22 理想外れの王子様
遠ざかる麟くんの後ろ姿を見つめながら、私は細く長い息を漏らしていた。
あー、ドキドキした……。
冷たい夜の風が、アパートの廊下をすうっと通り抜けて行く。熱はちっとも引く気配がない。彼の姿が完全に見えなくなって、それでもまだ、さっきの余韻が身体の中に燻っている。
こうなったら距離を置くしかない。
想いは日に日に膨らんで、抑えきれなくなっていく。こんな調子で側にいれば、気付かれてしまうのは時間の問題だよね。他の人と付き合って忘れることも出来なかったし……それならもう、麟くんから離れるしかないよね……。
いっそのこと告白してやろうかと思って、すぐにその発想を取り消した。
……ううん、止めとこう。
がっかりなんてされたくない。
せめて、彼にとっていい友達のままで終わらせたい。
◆ ◇
「ね~、苺ちゃん。まもるくんどうだった?」
「えっ?」
昼休み。本館3階の端にある空き教室にて、いつものようにグループのメンバーとお昼ご飯を食べていると、琴音ちゃんに昨日の件を問い詰められてしまった。
まもるくんから食事に誘われていたことは、琴音ちゃんも知っている。その後が気になるのだろう、琴音ちゃんは目を輝かせて私をじっと見つめている。
うっ、そんなに期待しないで欲しい……
「ん~、いい人なんだけど私には合わなさそうなんで、お断りしようかと……」
「えー! 結構イケメンだったのに、勿体なくない? とりあえず付き合ってから考えてみたら?」
付き合うと、とりあえずランドセルを背負わされそうなんです……
未知の世界に足を踏み入れる勇気、ない。
ふるふると首を横に振ると残念そうな顔をされてしまった。胸がちくりと痛む。せっかく紹介してくれたのに、ごめんね……
琴音ちゃんの声に、他のメンバーが反応した。
「え、琴音の紹介受けてたんだ!」
「イケメンなのにアウトって、どこが駄目だったの?」
「どこが、って」
趣味が特殊なところ、なんてさすがに言えない……
まもるくんの名誉のためにも、そこは琴音ちゃんにも黙っていようと思っている。
なおくんは……たぶん知ってたよね。
あの人確信犯だよね。今なら分かる。丁度良いって、絶対そういう意味だった。
「そもそもさあ。苺ってどんな人がタイプなの?」
「どんなって……」
「確か、クール系は苦手だったよねえ」
「スポーツやってる人とかどうよ。クールの逆で、熱血系とかいいんじゃない?」
岩田くんをチラリと想像して、ぶんぶんと首を振った。
えみりちゃんが私をじっと見つめている。大丈夫。心配しなくても、彼と付き合うつもりはないからね!
「苺って料理上手だし、美味しそうになんでも食べてくれる人とかじゃない?」
「つまりデブ!?」
「元々太ってる人を、もっと太らせてどうするのよ」
「じゃあ、ヒョロヒョロな人?」
できれば普通の人がいいな……
まもるくんの個性的な趣味と比べたら、体型なんて些細な問題という気もしてくるけれど。
「穏やかで優しそうな人とかは? でも苺って、ちょっと強引なタイプの方が合ってそうだけど」
「穏やかで優しそうなタイプは絶対違うって! だってまもるくんが、まさにそういう毒にも薬にもならないようなタイプの人だったもん。確かにカッコいいけど、刺激がなくてつまらなさそうではあるよね」
琴音ちゃん。まもるくんは……かなり刺激的な人だと思います。
いつの間にかみんなが私を取り囲んでいる。好みのタイプって言われても、パッと出てこないよ。そんなの考えたこともなかったし。
「ねえ苺ちゃん、理想通りの王子様なんていないんだよ。どこかで妥協しないと彼氏なんて出来ないよ」
理想通りの王子様……か。
「そうそう、贅沢言ってちゃ誰とも付き合えないよね」
「苦手なタイプでも、付き合ってみたら意外と良かったってこともあるんだし。とりあえず試してみなよ」
ふっと、麟くんを思い浮かべてしまった。でも、よく考えればそこまで理想通りでもないんだよね。だって私のこと、からかってばかりのイジワルな王子様だもん。
でも……どんな人が好きかと問われて、思いつくのは彼しかいなかったのだ。
可笑しくて、笑みが零れてしまう。
「……苺ちゃん?」
「え、なに?」
「もしかして、好きな人でもいるの?」
「………っ!」
口に手を当てて、ガタリと勢いよく立ち上がってしまう。
「え、嘘。ほんとに!?」
「う、ううん。いない。いないよ好きな人なんて……。あ、私、のど乾いちゃった。ちょっと、ジュース買ってくる……!」
