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海の底ほど愛が深い

作者: 早之丞


「私とお話を少し、いたしませんか?」

「え? えぇ」


 ここはイングランド南部。セントパーク港にある、戦艦メアリー・ローズ号博物館前。

 ふと思い立って観光にきた俺は、不思議な女性と目があった。インスタに載せたくて写真を撮ろうとしたら、画面に黒髪で灰色の目の白人の顔が映ったのだ。まつ毛の数が数えられるくらいの至近距離で。ものっすごい自分好みの顔が画面越しにあったので惚けていると、そう言われた。

 地面につくぐらいある長い髪と体のラインがわかるワンピースといった出で立ちの美女が「これも、何かの縁かもしれませんから…だめですか?」と艶やかに微笑むので、「いやいやもちろん喜んで!」と、力強く頷いてしまった。


「気軽にレジって呼んでくれ!!」

「ありがとう。よかったら、中に入りません?」


 朗らかに笑う彼女の後を追って、俺は博物館に足を踏み入れた。


 館内は寒くて薄暗かった。マスコットキャラクターの犬の絵が描かれたパンフレットを取って先に進むと、等身大のリアルな人形……ヘンリー8世という王様が出迎えてくれた。

 そして沈没した日が書かれた大きな壁。


《19th JULY 1545》


「500年前…か」


 その数字に見入っていると、「その男は海賊でした」と、我慢がならない様子で彼女は語り始めた。


「え?」

「商業船や漁村を強奪する典型的な悪党です。自分の欲のためなら、平気で暴力を振るうし、冷酷になれる…。でも、女子供や動物には優しかったし、料理が上手な人で。世話好きでもあったから、みんなに慕われていましたわ」

「海上の貴重な食料を、恋人に惜しげなくプレゼントしてくれたり、一緒に歌を歌ってくれたり…。本当に、優しい人でしたの」


 ふんわりと可愛らしく笑う彼女。

 その横顔に不思議と引きつけられた。


「でも…やっぱり彼はひどい人でした」


 カツンと足音が響く。

 はっと前へ視線を移すと、そこには巨大なキャラック船があった。

 メアリー・ローズ号だ。

 窓越しからでもその存在感に圧倒される。海底から引き上げた軍艦を取り囲むよう巨大なガラスが貼られていて、チューダーローズが刻まれた大砲なんかの大量の遺留物や、船員の骨格標本が展示されていた。


「あれは……!」


 ドクン。心臓が跳ね上がった。

 目の前に等身大の人形があった。自分そっくりの顔。いや、あれは。


「その海賊の名はレイモンド・オデール。元海賊でありながら、イングランド海軍の上流船員になった男」

「俺!?」


 そう自覚した途端、――いや彼女に背中を触れられて――、覚えのない記憶が次々と蘇ってくる。

 本来思い出さなくて良いものを、無理やり引きずり出される感覚。すごく、気持ち悪い。


「あぐ……ッ」


 あまりの衝撃の強さに五感が吹き飛びそうになる。

 思わず倒れ込みそうになって、片足でバランスをとると、ジャバッと水音がした。無機質な廊下が浸水していた。

 急いで後ろを振り向くと、彼女を囲むように水が湧き上がっていた。水はザザザッと音を立てて、彼女に従うように空中を漂い、床の水位を上げていく。

 彼女……いや人魚のレヴィらしい妖艶な笑顔を俺に向けた。


「どうしてこの船が沈んだか、思い出せました? レイモンド」


 “レイモンド”と呼ばれて違和感なく自分のことだと認識できた。

 そうだ俺は前世でレイモンド・オデールだった。だが、しかし。


「あぁ……うーん。いやー。全く……見当もつかない、な。ハハッ」


 ブチッ。血管が切れた音がした。


「お前がこのレヴィアタン( わたし)を裏切ったからだ!!」


 どぱあん! 彼女から水の濁流が館内を押し流す。


「どわーッ!?」


 膝下まで押し寄せた波は大の大人を押し流すのには十分だった。壁に必死にしがみつく。

 彼女の容姿は禍々しく変化していた。真っ黒な髪は逆立ち悪魔のよう。ワンピースは吹き飛んで白い肌が露わになっている。下半身黒々とした魚の鱗で覆われおとぎ話の人魚姫のようだが、蛇のごとく長い尾になっている。


