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18/22

18:帰宅

海から帰り、中断されていた日常を再開する。


玄関を開け、中に入ると、奥の方で物音がする。台所へとそのまま進んだ。

彼女が部屋でクーラーを強く掛けながら、ちょうど昼食を食べていた。彼女は宮松を見ると、そのまま目線を動かして、コンロの上のフライパンを見つめた。宮松は重いリュックサックを扉の脇に下ろして、フライパンに近づき、上に蓋をするように掛けられている広告の紙を取る。有り合わせで作ったらしい、野菜炒めが少し残っていた。

一旦部屋に戻ると言い、リュックを引っ張って、扉を出る。急にまとわりついてきたねっとりした熱気が、その時の宮松にはちょうど、心地良かった。自分の部屋……父の音楽の部屋、に戻る。中に鞄を放り込んで、洗面所へ向かう。

手を洗おうとして、蛇口の手前で一瞬驚いた。鏡に映った自分の顔が、まるで別人のように見えたのだった。あごや鼻の下のヒゲがもしゃもしゃと茂っている。宮松は元々ヒゲが薄いほうで、ヒゲ剃りも数日に一度やればちょうどいいほど、ほとんど伸びなかった。宮松は、初めてピアニストの音を聴いた時から、ずっとヒゲ剃りをしていなかった。変わり果てた黒い顔をしばらく見つめて、ふとそのまま伸ばしてみようと思った。部屋からハサミを持ってきて、不恰好に伸びてしまっているのを、適当に整え切った。

そして蛇口を捻り、顔を洗い、歯を磨いた。そしてまた自分の部屋に戻った。


机の引き出しを開けて、しまわれたカセットの中から七十七年のものを取る。デッキに掛け、長いヒスノイズを味わいながら、背もたれの低い黒皮のソファに横たわる。目をつむる。そしてまた、海のかおりを、波の音を、風を、思い出し、まどろむ。鍵はかけてなかったが、誰もこの空間を侵すものはいない。彼女は一度もこの部屋に入ったことは無い。別に禁止しているわけではなかったが、この父の部屋に入るのは遠慮しているのかもしれない。

ピアニストの搾り出すようなうめき声に、海辺であったあの男のことを思い出す。

身体を起こし、また引き出しを開け、テープを一掴みずつ取り出していって、全部机の上に置いた。二十数本のテープの山、全て、父が記録したのだろう、貴重な音たちだった。

男と、テープの交換をしようと約束した。宮松に持っていて男が持っていないもの……反対に宮松が持っていなくて男が持っているもの、幾つもあった。それらをピックアップした。今かけていたテープを停止させ、取り出して代わりにそれを入れる。そしてもう片側の入り口に空のテープを入れ(家に帰る途中電気店で買っておいた)、ダビングしていった。

一本。二本。三本。合間合間に台所から食料を取り出しに行き、部屋に持ってきて食べながら、次々に録音していった。十本ほど一気に作り上げた。夜になっていた、部屋のカーテンは閉め切っていて、部屋の明かりの中にいたので、それほどの時間の経過に気付かなかった。携帯電話を取り出し、メールを書き、男に送った。近いうちに、また会いましょう。そのまま、部屋から出ずに、ソファで眠った。

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