みんなが目を丸くして私を見ている。ああ不味い。不意を突かれて、思わず挙動不審になってしまった。
心臓がドキドキと音を立てている。ただでさえ私は演技が下手くそなのだ。とりあえずこの場を離れて、この真っ赤な顔と落ち着かない感情をどうにか収めないと……。
「ジュースいいな~。わたしも飲み物欲しいし、一緒に自販機行こうかな」
「いっ、いいよ。ついでだし、私がまとめて買ってくるっ!」
立ち上がった琴音ちゃんを、私は慌てて制止した。
◆ ◇
バレちゃったかな……。
1階のロビーに設置されている自販機まで、とぼとぼと私は1人で向かっていた。さっきの反応は、誰がどう見ても怪しいと自分でも思う。あの後、私の態度を怪しんだ残りのメンツが、面白がって飲み物のリクエストをし始めた。
それにしても……。
『好きな人でもいるの?』
頬にピタリと手のひらを当てる。
表情に出ていたのかな。ほんの少し、麟くんのことを考えていただけだったのに……。
はぁ。熱い。
「あっ!」
1人で運ぶには、12本は多すぎたのかもしれない。みんなに頼まれたドリンクを買い、両腕に抱え込みながら教室に戻ろうとすると、腕の隙間から一本、ジュースの缶が転がり落ちてしまった。
「おい、落としたぞ」
振り返って瞠目する。麟くんが、フロアに転がった缶ジュースを拾い上げている。隣には葉山くんも立っていた。
ううん、同じ大学だから出会ってもおかしくないけれど……距離を置こうと決意した翌日に、さっそく学内で会うなんて……。
「ありがと」
早くこの場を立ち去りたい。ぎこちなくお礼を言いながら、缶を受け取ろうと片手を伸ばすと、更にぽろぽろと飲み物が腕の中から零れ落ちてしまった。
うわ、しまった!
さっさと逃げたいのに……どうしていつもこうなるの……
「馬鹿っ、拾ってやるからじっとしてろ」
地面に落ちたドリンクを拾おうと、慌てて屈みこもうとしたら、麟くんに両肩をぐっと押さえつけて制止させられた。力強い手の感触に、頬がかあっと熱くなる。
やだな。昨夜のこと、思い出しちゃうよ……
ドキドキしながら固まっているうちに、麟くんと葉山くんが落としたドリンクを全て拾ってくれた。これを受け取ればそれで終わり、そう思っているのに、なぜか麟くんは拾った飲み物を抱えたまま放さない。
「おい、運んでやるから案内しろよ」
「いっ、いいよいいよ。ここに乗せてくれたら、あとは私一人で運べるから……」
とんでもない!
そんなことしたら、みんなに怪しまれちゃうよ。
私は慌てて両腕を彼に突き出した。この上に、拾ってくれたドリンクを置いてくれればそれでいい。そんな私の意図とは裏腹に、麟くんは私の腕の中から更に数本、ドリンクを奪い取っていった。
じろっと鋭い視線で睨まれる。
「どう見てもキャパオーバーの癖に、なに遠慮してんだよ。ったく、これ何人分だ……身の程知らずになんでもかんでも請け負ってんじゃねーよ」
「な……っ!」
「あのなぁ。俺だって暇じゃねーんだ、いいからさっさと先導しろ」
暇じゃないなら、もう放ってよ……!
彼の態度に、苛立ちに近い感情が沸き起こってきた。ああもう、麟くんなんて。目つきは悪いし、言い方は乱暴だし、強引だし………けれど本心では私を心配してくれている。彼は今、私に手を差し伸べてくれている。
……そんなこと、気付きたくなかった。
イジワルな人だと腹を立てていられたら、良かったのに……。
唇を噛みしめても、想いはちっとも止まらない。
ああだめだ。優しくされると期待する。
どんどん好きになっていく。近づきたくなっていく。
距離を置こうと思っているのに、私は名残惜しさを感じてしまっている。今日からは、麟くんがうちに訪ねてきても留守のフリをしよう。そう決意していたのに、できなく、なってしまうよ……
「この量を君一人で抱えるのは、ちょっと無茶じゃないかな。階段で落としたりしたら危ないし、僕達も運ぶの手伝うよ」
知らず知らずのうちに、私は泣きそうな顔をしていたのかも知れない。葉山くんが、小さな子供を相手にするような柔らかな物腰で私に話しかけてきた。
「でも―――」
「気にしないで。ちょうど、暇してたとこだから」
「……ありがとう」
そうだ、葉山くんも一緒だった。
それなら大丈夫かな。このままみんなの元に行っても、怪しまれないで済むかな……
これは偶然。偶然、ドリンクをたくさん抱えて困っていた私を、この2人が助けてくれただけ。そう心を落ち着かせて、私はみんなのいる所までゆっくりと歩き始めた。