13 かに玉と思い上がり
「あ、麟様!」
遠くで、女の子達が騒いでいる。
ここは別棟にある食堂だ。これから彼はランチタイムのようで、「かに玉よ」という遠慮のない声が聞こえてきた。美形も大変だ。メニューまで周囲に筒抜けとなっているなんて。
そうか。かに玉か……。
…………。
それ、昨日の夕飯とほとんど同じメニューだよね?
知らなかった。麟くんが2日連続で食べたくなるくらい、卵のあんかけが好物だったとは……。
そりゃ、あんなに喜んで食べるはずだよ。
好きなら好きで、それならそうと言って欲しかった。食べてる間中、幸せそうな微笑みを何度も向けられて、こっちはドキドキするのを必死で耐えていたというのに……っ!
この笑顔に深い意味なんて無いからね、とひたすら自分に言い聞かせていたけれど……ほんとにそういう意味なんて無かった。1人焦った私が馬鹿みたい。
深く、脱力。そして反省。
麟くんにとって私は―――ただの友達に過ぎないのにね。
「ねえ苺ちゃん。あの人、あの人なの」
「わわっ!」
お弁当を食べながら麟くんのことを考えていると、隣に座る友達に腕を揺すられた。
そうだ。今日はえみりちゃんに頼まれて、ここでお昼を食べているんだった。
「どの人?」
「ほら。一番前のテーブルの、真ん中に座っている人」
えみりちゃんが、実に控えめなボリュームで私に耳打ちをした。昼時の食堂は騒がしい。じっと耳を研ぎ澄まし、ようやく聞き取れるささやかな音量は、琴音ちゃんと足して2で割ると丁度いい。
一番前のテーブルに視線を向ける。真ん中の座席には大柄な男の人が窮屈そうに座っていた。ラグビーでもやっていそうな筋肉質の体型に、褐色の肌が顔を覗かせている。
「ね……カッコいいでしょ?」
頬を染めたえみりちゃんに同意を求められたけど……体型に見合う威圧感たっぷりの彼のお顔は、かっこいいというよりもむしろ……怖い。
海苔を貼り付けたような太い眉。眉間に深く刻まれたしわ。細い目元は、睨まれているのかと勘違いしそうになる。うっかり目を合わせたら、無条件でごめんなさいと言ってしまいそうな人だ。
「そ……そうだね。えみりちゃんらしい相手だね」
でも納得。
えみりちゃんは私たちのグループ内では珍しく、麟くんに反応しない女の子なのだ。
私の好みじゃないから……と控えめな笑みを浮かべて見学の輪に混ざろうとしない彼女は、照れているわけではなく本当に好みが違っていたらしい。
えみりちゃんに熱い視線を向けられている彼は、どうみても麟くんと180度違うタイプの人間だ。
「それで、苺ちゃんにお願いがあるの」
「告白でもするの? 本館裏にでも呼び出せばいい?」
「違うわ、そんなのまだ早すぎる……まずは」
「まずは?」
「彼の……名前を聞いてきて欲しいの……」
ええ、そこからなの? えみりちゃん……!
「あっ、行っちゃう!」
ラグビーくん(仮)がおもむろに立ち上がった。身体が大きいので追跡自体は楽ちんだ。お昼ご飯を食べ終えたようで、トレイを食堂の返却口に運んでいく姿が見える。
「追いかけましょ、苺ちゃん!」
えみりちゃんが食べかけのパンをビニール袋に突っ込んだ。私も食べかけのお弁当に慌てて蓋をして、カバンの中に片付ける。
ラグビーくんは食堂を抜けた後、3階にある教室の中に入っていった。眠いらしく、机の上にドサッとカバンを置いた後、頭を机に伏せだした。
「苺ちゃん、今がチャンスよ」
「へ、チャンス?」
「だから。名前とか色々聞いてきて」
色々?
色々って何を聞けばいいの?
「頑張って!」
えみりちゃんに押し込むように教室の中に入れられてしまった。控えめで恥ずかしがり屋な彼女だけれど、地味に押しの強い所は、琴音ちゃんと似ているかもしれない。
通路側の窓に目を遣ると、えみりちゃんが期待に満ちた眼差して私を見つめている。
ようし、頑張ろう!
両手をぐっと握り締めて教室の中を見回した。次に講義が始まる教室なのだろう、周囲にはぽつぽつと人が座っている。ラグビーくんは教室のど真ん中の席で、早くもぐうぐうといびきをかきながら気持ちよさそうに眠っていた。
起こしてもいいのかな……
怒られないかな……
そろりそろりと近づいて、手を伸ばす。
「おい、起こすなよ」
ひえっ!
