なんちゃって占い師は異世界で無双、させられる
「ちょっと、マスター。聞いてますか! あのサイテー男、絶対に許さないんだから」
長いウェーブのかかった髪を背中に流し、粗めのゆったりとしたニットワンピースを着た女性が、バーのカウンターに座り、マスターにくだを巻いていた。
「聞いてるよ。たいへんだったね」
対応するマスターはまだ若い男性だ。白いシャツに黒のベスト、イケメン風しょうゆ顔に短いさっぱりとした髪がよく似合っている。
ホストとしてもやっていけそうな風貌だが、マスター本人は真面目で嫁一筋だと言ってはばからなかった。
「大変も大変ですって。結婚式の一ヶ月前になって、中止! なんですぅ。しかも浮気相手は妊娠三ヶ月とか。ふざけんなっての!」
女性はそれ以上の文句を飲み込むように、ぐいっと目の前のグラスを呷る。
「ああぁぁ。信じられない。男ってサイテー。浮気するなんてサイテー。もげちまえぇ」
女性の声が店にこだまする。
土曜日の夜だというのに、客は女性一人。その呟きだけが、クラシックの音楽にまぎれて消えていった。
「さやちゃん。考え方次第だと思うけどね。そんな最低な男と結婚しなくて、良かったじゃないか。籍を入れたあとだったら、離婚してバツイチになったところだったんだよ」
女性──古河彩は、客の少ないこの店の常連の一人だ。
数年前からちょくちょく話をしに来ている彩が、まさか恋愛に失敗するなんて──いや、恋愛に失敗したことに悔むとは。女性は見かけによらない、とマスターは認識を新たにしていたのだが。
「サイテー男と結婚しなくて済んだのは良かったですよ。でもね、一ヶ月前なんですよ! しかも今日は土曜日だし……土曜日の夕食にレストランに呼び出されて、食事前に婚約破棄されるって、タイミング最低じゃありませんか? せっかくの美味しい料理なんだから、食事の後にするくらい気を使って欲しかったです。
あいつが専業になれっていうから、仕事もやめちゃったのに……どうやって生活していけっていうんだか!
それに。このあと謝罪回りと事情説明をしないといけないかと思うと、今から気が滅入ります……」
「そ……そうだったのか」
「今の私には、酒だけが心の癒しなんですぅ~」
随分冷静──というか、損得勘定でしゃべっているのは気のせいだろうかと、マスターは溜息をついた。
もとから感情よりも理性を前に出す女性だったけれど、酔っぱらった今はそれが顕著に出ているように見えた。
「イイモノがあるけれど、いるかな?」
「なんでしょうか?」
マスターがレジ近くに置いてある名刺入れから、一枚を抜きとり彩の前に置く。
それには「大神弁護士事務所 弁護士 大神ヘレン」という名前が書かれていた。
「弁護士さんですか?」
「そう。奥さんの名刺なんだけどね、必要な人がいたら渡して良いといわれているから。
何も泣き寝入りすることはないでしょう。相手方の不貞での婚約破棄なんでだから、結婚式にかかった費用と時間分、しっかりがっぽり慰謝料請求すればいいんじゃないかな。
それとも──まだ、お好きですか?」
マスターに「好きか」と問われて、彩は考えた。
確かに好きだった。
結婚してもいいと、一緒に生活できると思った相手だった。
家族になれると思っていたのだ。
けれど、手痛い裏切りを受けてもなお好きかと言われたら──
「ないわー」
「さやちゃんなら、そうですよね」
ほっとしたようにマスターが言う。
彩はありがたく名刺をもらうことにして、バックを開けた。名刺入れを取り出そうとしてところで、酔っぱらった手はそれを取り落としてしまった。
ばさばさと音をたてて、十枚程度の中身がカウンターに散らばる。
「ぎゃあぁ。ごめんなさい」
「あ、ソレ──」
マスターが指差した物は名刺ではなかった。
その名刺サイズの紙にはカラフルな絵が書かれていた。それがカウンターに散らばっていて、あわあわと彩は手を動かした。
「えーっと、これがどうかしましたか?」
「それ、タロットですよね。こんな小さなサイズ始めて見ました」
カウンターのど真ん中、目の前にあるカードを見てマスターが言う。
彼が見ているのは"世界"のカード。画面をぐるりと彩る、大きな緑の輪と祝福するように飛ぶ鳥、招くように広げられた人間の両手だった。
「これ、私が作ったんですよ。普通のタロットってトランプよりも大きくて、上手くまぜれなくて」
