09:旅の支度
財布に突っ込んだ有るだけのお札と小銭と、一着分の着替えと、折り畳みの傘に、胃薬や傷薬などの常備薬、あとは、何が要る?
思いつくだけの持ち物を一式、リュックサックに詰め込んで、チャックを閉める。
日に日に気温は高くなり、夏の青さは濃さを増してきている。けれど宮松は布地の薄い長袖を選んで着た。昔小さい頃に読んだ冒険小説で、ジャングルを歩くために長袖を着る、ヒルや虫などに食われたりしないようにという予防法である。それと比べたら……今していることなど大げさだが、ただこれから旅をするということに、心の幼い部分が疼いたのだった。
最後にあらためて、鞄を開けて中を見て、持ち物の最終確認をした。もちろん、引き出しの中のカセットも、二本ほど抜き取って入れた。向こうで聴けるように、カセットの携帯用のカセットプレーヤーも。どのテープを持っていくか大分迷い、たった数回ほど聴いただけだが、特に気に入った七十六年七月二十五日の演奏と、七十九年十月二十七日のものを選択した。
そして、白いハンドタオルを二枚、タンスから抜き出して鞄に入れ、閉じる。左肩の紐をがっしり掴むと、やや力任せに勢い良く引っ張り上げる。膨らんだ袋は身体の周りで螺旋を描いて、やがて背中へぴったりくっ付く。残りの右肩の紐をかけると、背筋を軽く反らした。
充電器にセットしてあった携帯電話を取ると、電源を消した。そして財布を取ると、三角折りのそれを伸ばす。札入れと小銭入れには、合わせて数万円ほど。カード入れの部分の、銀行のキャッシュカード、クレジットカード。そして思い出して、いつも通学や遊ぶ時に使っている、迷彩柄の少し大き目のポシェットを床から拾い上げる。その中にいつも入れている、銀行の通帳を取り出して開いた。アルバイトで作ったお金はほとんど使っていなくて、数ヶ月は何もせずとも楽に生活できるほどのお金が貯まっていた。通帳もそのまま携えて、一度部屋の中を一瞥した。
父親の死後、主無き陰気臭いこの部屋には、膨大なレコードやCD、そしてテープが、棚やケースの中に詰まって埋まっていた。死蔵の穴倉のようなこの場所にある物たちは、文字通り死の臭いを放っているようだった。
ただ、今この時、古ぼけたテープたちに、生の芳香を復活させよう。こいつらはまだ完全に死に絶えてはいない。永遠の命は無くとも、永遠はあるのだ。今一度、時の流れの中に。
宮松の鼓膜は揺れずとも、あのピアノと声は聴こえる。音の波紋が身体に伝わり、いつまでも震え続け、痺れさせる。それが神経を動かし、血に熱と力を与え、そして今、地を蹴って、旅立っていくのだ。