肩を叩こうとしたら、後ろから怒気のこもる低い声が聞こえてきた。びくりと身体が反応し、瞬間的に出した手を引っ込める。
ごめんなさい。ごめんなさいっ。
「……て、あれ?」
「そいつに何か用なのか?」
恐ろしくいい声をした、桁外れのイケメンが私の背後に陣取っていた。片手を腰に当て、緩く前屈みになりながら私を見下ろしている。特にどうということのないポーズなのに、雑誌の表紙を飾れそうなほどかっこいい。
どうしてここに、麟くんが……?
「えっと、この人の名前が知りたくて」
「岩田」
「下の名前は?」
「そこまで知るか」
麟くんはいつも以上に不機嫌な顔をして、私を睨みつけている。
できれば下の名前と……それ以外にも色々と。そう、『色々』の部分も聞いておきたいんだけど……。
名残惜しげにラグビーくん、改め岩田くんに視線を移すも、一向に起きる気配はない。そうしているうちに周囲から女の子達のぼそぼそとした声が聞こえてきた。
「麟様が女の子と喋ってる」
「いいなぁ、あの子……」
わわ、まずい!
私はダッシュで教室を後にした。苗字しか収穫が得られなかったけれど、えみりちゃんは満足してくれたようで、その日はニマニマしながら何度も「岩田さん♡」と不気味に呟いていた。
◆ ◇
「苺、岩田になんの用だったんだ?」
私の友達である規格外の美青年が、今日も私の部屋にやって来た。
彼は毎日暇なのだ。
目立つ外見とは裏腹に、彼には葉山くん以外に友達がいない。だから暇つぶしに私の部屋にやって来る。そう思うことにしている。この予想は、たぶん大きく外していないはず。
深く意味を追求すると、かに玉のように自己嫌悪に陥るだけなのだ。自分が彼にとって特別だなんて……そんなものは、ただの思い上がりでしかないのだから。
「岩田くんの名前と、あと色々聞きたいことがあったの」
「色々?」
「うん。主に、彼女はいるのか、とか、好みのタイプとか」
「はあっ!?」
麟くんが目を見開きながら、声を荒げた。
色々って、たぶんそういうことだよね?
「おっ……おま……ああいうのが好みだったのか!?」
あんなやつがいいだなんて信じられない、とでも言いたげに、麟くんが首を横に振っている。その反応はさすがに岩田くんに失礼だと思う。人の好みは十人十色、見た目は怖いけれど、えみりちゃんは彼に夢中なのだから。
「ああいうのっていう言い方はないでしょ。好みは人それぞれなんだから、麟くんよりも岩田くんの方が魅力的だと感じる女の子だっているんだよ」
もちろん、激レアだけど。
「俺より岩田の方が魅力的なのか……」
だからそこまで、落ち込まなくてもいいと思う。
「うん。えみりちゃんにとってはそうみたい」
「……えみりちゃん?」
「私のお友だち。岩田くんが好きなんだって」
「…………こんの馬鹿イチゴ」
だから恨めしそうに睨まないで欲しい。美形の眼力って怖いから。
「友達なら友達ってさっさと言えよ。また面倒なこと頼まれやがって……いい加減断れ」
「え~、そこまで面倒なことでもないし。それにこういうことって、直接聞くのは勇気がいるものなんだよ」
「そうとは思えないけどな。好みのタイプとか、答えるのも嫌になるくらい過去散々問い詰められたぞ」
「へえ、なんて答えたの?」
「少なくともお前のようなやつじゃない」
グサッ。
いや、分かっていたけどさ。こう、心にずっしりきた……
「そ、そうだよねー…」
「あ、いや、苺がって訳じゃなくて……テンプレのように必ずこう答えていたんだよ。真面目に答えるのも疲れるし、馬鹿馬鹿しいだろ?」
なにも焦って取り繕うとしなくてもいいんだよ。麟くんの好みに当てはまっているなんて、私、これっぽっちも思っていないから。
そもそも友達だしね、私達。
そう、友達。お友達。
「それより。今度の週末は予定どうなってる?」
「えっと、日曜はバイト」
「じゃ、土曜に来るぞ。いいよな?」
「えっ」
麟くんが、休みの日にやってくる……?
「だめなのか? 前回はドタキャンされたからな、……仕切り直ししたっていいだろ?」
そ……そうだった……。
琴音ちゃんの来襲で、麟くんを追い払ってしまったんだった。
「ううん、いいよ。今度こそ待ってる」
首を横に振る。
友達だから、休日に会うのも普通のことだよね。
きっとそれは、彼にとっても。もちろん私にとっても……。
恐らくなんでもないことだ。
友達。友達。
まるですべてが許される免罪符のように。私はそれを唱え続けていた。