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五 聖都

 勇者のパーティーはパッシオンの町でベラを加え、四名となった。男だらけの集団に女性が一人いるだけで華がある。しかもその華は極上のバラである。その声は小鳥のさえずりのより美しく、歩く姿はユニコーンの歩みより高尚だ。

 ベラの仲間入りを最初は反対していたくせに、クリスがでれでれと鼻の下を伸ばしていたので、エドが鼻っ柱を抓んでいた。


「魔界といっても、どの国へ向かうの?」

 パッシオンの町の前にある橋で、クリスがした質問と同じものをベラはウィルに尋ねた。


「シュバルツハイデさ」

「大国シュバルツハイデですって! 最高だわ!」

 海路を使わなければ人間一人で行ける距離ではないだろう。パーティーに加えてもらえてよかったとベラは笑った。


 陸路を使えば疲労困憊で困るが、道中に様々な場所を訪れることができる。ベラはそれが嬉しいようであった。しかし反対にウィルは面倒くさそうな顔をした。

「陸路やら徒歩やら、疲れるのが難点だよなぁ。海路を使えば楽なのに」

「あら? 勇者なのに陸路を使う理由を知らないの?」

 ベラは心外だという表情をした。ウィルはバカにされたような気がして不愉快だったが、確かにその理由を知らないので何も言えなかった。


「勇者はね、平和の象徴なのよ」


「それぐらい知ってる」だからこそウィルは勇者になったのだ。今さら改めて言われるまでもない。


「もし平和そのものが目に入ったら、人々はどう思うかしら?」

「そりゃあ……安心する?」

「そう。安寧を維持するために、勇者はより多くの人の目に留まらなくてはいけないのよ」

 勇者は平和、正義の象徴だ。人々の目に止まれば止まるほど、その恩恵は遺憾なく発揮される。悪漢は勇者を見かけるだけで悪事を諦めるだろう。市民は突然のモンスターの襲来でも動揺が軽減されるだろう。

 だから人の注目を集めるために、勇者は海路を使ったり、馬車を使ったりするのではなく、陸路や徒歩である必要がある。


「へぇ……よく知ってるな」

「これぐらい常識よ」


 ベラはそう言うが、実際のところ彼女は博識な人物であった。事実ウィルは今まで徒歩の理由を考えたことがなかったし、誰もそれを教えてくれなかった。

 一流の剣術に、詠唱省略ができる魔法の才能に、知識が豊富であり、月さえも絶句する美貌。

 本来勇者の方がその条件を満たしておくべきなのだろう。だが現実は違う。自分はコンプレックスの塊になってしまうのでは、とウィルは遠い目をした。



「この街道の先には、東でパッシオンの次に王都に近い都市があるわ」

「カテドラルだな」

「あら。流石のクリスでも知っていたのね」

「本山くらいは知ってねぇとな」

 へらりとクリスは笑った。


 まだ幼く、地名を覚え切れていないエドは首をひねった。ベラはエドのことを無視するわけがなく、親切にわかりやすく説明した。

「カテドラルは大聖堂のある町よ」

「教会の元締めがわんさかいるとこだな」

 俺にとっては魔界よりも危険なところだ、とクリスは笑えない冗談を言った。



 聖都カテドラル。この町を語る時は必ず大聖堂の名前が出る。エルグランド王国内で最も広まっている宗教の本山がこの町であり、聖騎士と呼ばれる独自の兵団が町の治安を維持している。

 カランカラン、とどこかで教会の鐘が鳴った。町のあちこちで教会を象徴するマークが目に入る。

  流石は国一番の宗教都市であろうか、敬虔な参拝者が道を占めている。参拝者の目的は何も大聖堂だけではない。本山ともなれば、高名な僧侶や司祭が多くいるため、彼らに祈られることを目的にやって来る人も数少なくない。教会も熱心な信者のために積極的に祈祷や面会の場を設けている。


