3 2度目の再会
あの葉山くんに、彼女が出来た。
ス――――ガタッ ス――――ガタッ
コピー機のフタの上に両手を置いてぼんやりする。
今は3限の講義が行われている時間帯。
私は、購買部の隅っこに設置されている2台のコピー機のうち、1台を占拠していた。周囲には誰もいないので、迷惑行為には当たらないはず。
「麟くん……」
昨日、麟くんに「付き合おう」なんて言われたけど……
無理だ。絶対に無理だよ。
私じゃ周囲が納得してくれない。
「呼んだか?」
――――へっ!?
後方から聞き覚えのある声がして、ぎょっとして目を見開いた。
恐る恐る振り返ると、ありえない人物が私の背後に立っている。彼は腰を屈めて私の顔を覗き込み、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「それとも、俺のこと考えてた?」
「…………」
うわああぁぁぁぁぁぁ、でたぁ!
なんで!? なんで麟くんがここにいるの!?
そりゃ同じ大学だけど。でも、これまでエンカウントしたことなかったのに!
おっしゃる通り、麟くんのこと考えてたけど…っ、でもでもでも!
にやにやしないで麟くん、違うの、そんなつもりじゃないからっ!
プチパニックに陥った私は、とっさに逃げ出そうとして正面にいた彼のでかい図体にぶつかった。うう、鼻が痛い……。
よろめいた私の背中に麟くんが両腕を回して抱きとめる。
くっ……!
またもや簡単に捕獲されてしまいました。
ああもう。どうしていつもいつも、麟くんてば逃げようとする先に立ってるの……。
「こんの馬鹿イチゴ。俺の名前を口にしておきながら、逃げるってどういうことだよ」
気のせいかな。頭上から冷気が漂ってくる……。
腕に力が込められて、私の顔面が麟くんの胸板にぎゅっと押し付けられてしまった。
うぷっ。
……く、苦しいんだけど!
「ぶぶっ、ギ、ギブギブギブ! 逃げないからお願い、放してっ!」
「俺と付き合ってくれるなら放してやるけど?」
「はっ……放して欲しいけどそれだけは無理ぃ……!」
葉山くんの代打なんて、無茶言わないで欲しい。
私は、極端に背が低い。
おまけに幼い顔立ちをしている。街を歩けば中学生と間違われることだって、ザラなのだ。
こんな私が麟くんの彼女役をしたところで、悲しいかな、似てない妹にしか見られないと思う。
私と付き合っても、あの子なら奪えると思われるだけだ。
麟様、女の子に興味があったのね!
なーんて。女の子除けどころか、逆に女の子ホイホイで終わりそうな気がする。
「……そんなに嫌なのか?」
「えっ……」
ふぅ、と細く吐く息が耳元を掠めて。
見上げると、彼が私を切なげに見つめていた。
――どうして?
そもそも私は、中学時代に一度失敗してるのに……。
「まぁ、逃げないなら放してやる。焦るつもりもねーしな」
ふっと腕の力が緩んだ。安堵したのも束の間、麟くんが私の髪をぐしゃぐしゃと掻き回し始めた。
「やめて! ただでさえ癖っ毛なのに、鳥の巣頭になっちゃうよ!」
「ふん。逃げた罰だ」
「だってびっくりしちゃったんだもん!」
「だからって逃げることないだろ。そもそも、それ放置したままでいいのか?」
呆れた様子で、麟くんが長い指の先をつっとコピー機に向けた。
はっ。
よく考えたら、コピーしている最中だった。
逃げちゃダメじゃん。
「よくない……」
コピー機が動きを止めていたので、蓋を開けて新たなページにセットし直した。蓋を閉めてボタンを押すと、コピーをする機械音が再び軽快に流れ始めた。
麟くんがその様子をじっと見つめている。
「……もしかしてさっきから必死にコピーしてるそのノート、お前のか?」
「うん、そうだよ」
これ以上怒らせてはいけない気がして、にこやかに答えてみた。それなのに麟くんは冷ややかな視線を私に向けてくる。なぜだ。
「ほんっと底抜けの馬鹿だな、なんで貸し出すお前がコピー取ってんだ。そんなの欲しい奴にやらせろよ」
「コピー代はちゃんと後で請求するよ?」
「当然だろ。わざわざ言うようなことじゃない」
「んー…でも7人分だから……。みんながそれぞれ1部づつコピーするよりも、私がみんなの分をまとめてコピーした方が早いよね。ね?」
「早いか遅いかで言えば、誰にも貸さないのが一番早い」
「冷たっ!」
「ノートが欲しけりゃサボらず授業に出て、自分で取ればいいんだよ。後で困ったとしても、そいつの自業自得だろ」
それはそうだけど………。
ノートを貸すくらいいいじゃない。たいしたことじゃないんだし。
「それよりも麟くん、お願いがあるんだけど」
「ん? なんだ?」
「学校では話しかけてこないで欲しいの」
「…………はぁ?」
「自覚してると思うけど、麟くんって目立つんだよ。あんまり側にいられると周りに誤解されちゃうよ?」
「…………」
あの、鋭い目つきで睨みつけないでください。怖いから。
私の言い草があんまりなのは分かってる。ダミー交際を断られたとはいえ、知り合いとして話しかけるくらい構わないじゃないか、と麟くんは思っているよね。
でも、繰り返すけれど麟くんは非常に注目されている。
彼には親しくしてる女の子なんていない。それなのに私と気安く喋っているところを見られたら、他の子達だって「私も!」と目の色を変えるに決まってる……。
分かってるのかな麟くん。
あんなに嫌がっていたのに、中学時代みたいに……女の子達がぐいぐい押し寄せるようになっちゃうよ?
