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four colors one true  作者: 朱ウ
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パンドラの箱

 閑香は四代続く秋庭グループの社長令嬢である。祖父が会長を務めており、五つ上の兄は次期社長となるべく世界中を飛び回って様々な仕事と勉強をしている。閑香も例外ではなく、今年の春から秋庭グループの新事業開発部で働いている。

 カフェに入った閑香は、テーブルに肘をついて大きくため息を吐いた。ため息の原因は、先刻のアンティークショップでの出来事にほかならない。態度の悪い店員の所為で頭に血が上ってしまった。しかし、いくらなんでもあの言い逃げはなかったと今になって反省をしている。

「行きにくいなぁ。でも明日行くって言っちゃったし・・・・。」

 頭を抱える閑香に、注文したアイスカフェオレを持ってきた店員が遠慮がちに声をかけてくる。すぐさま居住まいを正した閑香は、営業スマイルで「ありがとうございます」とアイスカフェオレを受け取り、何事もなかったかのように店員を見送った。

 ストローで意味もなくかき混ぜ、一口飲んだだけですぐさまグラスから手を離す。胸に燻る居心地の悪さは、先刻の出来事だけが原因ではないことに気が付いてしまった閑香は、周りの細やかな談笑が酷く耳障りになって軽く耳を塞いだ。

 最近、良いことがない。今までが良いことばかりだったわけではないが、不思議とそう思うようになったのは仕事をし始めた二か月前からだ。単に環境が変わったからということもあるとは思っているが、如何せん気持ちが上がらない。毎日暗い気持ちで起床し、仕事に流されてまた暗い気持ちで眠りにつく。ここ数日は夢の中ですら気分が悪いので眠った気がせず散々だ。

 あのアンティークショップに足を踏み入れたのも、そんなささくれた心を癒そうと思ったからかもしれないと、閑香は今更ながら気が付いた。しかし、心は癒されるどころではなかった。入店したところまでは完璧だったのに、あの態度の悪い男の店員の所為で台無しだ。閑香の中で、怒りがふつふつと再熱する。

「あの最初の店員さん、最後になんか言ってたよなぁ。」

 ふと、そんなことを思い出す。閑香が逃げるようにして店のドアを開けた時、鈴の音に交じって声が聞こえたのだ。確か、しょうがない人ですね、と言っていた気がする。

 しょうがない人って誰だろう、私のこと?などと考え始めると、熱くなっていた頭が冷やされ、ついでに背筋までひやりとしてしまう。モンスターな客と思われたのではないかと更に想像を膨らませ、そのまま自滅しそうになる。

 隣のシート席に座っていた女子高生二人組が、華やかに笑いながら席を立つ。あんな頃もあったと、そう遠くないはずの過去の記憶を攫う閑香はその途中で苦笑した。

 感傷に浸るなんてらしくない。バカみたいに未来を不安に思うことはあっても、一人で過去にしがみついたり嘆いたりはしたくないのだ。

 閑は再びストローに口をつけた。冷たくて甘いカフェオレが舌に絡みついて少しだけ閑香の思考の迷路を単純なものにした。

 とにかく、明日もう一度あのショップに行ってみよう。態度の悪い店員に合うのは正直嫌だが、このままにするのも心残りだ。ちょっと店内を覗いて、あの店員がいないことを確かめてから入店すれば良いのだ。そう自分を説得して、閑香はやっとアイスカフェオレを素直に味わうことができた。


 仕事終わりの十九時過ぎ。昨日より遅い時間に訪れたのは、あの態度の悪い店員に会う確率を少しでも下げようと思ったからである。

浅はかな考えだとは重々承知の上。それでも、できれば避けたいのが閑香の本心なのである。

昨日と同じ小窓から覗くことのできる店内は、変わらず雰囲気が良い。そのことに少しだけ気分を上げつつも、閑香の目は真剣にあの店員を探していた。しかし、この小さな窓から店内全体を見渡すことは不可能だ。ずっとここで覗いているのも不審者に思われかねない。閑香は諦めて店のドアノブに右手を掛けた。カバンの中には一応オルゴールを買えるだけの現金が入っている。閑香はぎゅっとそのカバンの肩紐を左手で握り締めた。ドアノブを回し、引き開けるという動作がこんなに難しいことだとは思っていなかった。

もうどうにでもなれ!やけくそになった閑香の右手の中で、前触れなく勝手にドアノブが回転した。突然のことに動揺が走り、あっという間に頭の中が真っ白になった。勝手に手前に開かれたドアから半歩下がった閑香の瞳には、白シャツにエプロン姿の男が映った。一瞬、あの態度の悪い店員かと肝を冷やしたが、閑香を見る男は初めての人を見る目をしていた。

黒い髪の、綺麗な顔立ちをした男である。

「あ、あの・・・・・。」

「あー、ごめんなさい。もう閉店の時間で。夜七時までなんだけど、看板片づけるの忘れてて。」

 口を開いた閑香に、男は申し訳なさそうに頭を掻いた。その仕草ひとつで、昨日の態度の悪い店員とは違うことが明白になる。勿論、最初に対応してくれた優しそうな店員とも違う。

 ふと、店前に置かれている看板に目を向けた。営業時間は午前十一時から午後十九時までとなっている。腕時計を確認すれば、現時刻は既に十九時十五分だ。無理を言って入らせてもらう訳にもいかない。

