30 初めてのデート
結局、どちらにも本当のことが言い出せないまま当日の朝を迎えてしまった。
ああっ、最低の朝だ……。
目を覚まして早々にうなだれる。ベランダから差し込む朝の光は明るくて眩しいのに、部屋の中はどんよりと重く沈み切っている。
昨夜はほとんど眠れなかった。寝不足のせいか頭が痛い。これからの展開を思うと、胃までキリキリと痛くなってくる。支度に身が入らなくて、クローゼットからいつもと変わらない服を取り出して、鏡の前で苦笑した。クリスマスにデートする女の子の恰好じゃないなぁ、これ。
頭も胃も、なんなら全身鉛のように重いのに、どうやら私の身体は小粒だけど頑丈に出来ているようだ。このまま途中で倒れてしまいたかったのに、駅まで無事に到着してしまった。
駅の周囲は、待ち合わせと思しき人々で混み合っていたけれど、麟くんはすぐに見つかった。口元を綻ばせながら、周囲にチラチラと視線を向けている。
私と目が合って、麟くんがひときわ眩しい笑顔を見せた。
「よお」
ぐっ、笑顔が胸に突き刺さる……。
乾いた笑いを浮かべて立ち尽くしていると、麟くんが私の側に駆け寄ってきた。頭に手を置かれて、そのままぐしゃぐしゃと掻き回されてしまう。
「なにいつまでもボーっと突っ立ってんだよ。俺に気づいてたんだろ?」
「わわ、やめて! これでもいちおう整えたのに!」
「なんか眠そうな顔してんな」
「んー、ちょっと寝不足で……昨日なかなか寝付けなくてさ……」
「ふぅん。そんなに楽しみにしてくれていたのか?」
うっ……ごめんその逆……
麟くんがにやにやと嬉しそうに笑っている。後ろめたくてそっと視線を逸らした。むしろ今日という日が来なければいいのにと願っていたなんて、言えない……
「じゃあ、行こうか」
麟くんの手が私の手に触れる。
ひじょーに気は重いけど。それでもやっぱり、繋いだ手のひらにドキリとさせられるのだった。
◆ ◇
電車に乗って、この辺りで一番賑やかな繁華街までやってきた。
みんなとは、お店の入っているビルの入り口で合流することになっている。待ち合わせの時間まで間があるので、少しだけ街をうろうろすることにした。
「どこか、行きたいところあるか?」
「うーん、あんまり出歩かないからよく分かんない。麟くんは?」
「人の多いところにまず来ることがないからな。言っただろ、デートは初だって。こういう時にどういう場所に行くものなのか、さっぱり分からん」
「私だってデートなんて初めてだよ……。そうだ、葉山くんは? そういう話しないの?」
「あいつらのデートを真似していたら、胃もたれするぞ。やってることほとんど、スィーツの食べ歩きだからな」
ランチの前に食べ歩きなんて、無理だ……。
かと言って、時間が決まっているから映画を見るわけにもいかないし、場所も決まっているから遠出だって出来やしない。
「とりあえず、通りのお店を順番に見ていくか」
「……うん!」
繋いだ手にキュッと力をこめる。
たぶん、麟くんと一緒なら。
ただうろうろするだけでも、素敵なデートになるんだろうな。
……なんて、夢みたいなことを思っていたけれど。
「……うん、麟くん。やっぱり街をうろつくのは止めよう」
「ああ、俺もそうした方がいいと思っていたところだ」
街を歩いていると、あちこちからやたらと視線を感じるのだ。
みんなが麟くんをボーっとした目で見て、それから私に視線をずらし「えっ」という顔をして、また麟くんを不審そうに見つめている。それ、どういう意味!?
それだけじゃない。なぜか、この私が隣にいるにもかかわらず、麟くんがナンパをされている。
いや、ムッとくるけどそれはまだいい。まだ我慢できる。それよりも一番の問題は……
「なに俺をナンパしようとしてんだよ。隣に彼女がいるのについて行くわけないだろが。お前ら、ふざけたことしてんじゃねーぞ」
「麟くん麟くん、どうどう落ち着いて。もう、可哀想にすっかり怯えちゃってるよ!」
「るっせ。苺を無視してくるような奴らに、加減する必要なんてねーよ」
「だから目つきが怖いんだって!!」
女の子たちに付きまとわれて、すっかりささくれだった麟くんを抑えることが、一番大変なんだけど!
