表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/37

1 イジワルな王子様


 それは記憶にあるよりも、ずっとずっと低い声。



「よお、ちびイチゴ」



 けれど、私を小馬鹿にしたような呼び方だとか。


 素っ気ないようでいて、どこか親しみのこもる温度を纏っているそれに、私はすぐに気がついて。


 泣きたくなるほど懐かしいあの人を感じ取り、震えそうになって振り返る。



 私のすぐそばに――――

 ほんの少し手を伸ばせば触れられそうな距離に、彼が立っていた。



「久し振りだな。お前、背、縮んだ?」



 一筋の風が吹いて、手触りの良さそうな黒の髪が流れるように宙を舞う。私と目が合って、彼の口元がうっすらと綻んだ。


  

(りん)くんの背が、伸びたんだよ」



 とっさに苗字が出てこなくって。

 思わず名前で呼んでしまうのも、まるで、初めて言葉を交わしたあの日とそっくりで。

 こみ上げる感情に胸を詰まらせる。



 その時。ぱっと頭に浮かんできたものは、『逃亡』の4文字で……




 ――――あ、逃げなきゃ。



 私は、反射的に踵を返していた。





 ◆ ◇





「なにも逃げることないだろ……」


 くっ!

 あっさり捕まってしまった……。


 そりゃそうだ。私はアパートの部屋に入ろうとしていたところで声を掛けられたのだ。そして麟くんは、外に抜ける唯一の通り道である、階段側の通路に立ち塞がっていた。


 外には出られず、反対側は行き止まり。いわゆる袋のネズミという状態。結局、1人馬鹿みたいにアパートの通路をうろうろとした挙句、部屋の中に逃げ込もうとして、「なにやってんだ?」と冷笑されながら麟くんに簡単に捕獲されてしまった。



「へぇ、苺もこのアパートに住んでたのか。奇遇だな」



 そんなわけでなぜか今、麟くんが私の家の中にいる。

 居座るつもりなのだろうか。涼しげな顔をして、ワンルームの真ん中にどっかりと座り込んでいる。


 ……いや逃げようとした私も大概だけどさ。

 だからって、なんで部屋に上がりこんでるの?


 確かに麟くんとは、中学の頃ちょっとだけ仲良くしていたけどさ。でも途中から疎遠になってたし、高校だって別々で、もうすっかり関わりなんてなかったのに……


 逃げられてカチンときたのかな?

 そっとため息を漏らす。返す返すも私は余計なことをしたようだ。



 私、野原苺。大学1年生。

 低すぎる身長を除けば、至って普通の女子大生。自宅から通うには、片道2時間弱と微妙に遠いため、現在アパートを借りて1人暮らしを満喫中。


 平凡で平穏な日々を送っている私、学内一の有名人が部屋にいることに、ただいま絶賛困惑中……。



 麟くん、どうしてこんなところにいたんだろ。

 まさか麟くんもこのアパートに住んでるの?

 まっさかぁ。

 

 私の住むアパートは2階建ての小さな物件で、1つの階には4軒分しか部屋がない。ここに住んでもう半年以上経つのだ。麟くんが住んでいるのなら、とっくに気付いているはずだ。


 いやでも。

 苺「も」って聞こえた。



「もしかして……麟くんもこのアパートに住んでるの?」

「いや、俺は自宅から通ってる。友達がこのアパートの2階にいて、さっきまで寄ってたとこ」

「あ、そうなんだ」


 やっぱり違っていたようで、ホッとする。

 そうだよね。麟くんが同じアパートにいたなら、気が付かないわけがない。

 だって麟くん、目立つんだもん。


 ちらりと目の前の彼を見る。


 透き通るような白い肌に、さらさらと流れるような黒い髪。すっと通った鼻筋に、艶やかで品のある口元。切れ長の大きな目にはばっさばさの睫毛が纏わりついていて、甘さを感じさせつつも全体的にクールな印象を受ける。


 ……相変わらず、桁外れのイケメンだな。


 麟くんは昔から綺麗な顔をしていた。けれど中学時代は、まだまだあどけない可愛さのようなものが残っていたのに……久し振りに間近で見る彼は、綺麗ながらも男らしい顔つきに変わっていた。


「なにジロジロ見てんだよ。見とれてんの?」

「え? ちっ、違うしっ! いや久し振りだなあと思って……麟くん、大きくなったねぇ」

「なんだよそれ、お前は親戚のおばさんか」


 そう言って、麟くんがほのかに笑みを浮かべた。

 さっきまで冷ややかだった表情が、温かいものに変わっていく。


 なに、急に。さっきまでむっつりしてたのに。

 不意打ちの笑顔とか反則……


 落ち着かない心臓を押さえて、私はガタリと立ち上がった。こういう時は飲み物を用意するに限る。


「えっと、とりあえずお茶でも入れるね。あ、コーヒーがいい? 紅茶もあるよ。ルイボスティーやハーブティーがいいなら、ちょっと買ってくる!」

「まてまて。買ってくるってなんだ。別になんでもいいし……というか、お前コーヒー飲めたっけ?」

「飲めないけど、友達にコーヒー派の人がいるから常備してるの」

「…………おま、あいっかわらず馬鹿だな。飲み物なんて家にあるやつ適当に出しときゃいいんだよ」


 むか。馬鹿ってなによ馬鹿って。

 なんか色々思い出してきた。そういや麟くんてこういう人だったな。中学の頃の彼は、クールでカッコいい王子様だと女の子達にもてはやされていたけれど、実態は私を小馬鹿にするのがだーいすきなイジワル王子なんだった。


