28 彼と私の関係は
麟くんが、今日もうちにやってきた。
そう、今日もだ。ここ最近、毎日のように彼が私のうちに来る。よっぽど暇なのかと思いきや、部屋に入るや否や締め切り間近のレポートと格闘していたりとよく分からない。そこまでしてうちに来なくてもいいのに。図書室に行くか、さっさと家に帰りなよ。
あれから、麟くんの様子はずっとおかしなままだ。何ならエスカレートしている感すらある。ここに来る頻度もそうだし、何よりも距離がやたらと近い。
今もそうだ。コーヒーを飲み終えた後おもむろに立ち上がるので、トイレにでも行くのかと思いきや私の背後に腰を下ろしてくるし。嫌な予感がしたので逃げようとしたら、素早く両腕を回して腕の中に私を囲ってくるし。あまつさえ、私の頭の上に顎をのせてくるし……
ねえ、麟くん。なんでピッタリくっついてんの?
麟くんはその体勢のまま、ぽちぽちと呑気に携帯を操作している。私だけが真っ赤になって固まっている。麟くんがあまりにも平然とした様子でくっついてくるから、下手に騒ぐと意識していると思われそうなのが怖くてそのままでいる。彼に負けじと、何事もないフリをして本を読んでみるものの、内容がちっとも頭の中に入ってこない。
どっくんどっくん、うるさい心臓の音が彼に聞こえていないといいな。
「なあ、苺」
麟くんが、私の目の前に携帯をにゅっと突き出してきた。
「どっちがいい?」
見せられた画面にはお洒落なレストランが写っている。フレンチ系のお店で、肉料理をメインに据えた本格的なコース料理が紹介されていた。
ぱちぱちと数度まばたきをしている間に画面が切り替わる。今度はイタリアン系のお店らしい。パスタやピザ、リゾットなどが並んでいる。
「どっち、って?」
「なに意味わかんねーって顔してんだよ。もうすぐクリスマスだろ?」
だって、意味わからないんだもん。
クリスマスに彼女と行く店を思案中なのだろうか。さっきから嬉しそうに携帯を見せてくるけれど……そんなの私じゃなくて、あの子に聞けばいいのに……
「私ならイタリアンの方かな。コース料理は緊張して味が分からなくなりそうだし。でも人によって好みは様々だし、フレンチの方がいいって子もいるんじゃない?」
「イタリアンか、なるほど」
だから鵜吞みにしちゃダメだって。
麟くんが私から携帯を離して、またポチポチと操作を始めている。相変わらず背中が密着したままだ。あの、そろそろ、私の心臓が限界こえる……
「それよりも麟くん、頭どけてよ。重いよ」
「あぁ、悪い」
ちっとも悪びれる様子もなく、麟くんが私の頭から顎を浮かせた。彼と触れている面が少し減ってホッとしていると、頬に温かくて柔らかい感触がした。
!?!?!?!?
横を向くと、麟くんがにっと笑っている。ちょっと待って。今、なにしたの?
そのまま意地悪く笑いながら、綺麗な顔が近寄ってくる………
「ととととと、トイレ行ってくる!!!!!」
勢い良く立ち上がって、私はトイレに逃げ込んだ。
背後から舌打ちが聞こえてきたのは……気のせいだと思いたい。
◆ ◇
心臓が永遠の眠りにつく前に、なんとかしなきゃ……
「ちょっと苺!」
2限の講義が終わって。トイレで一息ついてからみんなのいる教室に向かおうとすると、慌てふためいた様子でこちらに駆けてくる友人と出くわした。
「どうしたの? 何かあったの?」
「あったなんてもんじゃないわよ。麟様が!さっき、あんたを訪ねてきたのよっ!」
―――――えっ!?
本館3階端の空き教室。その真ん前の廊下に麟くんが立っていた。教室の窓からは沢山のギャラリーが顔を覗かせている。みんな興味津々で麟くんを眺めている……
彼が私に気づいて表情を緩め、軽く手を上げた。
「よお、苺」
よお、じゃないっ!
なんでこんなところにいるの……
立ち尽くす私の元に、麟くんが駆け寄ってきた。
「昼飯、一緒に食おーぜ」
「ええっ!? は、葉山くんは?」
「今日は昼からなんだよな、あいつ」
小声でぼそぼそと喋る私に対して、麟くんはいつもの調子で話しかけてくる。あんまり大声で喋らないで欲しい。みんなに聞かれているかと思うと気が気じゃない。
「悪いけどお昼ご飯は一緒に食べられないよ。私も、ランチタイムは友達と過ごしたいし」
「駄目なのか?」
「麟くんだって、普段は葉山くんがいるでしょ? あとさ、あんまり学校の中で接触しないで貰えると助かるんだけど……」
視界の端に、ちらりとみんなの姿を映す。
くらりと眩暈がしそうになった。みんなが窓際に張り付いて黙り込んだまま、私たちの様子を固唾を飲んで見守っている。視線がぐさぐさと刺さって、痛い。目が、みんなの目が、『どういうことなの』って私に向かって叫んでる……!