 ーーあのかわいい顔のままで、ギラギラと目を光らせ、怒り狂った表情だ。怒った顔も魅力的だけど、不機嫌になってもらっちゃあ困る。どうしよう。


「よくも! 私の愛をコケにしたな!! 地上で他に女を作ったのだろうッ!? 許さないッ!! 許さんぞレイモンド・オデール!!」

「は!?」

「無理やりにでも答えてもらうわっ!」


 パリーンッ。メアリー・ローズ号を覆った巨大な展示ガラスが砕け散る。思わず両腕で顔を守る。


「ぐっ」


 バラバラバラッと降り注ぐ破片の雨の隙間から、周囲の景色が16世紀…500年前のポーツマス港の光景に塗りつぶされていくのが分かった。

 レヴィは人魚であり、聖書に乗ってるような悪魔だけど、いやそれにしてもこれは。


「……!」


 宙に浮かんだ俺の足元ではソレント海峡で戦争が繰り広げられていた。陸にはヘンリー8世の要塞があり、地上部隊がフランス海軍に砲撃している。朽ちたはずのメアリー・ローズ号は、栄光に満ちた姿で海に浮かんでいた。過去ではない、レヴィアタンが見せる幻覚のようだ。


「お、落ち着くんだ! レヴィッ」

「気安く我が名を呼ぶなーッ!!」


 怒りでレヴィの乙女が吹き飛んでいるらしく語調まで変わってる。

 怪獣(レヴィアタン)だ。レヴィアタンの側面が目立って、何度も殺されかけた思い出がある。

 ヤバイ、このままじゃ幻覚が本物になってポーツマス港ごと沈む勢いじゃねーか。最強の怪物の名は伊達ではないのだ。


「くっ……落ち着いて、話を!」

「私たちは一生の愛を誓った! 共に生きようと……結婚しようと約束した!!」


レヴィの後ろで、4隻のガレー船が大砲を撃ちながら進軍してきた。ドォンドォンと大砲の幻聴が鼓膜を揺らす。


「だからずっとずっと待っていた! また海に来るのを! なのに…お前は…現れなかった……!」

「いや1年ちょっとしか」

「御託はいいッ! 浮気者!!」


 感情をむき出しにした表情で叫ぶレヴィに怯む。なんて顔するんだ、君は。

 このままじゃ埒があかない。メアリー・ローズ号のメインマストにしがみつき伝って下り「! また私から逃げる気か!?」と叫ぶ声を無視して甲板に着地する。懐かしい顔が何人か目線を寄越す。攻撃してきた船に応戦しようと慌ただしい。昔の俺ことレイモンドはちょうど錨を上げる作業をしている。


「っと、感傷に浸ってる場合じゃねぇ」

「……さぁ、アイツはどこにいたんだっけ」


 幻影の中を駆け抜けて、急いでハシゴを降りる。


「どいた! どいたーッ!」

「レイモンドっ!!」

 

 帆が風を受けて、船が進み始める。船内が大きく揺れた。俺は無我夢中で下層を目指す。


「ば……バカバカバカ…バカー!! シィット! ファッキュー!! クソ野郎ォ!!!!」

「なんで、なんで私から逃げるの……!? 私のこと、そんなに嫌い!?」

「し、沈めてやるッ。沈めてやるーっ!!」


 ガクンッ。船内が右に傾く。細長いエール樽や、牛乳が入った陶器が転がり、ビスケットが舞い上がる。悲鳴が、助けを求める声が、あちこちからあがった。


「あ!」


 見つけた。探していた――……。そう思った瞬間、扉から水が溢れて俺を飲み込んだ。


                 ✳︎


 ――ザアアアッ。海は渦巻き、人間どもの悲鳴を飲み込む。奴の船が、メアリー・ローズ号が沈んでいく。ぐるぐると過去の私が作る黒い渦、あの渦の中心で、奴が死ぬのを私は見た。


