1.はじまり
「ハミット様からご紹介に与りました、リンノと申します。本日よりどうぞ宜しくお願い致します。」
リンノと名乗った少女は少し低めの声色でシンプルに挨拶をすると、深く頭を下げた。黒のワンピースに身を包む女の表情は読み取れない。
「コールブルトのリンノだね。ハミットから話は聞いている。私がエレニア・リッツォだ。」
それがエレニア・リッツォと、リンノ・マクレーンの出会いだった。
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城下から離れ緑豊かな町エリーシオ。ゴードン家が管理する田舎町だ。その町の外れにある屋敷に、私は住んでいる。
この屋敷は叔父が所有していた別荘で、独り身だった叔父が亡くなったため私にあてがわれた。実際は’屋敷’と言うほど広い家ではないが、建物以外の敷地もあるため一人ではなにかと管理が面倒だ。
「リンノ、君にお願いしたいのは私の衣食住とこの屋敷の管理だ。君以外にメイドはいない。私が無精なのはハミットから聞いているだろう。町の者とのやり取りもすべて任せる。ただし、屋敷の庭には手を入れないこと。町の人間は庭に入れるな。それらの事さえ守ってくれれば、他は自由にしていい。」
「畏まりました。」
「じゃあ、屋敷の中を簡単に説明しよう。」
リンノは緊張しているのか、時々声をうわずらせながら返事をして私の後をついてくる。そうして屋敷を説明しながら歩き、埃がたまり始めた一部屋のドアを開ける。以前のメイドが使っていた部屋だ。
簡素な室内にはベッド、クローゼット、机と椅子が一組と必要最低限の家具がある。机の上にはメイドが残していった小箱や手鏡が置かれたままだ。クローゼットにも服が残っているだろう。
「ここが君の部屋だ。今日中に掃除を終わらせなさい。前のメイドの私物があるが、使うでも捨てるでも好きにしたまえ。」
リンノは部屋を見渡すと、言葉少なに礼をいいながら頭を下げた。
今日からの自室を見て、彼女がどう思っているかはわからない。もしかしたら、’地方とはいえ貴族’と頼りにした住み込み先が、このような有様で落ち込んでいるのかもしれない。
ともあれ屋敷の案内は一通り終わった。細かい事は追々わかってくるだろう。
私は「明日から頼むよ」と言い残しその場を離れた。
(リンノの到着をハミットへ連絡しなければ。)
『やむにやまれる事情があり、住み込みで従事できる場所を探している女性がいる。彼女をメイドとしてお前の屋敷に置いてくれないか。彼女は君の助けになると思う。』
初夏にエリーシオ唯一の医師であるハミットからそう言われた時は一度断ったのだ。しかし、本格的な冬が訪れる前にメイドが辞めてから屋敷は少しずつ荒れ始めたし、エレニアの数少ない話相手でもあるハミットから再三の打診という事もあって渋々承諾した。コールブルト出身というのは後にハミットから聞いた事だ。
コールブルトは城下から南東にある大都市で人口も増加の一途を辿り、隣国の大使も頻繁に視察に訪れているらしい。町の興りこそは漁村だが、今では漁業だけでなく幅広い商いを扱う商業の街だと聞く。
そんな賑やかで発展した街から、自然しか取柄のない田舎の更に外れの屋敷へわざわざ小間使いにくるのだ。『事情』とやらについてはハミットから聞かなかったが、並々ならぬ事だと察するのは容易だった。
(とりあえず、仕事さえこなしてくれれば充分だ。)
一日の大半を過ごしているサンルームに着くとガラス戸を押し開き椅子に腰かける。時折、花の香りをのせながら吹き込む風が心地いい。
そこにリンノの姿を思い出す。
揺れる黒髪に足元まで覆う黒く裾の長いワンピース。
(年の頃は十八くらいだろうか。いや、服装や口調で落ち着いて見えただけで、もっと若いのかもしれない。あのくらいの娘は普通、色鮮やかな装いを好むものではないのか?それにしても、・・・人と居るのはやはり疲れる。)
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エレニアは夕陽の眩しさで目を覚ました。いつの間にやら眠ってしまっていたらしい。薄く開けていたサンルームのガラス戸も閉じ、掛けた覚えのないストールがエレニアの体を包んでいる。眠る前との変化に少し戸惑ったが、昼間リンノが来た事を思い出した。
短い瞬きを繰り返しながら足早に近くの応接室に入り、備え付けてある便箋に短い一文だけ記して封書へしまう。ちらりと時計を見ると、時刻は十七時を過ぎていた。
封書をもって食堂へ向かうとテーブルには見覚えのない花が生けられている。夕食の支度をしているのかとキッチンへ向かう。物音がするのでリンノがいるようだ。
「夕食の用意か。食材があまりないだろう。」
「きゃ!」
言いながらエレニアがキッチンのドアを開けると、リンノが小さく悲鳴をあげて振り返った。驚かせてしまったようだが次の瞬間には固く落ち着いた口調に戻っていた。
「申し訳ございません。考え事をしておりました。もう少しでお夕食がご用意できますので食堂でお待ちください。」
「いや、君も疲れているだろう。今日は私も手伝おう。」
「大変嬉しいのですが、調理も殆ど終わっていますし、その、……これは私の仕事ですのでお任せ頂けないでしょうか。」
結局『キッチンは主の来るべき場所ではない』と、それらしい言葉で断られ一人食堂へ引き返す。
(大人しそうな印象だったが意外と頑固そうだ。)
暫くしてリンノが夕食を運んできた。有り物で拵えられた夕食は初めて口にする味付けだったが不味くはなかった。食後の紅茶を飲んでからリンノとは特に会話もせず寝室へ戻る。午後に寝てしまったにも関わらずベッドで横になると睡魔が襲ってきた。
『これは私の仕事ですので』
リンノの言葉が脳裏をよぎる。
(まともに働きもせず食し寝るだけとは、家畜と変わらんな。)
エレニアは一人自嘲気味に笑うと、一日を終える事にした。