19 好きな人
駅に着くと、まもるくんの声が聞こえてきた。
「苺ちゃん、こっちこっち!」
時刻は待ち合わせの10分前。彼は既に到着していたようで、エスカレーターの側にある壁から背中を浮かせ、手を振りながら私のそばへ駆け寄ってきた。
いつからここにいるのだろう。風が吹いて、彼が軽く身震いをした。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「全然へーき。オレが待ちきれなくて早く来すぎただけだから。それに、女の子は準備に時間がかかるものだしね」
ぐっ……。
ごめんなさいまもるくん。見ての通り、昼間と比べて代わり映えしてません……。
柔らかく微笑まれて罪悪感が募ってしまう。ちょっとでもましな格好をしようとして、無駄に悩んでいた時間の分だけ早く来れば良かった。
こんなことだから、馬鹿って言われちゃうんだろなぁ……
「あれ、誰か知り合いでもいた?」
「ううん、気のせいだった」
まもるくんのお日さまのような笑顔に落ち着かないものを感じて、つい後ろを振り返る。当たり前だけど、ニヤリと意地悪く笑う彼はどこにもいなかった。
「じゃ、行こうか」
「うん」
「ちょっと遠いけど、その分味は保証するよ。帰りもちゃんと送っていくから、安心して」
いるわけないのにね。
なにやってんだろ、私。
まもるくんに連れられて移動したホームは、私の働いている喫茶店と同じ方面だった。彼はどうやら、この辺りで一番栄えている繁華街へ向かうつもりのようだ。
あまり待つことなく電車がホームにやってきた。車内は比較的空いていて、私たちは乗り込んだ側とは反対の扉付近に陣取った。
まもるくんが手すりに掴まる私を見下ろして、ニコッと笑いかけてくる。
「こうして見ると、苺ちゃんってだいぶ背が低いんだね」
「うん、チビってよく言われる」
「あ、ううん! ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。小柄で可愛いなって思ってさ」
まもるくんは優しいな。
本当に、何気なしに感じたことを口にしただけなのだろう。ネガティブな反応をした私に、すかさずフォローを入れようとする。
わざとイジワルなことを言う、誰かさんとは大違いだ。
「ありがとう。そんな風に言ってくれるの、まもるくんくらいだよ」
「嘘じゃないからね。苺ちゃんは……可愛いとオレは思うよ」
むしろ……こっちが反応に困るような言葉ばかりを口にする。
そろそろ、可愛いは慣れないと……。
これはきっと挨拶みたいなものだよね。うん。
車両の窓にうっすら映る2人の姿に目を向ける。
決してお似合いとは言えないけれど、麟くんよりは近い2人に見えた。
◆ ◇
まもるくんとの時間は穏やかに過ぎていった。
彼は見た目の通り優しい人で、私をからかったりせず、イジワルな態度も取らず、にこにこしながら私に合わせて会話をリードしてくれている。
おかげで私も心を乱されることもなく、居心地のいい時間を過ごさせてもらっている。
少し街をぶらついてから、まもるくんイチ押しのレストランに案内された。中華のお店なのだけど、専門店なのか、品数がびっくりするほど多い。
「ゆっくり選んでね」
まもるくんに見つめられて、緊張しながらぱらぱらとメニュー表をめくっていく。たくさんの料理名の中から天津飯と焼きそばの文字を見つけて、ふっと頬が緩んだ。彼がここに来たら、どちらを頼むかで暫く悩むのかも。
「楽しいことでもあった?」
「えっ」
「メニュー表見て笑ってるから。なにか面白いものでも見つけたの?」
「ううん、どれも美味しそうだなぁと思って……」
言葉を濁す私に、まもるくんはコース料理を勧めてくれた。色々な料理がちょっとづつ盛られて出てくるものらしい。楽しみ。
まもるくんがお気に入りというだけのことはあって、出された食事はどれも美味しかった。麟くんにも教えてあげたいな……とふと思い、私は慌ててグラスの水を喉に流し込んだ。
コースが終盤を迎えた頃、まもるくんがちょっと真面目な顔をした。
「ねえ、苺ちゃん」
「なに?」
「今日紹介されたばかりで気が早いと思われるかもしれないけど……付き合ってくれないかな。オレ、苺ちゃんのこと気に入っちゃった」
息を飲む。
まもるくんは優しい人だ。
カッコいいし、気が利くし。お話は上手だし、穏やかな性格だから一緒にいて心地がいい。
誰かさんみたいにイジワルしないし、からかったりもしない。チビで馬鹿どころか、私のことを可愛いと言ってくれる。こんな素敵な人と付き合えるなんて、私にとっては奇跡のような状況だ。
私も、まもるくんのこと気に入っちゃった。
よろしくお願いします。
そう返事をするだけで、全てが上手くいく。
……それなのに。私の口から出た言葉はそれとは違っていた。
「まもるくんは……好きな人、いるの?」
「え」
「あ、ううん、その、幼馴染の女の子はいいのかなって……」
なに言ってるの私。
黒髪の彼がどうしても脳裏にちらついて離れなくて。まもるくんの申し出から目を伏せるかのように、私の口からは言い訳めいた言葉ばかりが零れていた。
でも、ずっと好きって言ってたよね。
私と付き合うことにして、まもるくんもそれでいいの……?
