前からアスベル様と繋がっていたという意味。
間接的に浮気されていたという事実を、こうして告げられた。
もっとも、浮気に関してはさほど驚きはしない。
そんな気はしていたから。
まさか相手が妹だったなんて、とは思うのだけど。
私は小さくため息をこぼす。
「イリヤと婚約したから、もう私は必要ないということですね」
「そんな言い方はしていないがね? あーそれと、話はこれで半分なんだ」
「半分? 婚約解消のお話がですか?」
「そうだよ。とは言えこれに関しては、私から話せる内容じゃないんだ。ここは同じ王族であるイリヤにお願いしよう」
アスベル様は王族の部分を強調して口にした。
わかりましたとイリヤは一言口にして、私の前に一歩踏み出す。
「お姉さま……大変心苦しいことなのですが、お伝えしなければなりません。 こうしてお姉さまとお話する機会も、これで最後になるかもしれませんから」
「イリヤ?」
「お父様は正式に、お姉さまから王位継承権および王女の地位を剥奪することを決定いたしました。お姉さまはもう、第一王女ではありません」
「――!?」
思わず絶句してしまう。
まさか、まさかの告白だった。
王位継承権の剥奪と、王女の地位の返上。
それらが意味することはすなわち、私が王家の人間ではなくなったということ。
私の話す機会は最後になるかもしれない。
イリヤの意味深な発言の意味を理解して、私は肩に力が入る。
「そ、それは……事実なの?」
「はい。先ほどお父様から直接伝えられました。お父様はご自身の口で伝えるおつもりでしたが、私が無理を言って代わって頂いたのです」
「そういうことだよシルビア。君はもう婚約者でもなければ王家の人間ですらない。この場所にいることすら不釣り合いな一般市民になったんだ」
「そ、そんなこと……」
ありえない、と思った。
それでも事実なのだろう。
二人が嘘や出まかせでこんな話をするはずがない。
仮にも王族の人間に対して嘘をつけない。
事実であることは明白だ。
つまり、私はもう王族じゃない。
王位継承権を剥奪されたことで、次期王になることもなくなった。
精霊使いの才能のない私は、肩書きも失い単なる一人の女性となったんだ。
婚約を解消されても、新たに縁談の話が持ち出されることもないだろう。
そうだ。
私は、私はこれで……
「ふふっ、ふふふふ」
「シルビア?」
「お姉さま? なぜ笑って――」
「やっと解放されたのね!」
あまりに嬉しくて声に出てしまった。
慌てて口を塞ごうとしたけど、よく考えたらそんな必要もない。
今更取り繕うこともないんだ。
だってもう、私は王族でも彼の婚約者でもないんだから。
「これでもう王族らしく振る舞う必要もない! 変に愛想笑いしたり、周りの目を気にしなくて良いわ!」
「お、お姉さま?」
「ありがとうイリヤ。お陰でとっても気分良い」
「な、何をおっしゃっているのですか? 今のお話を聞いていましたよね?」
喜んでいる態度に困惑したイリヤが、不可思議なものを見る目で私に尋ねてきた。
私はニコッと満面の笑みで答えよう。
「ええもちろんよ。要するに、私はもう王族でも何でもないから、あとは自由にして良いってことよね?」
「そ、そうですが……」
「ちょっと待ってくれシルビア。喜んでいるように見えるのは私の勘違いかな?」
「勘違いじゃありませんわ、アスベル様。私は喜んでいるのです」
そう答えた私を見て、アスベル様は眉を顰める。
理解できないのだろう。
それも仕方がない。
彼らと私では、見ている世界が違うのだから。
「イリヤ、アスベル様。私はずっと王女の立場を煩わしいと思っていたのです。王女だからと注目され、正しさを強要され……なんと息苦しいのか。私にとって王女の地位は枷でしかありませんでした。その枷を壊してくださったことを心から感謝します」
二人とも呆気にとられている。
まだ理解できない、そんな顔だ。
「それから一つ、二人には謝らないといけません。私はこの十数年、隠してきたことがあるんです」
「隠してきた……こと?」
「一体なんですか? お姉さま」
