5 反則な友人
それから毎日ではないものの、麟くんは頻繁に私の家を訪れるようになった。
「ここの2階に住んでる友達って、葉山くんだよね」
私の希望通り、麟くんは学校では接触しないでくれている。私の住むアパートは大学からは少し離れた場所にあるので、私たちの関係は誰にも気づかれる事はなかった。
「半年もここに住んでいるのに、全然気付かなかったなぁ」
「侑が越してきたの9月だからな。夏季休暇が終わるまでは俺と一緒に実家から通ってたし」
「そうなの……どうりで。4月からじゃなかったんだ、半端な時期に越して来たんだね」
麟くんはベッドの側面を背もたれにして、片膝を立てて座っている。もうすっかり、自分の部屋のような勢いで寛いでいる。
「あいつ、俺の妹から逃げるために引っ越したんだよな」
「えっ? 麟くんの妹さんって葉山くんの彼女なんじゃ」
「最終的には上手くいったけど……俺も侑も、あの頃はもう無理だと思ってたんだよな。昔っから側にいるせいか、懐かれていはいるけれど兄としか思われてなくてさ」
あ――…分かる。
葉山くんはアレだ。穏やかで優しそうで、親しみやすい人ではあるけれど、ときめきは感じない……いわゆる「いい人なんだけど」で終わる典型的なタイプの人だ。
麟くんの妹さんが、葉山くんをいかに「優しいお兄さん」扱いしていたのか、申し訳ないけれど手に取るように思い描けてしまった。
でも、ちゃんと好きな子と恋人同士になれたんだね。
「上手く行って良かったね」
「ああ、本当に良かった」
そう言って、麟くんの口元がふっと綻んだ。
あ。麟くんが……笑ってる。
葉山くんは、麟くんの幼馴染であり親友だ。
中学の頃の麟くんは女子に人気がある反面、男子からはよそよそしい態度を取られていた。そんな彼と唯一仲の良かった男子が葉山くんだった。
彼と同じクラスになった事はないけれど、先生から雑用を頼まれている姿を何度も見かけた事がある。彼は……私が言うのもなんだけど、かなりのお人好しだと思う。
麟くんは、そんな葉山くんのことが大好きだ。
でもそれは、みんなが噂するような恋人としての好きじゃない。親友として好きなのだ。今だって、そう。葉山くんの想いが報われて、麟くんは心から喜んでいる。
葉山くんには、今や可愛い彼女がいる。
――――それなのに、2人の噂は相変わらずだった。
「きゃっ、麟さまが葉山くんを見つめてる!」
「笑ってる、笑ってるわ」
「やっぱり仲いいよねえ、あの2人。ラブラブじゃん」
「はぁ……悔しいけど葉山くんが相手じゃ割り込めないわよね」
付き合ったり別れたり、そんなことイチイチ周囲に言いまわる人なんていない。言ったとして、せいぜいが親しい友人くらいだろう。
もちろん葉山くんだって、誰にも何も言わない。それでも新しい相手が同じ大学の子なんかだと、一緒にいる所を目撃されたりして皆にバレるのだろうけど……葉山くんの彼女は麟くんの妹さんなのだ。
地元でしか会えない彼女との関係は、こっちでは誰にも気付かれていないようだった。
女の子達は、麟くんと葉山くんが付き合ってると未だに信じ込んでいる。顔を見ながら会話をしているだけなのに、見つめてることになるなんて……思い込みって怖い……
今の状態をキープしていれば、ダミーの彼女は必要なさそうだな……と私はコッソリ思っていた。
それなのに麟くんは、相も変わらず私に彼女役を求めてくる。
「ねえ、麟くんは一人暮らししないの?」
「まあ、自宅からでも通えなくはないからな」
「私らの家からだと、大学まで2時間近くかかるでしょ」