「……枚数が少ない気がしますが……」
タロットカードの枚数は多い。大アルカナ二十二枚、小アルカナ五十六枚、合計で七十八枚ものカードを使うのが正式なタロット占いだった。
彩の持つ名刺入れには入るはずもない量なのだが。
「ええ。大アルカナだけですから。大きめの名刺入れなら、十分収まるんですよ。……やっぱり、カードを持ち歩いてると、ばれた時に変な目で見られるので」
「そうですか。それはお気の毒に」
言われてみれば、彩の持つ名刺入れはたっぷりとしたマチをもつ革製のものだった。おちついた作りのブラウンの名刺入れだが、マスターは同じ物を営業の男性──やはり客だ──が持っているのを見たことがあった。
ごそごそとカードを集めながら「そうだ」と、彩はマスターを見た。
「なんなら今、占ってみましょうか? 本格的に学んだわけじゃないから、当たるかどうかわかりませんけどね」
「そうですね。どうせなら見てもらいましょうか」
「ええ、ぜひ」
彩はなれた手つきでカードを切ってゆく。普通にトランプのように軽快にカットしていた。
「……タロットって、そうやってまぜるんでしたっけ?」
「違いますよね。でも、ほら、自作カードなんですよ。市販のカードほど上手く滑らなくて。それに、上下で意味が違うとか、よくわかりませんしねー」
随分適当な言葉に、マスターは頭を抱えた。
彼の客には占い師もいる。この店でも何度か占いをしていたのだが、彩の方法はそれとは違いすぎていた。
そこで行われているのは、"占い"といっていいのか分からない何かだった。
「さて。よーくまぜました。ではここから」
彩はイチ、ニ、サン……とカードをよけてゆく。
途中でカードを抜きだした結果、三枚のカードがマスターの目の前に広げられた。
裏返ったそれを、彩は手際良くひっくり返してゆく。本来ならば何かしらの"絵"が現れるはずなのだが。
「じゃーん、です。どうですか?」
「どう、と言われても。これは……」
マスターの前に並べられたのは、白紙の三枚だった。
あれ、と彩が首を傾げた。
「白いのは入れてないのに。なんでこれが出たんでしょうか?」
「間違えたんじゃありませんか? 酔っているようですから」
「うーん?」
疑問を浮かべ続ける彩が、無地のカードをのける。まとめたカードにざっと目を通して、無地が入っていないのを確認する。今度は、じっくりと念を込めながらカットし始めた。
「再チャレンジですか?」
「いえ、今度は、私を振りやがりました最低男の今後についてです。死神とか、搭とか、でませんかねー」
死神も搭も、あまり良い意味ではない──と、彩は思っている。
「さあ! 三枚!」
ペ、ペ、ペ。と彩はいきおいよく三枚を抜きだす。出てきたのは"恋人"、"審判"、"魔術師"──恋人がでちゃったよ、と彩は肩を落とした。
"恋人"──横を向いている男の前でにっこりと女が口角を上げている。
"審判"──天使が厳しい顔で吹いているラッパを背に、男女が言い争っている。
"魔術師"──長い髪の魔術師が、勝ち誇るように高く右手を上げている──その顔が歪んだ笑みをたたえているように見えた。
「え?」
ぱちぱちとマスターは目を見張る。彼の知っているカードと、あまりにも絵柄が違うのだ。
「あの、さやちゃん。この絵柄……」
「えー。まじまじと見ないでください。プロの絵にはかないませんから」
「いや、あの、ね──」
ついてないなぁ、と彩は溜息をついた。
「これって、アイツはハッピーってことですよね。恋人に天使の祝福ですよ。魔術師はよくわからないけど、確か良い意味のはずだしー」
「えー。それはどうかな」
にやりと笑う魔術師は良い意味でとらえて良いのだろうか、とマスターは悩む。
天使の祝福にしても、ずいぶん怖い顔の天使様もいたものである。
え。呪いの間違いじゃないの、と思ったけれど口には出さなかった。マスターは空気を読むのだ。
ひょい、と彩はカードをめくると、小さな文字で書きこんであるメモを読んでみた。
「魔術師のカードの意味は"始まり"。うん、やっぱり結婚生活の始まり──ってことじゃないですか」
「裏に意味をメモってるのか。占いとしてどうなんだろうね?」
マスター的には「うわぁ」である。こうなると、魔術師が右手に掲げているモノが書類──結婚届にしか見えなくなってしまった。もしくは出生届。
俺、疲れてるんだな、とマスターはグラスに麦茶を注いだ。ついでに彩の前にも麦茶を出して、飲みなさいと進める。
