34 勘違いとお邪魔虫
まもるくんにやっと、ごめんなさいが言えた。
逃げずに、言えた。
口にするまではとにかく気が重くて。口にした直後はひたすら胸が痛んで。でも今は、喉元に絡みついていたものがすうっと溶けて消えたような、すっきりした気持ちでいる。
……ミカちゃんには、申し訳ないけれど。
頬に当たる風は、冷たいけれど心地いい。
喫茶店を出てまもるくんと別れて、そのままの勢いで私は大学までやってきた。冬期休暇中だが部活は行われているらしく、グラウンドは賑やかだ。
テニスの、ラケットでボールを打ちぬく爽快な音を耳にしながら、私は体育館の方へと向かった。
もう、逃げ回るのはやめにする。
大丈夫、まもるくんにはちゃんと言えたんだ。岩田くんにも、逃げずにちゃんと言えるはず。
体育館の入り口から中を覗くと、白い道着を着た体格のいい集団が目についた。ちょうど休憩中らしく、みんな床に座り込み、飲み物を飲んだりお喋りをしたりと自由に過ごしている。
その中にひときわ体格の良い人がいた。あの迫力のある顔は間違いない、岩田くんの所属する部活の部長さんだ。ということは、この集団の中に岩田くんがいるはずなんだけど……おかしいなぁ。いくら目を凝らしても、岩田くんらしき人は見あたらない。
仕方がないので、部長さんに声をかけてみる。
「あの、すみません。岩田くんはどこにいますか?」
「ん? 岩田……?」
唸るような低い声をあげ、部長さんが振り返る。太い眉が寄せられて、眉間に何本ものしわが深く刻まれた。
ううっ、相変わらず威圧感たっぷりで怖い……
早速逃げたくなったけど、そこを堪えてぐっと踏みとどまる。岩田くんに会ってもいないのに、逃げるとかいくらなんでも早すぎるよね。
慄く私をジロジロと見回した後、部長さんが私の両肩をがしっと掴んだ。
ひぇぇぇぇぇ! やっぱり逃げればよかった!!
「お前確か、岩田待ちしていた子だったな。……残念だったな」
…………はい?
「岩田くん……今日はお休みなんですか?」
「いや、外にいる。たぶん、ベンチのある辺りにいるんだろう。まあ気を落とすな。人生なんて、中々思うようにいかないものだ」
なぜか部長さんに憐れみの視線を向けられている。
どうやら彼なりに慰めてくれているようだけど……肩痛い。そして意味がよく分からない。
「あ、ありがとうございます。ベンチの方見てきますね」
「行くのか。そうだな、ちゃんと向き合ってきた方がいいだろう」
「そ、そうですよね……」
「泣きたくなったらいつでも来い! 俺で良ければ幾らでも胸を貸してやるからな!」
そう言って、頼もしげにドンと胸を叩かれたけど……部長さんの胸の中とか、怖くて余計に泣いちゃいそう!
「お気遣いありがとうございます、たぶん大丈夫ですからっ!」
私は逃げるように体育館を後にした。
◆ ◇
体育館の裏手にある白いベンチに、岩田くんが1人で座っていた。
これから泣きたくなるようなことが起きるのだろうか……さっきの部長さんのセリフを思い出してドキドキしながら、一歩一歩、彼に近づいていく。
ううん大丈夫だよ。話せばちゃんと分かってくれるよ。
あれから岩田くんには近づいてないんだし、誤解なんてすぐに解けるよね。
ふるふると震える拳を握りしめながら、ベンチまでついに辿り着く。
「岩田くんっ!」
私の声に反応し、岩田くんが私の方を向いた。部長さんほどではないけれど、相変わらず迫力のある顔だ。じろりと一瞥され、心臓がひっと息を詰めた。
「なんだ、何か用か?」
「あの、私……岩田くんに謝りに来たの。誤解させるような事をして、ごめんなさいっ!」
ぺこりと頭を下げ、一息に謝罪の言葉を告げる。
「岩田くんの事を色々聞きたくて、麟くんに頼んだのは確かに私なんだけど……知りたがっていたのは私じゃなくて、別の子だったんです」
「やっぱりな、だろうと思った」
……あれ?
岩田くんはあっさり納得してくれた。
拍子抜けして顔を上げる。岩田くんは特にどうとも思っていなさそうな表情をしている。
やっぱりって……勘違いだってこと、気づいてたの?