「要するに……苺は、俺と一緒にいるところを大学のやつらに知られたくないんだな」
「う、うん……そうなるかな……?」
私がというより、知られて困るのは麟くんの方だと思うけど……
「分かった。学校じゃなければいいんだな」
「まあ、人目のないところなら……」
「じゃあ後で苺の家に行く」
「へっ!?」
「人目のないところならいいんだろ? 苺の家なら2人きりだよな」
「ふ、ふたりきり……」
麟くんの瞳がすっと細められる。
そ、そうだけど!
なんだか危険な香りがする。今一瞬、背筋がぞくっとした。
「あの、やっぱりダメって言ったら、……怒る?」
「怒りはしない。今すぐお前を抱えて、玄関ホールの目立つところに立ちに行くだけだ」
ちょっと麟くん!
にやりと笑いながら、恐ろしいこと言わないで!
「今日、授業何限までだ?」
「えっと、次の4限でおしまい」
「俺もだ。じゃ、終わったら門のところで待ち合わせて――――」
「だ、ダメダメダメ! 門なんて目立ちまくるじゃない。私、1人で帰りたい!」
麟くん、私をからかって楽しんでるね?
目が笑ってる。口元がニヤついている。これ、絶対絶対確信犯――――!
コピー機が再び止まっている。
次のページをセットしようとして、最後のページまでコピーし終えていることに気が付いた。
「じゃ、私もう行くね」
イジワル王子の相手なんて、していられない。
お釣りを手早く財布にしまう。
カバンの中にノートを入れて、代わりに紙袋を取り出した。量が多いのでこれに入れておいて、明日の朝みんなに渡そう。
用紙を入れやすいように、紙袋の片側の取っ手を左手で掴んだ。ここにコピーしたものを直接シュートしようとして、私はトレイに溜まっているコピー済み用紙に右手を伸ばした。
「手伝おうか?」
「え? 別にいらな……きゃああああ!」
コピーした量が多すぎたのか、案外厚みのあった紙の束は、私の右手で上手く掴み切れずにぐらついて。
トレイから取り出した瞬間、私の手から紙束は滝のように滑り落ち、大量の紙がひらひらと辺り一面に飛び散った。
や……やっちゃった……
呆然とする私を、麟くんが口元を押さえながらチラリと横目で見る。
「苺……お前俺を笑わせたいのか?」
「そんな訳ないよっ! さ、サイアク、機械の下にまで入り込んじゃった……」
「分かった、下着を見せたいんだな」
「なんでそうなるのよっ! 見たら分かるでしょ、コピー機と床の隙間に紙が入り込んでるの。あとちょっとで手が届きそうなんだから、変なこと言って邪魔しないで」
「おっまえ、短いスカート履いてんだから屈み方くらい考えろよ。余裕で見えてるぞ」
「え、うそっ!」
「苺のくせにパイナップル……」
「わーっ! わーっ! わーっ!」
いやぁぁぁぁぁぁっ!!!
がばっと起き上がり、慌てて両手でスカートの後ろに手を遣った。
うう、恥ずかしい……。
麟くんの押し殺すような笑い声が聞こえてくる。
「もうっ! 黙ってあっち向いてて!」
くぅ! 私で遊ばないで!
麟くんてば、相変わらずイジワル王子なんだから……
「ほんっと、しょうがないヤツだな……」
イジワルなことを言いながらも、彼の声がなんだか優しくて。
そっと窺うように後ろを向いた。
「…………ありがとう」
麟くんは肩を震わせながら、床に落ちている紙を拾ってくれていた。