この前はまだ、偶然で済ませることができたけれど。今回は……何の言い訳もできないな……
「お前。もしかして、まだあいつらに俺らの関係を隠していたのか?」
「う、うん……」
麟くんが寂しそうな顔をした。申し訳ない気持ちになって、私は目を逸らした。
沈黙が降りて。しばらくして、ふーっと細長い息を吐く音が聞こえてきた。
「……分かった。悪かったな」
「ごめんね」
「それじゃまぁ、また放課後な」
それだけ言って、彼はその場を去っていった。
「ねーねー、苺ちゃんって麟さまとどういう関係なの?」
彼がいなくなった途端、みんなが待ってましたとばかりに私に詰め寄ってきた。
「お昼誘われてたよね? いいないいなー」
「麟様、苺のこと名前で呼んでたよね。あれって相当仲いいってことじゃないの?」
否定して、知らない人のふりをしてしまいたい。
でももう無理だよね。
私は彼との関係を白状することにした。麟くんとは中学の時のクラスメイトで、友人。この前、ジュースを運んでもらったことがきっかけで、また親しくなった……ということにしておこう。
ちょっと嘘だけど、大体はこれで合ってるよね。
「友達? ほんとにただの友達? 実は付き合っているなんて言わないよね?」
「ない、ない、それだけは絶対にありえないからっ!」
全力で首と手を振り否定する。
なんでそんな誤解が出来るんだ。あの麟くん相手に……。
そもそも、麟くんには特別な人がいるんだよ?
そう言って否定すると、ようやくみんなも納得してくれた。あ、そっか。葉山くんがいたねーってそうじゃないけれど、もうそういう事にしておこう。
「そういえば苺ちゃんって、麟さまに興味なかったよね」
「クール系は苦手って言ってたしね。麟様のこと好きってわけじゃないのかぁ」
そういえばそんな事言ってたなぁ。苦笑いしながらうんうんと首を縦に振り続ける。
「なーんだ。麟様が苺の居場所なんて聞いてくるから、テンション上がっちゃった」
「苺ちゃん、勝手に盛り上がってごめんね」
「でも麟さまと友達だなんてすごいね。あたしも仲良くなりたいなぁ」
「わたしも! 麟様と友達に……ううん、なれるものなら彼女になりたいなぁ」
――――え……
「何言ってんのよ! ……でも分かる。なれるものならわたしだってなりたいわ、麟様の彼女」
みんなの目に、うっすらと欲の色がついた。
どくどくと心臓が鈍い音を立て始めた。嫌な予感がする。みんなが麟くんを遠巻きに眺めている理由は手が届かない雲の上の存在だからで。それがもし。意外と身近な人なのだと気づいてしまったら―――………
「ねえ苺ちゃん。今度、麟さまに会わせてよ」
ほらこうして。近づきたくなってくる。
「あのさみんな、落ち着いて? 麟くんには付き合っている人がいるんだよ?」
「葉山くんでしょ? やっぱりねえ、男同士って不毛だと思うのよね」
「あれって結局噂だし、どこまでほんとか分かんなくない? 実は違うかもしれないよね」
「気になる。ぜひ詳しい話を聞いてみたい!」
なんて止めたらいいのか、言葉を探している間にみんながどんどん盛り上がっていく。青ざめていく私とは真逆に、みんなの熱は加速していく一方だ。
「麟様と、一緒に飲みに行きたいよねえ」
「うんうん、行ってみたい!」
「みんな待って、私たちまだ未成年だよ?」
「苺ってば固いなぁ。じゃあランチはどう? 麟さま来てくれないかなぁ」
麟くんが来るわけない。
それどころか嫌な顔をされちゃうよ。だって彼は、女の子に騒がれるのが嫌いな人なのに。そもそも可愛い彼女がいるのに……他の女の子を紹介するような真似、出来ないよ。
「ねえねえ苺ちゃん、お願いっ!」
みんなが期待のこもった瞳で私を見つめている――――……
「うん、分かった。頼んでみる」
けれど馬鹿な私は。やっぱりみんなの頼みを、断ることが出来なかった。