 面倒そうにウィルは溜め息をついた。

「総大司教に挨拶とかいるよなぁ……」

「だろうな。お偉いさんには顔を売っとくのが定石だ。けど俺が行ったらよくて破門、悪くて投獄にぶち込まれるからよ。俺はパスな」

「ならわたしは先に買い物を済ませておこうかしら。エドは?」

「クリスの見張り」

 この不良僧侶は相当信頼されていないらしい。自分より幼い少年にすら悪事を働かないか注意されるとは。ウィルはいつもの光景に苦笑した。


「てことはまた一人で謁見なわけだな」

「それも勇者サマの仕事、だろ?」


 じゃあまた後でな、と三人は呆気なくウィルを置いて行ってしまった。薄情な仲間達である。重い溜め息をついたウィルは、これまた重い足を大聖堂へと向けた。



 大聖堂の入口から正面には立派な祭壇と神秘的なステンドグラスが存在感を放っていた。王都の教会も大きなものであったが、やはり本山とは比べ物にならない。王城とはまた別の窮屈をウィルは感じた。


「これはこれは勇者殿。カテドラルへようこそおいでくださいました」


 大聖堂に出向いたウィルを迎えたのは総大司教、教会のトップその人であった。

 白く長い髭をたくわえ、神父服を丁寧に着こなしている。こういう人を聖職者と呼ぶのだ、とウィルは仲間の一人を脳裏に思い浮かべた。彼とは真反対の人物像だ。


「今回は一体どういう旅なのですかな?」

「魔界への使いです」

「ほお。これはまた難儀な」


 労わるように総大司教はやんわりと微笑んだ。好々爺という言葉がよく似合う人物である。

 その笑みを見てウィルは(こんな感じに笑うのが、貴族の狸みたいなやつなんだな)と、かなり失礼なことを考えていた。

 国王と個人的に親しくし、身分ある人の屈託ない笑みを見ていると、どうも高貴な人間に不信感を抱く。他の高貴な人間の笑顔が妙に胡散臭く見えてくるのだ。勇者として失格だな、とウィルは思うが、その考え方を改める気はさらさらない。


「勇者殿には十年前の悲劇を繰り返さぬよう、励んでもらわねば」

「ええ、重々承知です」


 今よりおよそ十年前、エルグランド王国は悲劇に見舞われた。

 エルグランド王国は人間と魔族の中立を主張する国だ。人間を、片や魔族を頂点の存在とする諸外国からはエルグランド王国は目の上のたん瘤も同然であり、そのためにかつて暴動が起きた。犠牲は多く、国は数多の傷を残した。

 悲劇から立ち上がりかけている今、勇者が精進することは当然であり、また国のため、人のために奮闘することをウィルはいとわない。


 各地に残った傷跡を思い出した総大司教は、そっと目に浮かんだ涙を拭った。



「そういえば一つ頼み事があるのですが」

「私めにできることであれば何でも」

通信鏡つうしんきょうを貸してくださいませんか?」

 その程度のこと、もちろんですと総大司教は頷いてくれた。


 通信鏡つうしんきょうとは特殊な魔法を鏡に組み込むことで、遠くの人物と連絡を取り合う道具だ。

 世の中にはすごい発明をする人物がいる、と通信鏡を初めて見た時ウィルは感心した。発明品には興味があるのだが、数学やら魔法やら、よくわからないウィルには仕掛けが理解不能だ。

