29 土曜の約束
――週末、ご飯食べに行かない?
恐る恐る麟くんを誘うと、あっさりOKされてしまった。
「えー、ホントに来てくれるんだぁ!」
「すごいすごい! ありがとう苺ちゃん!」
友達が来ることは秘密にしている。
本当のことを言うと来てくれなさそうなので、ギリギリまで黙ってこっそり連れて行く作戦でいこうと思っている。
じろっと睨まれそうだけど……いいよね?
みんなでご飯食べるだけだし。私も出来るだけフォローするつもりでいるし。人数も多くないから、そこまで困らせない……と思う。妹たちとは楽しそうにメッセージのやり取りをしているみたいだし、大勢を相手にするのが面倒なだけで、女の子自体が嫌いってわけじゃなさそうだよね。
メンツは私含めて6人。思ったより少なくてホッとしている。えみりちゃんは麟くんに興味がないからパスをして、琴音ちゃんは彼氏とデートの予定があるそうだ。他にも、何人かは既に予定が埋まっているみたい。
「それにしてもさぁ……今週の土曜でホントに良かったの?」
「うん。麟くんが土曜にしようって」
お出掛けするに当たって都合のいい日を尋ねてみたら、今週末の土曜にしようとピンポイントで指定を受けてしまったのだ。
意外と忙しいのかな?
うちに入り浸ってるし、てっきり暇なのかと思ってた。
「まじで? これはいよいよ、葉山くんとの熱愛が怪しくなってきたね……」
「だよね……。ねえねえ、麟さまってば実はフツーにノーマルで、しかも今、フリーなんじゃない?」
「え?」
「あれ苺ちゃん、気付いてなかったの?」
みんなが私に、呆れたような視線を向けた。
「だって今週末の土曜って…………クリスマスイブだよね」
――――――えっ。
◆ ◇
「どうした? ぼーっとして。なにか悩み事でもあるのか?」
気が付くと、視界いっぱいに端正な彼の顔が広がっていた。
紅茶を飲みながら、しばし物思いに耽ってしまっていたらしい。いつの間にか麟くんに顔を覗き込まれている。近すぎる距離に、私は焦って身体を仰け反らせた。
「べっ、別にっ! 悩みってほどのことじゃ……」
「なんだよ。遠慮せずに言えよ。俺を、頼れっての」
不満気に息を吐きながら、彼が大きな手のひらを私の頭上にポンと置く。オマケのように、指先でくしゃくしゃと髪をかき混ぜられてしまった。ただでさえ癖のある髪なのに、意地悪な指のせいでもうぐちゃぐちゃだ。
むっとして見上げると、麟くんが優しい目つきで私を見つめている。視線がぶつかって、彼がほのかに首を傾けながら、柔らかく「ん?」と問いかけた。
……最近の麟くんは本当におかしいよね。
彼の手が撫でつけるような動きに変わった。そう、彼は最近、妙に甘ったるいのだ。やたらと私に触れてくるし……。あんなに可愛い彼女がいるくせに、麟くんはどういうつもりでこういう事をするんだろう。
頭を振って、彼の手を払いのける。
おかしいといえば、今度のお出掛けの件だっておかしすぎる。彼女がいるのに、わざわざクリスマスに予定を被せてくるなんて……
「あのさ。お出かけだけど、別の日にしない?」
「なんだ、バイトでも入ったのか?」
「ううん、そうじゃないんだけど……知ってた? 土曜ってクリスマスイブなんだよ?」
ちらりと見上げると、麟くんが不可解そうに眉をひそめている。
「当然だろ。お前は知らなかったのか?」
「えっ、知ってて土曜にしたの? それって、ほんとにいいの? ほかに予定があるんじゃないの?」
「予定なんて空けてるに決まってんだろ。何言ってんだ……」
土曜がクリスマスイブだってことを、知っていた?
予定をわざわざ空けていた?
麟くんこそ何言ってんの……
「あの子と……過ごさなくていいの?」
「あの子?」
「ほら、この前見かけた子だよ。麟くんと一緒に歩いてたでしょ? さらっさらの髪をした、高校生くらいの女の子。可愛い子だったよね」
「はぁ……? なんで俺があいつとイブを過ごさなきゃなんねーんだ……」
え、なんでそんな不機嫌そうな顔してるの?