「とにかく、最低男の未来が明るいのがすごく悔しいです。このうえは、弁護士様にお願いして、慰謝料がっぽがっぽです」
カードを片付けながら彩が言う。
「そうだね……」
マスターの見立てでは、男は幸せにはなれなそうなのだが、さてどうなのだろう。
本来の占いからかけ離れすぎた彩の"独自の占い"に、どう口をはさめばいいのか分からなくて、マスターは沈黙することにした。
手際良くカードをしまいこむと、彩はバックを手に立ちあがった。
「すみませんけど、お手洗いをお借りしますね」
「ええ、どうぞ。入口向かって右の奥にありますから」
「入口の右ですね」
軽く返事をした彩が向かったのは、出入り口の真横にある扉だった。
いつもは見えないように観葉植物で隠してある扉が、なぜか今日に限って丸見えになっている。
そして、彩はその扉に向かってまっすぐに歩いてゆき──
「さやちゃん! まって──」
「え?」
マスターの制止も間に合わず、ドアノブを持った彩の体は一瞬光って──消えた。
「え、えぇぇぇ? どうしたら……あ、"世界"のカードって!」
引きつった声で、マスターが天を仰いだ。
○ ○ ○
「ようこそ。聖女殿か魔女殿」
「は?」
トイレに立った彩の前に広がっていたのは、石作りの大広間とそこに並ぶ十人近い男達だった。
その半分は銀色の鎧を着て、槍を手に並んでいる。
残り半分は、あちこちに刺繍がはいり、キラキラのガラス玉で飾られた高そうな服を着ていた。
「え、と。どなた?」
「私はあなたをこの世界に呼んだもの。クレールと申します。あなたは?」
「わたしは、さや、ですけど」
彩の目の前の人物はクレールと名乗った。
高そうな服を着た、身分の高そうな男の名にしては短すぎる。
おそらくはフルネームを名乗っていないのだろう、と彩は判断した。
ならば、彩自身もフルネームを答える必要はないはずだ。
「サヤ殿。私があなたを呼んだのは、この国の邪悪を滅ぼしてもらいたいからなのです。
聖女ならば光を、魔女ならば闇をもって、邪悪を滅ぼし、民を救っていただきたい」
「……うーん? そうねぇ……」
困ったことになった、と彩はクレールを見た。
否、正しくはクレールの後ろを見たのだ。
彼の後ろには槍で武装した男達が並んでいる。彼らは彩を取り囲むように、逃げ場のないようにしっかりと等間隔で彩達の周りに立っている。
残りの男達も油断ならない相手のように思えた。
なぜなら、彼らは腰に剣をさしているのだ。
彩はゲームやコスプレしか見たことが無いが、ガラスで飾られた剣の柄が激しく自己主張をしていた。
ものすごいプレッシャーである。
この状況で何もできませんなど、小心者の彩には言えたものではない。
トイレ事情も引っ込んでしまった。
「じゃぁ、占ってみましょうか!」
「占い? ほう、占術が得意か」
「えーっと……」
彩がバックをあさって取り出すのは、先ほども使用したタロットカードだ。
手際良くシャッフルして──並べるところがなかったので、ふかふかのじゅうたんの上に座り込むと、目の前に三枚を抜き出す。
「ほう。初めて見る絵柄だな……」
「なんでしょうか。稚拙な絵ですね」
「シッ。魔女殿に失礼だろう。神秘的……いや、独創的と言うべきだ」
数人がカードを覗きこんでくる。稚拙、と言われて傷ついたのは、彩の内緒だ。
「さて。なにがでるかな~」
出てきたカードは、"正義"、"愚者"、"皇帝"。
なんだこれ、と彩は首を傾げた。
彩をまねして、男達も首を横にする。
「何か見えるか?」
「さて──」
「えっと、"皇帝"のカードはそのまんま王様の事ですね。権力や地位のある人って意味です。
"愚者"は無知とか自由って意味です。歩く先が崖になってるのに気が付かずにいるでしょ。
"正義"はそのまんま正義とか公正って意味ですね。これは正義の女神様の絵なので」
カードに書かれたメモを見ながら彩が説明をする。
「つまり?」
「地位がある男性──ですか。ん? 王子この顔をご覧ください」
若い銀髪ロングさんが指差したのは"愚者"の絵だった。そこに書かれた若者の顔を指差している。
「この特徴的なホクロ。これはアルツェガーに間違いありません!」
「確かに! まさか、アルツェガーが繋がっているとは……」
愚者の若者には、確かにそう見える黒いしみがあった。