 ともかくすごい代物なのだ。ウィルの足りない脳味噌ではその程度の説明しかできない。


 通信鏡を目的の場所につないでもらうと、少々ノイズが交じり、その後に鏡の中の像が変わった。


「おや、誰かと思えばウィル殿ではありませんか」

 応答をしたのは王城の謁見の間にて、国王の隣に控えていた宰相であった。


「大聖堂の通信鏡つうしんきょう、ということはカテドラルに着いたのですね」

「やっとカテドラルです」

「もう、ですよ。徒歩なのでしょう? 早いペースです」

 流石ウィル殿だ、と宰相はフォローを入れた。相変わらず人を乗せるのが上手い人である。そのおかげで宰相という地位に昇りつめられたのだろう。


「それで、今回は一体どういうご用件で?」

「王女の捜索を王から任されたのはいいが、ここまで何の収穫もなくて。何か情報があればと」

「姫様の?」

 思わずと言った風であったから、普段の宰相は王女のことを姫様と呼ぶのだろう。


 王はついででいいと言ったが、頼まれた以上ウィルはできる限りのことをするつもりだ。この懸命さがウィルが勇者に選ばれた理由の一つだ。


 ウィルの質問に、宰相は困り顔で首を横に振った。


「残念ながら何も。王女はとてもご聡明であらせられますので、特に心配もなく、こちらからは何の手も出していないのです」

「聡明、ねぇ。噂と随分違うんだな」

 噂では愚鈍な人物だと散々に言われているのに。

「あなたも王女に一目会ってみればわかります。と言いましても、すでに就任式でお姿を見かけたことがあるのでしょうか?」


 勇者の就任式は王族の前で盛大に執り行われる。騎士の叙任じょにんの儀式と似ているのだ。

 確かにあの式には王族は全員出席していたと記憶している。王女もその場にいたはずだと――


「もしや王女のお顔を覚えておられませんか?」


 誤魔化すようにウィルは後ろ頭をかいた。察した宰相は苦笑をする。


「仕方ありませんな。王女は式典が終わればすぐ退場なさいましたし、その後ウィル殿と顔を合わせたことなどありませんゆえ」

「勇者だってのに王女の顔を知らないと、今気づくなんてなぁ」

 宰相は苦い笑いを深めた。


「ウィル殿はモントリオ伯爵をご存知ですか?」

「名前だけなら。この先の伯爵領の領主だろ?」

「モントリオ伯爵のご子息と王女はたまにお茶をする仲でして。彼ならば何か知っているやもしれません」


 ちょうど今領地に帰っているはずだと宰相は言った。


「わかった。途中で寄ってみる」

「お勤めの方もよろしくお願いしますね」

 では、と通信は切断された。



 ***



 カテドラルの町はどこを見てもかっちりと整備されている。通りは石畳で舗装されており、あちこちで教会のシンボルを目にすることができる。

 宗教都市、ということもありカテドラルは教会一色に染まっている。厳格である、というアピールが町全体から見て取れてしまう。


 クリスはうんざりと溜め息をついた。

「このしんせーな空気ってのは肩が凝って嫌だねぇ」

「あなた、どうして神職に就いたの?」

 わけがわからない、とベラは呆れ果てた。


 あれと、これと。ベラは指を折って買い物を済ませたものを確かめた。そのベラの袖を、エドがこっそりと引く。


「パッシオンでモンスターが暴れたらしいな」

「だな。近隣のモンスターを駆除していれば今回のような事件は起こらなかったものを」


 この町の聖騎士らしい。職務中であるのに、二人は周囲に聞かれても別段構わないといった音量で話していた。

 ベラは内緒話をするように音量を下げて、エドに教えた。


「教会の人間には、いまだ反魔族派の意思が残っているのよ」


 もう三百年も経っているのにね。ベラは責めるように、憐れむように眉を下げた。

 気にしてはだめよ。ベラは小さな声で言った。ここを早く通り過ぎてしまおうと少し足を速める。


「そもそも勇者ってのは魔王を倒すために存在したはずだろ? なのに存在意味を捻じ曲げるなんざ……俺が勇者になってればよかったぜ」