だってイブだよ? 普通は友達じゃなくて、彼女と過ごすよね。
むしろ私との食事会こそ、敢えてイブにする必要がないと思う。こっちは来週でも、それこそ年が明けてからでも構わないのに。
「麟くんってイベントに興味ないの? イブくらい、彼女と過ごしたいと思わないの?」
「思ってるからお前と過ごすんだろ」
………………はい?
そっと肩を抱き寄せられて、更に思考が停止する。呆けながらゆっくりと彼を見上げると、麟くんは甘く蕩けるような瞳を私に向けていた。それはまるで、大好きな彼女に向けるような類のもので……
あれ? あ、れ……?
強烈な胸騒ぎがしてきた。なにかがおかしい。もしかして私は、大きな間違いを犯しているんじゃないだろうか。焦る私に、彼がふっと目を細めて顔を近づける。
「クリスマスイブだぞ。妹より、苺と過ごしたいに決まってるだろ……」
妹?
あの子、麟くんの妹なのっ!?
確かに美少女だった。あまり似てないけれど、麟くんの妹と言われたら納得できるレベルの可愛い子だった。
妹ということは、あの子は麟くんの彼女じゃない……
「なに呆けてんだ。そんなに意外だったのか? そりゃ人混みは好きじゃないけどな、それでもイブくらいは俺も……好きな子とデートがしてみたいと思ったんだよ……」
彼の白い頬がほんのり赤く染まっている。
ああだめだ。麟くんの言葉が上手く飲み込めない。
だってこの言い方だと、まるで。まるで……
「私のこと好きみたいに聞こえる……」
「はぁ?」
「ごめん、変なこと言った。今のナシっ!」
慌てて背けた私の顔を、彼の手のひらが捕まえた。
両手で頬を包まれて、ぐいっと彼に向けられる。逃げ出したいのに、大きな手がそれを許してくれない。麟くんが呆れたように目を細め、私の真っ赤な顔をまじまじと見つめた。
「聞こえるってなんだ。言ったはずだぞ? 好きだって。まさか、分かってなかったのか?」
「言われたけど! だって、あの時の麟くんは、熱を出してたし……」
「ちゃんと後で肯定しただろ?」
「されたけど……でも、サラっと流された気もして……」
待って。ちょっと待って。
それって。それはつまりあの日の好きは。麟くんの告げた「好き」の意味は……
麟くんの好きは……私の好きと同じなの?
「それは……悪かった。あの時はとにかく苺の気持ちを確認したくて、焦っていたから……。言われてみれば確かに、俺の方は適当に流してしまっていたな」
心臓がバクバクと音を立てている。頬はずっと色づいたままだ。彼の眼差しに熱が帯びてきて、のどがごくりと音を鳴らした。
「いいか、ちゃんと覚えとけよ。俺はな。あの日お前が好きだと言ってくれて……すっげえ、嬉しかったんだぞ。俺も同じ気持ちだったから……俺も苺が好きだから」
「ほんとに……?」
「こんな事で嘘なんかつくかよ……」
愛おしいものにでも触れているかのように、彼が指の腹で私の頬をするすると撫でていく。あまりにもくすぐったくて、心地良くて私はきゅっと目を閉じた。
嬉しくて、胸がいっぱいになってくる。
ずっと、ずっと好きだった麟くんが、同じ気持ちで私の隣に立っているなんて。
これって夢じゃないんだよね……現実なんだよね……
「苺とデートするの、初めてだよな。行きたいところがあるなら言えよ。土曜はずっと……一緒に過ごそうな」
額に柔らかいものが触れて、ハッとした。
目を見開くと、今度は目元に温かいものが滑り降りてくる。リップ音を立てながらそれが緩やかに移動して、春の雨のように優しいキスが幾つも頬に落ちてきた。
どうしよう……
土曜日。麟くんは、私と2人きりのつもりでいる。
茹るような甘い口づけをされているのに、私の頬からは熱がどんどん引いていく。現状を把握して、背筋がすうっと冷たくなってきた。麟くんが好きだと言ってくれた。それなのに、私は彼に友達を紹介しようとしているのだ。
早く。早くほんとのことを言わないと。
こんなにも喜んでくれているのに。私は、クリスマスに友達を連れて行こうとしている……
「麟くん、土曜だけど――――」
麟くんが、ひときわ優しく微笑んだ。
言いかけた私の言葉は。柔らかい彼の熱に塞がれた。
◆ ◇
みんなに、本当のことを言って謝ろう。
私の好きな人は麟くんなんだって。
きちんと話をして、申し訳ないけれど土曜の約束はナシにしてもらおう。
ドキドキしながら扉に手をかけた。本館3階の端の空き教室。1枚の板越しに、楽しそうな声が幾つも響いてくる。ここは今日もいつものメンツでにぎわっていた。
すー、はー。すー、はー。
深呼吸を数度繰り返して。意を決して私は教室の中へと入っていった。
「あ、苺ちゃんだ!」
「苺、おっそ~い! さっきみんなで、土曜の話をしてたんだよ」
土曜のメンツは全員同じ場所に固まっていた。机の上に一冊の冊子を広げて、みんなでその周りを囲んでいる。飲食店や美容院などの情報が載っている、無料で配られている冊子を眺めているようだ。
みんなの視線を受けて、心臓がどくんと音を立てる。
さあ、言わなきゃ。言わなきゃ……
土曜の予定はキャンセルで、ってはっきり言わなきゃ!