「本当はその方が楽なんだろうが……学校の近くに住んだとして、万が一にでも、自宅の周囲を女に囲まれたらと思うとぞっとするからな……」
「麟くん……バレンタイン事件が未だにトラウマなんだね」
「苺も体験してみろよ、圧死するんじゃないかと思えるぞ。あんなのもう2度とごめんだ」
「モテるってのも大変だねえ」
「大変だと思うなら俺と付き合えよ。苺が彼女になってくれりゃ、安心して一人暮らし出来ると思うけどな?」
「も~、無茶言わないで」
といっても軽い調子なので、半分くらいは冗談なのだろうけど。
麟くんも分かっている筈だ。
現状のままでいる方が、平穏無事だってこと。
「なぁ、苺。苺って今週末は暇してる?」
大学の後にこうして会うのは、放課後の教室にいたあの頃を思い出す。
「日曜は暇してるよ。土曜はバイトだけど」
「バイト?」
「喫茶店でウエイトレスしてるんだ。制服が可愛いの!」
「ふぅん、よく雇ってもらえたな。中学生と間違われなかったのか?」
「そんなの間違われっ………たけど、学生証見せたらちゃんと分かって貰えたし……」
ふとしたことから疎遠になっていた私たち。これまでの空白の期間が、ほんのわずかであったかのように、麟くんとは元の気安い関係に戻っていた。
「見たいな」
「――――え?」
口元に弧を描きながら、麟くんの身体が私の方へと前のめりに傾いた。整った顔が近づいて、不覚にもどくりと心臓が跳ねてしまう。
「ちびっ子イチゴのウエイトレス姿」
彼の冷ややかな目元は、不意に甘さを醸し出す。
冗談じゃない。世間話の最中なのに、急に甘い目つきしないでよ。ただでさえ綺麗な顔してるんだから、心臓が反応して困るんだってば……
「見せてよ」
ちょっと本当に勘弁して……。声まで甘ったるい上に謎の色気を放つとか……それ反則だって分かってる!?
私は腕を組んで機嫌を損ねたふりをして、ぷいっと目を逸らした。心臓の、どくどくと鳴るリズムが耳につく。
「や、やだよ! 動物園の猿じゃあるまいし、私は見世物じゃないからね」
「見物料ならちゃんと払うぞ。なにがおすすめだ?」
「苺のタルトが有名だけど……そもそもうちの店、客も店員も若い女の子だらけだし。来ても麟くんが困るだけだよ?」
「女だらけか……それは嫌だな……」
麟くんがぐっと言葉を詰まらせた。
うんうん。見物するどころか、麟くんが見世物になっちゃうよね。心底嫌そうな声に、おかしくなってくすりと笑みが零れる。
「笑うなよ」
「だって」
「くそ。見物は諦めたけど、代わりに日曜はこっちに来るからな」
「え?」
「日曜なら暇なんだろ?」
「そうだけど―――……」
2時間もかけて、わざわざうちまで遊びに来るの?
言いかけた声が、のどの奥へと引っ込んだ。麟くんの手が不意に私の肩に触れたのだ。不思議。ひんやりとした手をしてるのに、触れられたところが熱を持つなんて。
どくどくと鳴る胸を抱えながら、そろりと視線を彼に戻してみた。
なんて困った人なんだ。麟くんの瞳はさっきよりも甘くなっている。
「俺も日曜は暇なんだ。―――暇人同士、一緒に過ごそーぜ」
この何気ない仕草に。視線に。他意がないのは分かってる。
彼にとって、私は目新しい友人で。葉山くん以外に親しく出来る、数少ない貴重な相手であって。特別な意味なんてそれ以上なにも、なくて。そんなこと全部分かっている。けれど―――。
……麟くんは、顔もスタイルも声も仕草も、なにもかもが規格外にかっこ良すぎるから。
だからこんなに簡単に、ドキドキさせられてしまうのだ。
「うん、日曜待ってるね」
ほんとずるい。麟くんは私を翻弄してばかりいる、イジワルな王子様なんだ。