覚悟と決意
小一時間ほどしてから再起動。
朱火は、取り敢えずここが本当に異世界なのかを確認する。もしかしたら異世界ではなく、異星なのかもしれない。そうなると、帰る為の手段を求める先が違ってくる。
長兄と姉共同制作のオーバーテクノロジー、一見何処にでもあるけど性能だけは飛び抜けた携帯端末を取り出す。
なんと異世界、異星間でも通信可能という代物だ。
長兄と姉、どっちにかけるか少し悩んで、最初の候補である異世界説の専門家として姉にしてみる。
ワンコールで出た。暇なのだろうか。
「儂儂。儂じゃ儂」
『……んー、詐欺ごっこに付き合う程のユーモアは無いかしら』
「何じゃ、つまらんの」
『っていうか、何処からかけてんの? すんごいラグがあるんだけど。世界一つ跨いだくらいじゃ時間差付かないわよ?』
中継点は元の世界に置いているらしいから、実質、二つの世界の壁を抜けている事になる。
異世界が正解であると理解した朱火は、
「おそらく異世界じゃの」
『馬鹿なの? いえ、馬鹿ね。あんた、世界を隔てる壁を突破できないでしょ』
「そうは言っても来ちゃったもんは仕方なかろ」
『私が言ってんのはそういう事じゃないわよ。帰る方法が無いでしょ、って言ってんの』
「行くのは良いのか」
『帰れる当てがあるなら良いのよ。外国くらい、行くでしょ? そんなもんよ』
異世界の旅が国外旅行と同レベル。
改めて姉の気違い振りを痛感するが、彼女から見ても自分は気違いに見えるだろう。お互い様だ。
『まぁいいわ。説経は帰ってきてからするとして、まずは褒める事にするわ。よくちゃんと連絡したわね。私に繋いだのは、まぁただの気まぐれでしょうけど、他の兄弟でも結局は私に行き着くからどうでもいいわ』
「サルベージは出来そうかの?」
『私を誰だと思ってるの? 次元世界を股にかける魔女よ。異世界にいる妹くらい、簡単に見つけるわよ』
「それなら重畳じゃ。じゃ、飽きるまで遊んでおるから、飽きる頃までさらばじゃ」
『あっ! ちょっ、待ちな……!』
最後まで聞かずに通信を切る。ついでに端末の電源も落とす。
どうにも機嫌が悪そうだったから、つい。
(……まぁ、良しとしよう。儂を殴る為に世界を渡ってきたら……諦めるかの)
ポジティブに思い直して、もう一度、世界を見回す。
「うむ、手つかずの自然。まぁ地球にもあるのじゃと思うが、儂の行動半径の中には無かった光景じゃ。絶景絶景」
取り敢えず、人里を探そう。そう思った朱火だった。
事態とは唐突に変わる物である。それがどういう結果をもたらすかはさておいて。
朱火が鼻歌混じりに丘を降りた丁度その時、それは来た。
頭上を飛び去っていく巨大な影。十字の様にも見えるそれは、翼を広げた巨竜の影である。
「おぉー。流石は異世界。ファンタジーじゃ」
空を振り仰いで、竜の存在に感動する朱火。
次兄が生み出した竜なら見た事がるが、天然物は初めてだ。
(……どれくらい強いのかのぅ。手懐けられるのかのぅ)
うずうずする。襲い掛かってきてくれないかな、と期待に胸を膨らませる。
なんて思っていると、巨竜の方が朱火に気付く。
緑の大草原の中、純白の衣は物凄く目立つ事だろう。
宙で身を翻して、正面から朱火の姿を捉える。
交錯する両者の視線。
朱火は、にっと笑みを浮かべて、手を振ってみる。兄弟に対して向ける、本気の殺意を込めて。
仲良くしようとするならそれも良し。襲い掛かってくるのなら尚良し。そんな気分で行った行動だった。
巨竜の停滞は数瞬だった。
すぐに興味を失ったのか、そっぽを向いて何処かへと去っていった。
「ありゃ、振られちまったかの」
表情が分かれば、もしかしたらどんな気分で去っていったのかも分かったかもしれない。
一人じゃ腹も膨れないと思ったか、他に何か用事があったか、殺すだけの脅威を感じなかったか、あるいは恐れを為したか。
しかし、竜を見慣れていない朱火には、巨竜の表情の変化など分かる訳も無い。
(……残念)
とは思うが、執着は見せない。
今は初の異世界の旅路で、少しばかり気分が良いのだ。降りかかる火の粉でなければ、見逃してやろうという気分である。
それに、朱火は運命論者だ。それが必要ならば、出会う時には出会う物だと思っている。だから、朱火の人生に必要なピースならば、その内、再び見える事になるだろう。お楽しみはその時でも良いのだ。
「焦らない焦らない。じっくりと行くが吉じゃ」
冷静の仮面を被って、自分の心を宥める。
沸き立つ血の熱は、流血でしか宥められない。今の朱火には、人と見れば、どころではなく、動く者在ればそれが何であろうと襲い掛かりかねない危うさがあった。
今までは、近くに兄と姉がいた。
銀河最強の長兄と、次元世界の魔王である姉、地上を呑み込む災厄の次兄に、天の頂に立つ兄。
どれも異常で、まだまだ未熟な朱火では対抗できよう筈も無く、つまり本気の殺意を持って襲い掛かっても何の問題も無い便利な兄弟だ。
しかし、今は異世界。朱火が全力で襲っても返り討ちに遭ってしまう強度の生物が、この世界にいるとは限らない。
次兄の言っていた、子供と大人の境界線をなんとなく思い出す。
――二つを分ける要素は、能力の有無だ。何も持たない、何の影響ももたらさない誰かは、身体が大きくとも年齢が重ねていようとも、それは子供と変わらない。しかし、力有る者はそうはいかない。力を持った時点で世界や社会にとって無視できない存在となり、大人としての節度と判断を求められる。そこに年齢は関係ない。生まれたばかりの赤ん坊であろうと、力有る者は大人でなければならないんだ。そうでなければ、排除されるだけだ。
今までは子供でいられた。兄たちがいたから。彼らの誘導に従って暴れて、度が過ぎれば力ずくで捻じ伏せられ、道具として過ごしていられた。
だが、今回は違う。兄たちはいない。全て自分で判断し、自分の責任で行わねばならない。
大人とならねばならない時がやってきたのだ。
「キヒッ」
口の端を吊り上げて、邪悪に笑う。
「キヒッ、キハハハハハハハハッ! 良い! 良いじゃろう! じゃが、決して安堵するでないぞ、世界よ! 儂は兄とは違う! 姉とは違う! 次兄とはもはや相容れぬ! 奴らほど甘くは無く! 余裕も無い! だから!」
だから。
「物語が滅茶苦茶になっても、知らぬぞ!」
強過ぎる薬は、毒に転じる。
劇毒へと、朱火は生まれ変わろうとしていた。