それは銀髪さんの影が落ちているだけではないでしょうか、とは彩は言わないでおいた。
「この女神の天秤は正義を示している、と魔女殿は言われた。天秤とは釣り合わねばならぬもの。それが傾いているということは……」
「くわえて、"皇帝"──王にたとえられるほどの地位の家。……やはり大公家はクロか」
「間違いなく王位をねらっての事かと」
黒髪が示す"正義"の女神が持つ天秤。それは確かにまっすぐではなく、歪んでいる。
彩が定規をつかわず、フリーハンドで書いた結果だった。
絵が下手でごめんなさい──と彩は心の中で謝罪した。
「すばらしい力だ、魔女殿。これだけの証拠があれば、こちらが有利──大公家とアルツェガーをとらえよ!」
「はっ!」
クレールの言葉に、皆が敬礼をする。右腕を左胸に当て一礼をして、男達は走り去っていった。
後に残されたのは、彩とクレール、銀髪と黒髪の四人だけだった。
「……証拠? どこに証拠が?」
「何を言われる。魔女殿の占術が何よりの証拠ではないか!」
クレールは彩の術を絶賛したが、黒髪はそれよりは冷静に言葉を発した。
「もともと大公家の事は怪しんでおりました。魔女殿にアルツェガーとの関連を示唆され、最後の糸がつながったという事です」
「……おやくにたててよかったです」
アルツェガーさんを名指ししたのは銀髪さんですが、と彩は銀髪に視線を送る。
にこやかに腹黒く、銀髪は頷いて返した。
この銀髪。分かってやりやがった──彩の背中に冷たい汗が走る。
「そ、それで。ご用事はすんだんですよね。もう帰って良いでしょうか?」
「まさか! これほど腕の良い魔女殿をそうそう手放すなどもったいない。それに、申し訳ないのですが、おいでになった世界が分からないため、お帰しすることはできないのです」
「え?」
彩の顔から血の気が引いた。
「そ、そんな──困ります。わたしには、この後、"最低男から財産を絞り取る"という人生最大の山場が待ち構えているんです」
「いや、魔女殿。この国にいてくだされば、財宝など、お好きなだけお贈りいたします。たとえばコレなどいかがでしょうか」
クレールは、自分がつけていた大きな緑のガラスの入った指輪を彩に握らせた。
色はきれいでも、小さなひび割れにより濁って見える低級なガラス玉に、彩は複雑な気分になった。
しかも、男の人差し指を飾っていた指輪だ。彩がつけるには大きすぎる。
「あの。確かにきれいだけど──」
『古河彩さん。古河彩さん。聞こえたら返事をしてください──』
突然聞こえてきたマスターの声に、四人が周囲を警戒する。
"古河彩"の名前に反応したのは彩一人だけだった。
「あ、はい! ここです」
返事をするが早いか、彩の体は光を帯び──その世界から消えた。
「魔女殿!」
「……魔女殿の名は"コガサヤ"でしたか。これは油断していましたね」
銀髪は残念そうに溜息をついた。
三人の前には彩が落としていったバックが一つ、ぽつんとその場に残されていた。
○ ○ ○
「あれ? わたし寝てました?」
目を開けた彩の前にいたのは、和服美人だった。ストレートロングのさらさらとした髪にくりくりとした大きな目が、心配そうに彩を覗き込んでいた。
自分が店のソファに横になっていたことに気が付き、彩はゆっくりと身を起こした。
「大丈夫ですか? ここがどこかわかりますか?」
「えーっと。……うん、分かります。いつものバーですよね。でもお嬢さんとは初めてだと思います」
彩が答えると、和服美女は安心したように微笑んだ。
「よかった。私は大神ヘレン。この店のマスターの奥さんですわ」
「おおお! では、あなたが、弁護士さんの──って、あれ? 名刺をいただいたんですけど──って、あれ? バックがない! 落としちゃった?」
あわわ、と彩は周囲を見回した。しかし、バックは影も形もなくなっている。
その代わりに、なぜか緑色のガラスのはめこまれた指輪を握りしめていた。
「あれ? これ……夢の中でもらった指輪……」
キラキラと輝くガラスを見て、彩は「まさか、夢じゃない?」と青ざめ、再びソファに倒れ込んだ。
異世界で、バックと中身が大切に保管されている事とか。
貰ったガラス玉が実はエメラルドで、高く売れる事とか。
彩の元婚約者が決して幸せではない結婚をする事とか。
気を失った彩には全く関係の無いことだった。
占い方法は、あえて嘘ばかりを書いています。決して参考にしないでください。