「それはね? イリヤ、私がここを息苦しいと思う理由の一番でもあるわ。王族の肩書きより……とっても窮屈だった」
王家の人間は精霊使いの才能を持っている。
そんな常識があったから、今まで誰にも話すことが出来なかった。
他にはない、私だけの才能。
それを今、王族でなくなったこの時に披露しよう。
私は空を見上げる。
「私には精霊使いの才能はなかった。でも代わりに、別の声は聞こえていたのよ」
「別の……」
「お、おい! なんだあれは!」
「私の呼びかけに応えてくれたみたいね」
アスベル様が身体を震わす。
空を覆う黒い影。
広げられた翼は天を呑み込まんとする漆黒。
その姿を見れば、誰もが等しく恐怖するだろう。
生態系の頂点。
最強の魔物――名は、ブラックドラゴン。
「ど、ドラゴン!?」
「そ、そんな! 早く逃げないと!」
「大丈夫よイリヤ。この子は私のお友達なの。名前はノワールって言うのよ?」
「お、お友達?」
驚き両目を見開くイリヤ。
舞い降りたドラゴンは私の前に顔を近づける。
撫でて、という声が聞こえて私は手を伸ばす。
「来てくれてありがとう、ノワール。しばらく見ないうちにまた大きくなったわね?」
「な、何をしているんだシルビア。そ、それはドラゴン……魔物だぞ!」
「わかっていますよ? そう怖がらないでください。彼女はとっても大人しくて甘えん坊なんです」
「い、意味がわからないぞ! どうしてそんなことがわかる! 何をしているんだ!」
アスベル様は声を荒げる。
酷く動揺している様子だった。
あまり大声を出すとノワールがビックリしてしまいそうだ。
まぁでも、驚くのは仕方がない。
魔物と人間が触れ合っている。
しかも相手は魔物の頂点と言われるドラゴンなのだから。
王城内も騒がしい。
ドラゴンの襲来を聞きつけ、騎士たちが集まってきているみたい。
「あまり長くはいられないわね。ノワール、乗せてもらってもいいかしら?」
彼女は頷く。
もちろん、と言ってくれている。
「ありがとう」
ノワールはベランダに頭を近づけ、私が乗れるように頭を下げてくれた。
私はよいしょっと乗り込み、彼女の背まで移動する。
「お騒がせしてごめんなさい。王城の人たちには、代わりに謝っておいて頂けると嬉しいわ。二人も改めておめでとう。それからありがとう。お陰で心残りなく旅立てるわ」
「ど、どこにいくつもりだ!」
「待ってくれている人がいるんです。その人の元へ」
「一体誰なんですか? その人物は!」
イリヤが珍しく大声で尋ねてきた。
そんなに気になるのかな?
人物と言ってしまったけど、それは正確じゃない。
だって人間じゃないから。
「――彼は今、魔王と呼ばれています」
「ま……魔王……だと?」
「はい。私が向かうのは、彼がいる場所……つまりは魔界です」
「なっ……」
絶句する二人。
さっきからずっと驚いてばかり。
最初は見ていて面白かったけど、立て続けに見せられると飽きるものね。
もう話すことも話したし出発しましょう。
「行きましょうノワール」
「ま、待て! 本気で言っているのか? 魔界に……しかも魔王に会いに行くなど王国に対する、いや全人類に対する裏切り行為だぞ!」
「そう思われても構いませんわ。ただ私は別に、人間の敵になろうとは思っていませんけど」
「思う思わないの問題ではない! そうして魔物の背に乗っている時点で裏切りなんだ! なんということだ……私は一時でもこんな女に期待していたのか……この化け物め!」
なんて酷いことを言うのでしょう。
本気の罵声、本気の目。
私のことを化け物だと思っているみたいね。
「はぁ……別に私はそう思われても構いません。ただ、発言には気を付けたほうが良いですよ? ノワールは賢いので、人間の言葉も少しはわかります。何より敵意には敏感です。そんなことを言ったら――」
ドラゴンは魔物の頂点。
それは大きさや魔力量だけではなく、持っている能力にも関係する。
彼女たちは他の魔物を支配下に置き、空間を繋げることで自らの近くに召喚することができる。
今、まさにそれが起こっていた。