「あはははは! ざまぁみろっ私を裏切るから…っ!」


 ふと……腕輪をつけた手がひとつ、助けを求めるように空をかいている。


「ふ……」


 ずるっ……と徐々に力を失い沈んでいく手。


「う」


 …トプッ。

 ――あの人の手が水面に沈みきる瞬間を私は見ていられなかった。


              ✳︎


ザパッ! 俺は一気に海から引き上げられた。


「ブハッ」


 肺に酸素が行き渡る。体には懐かしい腕の感触があった。レヴィが助けてくれたらしい。


「けほっ、れ、レヴィ……」

「死んで避けたいくらい私のことが嫌いですか!? 嫌いになったんですか!? 死ぬほど……私のこと……もう、好きじゃないの!? 忘れてしまうほど、どうでもいい存在!?」

「レヴィ」

「私は! 殺しちゃうくらい愛してるのに!! 知ってるくせに!! ずっと、ずっと覚えて……っ……うっ……2回も恋人を殺させないでよっ! レイモンドの……バカぁ〜……!」


 ポロポロと泣きわめくレヴィは、俺の胸に顔を埋めて「死んじゃやだぁ!」とか「いっそのこと不死身にして永遠に縛りつけてやる〜!」とか熱狂的な告白をかます。さっきまでの、怪物らしさの欠片もない。可愛い女の子だ。へへっ照れるぜ。


「あーもー! レヴィは! ほら、こいつを見ろ!!」


 俺はかつての愛犬を掲げた。明るい色のふわふわした短毛。まだ1歳の若い成犬だ。幻だけど、こいつの温もりを俺は覚えている。


「あ……!」

「チビだよ。覚えてるか?」


 あれは沈没船から運良く流れ着いた物資を拾っていた時のことだ。


『レイモンド、大変! 沈没船から子犬が……! まだ息をして……』

『どうしよう。私では助けられないの! レイモンド。レイモンド!』


「あの時の子犬を…地上で育てていた、というの?」

「……シップ・ドッグ。船のネズミ捕り犬にしたら船旅に連れ出せるだろ。その間に国から召集令が出てな〜」

「あぁ…」


 レヴィはそっとチビに頭を触れる。チビは嬉しそうな顔をして、尻尾を振った。


『へぇ、いいね。かわいい奴だ』

『こいつと会えなくなるのは寂しい? 心配すんなって!』

『船旅で連れて行けるように、俺が訓練してやるよ。だからちょっとだけ待っててくれよ、な?』


 サアッ…。周囲の景色が現実に戻った。メアリー・ローズ号は朽ちて、手元にいた愛犬は、元どおり骨格標本だ。ザワザワッと人の気配もする。


「貴方はほんとうに、優しいひとだったのね…レイモンド」


 目の端に涙をためて彼女は愛おしそうに微笑んだ。


「ん、誤解はとけたみたいだな。すげーな女の子って。軍艦1つ沈められんだもん〜。ははは〜」

「っ」

「ご、ごめんなさい……!」


 逃げようとするレヴィの手首をガシッと掴む。


「まー、待て待て」

「は、離してください! 自分が愚かすぎて、ここにいられません……!」

「500年も待ってくれて、俺に声かけてくれて、ありがと」

「!?」


 ビクリっと体を震わせて、ゆっくりと俺の方を向いたレヴィは、喘ぐように声を出す。


「……私、本当に勘違いで、取り返しのつかないことしてしまって……。こんな怪物、許されないわ……。ご、ごめんな、さい……。だから」

「それはまーそうだろうけど、時効だろ。俺は気にしないぜ。元悪逆非道な海賊だし」

「でも……2度も貴方の人生を、台無しにするわけには……」

「んーなんかそうじゃないな……つまりだ」

「この俺、レジナルド・ハーストが、レヴィと一緒にいたいんだ」

「へ」

「思い出す前から好きだった。これも、何かの縁だろ? だめかな」

「〜〜……!」


 顔を真っ赤にするレヴィ。うん、可愛い。俺の恋人ちょー可愛い。


                ❇︎


 レヴィの手を引っ張って、外へ出る。


「お土産ショップでさ、マスコットキャラになったチビのヌイグルミとかあったら買おうぜ」「あとカフェで紅茶でも」

「……はい、はい」

「あははは。ほら、そんなに泣いてるとビスケットが塩味になっちまうぞー。レヴィ」

「ぐすっ……はいっ! レジナルド!」


 暗い館内から出て見た空は祖国イギリスにしては珍しく青かった。

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