凍てつく視線を向けられて、ナンパをしてきた女の子たちはすっかり怯えて固まっている。可愛そうに、顔色は真っ青だし肩がぷるぷると震えている。
「ほらもう、行くよー!」
麟くんの腕を無理やり引っ張って、私は雑貨屋を後にした。
◆ ◇
川べりに並んで腰を下ろした。三角座りをしながら、静かな水面をぼんやりと見つめている。
上空には白い鳥が一羽、大きく弧を描いていた。
ここは平和だ。適当に歩いて辿り着いたけれど、どうやらここはカップルの聖地のような場所だった。女の子ももちろんいるけれど、騒がれる事はない。みんな彼氏と肩を寄せ合って、いい雰囲気の真っ最中なのだ。
しかも、予約しているお店まで、ここから近い。
というかビルがすぐそこに見えている。
しばらくここでゆっくり過ごして、時間が来たら連れて行こうかな……
そこまで考えて、チクリと胸が痛んだ。
まだなんにも伝えてない。
いい加減、そろそろ……言わないといけないよね……
「悪いな」
「えっ」
「デートがしたいとか言っておきながら、台無しにして悪かったな」
「ううん。あれはうんざりするよね。麟くんが苛々するのも分かるよ」
中学時代から、女子に囲まれるのが嫌いだった麟くん。
分かる。今日、初めて彼と一緒に街を歩いてみたけれど、常に騒がれるのって落ち着かないよね。
じろじろ見られるのも気分よくないし。
「いつもああなの? 大変だね」
「いや、声までかけられるのは久しぶりだな。視線を感じるのはいつものことだが……。くそ、よりにもよってあいつら、苺がいる時にナンパなんてしてきやがって」
それ、私が隣にいるから……だよね。
麟くんは綺麗すぎるから、一人でいる時は近寄りがたくて見ているだけになっちゃうんだろうなぁ。けれど私が隣にいることで、身近に感じて声が掛けやすくなるんだと思う。
つまりは私のせい。
「気、悪くしたよな」
「ううん、平気。麟くんがモテるのなんて知ってるし。中学の頃から凄かったもんね」
私こそ、女の子ホイホイにしかならない見た目でごめんなさい。
妹さんくらいの美少女なら、誰も割り込もうとしなかったんだろな……
「言っとくけど、あんなやつらに声掛けられたって、全く嬉しくないからな? ヘンな勘違いすんなよ」
「へっ!? 分かってるよ。麟くんは昔から、女の子に囲まれて迷惑そうにしてたしね」
「分かってるならいいんだ。俺は、苺だけが好きになってくれたらそれでいい」
麟くんが、私の肩をきゅっと引き寄せた。耳元で甘くささやかれてドキリとする。
「苺も初めてだったんだな。デート」
「だって、麟くんとしか付き合ったことなかったし」
「別れた後、ずっと彼氏いなかったのか?」
「そんなのいるわけないよ。だって私、色気皆無の馬鹿なチビ子だもん」
「まぁ、確かに」
楽しそうにくすりと笑う声がした。
くっ、否定してくれない……!
まあ全部、過去に麟くんから言われた言葉なんだけどさっ。
改めて疑問だ。こんな私がいいなんて、麟くんの趣味って一体どうなってんの……
「そうだよな。お前、チビで色気皆無の馬鹿だもんな。こんな奴がいいだなんて物好き、俺くらいだよな」
「ちょっと、そこまで言わなくても良くない?」
くつくつと堪えるような声がすぐそばで聞こえきて。さすがに腹に据えかねて隣を向くと、目じりに涙を浮かべたまま柔らかく笑う彼がいて、ドキリと胸が鳴る。
「このままだと俺が、苺にとって最初で最後の相手になりそうだな」
「か……かもね……」
彼の瞳が真剣なものに変わった。
綺麗な顔がゆっくりと近づいてきて、私の顔に影を作る。
「そのまま、俺だけを好きでいてくれよ……」
地面についた右手の甲に、いつの間にか彼の手のひらが被せられていて。そのぬくもりにドキドキしながらそっと瞼を閉じると、突如、後ろから甲高い声が聞こえてきた。
「あっれー、苺ちゃん! こんなところにいたんだぁ!」
!!!!!!!!!
まもるくんとの夕食は、デート認定されていないようです。