空間が裂け、姿を現したのは無数の小さなドラゴン。
ワイバーンの群れだった。
「こんな風に、彼女の怒りを買ってしまいますから」
「な、なっ……」
「落ち着いてノワール。怒ってくれてありがとう。でも私は気にしていないから大丈夫よ? みんなも落ち着いてね?」
ノワールが呼び出したワイバーンとも、私は意思疎通できる。
私の言葉を聞いて、怒りをすっと収めてくれたようだ。
「それでは二人ともご機嫌よう。これから大変でしょうけどお幸せに」
ニコリと最大限の笑顔を見せ、私はノワールたちと共に空を飛ぶ。
巨大なドラゴンと、その周囲を飛ぶワイバーンの群れ。
異様な光景を多くの人たちが目撃しただろう。
「待っていて、今すぐ会いに行くわ――ベルゼ君」
先を見据えて思い出す。
彼と初めて出会った日のことを。
あれは十歳の頃だった。
◇◇◇
とある森の中。
魔物も多数生息する危険な場所で、人間も滅多に近寄らない。
そこに一人の男の子が彷徨っていた。
濃い紫色の髪と赤い瞳。
何より特徴的なのは、人間にはない二本の角を生やしていることだった。
「く、くそっ! 来るな!」
彼はボロボロだった。
たくさんの魔物に追われて、今にも襲われそうになっていた。
そこを偶然通りかかったのが……
「こらみんな! 弱い者いじめはしちゃだめでしょ!」
「え、な……」
十歳になった私と、まだ子供ドラゴンだったノワール。
それでも十分に大きくて、大きな馬の三倍くらいある背に乗って降り立ち、彼を虐める魔物たちを追い払った。
「大丈夫だった?」
「な、何だお前! 人間の癖にドラゴンに乗りやがって」
「他人に名前を聞くときは、まず自分から名前を教えるものよ?」
「し、知るかそんな人間のルール! 俺は悪魔だぞ!」
「そんなの角を見ればわかるわよ」
まだ幼かった私は怖い者知らずで、悪魔についても詳しくなかった。
出会ったのが角と尻尾以外は普通の人間で、少年だったことも影響しただろうけど。
「もう仕方ないわね。私はシルビアよ! この子はお友達のノワール」
「と、友達? 人間の癖にドラゴンと友達って……どういうことなんだよ」
「お友達はお友達よ。みんな怖がっちゃうから、王都だと会えないけどね? それで貴方は?」
「お、俺はベルゼビュート」
「お名前が長いわね。じゃあベルゼ君で」
「な、長いってなんだ!」
彼との出会いは偶然だった。
だけどきっと運命だったのだろう。
なぜなら彼は当時の魔王の息子で、次期魔王になる悪魔だったから。
「こんな所で何してるの? あ、もしかして迷子になったの?」
「ば、馬鹿にするなよ! 俺は修行してただけだ!」
「修行?」
「そうだよ。俺は魔王になるんだ。魔王は誰よりも強くならなくちゃいけない。そうしないと認めてもらえないんだ」
悪魔たちにとって、強さこそが絶対的な指標。
最強こそが魔王を名乗れる。
人間社会における地位や肩書きが、悪魔たちにとっては力なんだ。
「王様になるってどこも大変なのね。私も王女だからちょっとわかるわ」
「お、お前王女なのか?」
「お前じゃなくてシルビア! そうよ? でも王女なんて窮屈なだけだわ。こうしてノワールと遊んでいる方がずっと楽しいもの」
「な、なんか変わってるな……俺が聞いてる人間のイメージと全然違うし」
彼も最初は困惑していた。
だけどこの日をきっかけに、私たちは何度も会うようになった。
一回、二回、三回と重ねるうちに仲良くなって。
「ねぇベルゼ君! 私も魔界に行ってみたい!」
「え? なんで急に」
「だって魔界には魔物さんがいっぱいいるんでしょ? きっと楽しいわ!」
「それは……今は無理だ」
この時のベルゼ君は困った顔をしていたっけ。
当然だろう。
魔界に人間が足を踏み入れるなんてあり得ない。
人間界と魔界は巨大な渓谷に隔て分かれている。
互いに干渉しないことを約束し、長い時間不干渉を貫いてきた。
それを破ることにもなるのだから。
「えぇ~ じゃあ無理なんだ……」
「今は無理だけど、俺が魔王になったら迎えに行くよ」
「本当!?」