そういえばまもるくんと違って、校内を追いかけっこしたあの日以降、岩田くんからの接触はなかった。
「部長の言葉についうっかり乗せられてしまったが、よく考えたらおれに気があるのに逃げる訳がないんだよな」
「岩田くん、気づいてたんだ……」
「ああ。家帰って、顔洗って自分の顔を鏡で見たら、一気に目が覚めたぜ」
どうやら誤解は、とっくの昔に解けていたらしい。なにそれ……
脱力感に襲われて、へなへなとベンチに腰掛ける。
「あの時のことなら、おれもすまんかった。おれみたいな奴に追いかけ回されて、怖い思いをしたんじゃないか?」
「ううん、紛らわしい行動を取った私も悪かったの。彼女になれなくてごめんなさい」
「気にするな! 彼女ならもういいんだ。部長の言った通り、おれに春が来てだなぁ。おれは……今のおれには、天使のような可愛い彼女がいるんだ……」
岩田くんの褐色の頬が、ほんのりとピンク色に染まっていく。
―――――え、彼女?
かかかかか、彼女っ!?
目をパチパチと瞬かせる。彼女って、いつの間にっ!?
隣に腰掛ける岩田くんににじり寄り、問い詰めようとした瞬間、後ろから聞き覚えのある声がした。
「苺ちゃん! 岩田さんと……いったい、何をしているの……」
くるりと振り返ると、泣きそうな顔をしたえみりちゃんがそこに立っていた。
◆ ◇
誤解だと必死に言い募り、やっとえみりちゃんは納得してくれた。
岩田くんの誤解を解くよりもはるかに大変だった……。
そして、『岩田くんの彼女』の件だけど……
「え? じゃあ岩田くんの彼女って、えみりちゃんなの!?」
「やだ、彼女とか照れちゃうわ、苺ちゃん……」
えみりちゃんがもじもじしながら岩田くんの背中に半分身を隠した。背後から道着の裾を軽く摘まむ彼女に、岩田くんが怖い顔を緩ませている。
ほんとに付き合ってるんだ……
自分から声をかける事すら出来ないでいたのに。一体なにがどうなって、付き合うようになってるの!?
「ちょっとえみりちゃん、いつの間に岩田くんと付き合うようになったの? 私、何も聞いてないけど」
「それが、冬休みに入ってすぐの頃なのよ。わたし、もう胸がいっぱいで……苺ちゃんに報告しようとしたけれど、携帯が繋がらなかったの。何度か電話したのよ?」
「あ――……」
こてりと首を傾げるえみりちゃんから、私はサッと目を逸らした。そういえば、イブの件が気まずくて、暫くの間携帯の電源をオフにしてたっけ……
「にしても。えみりちゃん、あんなにムリムリ言ってたのに……何があったの?」
「苺ちゃん。わたしね、反省したの」
「えっ?」
「ほら、ジュースの件で怒られたでしょう? 苺ちゃんを頼ってばかりだって。それでわたし、自分でもっと動かなきゃって、反省したの」
「それで、岩田くんに告白したの?」
卒業までに声を掛けよう……なんて呑気なことを言っていた、あの、えみりちゃんが!?
「そんなことはさすがに出来ないわ」
驚きの展開に目を丸くしていると、きっぱりとえみりちゃんが否定した。
「まずは声を掛けてみようと思ったの。でも、体育館じゃ人が多くて、岩田さんの前に辿り着く前に眩暈がしそうだったから、部室の方へ行ってみることにしたの」
部室かぁ。私と同じこと考えたんだ。
「でもね。やっぱり、ドアを叩く勇気が出なくて……部室前をうろうろしていたら、怖い人に声を掛けられちゃって。困っていたら、岩田さんが助けてくれたの……」
そう言って、えみりちゃんが岩田くんをちらりと見上げた。
「部長、いい人なんだけどあの見た目だからな。女の子によく泣かれるんだよな。えみちゃんも泣いてたよね」
「だってすっごく怖かったのよ」
うん、分かる。部長さん、怖いよね。
でも岩田くんもあんまり変わらないと思う……。
むうっと唇を尖らせて、えみりちゃんが岩田くんの腕に甘えるように縋りついた。そんなえみりちゃんの肩を抱き、岩田くんがデレっとした顔をした。
うん。ラブラブだね。
「えみちゃんのことは、実は前から知ってたんだ」
「え?」
「ほら、体育館によく覗きに来てただろう? 可愛い子がいるけれど、誰が目当てなんだってみんなで噂してたんだよな」
えみりちゃんが目を見開いて、真っ赤になった顔を両手で覆っている。
こっそり覗き見してるって言ってたけど……バレバレだったんだね……
「えみちゃんを助けたら、名前も教えてないのに『ありがとう、岩田さん』なんてお礼言われてだな。つい調子に乗って『もしかしておれを待ってたのか?』なんて言ってみたんだが……頷かれてびっくりしたんだぞ。まさかえみちゃんがおれを見ていたとは」
「だって岩田さん、とってもカッコよかったんだもの……。だから苺ちゃんに頼んで色々聞いて貰っていたの」
「そうだったのか。おれもえみちゃんのこと、可愛いなと思ってたんだ」
2人が熱い視線を絡ませ合っている。
もしかして今の私、お邪魔虫?
「良かったね、えみりちゃん。じゃあ私はこの辺で……」
2人の邪魔をしないよう小声で告げてから、私はそろりとその場から離れた。