表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/22

10:バス

昼下がりの地方の市営バス、大道路沿いに出て数分辿り歩いた停留所には、二人分の影があった。ひざの上に手の平と同じ大きさの小さなポシェットを置いて、ベンチに座っているおばあさんと、灰色の手提げ鞄を持って、道の往来を目を細めて眺めている男……ちょうどおばあさんとは……ベンチの端と端辺り、停留所の安っぽい雨避けの屋根の下で……最長の距離を開けて男は立っていた。その年格好や雰囲気からして、自分とほぼ同じ年で、同じ大学生なのだろう。

宮松は二人のど真ん中、誰もいないベンチの空白部分に腰を落とした。十分ほど待った後、学生が何か気配を察したらしく道路の上流を見やると、大型トラックにはさまれるようにして、バスはちょうど、こちらに近づきつつあった。本流からずれてバスストップの地帯に流れ込み停車。目の前にして、ようやく動き出したおばあさんの動きに合わせるようにして、宮松はあえてゆっくりとベンチから立ち上がる(隣の男もすぐにバスに歩み寄ろうとはせずおばあさんの様子を窺っている)。

旅の始まりの記憶というものは、いつまでも濃くはっきりと、鮮烈に残っている。そして一時間弱もの退屈なバスでの何もない時間を、宮松はテープを再生することに全て費やした。目をつむり、感覚をできるだけ少なくして、少しでも耳の集中力に回したかった。どうせ降車場所は終点だ。


海までの道は、どれだけあるのだろうか。不規則に強く弱く揺られながら、潮のかおりにはまだ遠い。

改めて考えることでもないが、初夏だった。この季節になれば皆、友達や、恋人や、夫婦らは、雑誌やテレビ、インターネットなどで得た情報を持ち寄って、一箇所に集まり、あっちの海はどうだ、こっちのホテルはどうだと、まるで学者のように手元の資料を使って論評しあっている光景が、どこでも見られるものではないか。

繰り返しの日常からの逸脱。宮松の高鳴りは、単に心臓の熱く深い動悸から、その振動は心臓から繋がっている肉体全て、骨や神経などを介して、全身へと伝導していくのが分かる。それは、だだっ広い大海原の潮の満ち引きの中に、全身の力を抜いて呆然と浮かび上がっている時の……引いては押して押しては引いて……自然に全てを(身体も意識も)委ねて、たゆたっている時の身体への刺激と類似している。その微弱な痺れによって、日常という感覚との繋がりから開放され、自然の律動と自分の感覚とが融合していくまさにその瞬間瞬間である。この幻のようなひと時を途切れさせないために、なおさら奥の世界へと深く入り込もうと努力を試みる。

自然が、身体に正しいリズムを教えてくれて、それを素直に受け取って任せるまでだ。と、宮松はこれまで生きてきた中で、もっとも素直に思うがままに、自分の考えを信じ、そして進むだけだった。ピアノの流れるような旋律は、波の音と親和に溶け合って、あまりに可憐に、優美に、そして物悲しく響いている。そして宮松の嗚咽は、ピアニストの悲痛の叫びの内側に滑り込み、張り付き、隠れ、優しく包み込まれている安心感にため息が漏れる。今、自分という存在は、このピアノの音色と、叫びと、波音と、三つの元素で全て構成されている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