56.この手の中に
二人きりになったサンルームには木々の葉の擦れる音が浸透し西日が庭を染め始める。それはいつもの午後の風景だった。
どうしてか私の頭の中はここ十日間の出来事で埋め尽くされる。
外国語の本が読めなかったこと、イシュタシアさんの料理が美味しかったこと、荷物を奪おうとした男達の話、ボリーさんとドリシアさんのこと、ディビッチ様に教えていただいたコロナについての昔話など、一人で静かに過ごすはずだった日々に濃縮して起こった出来事をエレニア様に話したい。
あまりに話したいことが多すぎてうまくまとめられるかわからない程だ。けれど、緊張から解放された頭では今立ち尽くしているのが精いっぱいだった。
どのくらいそうしていただろうか。やっと思考が働くようになりエレニア様の様子を伺おうとした時だった。
強い力で体を引かれ耳に温かなものを感じる。
それが人の呼吸だとわかるまでに数秒かかった。
「っ!」
気が付けば私はエレニア様に抱きすくめられていた。
現状を認識した途端あまりの事態に息を飲み喉がひゅっと鳴る。自分でも聞いたことがない、訳のわからない声がでた。具合が悪いのかと体を支えようとしたが背中に回された腕は力強く私を抱き留めていて微動だにしない。
「え、えええええれにあ様!?」
上ずった声で名前を呼んでも返答はなく放してくれるそぶりもない。
脈は早くなるばかりで胸が痛い。今にも心臓が身体から飛び出しそうだ。
固い胸板、顔をくすぐる赤髪、伝わる体温、ほんのりと香る匂い。その感触にあわあわと一人取り乱していると私に囁くような小さな声が聞こえた。
「私は・・・私は、君を守ると約束したのに助けられてばかりだ。」
密着した上体を少し離すと、エレニア様の細くヒンヤリとした指が私の頬に優しく触れる。
「ディビッチが私を出し抜いてこの屋敷にいることを悟った時、君がなにをされるか不安で仕方がなかった。騙されたことに怒りも湧いた。でも一番許せないのは、君を守ると誓った約束を果たすために屋敷を出たのに、目の前にいた君の怪我にも気がつけなかった自分の不甲斐なさだ。私はなにも成長してない。自分のことしか考えられない子供のままだと思い知らされた。」
「エレニア様。」
「屋敷まで馬を走らせながら君のことばかり考えていた。どうすれば君を守れるのだろうと。もしこんなに不甲斐ない私についてきてくれるなら、君を正式に私の使用人にしたい。」
「え?」
またもや予想外の展開にすっとんきょうな声が出た。
「ゴードン家からの出向ではなく、リッツォ家の使用人でもない。私個人と契約して欲しい。そうすれば、今回のような不測の事態になっても私がいる限り君の意思を最大限尊重できる。」
確かにリッツォ邸に勤めハミット様から給金をいただくという歪な状態は私にとっても気になっている所だった。けれどそれは私のエレニア様に仕えたいという我侭と、ハミット様の親友へのお心使いがあっての結果だ。
今更、私からはどうしようもない件でエレニア様の話はとてもありがたい提案だった。
「それは大変ありがたいのですが。エレニア様が、ハミット様を説得なさると言うことでしょうか?」
「ディビッチとハミットの二人を説得する。」
「それは壁が高いですね。」
「私も思いつきじゃなくそのための準備をしてきたんだよ。一応ね。すぐには返答が貰えないかもしれない。けれど必ず果たすから待っていて。」
この距離で微笑まれ、一瞬冷静になった思考が一気に再沸騰する。
「あ、あの!え、えエレニア様!大切なお話の最中に申し訳ないのですが、そろそろ離していただけないでしょうか。距離が近いというか距離が無いというか」
エレニア様は私の言葉に目をパチクリとしばたたかせると見る間に顔が赤く染まっていく。
「ああ、あぁすまない。いや、その、これはだな」
しどろもどになりながら背中に回った両腕が離れやっと解放された。エレニア様はそのまま二、三歩あとずさると表情を隠すように顔を伏せた。
「・・・全面的に私が悪かった。」
「エレニア様の主としての真摯なお気持ちはよく伝わりました。ただ、他の女性だったら変な誤解を生む行為ですのでお気をつけください。」
「リンノ、誤かぃ「私、モルガさんに用がありますので失礼致します!!」
勢いよく扉を開きサンルームを駆け出た。エレニア様の話が本当に実現したら嬉しい。なのに胸がもやもやとしたのはきっと気のせいだ。