「ああ。魔王なら誰にも文句は言わせない。初めて会った時の、助けてもらった恩返しもまだしてないからな?」
まるで人間らしいことを言う。
悪魔にも心がある。
話してみれば分かり合えると知ったのは、彼のお陰だっただろう。
「絶対だよ! 絶対ね!」
「ああ、約束だ」
でも、その日を最後に私は彼と会えなくなった。
王女としてやることが多くなって、頻繁に外出することが出来なくなったから。
偶に時間を見つけて抜け出したけど、彼も私が来なくなったからなのか、姿を見せなかった。
それでも私はずっと信じていた。
彼が迎えに来てくれることを。
◇◇◇
魔界。
大陸の中央を割る巨大渓谷、その西側を呼ぶ。
かつては人類と領土をかけ争い、多くの血が流れた。
しかし時代は流れと共に飽和状態となり、現在は互いに不可侵を約束している。
以来、人間が魔界を訪れることはなくなった。
最後に訪れた人類はおおよそ三百年前のこと。
三百年の空白を今、一人が破ろうとしていた。
「ま、魔王様大変です!」
「――どうした?」
「城の上空にドラゴンがワイバーンを引き連れて向かっています! そ、それも……背には人間の女を乗せていると」
「人間だと? まさか……」
魔王は玉座から即座に立ち上がり、マントを靡かせ駆け足で歩き出す。
「魔王様!」
「今から迎えに行く」
「む、迎え?」
「ああ、どうやら待たせすぎてしまったらしい」
多少呆れながらも嬉しそうに、魔王らしからぬ笑みを見せる彼に、部下の悪魔は困惑する。
彼らは知らない。
魔王がかつて交わした約束のことを。
その相手が、まさか人間の少女だったなんて。
魔王城上空にドラゴンが舞う。
配下の悪魔たちが警戒する中、魔王ベルゼビュートが姿を現す。
彼は一切の躊躇なく、黒いドラゴンの前へと飛翔する。
「久しぶりね? ベルゼ君」
「――まったくお前は、自分から来てしまうんだな」
「だって全然迎えにきてくれなかったんだもん。もう待っていられないわ」
「お前らしいな、シルビア。でも……ようこそ俺の世界へ!」
幼き日に交わした約束。
それが今、こうして果たされた。
◇◇◇
魔王城に緊張が走っている。
その原因を作ったのは他ならぬ私なのだけど……
「本当に驚いたよ。来るなら来ると言ってほしかったな」
「そんなの出来るわけないでしょ? 連絡手段なんてなかったのよ?」
「まぁそうなんだけどさ。お陰で部下たちに説明が大変だ」
「それはごめんなさい。魔王様も大変なのね」
一つ屋根の下、どころか同じ部屋で魔王と二人きり。
こんな状況、普通の女の子なら耐えられないよね。
私は彼の容姿を下から上に眺める。
小さかったあの頃の面影は残っているけど、本当に大きくなった。
身長差なんてなかったのに、今は顔も見上げる高さにある。
彼は本当に悪魔なんだなと、今更実感させられる。
恐怖はない。
むしろ懐かしくて、心が落ち着く。
「また会えたわね」
「ああ。迎えにいくつもりだったんだぞ? その準備をしていたのにお前は」
「仕方ないでしょ? 色々あったのよ」
そのいろいろの部分を、私から彼に説明する。
ついこの間、婚約者と別れて、一緒に王族でもなくなったことを。
「す、凄いな……怒涛の展開だ。というかショックじゃなかったのか?」
「全然? お陰で自由になれたし、二人には感謝しているくらいよ」
「そうか……シルビアが納得しているなら構わないけど。これでお前は人間の敵になってしまったんだぞ? 後悔は――」
「してないわ!」
彼が言いきる前に、被せる形で言い返した。
そんな私に彼も呆気にとられている。
「だってずっと会いたかったんだから。ベルゼ君が迎えに来てくれるのを待っていたのよ? 後悔なんてするはずないわ」
「シルビア……」
「ずっと……ずっと思っていたの。私の居場所はあそこじゃない。きっとここにあるんだろうって」
窮屈だった。
退屈だった。
人間社会は、王女としての暮らしは。
地位や権力、周囲の意見なんてどうでも良い。
そんなものはいらない。
私はただ、自由になりたかった。
お友達と仲良くすら出来ないなんて、そんなの楽しくないでしょ?