「麟くんこそ、その口の悪いところ全然変わらないね」

「ちっこいとこも変わんねーな」

「ぐっ! 麟くんこそ……麟くんこそ……」

「俺は、大きくなったんだろ?」


 ニヤリと口の端を持ち上げて、麟くんが立ち上がった。光が遮られて視界が一気に暗くなる。くぅ、目の位置が私と全然違う!


 麟くん。中学の頃でさえ高い方だったのに、あれから更に成長するなんて……。

 うう、羨ましい。絶対180超えてるよ。私なんて、145センチで止まってしまったというのに……!


 見上げなきゃいけないから、首がだるくなってきた。言葉を詰まらせる私に、麟くんが目を細めて勝ち誇った顔をする。この人、私を馬鹿にするためにここにいるんだろうか。


 なんでもいいと言われたので、冷蔵庫に常備してある麦茶をグラスに入れた。

 よし、これ飲んだら帰ってもらおう。

 

「苺」


 不意に名前を呼ばれて、どきりとする。

 甘やかな低音ボイス。


 声までかっこいいなんて、ほんと卑怯だな……


 呼びかけに応じるように振り向いた。麦茶で潤されたのか、彼の口元が妙に艶めかしい。

 反して視線は鋭くて。ドギマギしてしまい、私はパッと視線を逸らした。


「なっ、なに?」

「コーヒーの好きな友達って……もしかして彼氏?」

「ううん、友達だよ。というか男の子部屋に上げるの、麟くんが初めてだし」

「ふーん。じゃあ彼氏いない?」

「うん、いないいない」 

「いないのか、ちょうど良いな。じゃあ俺と付きあおーぜ」

「ああうん、分かっ―――んぐっ!? げほごほごほっ!」

「……なに麦茶でむせてんだよ」


 麟くんが整った眉をキュッと寄せながら、テーブルの上に置いてあったティッシュの箱を突き出してきた。

 ありがとう。

 ……じゃなくて!


 麟くん。今、なんて言った?

 つ……付き合おう、って聞こえてきたんだけど……!

 

「きっ、急にどうしたのっ!? 麟くん、もしかして何か変わったことでもあった?」

「何かって……んー…、最近、友達が妹と付き合いだしたんだよな……」


 ―――友達って、葉山くんが?


 麟くんがテーブルに肘をかけて手の甲に顎をのせ、気だるげな視線を私に向けている。美形恐るべし。なんでもない仕草なのにとてつもなく様になっている。

 彼の顔がほんの少しだけ斜めに傾いた。前髪がさらりと横に流れて。隙間から覗く彼の瞳が甘く、揺れた。


「それよりさぁ。苺もフリーなんだし、なぁ、……いいだろ?」


 思わずひゅっと息を飲む。

 ワンテンポ遅れて、どくっと心臓が跳ねた。


 そ……そんなもので誤魔化されないんだから。


 彼に気付かれないよう軽く息を吸い、そっと吐きだした。少しだけ熱が逃げてくれる。冷静になると麟くんの思惑がなんとなく読めてきた。


 付き合おうって。

 それって。それって要するに。

 葉山くんの代わりとなるような……ダミーが欲しいってことだよね!?


 そんなの無理無理、無理すぎる。

 こればかりは、引き受けるわけにはいかない……


「その頼みごとはお受けできません」

「なんだよ。断んの?」

「断るの!」

「ちっ。なんでも頷いてばかりのお人好しの癖に、こーいうのだけはキッチリしてんのな」

「なんでもホイホイ引き受けんなって言ったのは、麟くんでしょ?」

「あぁ、そんなことも言ったな。……覚えてたのか」


 麟くんの瞳がふっと憂いを帯びた。少しだけ遠い目をして、それから急に現実に引き戻されたような顔をして、私と視線を絡ませた。


「じゃあこれも覚えとけよ、ちびイチゴ。俺は諦めるつもりはないからな」

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
麟の妹・雛と侑のお話です♪
その好き
バナー/楠木結衣様

雛の友達・紗英と蓮のお話です♪
可愛くない
バナー/楠木結衣様
― 新着の感想 ―
[良い点] ひょえーー! 麟くん、まさかの第一話から付き合おうぜって言ってる! ほわわわー気になるー! というわけで本日からよろしくお願いしますっ!
[良い点] イジワル王子・麟くん……! わああ、このイジワルな感じがたまらないですね♪ 「付きあおーぜ」ということろで、にやにやしちゃいました。 これは楽しい恋の予感がします! 小柄女子・苺ちゃんも…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