「よせよ。そういうことは思ってても言うもんじゃないぜ。それにお前が勇者だって? 冗談だろ!」

「やってみなきゃわかんねぇだろ!」


 ハハハと二人の聖騎士は陽気に笑った。しかし勇者のパーティーは聞いていてよい気分ではない。ベラはすれ違った背中を蹴り飛ばしてやりたかった。


「おい、エド。手の中にあるもんを出しな」


 突然クリスが珍しく厳しい声を出した。びくりと肩を上下させたエドは素直にその言葉に従い、クリスに手を差し出した。

 どうしたの、と目を向けたベラは、エドからクリスに渡されたあるものを見て驚いた。「エド、あなた……」ベラは呆然とエドを見つめた。


「お~い、ちょっとあんたら。財布落としたぜ」

「え? ああ、すまない。助かった」

 聖騎士はにこやかにクリスから“落としたと思われる”財布を受け取った。言うまでもないと思うが、あの財布はエドがクリスに渡したものである。


 ベラは何か言いたかったが、うまい言葉が出てこなかった。

 悪いことをしたという良識はあるのか、エドはしょんぼりと肩を落としていた。元々小さな体が、余計に小さく見える。頭ごなしに叱っても無駄であることは明白である。

 クリスはそんな二人を見て、肩をすぼめた。


「まあ責めんでくれよ。俺の酒と同じで、癖みたいなもんなんだ」

「……あなた達って、とんでもない悪癖持ちばかりね」

 ベラはなんとかエドを傷つけないような言葉を絞り出した。

「ウィルなんかはむっつりだぜ」

 言ってやったぜ、とクリスは年甲斐もなく威張ったが、ベラは「今はそういうことを聞いてるんじゃないの」と冗談を一蹴した。


「でもスリはよくないわ」

「……ウィルのこと、バカにされても?」


 恐る恐るエドはベラを見上げて問い掛けた。幼気な少年による先ほどの行動の理由には、大好きな勇者のことが絡んでいたらしい。侮辱されたことが少年の癪に障ったようだ。

 勇者本人が聞けばでれでれと顔を緩ませることだろう。年下から、特に弟のように可愛がっている子から敬われるというのは、男にとって気分のいいものなのだ。


「ああいうのには後でカミサマがきびし~い罰を与えてくださるんだよ」

「クリスが言うと説得力が欠けるから止めてちょうだい」


 ぴしゃりとベラが言い放った。彼の嫌う厳しい教会と同じくらい厳しいベラに、クリスは苦笑いした。そしてふと大人の表情を見せた。


「俺もウィルもこいつに強く出れなくてな。助かるよ」

「こう言うととても失礼だけど、親はどんな教育をしたのかしら?」


「ああ。こいつ、親いねぇんだよ」


 クリスがさらりと言った事実にベラは目を見開かせた。

「なんでもちっせぇ頃に親に捨てられたらしくてな」

 エドは頷いて肯定した。


 彼の細躯は、幼少期に成長に必要な栄養が足りなかったせいだろう。思いもよらない過去だ。

 ベラは仲間に入ったばかりだとは言え、彼らのことを何も知らないのだと思い知った。


「親の顔、知らない。盗賊に拾われて、下働きしてた」

「だから盗賊の職業を名乗っているのね」

「なんか色々あってアジトが壊滅したらしくてよ。元々器用だったからスリして生きてきたらしいんだわ。で、ウィルの財布をスッたのが出会いってわけ。出会いのきっかけってこともあって、叱ろうと思ってもなんとなく叱りにくいんだよなぁ」

「悪いことなんだからしっかり叱ってあげないと」


 親だけでなく、周りの大人にも責任があるのだとベラはきっぱり言った。

 悪いことは悪いのだ。生まれたばかりの子供は何も知らない。だからそれは大人がよく教えてやらねばならない。大人の義務なのだ。


「とにかく、もう一大事以外にはスリをしてはだめよ」

「一大事って?」

「生きるか死ぬか、って時よ」


 つまりその時は、スリでもなんでもして構わないということだ。

「はっはっは! お嬢ちゃんは面白いねぇ!」

 つくづく自分のツボをついてくれる。クリスは大笑いした。




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