「だからベルゼ君、私をここに居させてほしいな」
自覚はある。
私のお願いは無茶だ。
魔界に人間が足を踏み入れる。
それだけでも三百年ぶりなのに、ここは魔王城で、相手は魔王様だ。
きっと部下の悪魔たちは疑問を浮かべるだろう。
否定する者もいるだろう。
それでも私は、ここを自分の居場所にしたいと思っている。
私のためにも、お友達のためにも。
「一応確認するけど、本心でいいんだね?」
「もちろん! 私が望んだことだよ。ここならノワールにも窮屈な思いはさせずに済むしね」
「そうか」
ベルゼ君は安心したように、気の抜けた笑みを見せる。
そうして彼は穏やかな口調で答える。
「最初からそのつもりだよ。そのための準備はしてきた。ちょっと途中だけど安心してくれ。俺がここをシルビアの居場所にしてみせるよ」
「うん! 期待してるよ? 魔王様」
「ふっ、今更そんな呼び方されると歯がゆいな」
そう言って恥ずかしそうに笑う。
私も彼につられて笑みをこぼす。
「改めて、ようこそ魔界へ! 歓迎するよ、シルビア」
「うん! これからよろしくね? ベルゼ君」
握手を交わす。
悪魔と人間。
魔王と元王女。
本来相容れない私たちが、こうして繋がっている。
奇跡みたいで、奇跡じゃない。
私たちは出会い、先へと進んでいく。
◇◇◇
シルビアがドラゴンの背に乗り旅立った。
その事実は一瞬にして城中に広がり、すぐに噂となって王都にも広まった。
多くの者たちが空を舞うドラゴンを目撃したのだ。
目を疑うような現実でも目の当たりにしてしまえば、もはや信じるしかない。
「お姉さまが……まさか裏切者だったなんて」
「ああ、私も酷く動揺しているよ。一体いつから……魔物を従えるなんてあり得ないことだ」
動揺しているのはアスベルとイリヤだけではなかった。
当然、国を統べる者であり、シルビアの父である現国王にもその事実は届いている。
切り捨てようとしていたと言っても我が子。
まさか王家の血筋の者が魔物と繋がっていたなどと、誰が予想できただろうか。
悲嘆にくれる国王は、全国民に通達した。
元王女シルビアを人類の敵とし、国際指名手配の対象とすることを。
見つけ次第拘束、連行せよとの命令が騎士たちにも下った。
もし抵抗するようなら殺しても構わない。
王家の……否、人類史の汚点である彼女を生かしておく理由はない。
「仕方ありませんわね。人間でありながら魔物を従えるなんて……言い逃れ出来ませんわ」
「ああ。彼女のことはもう……忘れたほうが良い。あれは人間じゃない。単なる化け物だったんだ」
この決断をアスベルとイリヤが強く支持した。
彼らに留まらず、他の有力貴族たちも同様の見解を示す。
だが、この決断が致命的だった。
致命的に間違ってしまった。
彼女を敵に回すという意味を、彼らは何も理解していなかった。
この日をきっかけに、彼らは破滅の道を歩むことになる。
そして一年を待たずして……王家は没落するだろう。
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