16:詩人のこと
一九五十年代の生まれ、年と生まれの土地ともはっきりしたことは分かっていない。幼少時は一時期アメリカで過ごしていたらしいが、すぐに日本に来て、家族と生活していく。一生独身を貫き通し、両親とは死に別れるまでずっと一緒に過ごしてきたという。父親は日本人で、母親はアメリカ人だという。
当時の日本におけるハーフの珍しさというのがあり、周りとの軋轢を生み出していたが、相手に対してよりも彼は、自分自身に対して強いコンプレックスを抱いていたようだ。ただし、残された数枚の写真を見る限り、その面影は、受け継いだ父の血の濃さを感じさせる。
彼は十代の頃、睡眠薬を大量に服用した。無為に流れ過ぎていく時間、異質な自分という存在への抵抗、自身の体力や精神力の弱さ、知力の無さ、あらゆる弱さに、あらゆる生きていくことへの不安に。全てを、自分の力によって、断ち切ろうと試みた。けれど、再び時の流れと接続され、再び現世に舞い戻ってしまった。
誰が連れてきたのか知らないが、目覚めると病院のベッドにいた。ここへ連れてくる人間はいないはずだった。既に両親は他界していたし、彼はいつも一人だった。とにかく病院で適切な処置が施され、やがてある程度回復すると、無事に退院した。医師に聞かされた話では、現場には大量の薬がぶちまけられていたという。飲んだ量が思いのほか少なかったので、回復も早く無事に助かったのだと言われた。そして、二度としないようにと注意を受ける。誰がいったい病院に連れてきたのかと問うと、電話で、倒れているという通報がきたので、医師自ら駆けつけたのだという。
生還後も、別に代わり映えの無い日々が続くように思われた。けれど詩人は、その後、ある小説家の作品を読み始める。その小説家も、睡眠薬で自殺をしていることを知り、本屋に出向いて全集を一冊ずつ買い、数ヶ月かけて読み尽くした。わずか二三十年前には生きていた男の残した言葉は、しかし、何の救いも見出すことは無かった。けれど、それ以降、彼は文学に傾倒していくことになる。小説を読みながら、自身も作品を創り始める。幾つかの短編小説を書き上げた。これらの作品は後の時代……現代になって公式に発刊されたが、彼が生きていた当時は未発表のままに終わっている。というのは、彼は深い神経症にかかっていて、文壇連中ともろくに連絡を取ることがなかったというのが“通説”になっている(彼の生前を知る人物は片手で数えれるほどしかいなかったと言われる……有名な話で、彼の家には電話を置いてなく、連絡は誰であっても、全て手紙のみで済ませて、直接会うものはいなかったという)。
彼は三十代の頃、引越しをして、地方へと移り住んだという。海の見えるところへ……そこは彼の生まれ故郷だという。そして、そこで死ぬまで、詩と小説を書き続けたと言われる。しかし、この頃に創られた諸作品は、一切残されていない。…………