まもるくんは虚を突かれたような顔をして、それから切なげに眉を寄せた。
「ごめんね、やっぱりなおの言ったこと気にしてた? でもほんと、いいんだよ。オレと彼女―――ミカとは、苺ちゃんが気にするような関係じゃないんだ。確かにずっと好きだったけど、恋人同士だったわけでもなくて……どこまでもオレの、一方通行だったから」
いいんだよと言いながら、まもるくんはテーブルの上に置かれた拳をぎゅっと握り締めている。
やっぱり。まもるくんは今でもまだ、ミカさんの事が好きなんだ……。
私と、同じだ。
「ううん、謝らないで! 実を言うと私も……ずっと好きな人がいるの。まもるくんと同じで私の一方通行で、どこまでもただの友達なんだけど」
「苺ちゃんは……それで、オレと会ったの? そいつを忘れたいから?」
「うん。絶対叶わない相手だから」
「はは、オレと同じだな」
まもるくんが困ったように微笑んだ。
私の好きな人は、口が悪くてイジワルで。私のことをいつもからかってばかりいる。
……でも、とっても優しくて。物語のヒーローみたいに、いつも私を助けてくれるんだ。
彼は桁外れにカッコよくて、人並み外れて女の子にモテていて。でも自分に想いを寄せてくる女の子が大っ嫌いで……そんな彼に、私は色気皆無の馬鹿なチビ子だと思われている。
叶う要素、どこにもないよね。
でも、まもるくんは私と違ってとても素敵な人なのに。
どうして叶わない恋なんだろう。
「ミカさんには、誰か恋人がいるの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……彼女とは年が離れているんだ。8つほど」
「8つ……」
「全然相手にされてないんだよね。何度も好きだと伝えているのに、たぶん本気にされてない」
ミカさんの気持ちも分からなくはない。8つも年下の男の子に好きだと言われても、うかつに本気にも出来ないよね。
でも、それだとまもるくんが可哀相だ。本気の想いなのに、そう受け取ってもらえないなんて……
「彼女もオレのこと好きだとは言ってくれるけど……そこに恋愛感情はまるで無いんだよね。悲しいことに」
年の差は、若ければ若いほどきついものがある。今は無理でも、5年後くらいなら……
18と26は無理でも、23と31なら……って、そこまで待てないよね女の人は。少なくとも、まもるくんが社会人になるまで後4年もかかるのだ。ミカさん側としては、結婚を視野に入れるなら、18歳を相手にしていられないのも分かる。
ああっ。世の中厳しい……。
「オレが本気だってこと、彼女の親には通じてるんだけど……反対されてるし。娘に近づかないでくれとまで言われてしまっていて、もう諦めるしかない状況なんだ」
そりゃ親としては、娘26なら結婚前提のお付き合いをして欲しいよね。18歳とか……眉をひそめるご両親の気持ちも分からなくはない。けど……
ああっ。まもるくんはこんなにいい人なのに……!
「どうにかならないの? 私、協力するよ!」
「え? いや、いいんだよ。言っただろ、もう諦めたって。ミカのことはもういいんだ」
まもるくんはくすくすと笑い始めている。
「苺ちゃんっていい子だね」
「恋愛感情はなくても、好きとは言ってもらえてるんでしょう?」
「無理だよ。そもそもあいつ、同じクラスの中に好きな子がいるみたいだし」
……ん? 同じクラス?
「そりゃ好きって言ってくれるけどさ。オレの事なんて所詮、近所の優しいお兄さんくらいの認識なんだよね」
近所の……お兄さん?
「まあ、大学生なんて、小学生から見たらおじさんに見えるのかもなぁ」
しょ……しょしょしょ、小学生っ!?
ちょ、ちょっと待って。
8つの年の差って……まさか、26歳じゃなくて10歳の方っ!?
その子のことずっと好きって。
ずっと、って。
えっと。仮に3年前だとしたら、15歳と7歳で。5年前なら……ああだめ。
考えてはいけない世界がそこに広がっている……
衝撃の余りぽかんと口を開けていると、まもるくんが人当たりの良い笑みを浮かべた。
「でも、苺ちゃんなら好きになれそうだよ」
ぞぞっ。
「ほんと、なおには感謝だな、苺ちゃんみたいな可愛い子を紹介して貰えて」
あの……
その可愛いってまさか、幼い女の子みたいで可愛いって事なんでしょうか……
確かに私、童顔だけど。
髪型も服装も子どもっぽいけど。
背も小学生並みに低いけど。けど……!
慄く私と対照的に、まもるくんが心の底から嬉しそうな顔をする。テーブルの上でカタカタと小刻みに揺れていた私の手に、彼の手のひらがぎゅっと覆い被さってきた。
「苺ちゃんなら、ランドセルだってきっと似合うよ。一度背負ってみて欲しいなあ」
こっ、こっ、これは……
これは本物だあああっっ!!!
まもるくんのにこやかな笑顔に、私は背筋がすうっと冷えていくのを感じていた。