3.強襲
書きながらリンノが可哀想になってきました。
知らぬが仏とか、泣きっ面に蜂とはこう言う事なのかな。
そして、今日も陽は昇る。
昨夜リンノは混乱の中でどうにか家に戻る事ができた。
しかしベッドに入っても微笑んだシプリアの顔を忘れる事はできなかったし、天使様が現れて『先程あなたが見たものは全て夢ですよ』と言ってくれないかと願ったがその想いは叶わなかった。
「ちょっとリンノ!あなた酷い顔よ!」
「地味な顔なのにそんな腑抜けてたんじゃ余計地味になるぞ」
部屋を出て朝食を食べに行くと、母とトマスが私を見て口を揃えた。
(誰のせいだと思ってるのよ!!)
憤りを堪えてトマスを睨む。いつもなら’地味顔’と言う部分に食って掛かるけれど、今はそれどころではない。今ので朝会う気まずさはなくなったが、このままトマスと普通に接する自信がなかった。テーブルに用意されていたパンとスープを流し込むように黙々と食べる。
「母さん、森で木の実を採ってくるわ。」
籠をもって家を出ようとすると、母が慌てて声をかけてきた。
「最近森に怪しい男がいるって噂らしいから、遅くならないようにね。」
「ぶっ、ゴふぉっゴホ・・・!!」
「・・・・・・」
母の言葉に、トマスが盛大にミルクを吹いてむせている。
(我が兄ながらわかりやす過ぎる。)
『母さん大丈夫よ。それはトマス兄さんだから』と言うわけにもいかず、兄の素直さに少し悲しい気持ちになりつつ家を出る。木の実を採る気はさらさらなかったが、街の友人と会うのも嫌で森へ向かう事にした。
(皆に会ったら、またシプリア様の話題になっちゃうもの。平然としていられないわ。)
サマラス家はコールブルトにある「ドントル」と言う卸問屋の買付役だ。隣国への輸出品となる品を買い付けるため運搬が可能な範囲で地方へ身内を送っているらしい。ポルドネではワインや絹糸が主な特産品だったが、サマラス家がそれらを大量に買い付けコールブルトへ送っている。
そのお陰でうちのような養蚕業だけでなく、特産品に関わる様々な家が助かっている。『領主に金を撒いている』と蔑む人もいるけれど多くの家庭が救われているのは現実だ。
しかも、サマラス家の一人娘シプリア・サマラスは女性も唸るほどの美少女。『貴族からも求婚の申し入れが来ているらしい。』ともっぱらの噂で、街には『第二のシプリア様になりたい!』と憧れる女性が続出している。
(そのシプリア様が、まさかトマス兄さんと・・・。)
森に入り二人が逢瀬していた場所にぺたりと座り、昨日の光景を思い出す。ざわめく森の月明りに照らされ、一瞬垣間見えた喜びに満ち溢れた二人の表情。互いを確かめるように抱きしめ合っていた。あれが’恋’というものなのか。
(私には、・・・・・わからない。)
貴族への輿入れも近いと言われるサマラス家のシプリアがなぜ兄と抱き合っていたのか。兄もシプリア様の噂を知らないわけがない。
もし貴族の求婚を断り二人が結婚するなどとなればマクレーン家は爪弾きにされ、この地方では生きていけないだろう。シプリアもただで済むとは思えなかった。どう考えても袋小路だ。
それなのに、二人は愛し合っている・・・・ように見えた。
両親にこれを告げれば卒倒ものだ。二人の関係が誰かに見咎められれば、兄は投獄されるかもしれない。
(どうすればいいんだろう。)
私でさえ兄の異変に気が付いたのだ。
二人の関係が誰かに気づかれるのはそう遠くない気がした。
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リンノがシプリアとトマスの関係を知ってから2か月が経ち、雪がちらつく季節になっていた。
結局、誰に相談する事も叶わず、兄が浮き足だって出掛けていくのを陰ながらと見送る日々が続いた。二人は逢瀬の場所を変えたようで『森に現れる怪しい男』の噂は聞かなくなり『シプリア様ご婚約!』の話も出ていない。
(―――兄さんと、ちゃんと話そう。)
誰にも相談できないのなら本人を説得するしかない。なにをどう話すのかは決まっていないが、このまま一人で悩んでいても仕方がない。そう心に決め家を出たばかりの兄の後を追う。
(今夜はどこへ行くんだろう。)
兄は街の中心部を迂回しながら北へ向かっている。このまま北へ抜ければ川があり、この時期は川風が吹き付けて寒いから人が寄りつかない。逢瀬の場所にはピッタリだけれどリンノはそこではないと思っていた。
(あんな拓けた場所で見咎められたら身を隠す場所なんてないものね。)
川の他にリンノが思い付くのは祖父母の住んでいた小さな家。それが街の北外れにある。祖父母は数年前に他界し今は倉庫として使っている。現状を考えればそちらの方が寒さからも身を守れて人に見つかりにくい。もし自分ならそこを使う可能性が高いと感じた。
そしてリンノの予想通りトマスは祖父母の住んでいた家へ入って行く。明かりは漏れてこないが二人がそこにいるのは明白だった。兄と話をすると決めたは良いものの一体どのタイミングで入っていくのか決めかねていた。今すぐに家に入る事も出来るが、それをしないのは二人を前にして話を切り出す勇気がないのかも知れなかった。
リンノが寒さに身を切られながら悩んでいると背後から突如 男の声がした。
「やぁ、お嬢さん。こんな夜ふけにどうしたのかな?」
驚いたリンノが振り向くと、視界を何かが遮り身体が鈍く痛む。その意味を理解する前にリンノは意識を刈られていた。