「みんなごめんね。土曜なんだけど、」
「あぁ、大丈夫大丈夫! 苺ちゃん、ランチの予約なら取っといたから!」
「……予約?」
言おうとしていた言葉が、のどの奥にするりと逃げ込んだ。
友達が得意げな顔をして、私に情報誌を広げて見せてくれた。右のページの真ん中に、赤い丸がついている。
「うん。苺ひとりに何もかも押し付けちゃダメだと思ってさ、場所くらいはわたしたちで探そうって話になったんだ」
「押さえるの大変だったよー! なにせイブだし、日も近いでしょ? もう埋まってるとこだらけでさぁ。あー、見つかって良かったぁ!」
「4人がかりで電話しまくったよね。ほんと予約取れてラッキーだった。そういう訳だから苺ちゃん、場所の心配はいらないからね」
「あ、そうなんだ……ありがとう……」
うわ、予約まで取ってくれたんだ……
みんなの晴れやかな笑顔に、チクチクと胸が痛くなってくる。
でも、ちゃんと言わなきゃ……
せっかく予約までしてくれて悪いけれど、麟くんは連れて行けない。
麟くんを、みんなに紹介なんてできない。
だって私は麟くんの事が大好きで。麟くんも私を好きって言ってくれたから。
そのことをみんなに、はっきり、言わないと……!
「あのねみんな、私……」
「しっかし苺ちゃんってレアだよね」
「え?」
「麟さまだよ。あんなにカッコイイ人と仲良くなっておきながら、彼に興味ないんでしょ?」
瞬間、頭の中身が真っ白になった。
そう。私は麟くんに興味のないふりをずっと続けていた……
「そういえば苺って、麟様のこと冷たそうとか怖いとか言ってたよね」
「言ってた言ってた。あんなに素敵なのにさ、ちっとも見ようとしなかったよね。ほんと苺の好みって変わってるわ」
胸がざわざわと不穏な音を立てだした。
そうだ。私はずっと、みんなの前で黙ってた。麟くんの事が苦手なふりをして。麟くんに関心のないふりをして、みんなの騒ぐ姿をいつも横目で眺めてた。
そんな私が、実は麟くんの事が好きだなんて言ったとしたら。
みんなは、なんて思う……?
「おかげでこうして紹介してもらえて、ラッキーだったよね」
「ほんとほんと。あ~、なに着て行こうかなぁ」
「迷うよね~。麟様ってどんな子が好みなんだろ。苺、知らない?」
「わ、かんない……」
昨日だって興味のないフリをした。好きなんかじゃないって。付き合っているなんてあり得ないって、言ったばかりなのだ。あんなに全力で否定しておいて、昨日の今日でやっぱり好きだとか……そんなの……
息が苦しくなってきた。言葉が口から上手く出てこない。なんて言えばいいのか、用意していたはずのものはすっかり頭の中から消えてしまっていた。
今更だよね。
ずっとみんなに嘘をついていた。みんなを騙して、期待させておいて、苦労して予約まで取ってくれたのに、この土壇場になってやっぱりキャンセルさせて欲しいだなんて……今更過ぎるよね……
「ちょっと、苺に聞いても駄目だよ。麟さまに興味ない子が、彼の好みなんて把握してないでしょ」
「それもそっか。あ~、土曜が待ち遠しいなぁ」
「ほんと、楽しみだよねえ」
耳を塞いでしまいたくなった。
みんなの反応が怖くて。
私は結局、それ以上何も言うことが出来なかった。