 すみません、と言って慌ただしく踵を返した閑香の腕を、男は柔らかく掴んで引き留めてきた。驚いて振り向けば、男は子供のする無邪気な笑顔を閑香に向けてきた。

「せっかく来てくれたんだし、どうぞ?掃除とかするから落ち着けないかもだけど。」

「い、いいですよそんな。申し訳ないですし・・・・・。」

 若干引き気味の閑香の腕を、男が優しくも強引に引いて店内へと案内し始める。なんとなく、子供を相手にしている気分になった閑香は無下に断ることもできず、ずるずると店の中に入ってしまった。

 入店を知らせる鈴の音が、昨日より店内に響いた気がした。ひょっとしてこの音を聞いて態度の悪い店員が現れるのではないかと身を固くしたが、予想は外れて店内には閑香と目の前の男しかいないようだった。

「僕掃除してるから、適当に見てってね。」

 言いながら手を振る男は店員というよりは友達感覚だ。普段の閑香なら、こんな風に店員に馴れ馴れしくされるのは嫌なのだが、彼に関しては不思議とそうは思わなかった。うっかり手を振り返しそうになって、いやそれは違うだろと自制して頭を振った。

 切り替えて、早速オルゴールを探す。だが、昨日置いてあったはずの棚には無く、店内を探し歩いたが見つけることはできなかった。ぐるぐる回っているうちに、掃除をしている店員とかち合った。気まずくなる閑香とは対照的に、店員は天晴と思うほどの笑顔を浮かべた。

「気に入ったもの、ありました?」

「えっと、あの・・・・まぁ。」

 気に入ったものは確かにあったのだが、今日は見つけることができない。ひょっとしたら、売れてしまったのかもしれない。もしくは、あの態度の悪い店員が意地悪で隠してしまったのか。

 何と説明するべきかに悩んでいる閑香に、店員が気が付いたように「あ」と声を上げた。

「ひょっとして昨日、ジンに意地悪言われちゃった子?」

「え?」

 驚く閑香に、店員は持っていた箒を棚に立て掛け、顔の前で手を合わせた。

「ごめんねぇ。あいつ、口が悪くって。根は真面目なんだけどさ、ホント口は禍の元って感じで。」

 店員の話に、閑香は曖昧に相槌を打った。恐らく、仁とはあの態度の悪い店員のことだ。閑香が頭の中で情報を整理している間にも、店員の話は続いていく。

「おかげで昨日の反省会荒れちゃってさ。真弘マヒロくんと令斗レイトに嫌味言われまくって今日は一回も出てきてないんだ。ホント子供だよね~。」

「・・・・・。」

 この店員はただのお喋り好きなのだとこの少しの時間で気が付くことができた。閑香が相槌など打たなくても、彼は自由に朝まで喋り続けることができるであろう。

 黙って店員の話を聞くだけになってしまった閑香に、暫くしてから気が付いた店員は「そうそう」と手を叩いた。

「あのオルゴールだよね?なんとなく覚えてる、気がする。」

 何かを思い出すように目線だけを天井に向けた店員は、くるりと体の向きを変えて店の奥へと引っ込んでいった。一人取り残されてしまった閑香はぽかんとしている自分に気が付き、はっとして自身の左腕につけた腕時計を確認した。もう八時前になる。これ以上ここにいては、店員に迷惑が掛かってしまう。閑香自身、明日はまだ仕事がある。早く帰って休みたいところだ。

 かといって、この状況で勝手に店を出ることもできない。閑香は、店員が戻ってきたら謝って帰ろうと決めて背筋を伸ばした。

 店員は数分で戻ってきた。その手には、例のオルゴールが。

「お待たせしました。ご所望のオルゴールです。」

「え、なんで・・・・・。」

 差し出されたオルゴールに、閑香は驚きの声を上げた。店員はにこにことするばかりだ。

「とっておいてくれたんですか?」

「んー・・・・なんかね、仁が倉庫に隠してた・・・・。のを、ちらっと見たから。」

「それって・・・・・。」

 やはりあの態度の悪い店員か、と納得しつつ、閑香は肩を竦めた。例え意地悪だったとしても、作成者に許可も取らず勝手に購入してしまっていいものか。

 躊躇う閑香に、目の前の店員は屈託ない。

「仁には僕が言っとくからさ。せっかく来てくれたんだし。」

「でも、やっぱり許可を・・・・・。」

「いいってー。どうせ出てこないし。今だって何にも言ってこないし、ねぇ?」

 オルゴールをぐいっと突き出されたことに動揺して、店員の不可解な言動に閑香は気が付かなかった。オルゴールの美しさは昨日となんら変わらない。ただ一片の罪悪感から見る目にフィルターがかかり、昨日は宝箱に見えた外観は絶対に開けてはならないパンドラの箱に思えてしまった。

「仁には言っとくから、ね?」

「・・・・・わかりました。」

 無邪気な笑顔の店員に根負けして、閑香はオルゴールを受け取った。心なしか、昨日よりも重たい気がする。

 複雑な気持ちでオルゴールを眺め、「お代を・・・・」とカバンから財布を出そうとした時、店員は更に笑みを深めた。

「二十万円になります。」

「あ、そこは変わらないんですね・・・・。」

 別に期待していたわけではないが、店員の無邪気に見えた笑顔が突然、子供の仮面を被った強かな守銭奴に変わった気がした。

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